6
〈夢〉は所詮、どこまで行っても〈夢〉のままだ。
目の付け所は間違っていなかった筈だ。問題は「現実」というものの捉え方にあったのではないかと思う。自己否定否定。
「現実」を変えるには〈夢〉へのハックだけでは足りない。〈夢〉をハックしたところで、変わるのは〈夢〉を通して観る「現実」の認識だけだ。俺一人がサングラスを掛け、茶色に染まった世界を眺め渡しているに過ぎない。
こうした事実に気付いていなかったわけではない。無視していたのだ。自分の認識さえ変えてしまえば、「現実」も変わると思っていた。その方が手っ取り早く、技術的にも遥かに容易い。だが、「現実」はそう甘くはなかった。〈夢〉が〈夢〉であること(=「現実」ではない)を気付かせる障害が、そこら中に溢れている。例えば、先日の劇場での一件のように(くそ、くそ、くそ)。
コードの見直しは当然行った。「現実味」を強化するため、〈夢〉から持ち出す感覚の数値も上げた。しかし、どれだけ改修を重ねても限界はあった。
もはや問題は、俺一人だけのものではない。
内が駄目なら外に。〈夢〉は出来うる限り「現実」に近付けた。今度は「現実」が〈夢〉に近付く番だ。
「現実」のコードをいじる、というわけにはいかない。それが出来たら苦労はない。だが或る意味に於いては、コーディングより簡単に「現実」のパラメータは書き換わる。一度きっかけを与え、払うものさえ払えば。
問題は、俺以外に試した人間がいないということ。不眠症の俺は〈夢〉をデバッグモードで回してきた。この〈夢〉を本当の睡眠状態で観るとどうなるかは、まだ実証出来ていない。もっと言えば、睡眠状態で人体に危険がないかどうか、確認が取れていない。
俺以外の人間で使用テストを行う必要がある。それから〈夢〉の実行ファイルを世間へ行き渡らせる。幸い、俺はこれを短期間で行う環境に恵まれている。二つの行程をほぼシームレスに、そして短時間で行える環境が揃っている。街の連中を使うのだ。実験も流通も、この街でなら乾燥した山林を燃やすぐらい簡単に行うことが出来る。
一つ障害として懸念されるのは、俺の雇用主だ。俺が広めようとしている〈夢〉は、俺が作り彼らが売り捌いて金を儲けている今までの〈夢〉を駆逐する可能性がある。彼らがそれを許す筈はない。ただでさえ縄張り意識の強い連中だ。自分のシマを荒らす不届き者が現れたと知るや、その正体を全力で突き止めようとするに違いない。連中はこの街の奥底に根を張っている。この街に、彼らに関係していないものなど存在しないと考えた方が良い。彼らはこの街そのもので、「現実」そのものでもあるのだ。
恐れは確かにある。しくじったら間違いなく命はない。だが、諦めようという考えは湧いてこない。むしろ好機と捉えている自分がいる。俺は着実に、「現実」に手を掛けている。力を込めれば首をへし折ることが出来る体勢にはある筈だ。ここで諦めるのは馬鹿だ。
実行に移す。
まず手始めに、生のパッチを手に入れる。といって、医療事業者でもない一般人が正規のルートで入手するのは不可能だ。非正規、つまり闇のルートで調達することになるが、こちらも個人単位では限界がある。どうあっても雇用主の組織を避けることは出来ない。
だからここは正面からいく。雇用主から生のパッチを購入するのだ。あまり大量に買うと怪しまれるので、デバッグ用という名目で四つ手に入れる。
ここに、プログラム一式を流し込む。ファイル一式を格納したフォルダを転送。インストールexeを走らせ、初期設定を行う。一端末五分と掛からない。どんな〈夢〉よりも効力のある〈夢〉の出来上がりだ。
〈夢〉をインストールしたパッチをそれぞれチャック付きの袋に入れ、URLを書き殴ったメモも同様の数作る。ファイルをアップした、ネットスラムの一画にある裏サーバのURLだ。金銭のやり取りは不可能だが、金儲けは目的ではない。ウイルス感染を恐れぬ勇気さえあれば(そういう意味で、ここに来る者は皆勇者だ)、誰でもファイル取得が可能となる。
部屋を出る。遠くにサイレンを聞きながら、アパートの階段を下りる。
表通りへ出る前にコートのフードを被る。軍の払い下げ品とあって頭がすっぽり、目深という位置まで隠れる。いかにもな怪しさだろうが、この街では誰も気にしない。むしろ正装といって良いぐらいだ。
裏路地へ。ばったり雇用主配下の売人と出くわさぬよう気を付けながら客を探す。それと思しき人間はすぐに見つかる。
近付くと、向こうでもこちらに気付く。言葉はいらない。差し出された二つ折の札を受け取る。パッチの入った小袋とメモを渡す。商談成立。俺たちは何事もなかったような風を装い、すれ違う。同じようにして残りの三つも捌く。
種は撒いた。半分ほど発芽すれば成功ということにしておく。裏路地を出て、部屋へ戻る。劇場へ行く気には、まだなれない。
種は二十四時間も経たないうちに発芽した。裏サーバの表示がそれを示してくれる。
ダウンロード数2。俺が電子パッチを売った連中が自らダウンロードしたのか、メモ書きが出回ったのかは定かではない。IPアドレスを辿れば判別出来ないこともないが、そんなことに時間と労力を払うのは無駄だ。肝心なのは、ダウンロードがあったという事実である。
次の十二時間でダウンロード数は8になった。四時間後にはそれが20。二時間しないうちに50を越え、その後は画面をリロードする度に増えていった。
試しに、メモに書いたのと同じURLを文字列として検索してみる。ヒット。一件や二件の話ではない。見事に拡散している。中には、リンクの下にレビューまで書いてあるサイトもある。「この〈夢〉には現実を書き換える力がある」。嬉しいことを言ってくれる。
放った火は着実に燃え広がっている。人間の心が、それだけ乾燥していたということだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます