The Red Melancholy, and The Blue Real
朝日奈
The Red Melancholy, and The Blue Real
「それでは、紳士淑女の皆様。本日のショーはこれくらいにいたしましょう。ご観覧ありが……え、なに、まだ物足りないって? じゃあまた明日こちらに足をお運び下さい。今日とはまた一風変わったショーをご覧に入れましょう。今日と同じじゃないかって? 何をおっしゃいます。道化は条件さえあれば、決して嘘をつかない生き物なんですよ。条件って? 何、簡単なことです。ただこのテントの横にある販売コーナーの覗いてくれるだけで良いんです。ね、簡単でしょう。まぁ、中にあるものをどうするかは皆様のお財布とご良心にお任せしますが。……おっと、団長がこちらを睨んでる。ショーの時には営業するなっていつも言われてるんです。そんなこと道化に言ったって意味ないのにねぇ。あ、そこで大きく頷いてくれてる綺麗なお嬢さん。ありがとう。君はきっと一体二十ドルの道化人形を買ってくれるって信じてるよ。さ、これ以上おしゃべりが過ぎて団長の鞭が飛んでくる前に、お暇しましょう。それでは改めて、紳士淑女の皆様、ご観覧誠にありがとうございました」
赤鼻の道化師が恭しく一礼すると、わっと拍手喝采が起きた。道化師は観客席に満面の笑顔で手を振りながら、ステージから退場した。入れ替わりにスタッフがステージに上がり、外に出ようとざわつく観客たちを誘導し始めた。
「おつかれ様でーす」
青年は赤いボールを掌でもてあそびながら、無表情で控え室へと入った。
「おつかれ」「おつかれさまー」控え室にいた団員たちが次々と青年に声をかける。
「今日もよく舌が回ってたな」
青年が空いている化粧台に腰掛けると、隣に座っていた男が話しかけてきた。
「おかげでのどが渇いちまって仕方ないんすよね。それもらいますよ」
青年は男は持っていたドリンクをひったくると、男が何か言う前に一気に飲み干して、空の容器を男のほうに放った。
「ゴチソーサマ」
「お前、よくも俺の……」
男は青年に掴みかかろうとしたが、そのとき、別の団員が青年の名前を呼んだ。
「団長が呼んでるぞ」
「え、俺何かやらかしました?」
隣に座る男がこれ以上何か言う前に、青年はそそくさと控え室を後にした。
「失礼しまーす」
団長専用のテントに移動すると、中にいるであろう人に声をかけた。
「入れ」中から中年男性の聞き慣れた声が返ってきた。
テントをまくって中に入ると、部屋の中央のソファに座る燕尾服姿の団長が目に入った。ステージのときに被っていたシルクハットは、今は彼の横に置かれている。
「ディックに呼ばれて来たんすけど、何か用すか?」
青年は団長と向き合いながら、先程のステージのことを思い出していた。特に不備な点は見当たらなかったと思うが……。
「お前にお客さんだ」
団長は部屋の隅に視線を移動させた。それにつられて青年もそちらの方を見やる。雑然と置かれた衣装や小道具の側に一人の女性が立っていた。一瞬人形かと見紛う程に美しいその女性を見て、青年は息を止めた。
「ミス、エリザベス……」
名前を呼ばれた女性は青年に向かってにっこり微笑んだ。
「久しぶりね、マーク。前に会ったのはいつだったかしら」
「シティの方でクリスマス公演を行ったときじゃありませんでしたかな? あのときに、市長にゲストとしてステージに上がって頂きましたし」
団長が呆然と立ち尽くす青年の変わりに答えた。
「そう! そうだわ! あのときのお父様ったら、自分も手品ができるとか言い出して、勝手にここの道具で始めちゃうんだもの。挙句失敗して、いい笑いものになっちゃうし。あのときは本当に恥ずかしかったわ」女性は懐かしそうにそう言いながら、団長とテーブルを挟んで反対側のソファに腰を下ろした。「あの時も、確かあなたが彼をフォローしてくれたんだったわね」
「お、俺は別に何もしていません。いつも通り仕事をしただけです」
不意にこちらに振り向いたので、青年はどぎまぎと答えた。
「でも、一瞬で観客の意識を逸らしちゃうんだもの。あなたは天才よ。今日もショーを見させていただいたけど、本当に楽しかったわ。特にあなたが披露した、」
「あの、それで、俺に用ってなんですか?」
「ああ、そうだったわね。ごめんなさい。実はね、あなたを食事に誘いたくて」
青年は一瞬この人が何を言っているのか分からなかった。
「え、し、食事、ですか……」
「そう。でも無理にとは言わないわ。忙しいのなら、断っていただいても一向に構わないわ」
「そんなことはありませんよ。団員の手なら足りています」またしても団長が口を挟んできた。「食事でもなんでも、好きに連れまわして下さって構いません。お前もそれでいいだろう」
二人の視線が青年の方に向けられた。
「お、俺は……」青年は俯いてゴニョゴニョと言った。「すいません、俺、今日の後片付けがあるので……それに、明日の準備もしないといけないですし……ホント、すみません」
「それぐらい他の者に頼めばいいだろう」
団長は眉間に皺を寄せて言った。どうあっても青年を食事に行かせたいらしい。
「でも、俺が自分の目で確認しておきたいものもありますし。ホントにすいません」
青年は深く一礼すると、逃げるようにテントから出ていった。
「待ちなさい、マーク」
団長が引きとめようとしたが、青年の耳にはもう届かなかった。
ああ、もう、調子が狂う。
空の木箱に背を低くして腰掛けた青年はぐしゃぐしゃと頭を掻いた。
「ああ、もう、最悪だ」青年は深くため息をついた。
「ホントだな」
突然後ろから降ってきた声に、驚いて青年が振り向くと、青年を覗き込む団員の姿が映った。ライトの逆光でほとんど顔が見えない。
「驚かすなよ、ディック」
「別にそんなつもりはなかったんだけど。むしろ驚いたのはこっちだよ」
「はあ? どういう意味だよ」
隣に座った団員が渡してきたビールを受け取りながら、青年は首をかしげた。
「なんだ、気付いてないのか。後片付けしてるときから思ってたんだけど、お前化粧落とし忘れてるぞ。髪もぐしゃぐしゃ」
「え……」
青年の顔がみるみる真っ青になったと思うと、再び髪をかき回した。顔も何度も撫で付ける。青年の髪はワックスでベタベタ、ついでに顔もファンデーションや口紅でベタベタだった。どうやらショーが終わってからずっとこの姿だったようだ。
「あー、もう死にたい……」
「なんでそんな落ち込んでるんだよ。落としてくればいいだろ、それくらい」
何も知らない彼を青年はじろりと睨んだ。
「さっき、団長に呼ばれたとき、市長の娘に会ったんだよ」
「え! 市長って、エリザベス嬢にか? その顔で?」
団員の追い込むような言い方に、青年はさらに肩を落として頷いた。
「あー、なるほど。それでそんなに落ち込んでたのか」ようやく青年の様子に納得した団員は、青年を肩を叩いて慰めた。「まあ、あれだけの美人にそんな姿見られたくはなかったよな」
「いや、もう、それはいいんだよ。でも、俺あの人苦手でさ。本当はあんまり会いたくなかったんだけど、今回は完全に不意を突かれた」
「そういやお前、いつも彼女が遊びに来るとテントに閉じこもってるよな。なんでそんな苦手なんだ?」
「んー、なんていうか」青年は頭の中で感情を慎重に整理しながら答えた。「よく分からないんだよな、あの人のことが。階級とか地位とか、そういうのが天と地ほど違うってのもあるし。住んでる世界が違うから、何考えてるか分からないんだ。今日だっていきなり飯食いに行こうとか言われたし」
「なんだって? お前、食事に誘われたのか?」
「そうなんだよ。訳分かんないだろう」
「で、お前どうしたんだ?」
「もちろん断ったさ。あの人とまともに会話できる訳ないし」
それを聞いて、団員はあんぐりと口を開けたまま青年を見つめた。
「お前、もったいないことするなー。いい飯食えただろうに」
「そんなこと考えてる余裕なんてあるわけないだろう。それに、さっきちょっと話したときでさえ、まともに顔も見れなかったんだ。食事なんて行ったって、どんな良い食い物でも咽喉も通らないよ」
青年は毒でも吐くみたいに、大きなため息をついた。そんな青年の話を聞いていた団員はふと眉をひそめた。
「なあ、お前、本当にエリザベス嬢が苦手なのか?」
「何言ってんだ、当たり前だろう。あの人のことを考えることがもう億劫になんだ。苦手だよ。顔も見たくないぐらい」
「それ、見たくないんじゃなくて、見れないんじゃないのか?」
「同じことだろう」
青年は投げやりに答えると、ちびちびとビールを飲み始めた。それを見つめる団員は相変わらず顔をしかめている。
「話変わるけどさ、お前、今まで恋愛したことあるか?」
突然の話題の変化に青年は不審がったが、それでも自身の決して良いとは言えない過去を振り返った。
「いや、ないな、そういえば。孤児院もスラムも碌な女がいなかったし、ここだって似たようなもんだしな」
女の団員が聞いたら殺されるぞ、と思いつつ、団員は、やっぱりといった顔で続けた。
「じゃあ、恋するってどんなことだと思う」
「なんだ急に、気色悪いな」青年は心底気味が悪いといった表情で団員を見つめた。
「良いから答えろよ」
「えーっと、昔聞いた話だと、発光して見える女がいたら、そいつが運命の相手だって聞いたことある」
「ある意味間違いではないが、それは嘘だ。忘れろ」
「なんだよ。じゃあ、お前はどんなんだと思うんだ?」
「そうだな。相手とか状況にもよるが、まず、顔を見るだけで動悸が激しくなる。それから、いつもの自分で対応できなくなる。あ、あと、そのせいで気持ちに整理がつかなくなるな。だから、冷静さを取り戻そうと、相手から距離を置こうとする」
「よく分からないな。本当にそれ合ってるのか? 相手のこと好きなのに離れようとするなんて」
と、そこまで言ったとき、青年はふと言葉を止めた。
「最近どっかで聞いた話だろう」団員がにやにやと青年を見つめた。
「え……」青年の顔が今度はみるみる顔を赤らめ始めた。化粧のせいでよく分からないが。「まさか、俺が、あの人に?」
「お前の話を聞いてる限り、そうとしか思えない」
団員はそう言って、残りのビールを飲み干した。その間も青年は、これまでの自身の彼女への対応を思い出していた。
「どうしよう。俺、彼女に嫌われるようなことばっかりしてきた」
「若いならよくあることさ」
「……どうしたら良い?」
「いつも通りでいいだろ。道化みたいに、笑って喋って踊ってろ。今のお前はまさに道化だからな。鼻まで真っ赤だ」
青年はパッと鼻を押さえた。「無理だ……」
「だったら、今から会いに行くんだな。会って全部言っちまえ」
青年はもう何も尋ねなかった。ただ、じっと座って、突然立って、小走りに去っていった。
団員は置き去りにされた青年のグラスを手に取った。中にはまだ半分ほどビールが残っている。
「青いねえ。鼻は赤いくせに」
歌うようにそう呟くと、ビールをゴクリと飲み干した。
The Red Melancholy, and The Blue Real 朝日奈 @asahina86
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