第33話 王子の決断

本日4話目です


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 それは、人というよりボロ布をまとった幽鬼のようでした。


「聖女様、お下がりください!」


 あたしは聖女様を庇いつつ背中のボルト式小銃を構えます。

 距離はたったの70ヤード。

 照星に頭部をピタリと合わせれば、外れるはずもありません。

 聖女様の命令があり次第、いつでも撃てます。


「無礼者!そこから動くな!」


 聖女様を「魔女」呼ばわりする無礼者は許さないのです!


「魔女めが・・・!」


 こちらの本気が伝わったのか、男の動きが止まりました。

 変な杖以外には武器はないようです。


「名乗りなさい!でなければ山賊として撃ちますよ!」


 例え王国語を解するとしても、山賊や海賊の類はいくらでもいます。

 これまでは何故かそうした輩が神殿には来ませんでしたが、あたしの視界に入ったからには容赦はしないのです。


「ぐぬぬ・・・」


 男は遠目でもわかるくらい、わなわなと震えていました。

 実に見事な「ぐぬぬ」です。

 あんなに震えるほど悔しがる人を見たのは初めてです。


「あなたは何者であり、何をもって水の聖女様を害する発言をなしたのか!名乗りなさい!」


 最後の警告です。

 これに答えがなければ聖女様の許可がなくとも撃ちます。


 こちらの気迫が伝わったのでしょうか、歯を食いしばっていた幽鬼が初めて、まともな口を開きました。


「王国の、王子の命令である。王子の元へ参じるのだ」


「嫌です」


「・・・は?」


 聖女様のあまりに速く、とりつくしまのない返答に呆気をとられたのか、憎しみに燃えていた目の毒気が一瞬、抜かれたように見えました。


「お断りします。無益です」


 大事なことなので2回、だめ押しをしました。

 さすが嫌なことにはノーと言える学識の深い聖女様。

 無駄に語彙が豊富です。


「き、貴様ぁ!王国民のくせに王子の召集を断るのか!」


「では王子の命令書を見せてください」


 聖女様の要請に、男は言葉の接ぎ穂を失いました。


「・・・命令書は行軍の途中で無くした」


「では王室の印がついた短剣、あるいはその種の王室類縁の証拠を見せてください」


「・・・そんなものはない」


「ではあなたはただの王国語を話す王国の領地を侵犯する武装した不審者です。端的に言えば賊です。今ここで殺されても文句は言えません」


「ぐぬぬぬぬ・・・」


 本日2度目のぐぬぬです。

 あんなに悔しがって食いしばったら歯が抜けちゃったりしないんでしょうか。

 頭の血管も切れてしまいそうで、少しだけ心配になります。


「お帰りください」


 銃口を向けて威嚇すると、体を振るわせつつ


「後悔するぞ!必ず魔女めを火炙りにしてやる!」


 まるで異端審問官のような捨て台詞を吐いて足を引きずりながら去っていったのです。


「・・・撃ちましょうか?」


 あんまりにも無防備な背中です。

 あれだけ無礼なことを口走って無事に帰れると思っているのでしょうか?

 その過大な自意識の有り様ばかりは、たしかに王国の貴族っぽいです。


「あの風体ではとても帰り着けないでしょう。無駄なことはおやめさない」


 あたしは男の無礼な態度にブチ切れていたのですが、聖女様はとても人柄が出来ているのでした。


「聖女様、あの男が王国の貴族だとわかっていて煽りましたよね?」


「リリアったら、哀しいことを言ってはいけません。私はただ王国の法に則る手続きを求めただけですよ。王命であっても手続きは守るのが王国国民の義務でしょう?」


 聖女様は、ほんとうに良い性格をしていらっしゃいます。


 ◇ ◇ ◇ ◇


「無能めがっ!!」


 地面に叩きつけられた王族御用達のゴブレットから酒がこぼれます。


 大口を叩いたにも関わらず半月経っても戻らない役立たずの貴族に、王子は怒りを露わにしていました。


「百歩譲って成功せぬのは良い、だが報告の一本も寄越さぬとは何事か!」


 例の貴族も一応は報告をするつもりはあったのです。

 ですが、報告の体制を整える前に奥地へ踏み込んでしまいました。

 そして、その動向を報告すべき役人達はいなくなっていたのです。


 王子は港の詰め所の役人達が全滅していることなど知りません。

 まして捕縛のために向かった陸戦大隊100人が残らず戻らなかったことも判りません。


 残ったのは半月という時間を空費したにもかかわらず「何も判らなかった」ということだけ。


 戦争は膠着し戦線を打開する策は見えません。

 兵士達の入植は進み始めましたが、それとて国富を膨大にそそぎ込んで外国から食料を調達してようやくの微々たる前進です。


 経済的には金貨を費やして銀貨を得るような、とてもわりに合うものではありません。

 それでも兵士達の忠誠を失わないためには国家財政の出血を甘受し続けるしかないのです。


「・・・こうなれば、わたし直々に行く」


「殿下!軽率ですぞ!」


「そうです!殿下が行かれる必要はありません!」


 将軍だけでなく、追従する貴族達も今や水の聖女にある種の畏れを抱いていました。


「ひょっとすると、水の聖女は本物の聖女ではなかったのか?」


「全ての国難の原因は聖女の追放にあったのでは?」


 口には出さずとも王国軍全体に水の聖女への畏れと王子の施策への疑念が渦巻いています。そして、王子はそれをひしひしと全身で感じています。

 それだけに、他の者達には任せられないのです。


王子は宣言します。


「私が行く。艦隊の準備は万全か」


「それは・・・海上戦は王国の勝利に終わりましたので、軍港にて停泊中です。水兵どもを召集すればいつでも出撃できます」


 隣国との戦争で最初に行われた海戦で王国は圧勝しました。

 何しろ、王国の軍艦は巨大艦揃いで装甲も武装も推進機関も最新式。


 戦艦は敵よりも遙か遠くの射程を誇る魔導大砲100門以上を一斉に放ち、多少の砲弾も鉄の装甲が跳ね返すことができます。おまけに魔導蒸気機関推進式で敵艦よりも速く動けるのです。

 全く相手になりませんでした。


 海軍こそは王国が世界を征した原動力。

 海軍による海洋交易路の保護と独占が王国の富を支えてきたのです。


「よろしい。では艦を出撃させるのだ。私が直々に率いる」


「それは・・・どの艦に座乗されますか」


 数十隻の戦艦や戦列艦のどの艦であっても一国の王子が座乗するに足る格を持っています。

 とはいえ、王族の座乗艦には各種の特別な設備を運び込む必要があるのです。


「全てだ」


「・・・は?」


 軍人としてあるまじきことに、将軍は王子の命令を理解しそこないました。

 それほどに荒唐無稽な命令であったのです。


 ですが、あいにく王子は本気でした。


「方面軍の全艦隊を出撃させるのだ。あの魔女は今や王国の敵である!全ての兵士に魔女の処刑を見せつけるのだ!」


 今や、国家の全力を挙げて己の権威を脅かす水の聖女を葬る気概であったのです。


 その保身と危機感の鋭さばかりは「さすが一国の王子」と賞賛されるものであったかもしれません。

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