憧れの転生

 男は、童貞だった。

 冴えない人生の中で特に大きな努力や決断をしたこともなく、ただ惰性で生きていた。なんとなく心が安らぐ気がするのでオタクになった。

 そんな彼にとって、美少女キャラは現実の女性よりも距離感が間近に感じられる。そして、いつしか「二次元こそが至高!三次元などクソッタレだ!!」などと心の底から本気で嘯くようになっていた。


 そんな中で二十台後半の人生をただただ消化するだけの彼に転機が訪れた。ある朝のことである。

 いつものように寝不足のなか起床し、不本意ながらも出勤する準備をしていたときのことだ。神が舞い降りたのである。比喩ではない。文字通り神が男の目の前に現れたのである。

 想像通りの神々しいクリーム色の衣を身に纏い、まばゆい光背を放ちながら、神は男にこう告げた。


「お前の望みであるエロ漫画の世界に転生させて、主人公にしてやろう」


 男は二つ返事でそれを願った。一瞬、意識が途切れ真っ暗な世界に飛ばされたかと思うと、まばたきをした次の瞬間には見知らぬ景色が目の前にあった。


 どこかの住居の一室らしい。目の前には湯気をほくほくと放ちまだ暖かそうなコーヒーが黄色のマグカップに入っている。それを直前まで味わっていたのか、自分の体はそれを乗せたテーブルの脇にあるパイプ椅子に腰かけていた。

 男の住んでいた部屋とは違い、この部屋には物が少ない。3~4本のDVDが棚に入ったテレビラックに、16インチの白いテレビが乗せられているのと、その脇に観葉植物が置いてある。そのほかにはベッドと冷蔵庫とハンガーポールくらいしかこの部屋には置かれていない。

 どうやら、一人暮らし用の部屋のようだった。


 ぼうっと辺りを見回していると、ズボンの右ポケットに振動を感じる。スマートフォンが入っていたのだ。

 反射的にそれを手に取ってみると、「今私の家に来れる?」との短いメッセージがあった。アイコンからして明らかに女性である。黒髪でいかにも清楚そうであり、写真を見るだけでもその気品が伝わってくる、まさに大和撫子を体現するような見た目であり、男のタイプドストレートであった。しかもめちゃくちゃ可愛い。


 男はいよいよ転生したことに対しての現実感が湧いてきた。声を上げてガッツポーズをする。そして、すでに勃起し始めている。コーヒーには多少の催淫効果があるとはいえ、これでは童貞丸出しである。しかし、今までの人生の中で女性からメッセージが来たことなど一度もなかったのだから無理もない。


 すぐに返事をすると部屋を飛び出す。初めはここがどこかもわからなかったが、脳が慣れてきたのかここでの生活のことをすべて今までの人生のことであるかのように思い出していた。彼女の家はここから徒歩5分程度である。


 男はこれから期待できる彼女との行為について思いを馳せながら、道のりをぐんぐん進んでいった。彼が今までお世話になってきたエロ漫画は、いわゆるイチャラブモノしかなかった。互いに愛し合い、その愛を心と体で高め合いながら快感を共にする。彼が人生の中で一度も経験したことのない極楽である。それ以外のレイプモノなどは吐き気を催す邪悪であり言語道断である。


 とりわけたちが悪いのはNTR、いわゆる寝とられモノである。彼がこの手の作品を初めて読んだのは中学生の頃であったが、あまりのショックにその日は読んでいたエロ漫画を放り投げ、勃起もそこそこにそのまま寝込んでしまったのだ。

 あんなものでヌけるやつは頭がおかしいのか、逆に幸福なのかもしれないなと次の日には悟りを開いていた。


 だが、今はそんな昔のことなどはどうでもいい。彼は神によって理想郷へと転生を果たしたのだ。何も不安に思うことはない。すべてが思い通りにいくのだから。


 まずはキスから入るんだっけ。ハードなプレイはどこまでしていいのだろうか。きっと愛し合っているあの娘ならどんなプレイでも受け入れてくれるだろう。自分だってそこまでの異常性癖ではない。常識の範囲内の内容なのだから自分が望む程度のことはきっとすべてできるに違いない。


 そうこう妄想しているうちに、ついに彼女の家の前に到着した。彼女もまた一人暮らしであり、女の子らしい小綺麗なマンションの一角に居を構えていた。

 インターホンを押すと中から返事があったのですぐに入る。何やら少し部屋が乱れているようであったが、転生前の男の部屋と比べれば十分まほろばと言える。

 上機嫌でリビングの戸を開けて中に入ると、彼女のほかに、複数の影が目に入る。


「お疲れちゃん。声出したら殺すからねー」

 金髪で色黒の、ピアスやネックレスなどが怪しく光るまさに「チャラ男」を体現したような男が上機嫌でナイフを喉元に突き付けてきた。あっという間のことで反射的にピタリと動きを止めることしかできなかった。

 ニヤニヤと笑うチャラ男のほかには、彼女の横に3人のコピペしたように見分けのつかないチャラ男たちがこれまたニヤニヤとした表情で立っていた。1人は部屋の中だというのにタバコをふかし、もう1人はコンビニで売ってそうな安物のチューハイを片手にしており、最後の1人は品定めをするような目で彼女を見回していた。


 オタクだの陰キャだのけなされ続けてきた彼には恐怖の対象でしかなく、頭が真っ白になり体がすくんで呼吸さえ止まりそうになるのを堪えることしかできなかった。

 目を伏せて体をこわばらせているうちに、出口を塞がれ手足を縛られてしまった。何をするのかと思えば、男たちは服を脱ぎ始めたのである。


 バカな……。これはイチャラブモノのエロ漫画の世界のはずではないのか……!


 嘘だ嘘だと心の中で叫んでいるうちに、今度は彼女が自ら服を脱ぎ始めた。そのときばかりは恐怖を忘れて彼女の姿に目が行ってしまった。ふくよかな胸とかわいらしい薄緑色の下着があらわになる。思わず勃起してしまう。

 その中で気付いてしまったのは、彼女が薄く微笑んでいるような表情をしていたことである。


 おかしい。男と彼女は愛し合っているのだ。こんな状況で何を笑うことができるのだろうか。いや、ひょっとしたら、笑うよう脅されているのかもしくはあまりの恐怖に感情がおかしくなってしまっているのかもしれない。

 彼女を助けなくては。どうにかしてこの状況を打開しなくては。

 自分はエロ漫画の主人公なのである。そうであればこの場を切り抜ける何かの方法があるはずだ。この試練を乗り越えて自分たちはより愛を深め、至福のときを共にするのだ。

 そう信じてもがもがと身をよじってみるが、傍にいたチャラ男に鉄拳とともに一喝されすぐさま恐怖が蘇ってくる。


 そうこうしているうちに「行為」が始まってしまった。彼がこの世で最も嫌悪する行為がである。しかし、それでも彼には情けなく勃起しながらそれを眺めることしかできない。

 代わる代わるで彼女を汚したあと、ついには4人のチャラ男が同時に参戦した。男にとっては想像することさえ躊躇われるハードなプレイだ。

 だが、その中で彼は気付いてしまった。彼女が喜びに満ちた表情で今までの行為を受け入れていたことに。


 そして、その瞬間すべてを悟った。

「俺はNTRモノの主人公だったのか!!!!」

 その後に、彼は絶望しながら射精した。決して今までヌくことのできなかった類のシチュエーションで。

 彼の理想郷はまさにここに顕現したのだった。

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