第3話

「ぶッ…マッジかよお前ぇー急に笑わせるからよだれ出たわ」

 意識していないのに飯田先輩の声だけ耳が勝手に拾ってくる。思っていたよりも先輩は声が高いのだろうか。高い周波数の音の方が遠くまでよく響くんじゃなかったっけ、あれ、逆だったか。

 今期第一回目の草むしりはグラウンド奥の倉庫周りだ。放課後体操着に着替えて集合し、ひたすらしゃがんで1時間過ごす。先生はおらず監督は三年生に任せられているので、幾分緩んだ雰囲気で皆雑談に興じている。林田さんは隣のクラスの美化清掃委員女子と一年の時同じクラスだったようで、俺と話すときの3倍のテンションで彼女と会話を楽しんでいる。特に委員内に友人もいない俺は、近くで草を引き抜いている、顔を見たことある程度の同学年男子と

「これどこまで引き抜いたら終了なんだろうな」

から始めてじわりじわりと互いの個人情報を交換し合っている。別に会話がつまらないわけではないのだが、話し相手の肩越しに先輩の横顔をなんとなく盗み見てしまう。多少でも見知った顔を追いかけがちなのは、根が人見知りの習性なのか。まぁかと言って先輩達の雑談に混ぜてほしいとは微塵も思わないし、万が一先輩と目でも合おうものなら気まずいなと気付いてからは、先輩の手の方に視線を送った。あれだけ草むしりを嫌がっていた割には先輩の手は勤勉に動いていた。




 草むしりから1週間ほど経った。新しいクラスにもだいぶん慣れて、気の合うクラスメイトと食堂に向かう途中、三人ほどが固まって廊下の隅で戯れあっている中に飯田先輩を見つけた。自分と先輩の薄い関係で、偶然出くわした時に挨拶をするべきなのかどうか迷ったので、気付いていないふりをして顔を見ないようにしつつも、しかし意識は先輩に向いて、俯きがちに先輩の手をぼんやり目で追う。

 と、その手が上に上がるのと同時に、よく通る声がこちらに投げてよこされて思わず顔をあげる。

「よぅ!」

はっきり疑いようもなく先輩と目が合い、悪戯が見つかった子供みたいな気持ちが足元から駆け上がってきて、息を詰まらせながらなんとか会釈を返す。俺が歩調を緩めなかったので、隣の友人は声を掛けられる前に発していた言葉に、そのまま音を繋いで話を続ける。しかし不思議なことに、先輩とすれ違いざまに片耳をその場に落としてきたとしか思えないくらいに、隣の友達の声よりも背後の先輩たちの声の方がクリアに聞こえた。

「誰?知り合い?」

「同じ美化委員の後輩。」

「ほーん」

 そのあとはすぐに話題が移り変わっていって、俺の耳は元の場所に帰ってきた。ただ、先輩が、声を気軽にかける程度には俺の存在を認識しているのだという事実になぜか汗が止まらなくて、誰にも気づかれないように、ふぅっと小さく息を吐いた。

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