Not Need A Death
朝日奈
Not Need A Death
黒い銃が鳴る。
茶色い土が弾ける。
白い鉄が舞う。
赤い血が散る。
ここはまるで劇場だと思うことがある。でなければ私がここにいる理由がない。
舞台だと思わなければ、私はここにいられない。
私はここでは仮面を被った奇術師なのだから――。
「おい、聞いたか? あいつのこと」
「ああ。この辺りじゃすっかり有名になっちまったからな」
「また功績をあげたんだって? 今度は何人殺った?」
味のしないコーヒーを飲みながら、三~四人の兵士が小声で話し合っていた。最小限の明かりを点すランプが各々の顔を薄く浮かび上がらせた。
「あいつがいるから俺らは随分楽させてもらってるけど、正直言って不気味でしょうがないんだよな」
「そりゃ誰だって思ってるさ。あいつの戦いぶりを見た奴ならな」
兵士達は自身が目撃した光景を思い出した。
その男は常に一人で動いていた。
誰とも徒党を組まず、誰にも寄り付かず、たった一人で戦場を舞っていた。
銃を撃たせればすべて命中。
ナイフを持たせれば一振りで一つの命を切り落とす。
その足取りはまるで風に吹かれる木々のように静かで、川を流れる水のように滑らかで、戦いの最中にも関わらず見とれてしまう者も少なくはなかった。
さながら戦場の舞踊家にも見える男だが、その舞が進むたびに必ず人が死ぬ光景を見て、敵どころか味方すらも彼を畏怖した。
「あそこまで行ったらもう人間じゃねえよ」
「ああ。もう化け物だ。戦争が作り上げたモンスターだ」
「なあ、知ってるか? 今上層部であいつを消そうって話が出てるらしいぜ」
「なんだそれ! 本当か? そんな戦力になる奴をどうして?」
「よく分からねえけど、一部ではあいつがどんどん敵を殺すもんだから、戦争がなかなか収まらないって意見も出ているらしい」
「なんだよ、それ。勝手な話だな」
「まあ、連中の気持ちも分からないではないけどな。確かにあいつをこのままずっと放っておくのは恐ろしい気がする」
「けど、同じ兵士として同情もするよ。あれだけ上のために人を殺してきたってのに、その上に裏切られるんだからな」
「全くだな」
兵士達は身体の内に広がる苦い感情をコーヒーとともに飲み込んだ。と、そのとき、
「交代の時間だ」
不意に暗闇の中から一人の男が姿を現した。皆が噂していたあの兵士だった。
全員は気まずそうに目配せした。まさか今の話を聞かれていなかっただろうか。
「次の当番は誰だ」
男は感情を込めずに言った。
「お、おう。俺だ」
兵士の一人がカップを置いて男に近づいた。
「ごくろうさん。ゆっくり休め」
兵士は男に笑いかけたが、男は彼を一瞥しただけで、さっさとテントのある方へと消えていった。
「なんだよ、愛想ねえな」
兵士達は男が消えていった暗闇を見つめた。
「で、どうします? 例の件」
「それに関してはもう結論が出たでしょう。あれは処分します」
「でも、あんな優秀な人材をあっさり潰すのももったいない気がしますけどねえ」
副長官がもったいないともう一度呟いたが、長官が深くため息をついてそれを諌めた。
「それを言っていては話が進まないでしょう。そろそろ向こうも終戦の準備をしているんだ。こちらもその流れに対応していかないと」
「全ては我らよりももっと上の方々が決めていることです。我らは流れに逆らうことのできない一枚の木の葉。彼らが終わるといえば、我らも戦いを終えなければならない。実につらい立場ですよ」
「ははは、部隊長殿は詩人でいらっしゃる」
「真面目に言ってるんですよ、私は」
部隊長は副長官をじろりと睨んだ。と、そのとき、
「失礼します。長官はいらっしゃいますか」
ノックとともにドアの向こうから声が聞こえた。
「なんだ。今は会合中なんだ。用があるなら後にしてくれ」
長官がドアに向かって言ったが、その向こうに立つ者はすぐに立ち去ろうとしなかった。
「いえ、緊急に長官に申し上げたいことがあります」
「なんだ? どこの所属の者だ?」
しかし、今度は何も返ってこなかった。業を煮やした長官は仕方なく立ち上がり、ドアに向かった。
「おい、何とか言いなさい。君は一体……」
長官の言葉は最後まで続かなかった。ドアを開けた瞬間。鋭い剣が彼の胴体を貫いたのだ。他の二人も反射的に立ち上がった。
剣が抜かれドアの向こうの暗闇に隠れると、支えを失った長官の身体がゆっくりと倒れた。
「誰だ!」
副長官が廊下に向かって声を張り上げる。すると一人の男が音もなく部屋へと入ってきた。たった今まで話題に上がっていたあの兵士だった。
「お前は……」
副長官が何か言う前に、兵士は素早く剣を振り払った。次の瞬間、副長官の肥えた身体から血飛沫が舞った。
兵士が次の動作に入ろうと振り向いたとき、彼の腹部に痛みが走った。見てみると、服に小さな穴が開いて、そこから血があふれ出していた。前方を見ると、部隊長が銃を兵士に向けて立っていた。銃からは細い煙が上っている。
「自身の噂でも聞きつけてここまで来たのかは分からないが、これは重大な違反だ。よって、もうお前を庇うものは一切いない。よって、私が今ここでお前を処刑する」
「死ぬことは怖くありません」ポツリと兵士が呟いた。「私は人間ではありません」
なにを、と長官は言い返そうとしたが、兵士によって阻まれた。
「私は奇術師です。そういう生き物です。私が戦場を駆けることができるのは、貴方方のような観客が見ているから。だから私は何でもできる。観客のリクエストにも必ず答える。ですが、今貴方は私を見ていない。だから、私は次のステージへ向かうことにします」
「……だとしたら、なぜ、このような真似をする」
部隊長はすぐ目の前の奇術師に向かって言った。自身の胸にはいつの間にか彼の持つ剣が突き刺さっていた。
「私は観客のためならなんでもします。ですが、観覧代を支払わない客はマナー違反です。違いますか?」
兵士はずるりと剣を引き抜いた。部隊長は身体を支えられず、膝を突いて頭を垂れた。
「なるほど。一理ある。だが、こちらにも意義はある!」
部隊長は兵士に向かって銃を打ち込んだ。弾は今度は彼の胸を貫通し、足をふらつかせた。
「先程も言いましたよ。私は死ぬことが怖くない。生も死もない。私の存在はただ、観客に芸を披露する、それだけです」
しかし、部隊長はもう何の反応も見せなかった。
兵士は踵を返して部屋を後にした。
体中の血が沸き立っているようだ。
足が上手く進まない。
指の感覚がなくなってきた。剣を握っているのかすら分からない。
それでも、彼の頭の中は唯一つのことを想っていた。
「私はなんでもする。あの、観客の楽しむ顔を、もう一度、見る……ため、に……」
ただそれだけ。それ以外は一切不要だ。
兵士はそれだけを想い、暗い廊下を突き進んだ。
翌朝になって、会議室から三人の遺体が発見された。犯人はすぐにあの兵士に絞られた。しかし、どこを探しても彼の姿は見当たらなかった。
それから二ヶ月後、戦争は終結した。しかし、あの奇術師は今もなお見つかってはいない――。
Not Need A Death 朝日奈 @asahina86
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