第32話 その呟きは誰にも届かない
「……なんでここにいるんだよ、大野」
目の前に立っていたのは大野だった。顔を俯かせていて顔はよく見えない。
「おい、どうし……っ!?」
俺の言葉と被さるようにゆっくりと顔を上げた大野。店から漏れ出る光が彼女の顔を照らし、表情が露わになる。
彼女は泣いていた。
「ご、ごめんっ。これは、その」
「……聞いてたのか」
「……うん。ごめんなさい」
再度頭を下げる大野。しかし彼女に非はない。俺は彼女に頭を上げるように言うと、涙に濡れた顔を苦しそうに歪めながら制服の袖でそれを拭った。
「……さっき、私がオーナーさんに奥さんのこと訊こうとしたら止めたでしょ?その後相田君、何だか思い詰めた表情をしてたし……。だから、もしかしてその事について話すために相田君は戻ったんじゃないかなって思って。それで……」
「……そうか」
2人の間に沈黙が漂う。すると大野は俯きかけていた顔を上げ、俺の後ろにいるオーナーさんへと向かい合った。
「オーナーさん!先程は大変失礼しました!」
そして勢いよく頭を下げた。肩は震えており、今にもまた泣き出しそうだ。
するとオーナーさんは彼女の元へと歩み寄り、肩をポンと叩いた。俺に対してしたものよりも優しく、そして包み込むように。
「いいえ、あなたが謝ることなど何一つありませんよ。寧ろ私の方も嘘をついてしまいましたから。謝るのは私の方です」
「そんな!オーナーさんはあたしのために嘘を……」
「あなたは優しい子だ。それではどうでしょう。またこの店にいらっしゃった時は、私の妻の話を聞いてください。こう見えても妻の自慢話はいっぱいあるんですよ」
優しく笑いかける山科さんを見て大野は再び大粒の涙を流して頭を下げた。
今度は謝罪ではなく感謝の言葉を何度も発しながら。
「……それと、相田君もありがとう」
「俺?なにか感謝されるようなことをした覚えはないが」
「相田君が止めてくれなきゃあたし気が付かなかった」
「……そうか。ま、気にすんな」
「相変わらずだね」
「変わらない事には定評があるからな」
「ふふっ、誰からよ」
いつものような穏やかな雰囲気が漂う。一先ずは解決、といきたいところなんだがな。
「お二人共、もう今日は遅いですからそろそろお帰りになってください」
「はい、お邪魔してすみません。また来ます!」
いつもの大野が戻ったようだ。元気よく頭を下げる彼女を見て、俺も一緒に頭を下げる。
こうして俺たちは新川と平川の元へと向かった。2人はもう駅へ着いている頃だろうか。
歩き出して1分ほど経っただろうか。いきなり大野が立ち止まった。振り返ってみると、何か思い詰めたような表情をしている。
「……相田君、さっきの「大野」……え?」
俺は彼女の言葉を遮った。そして再び口を開く。
「その話はまた今度にしよう。2人を待たせてるからな」
「そう、だね」
「それと—
さっきの俺の話は誰にも言わないでくれ」
「……どう、して?」
「……まだ、その時じゃないからだ。」
再び俺たちの間に沈黙が漂ったと思った矢先、大野が「ふふっ」と笑った。
「わかった。なんか相田君ならそう言う気がした」
「そうか?誰でもそうだろ」
「ううん、記憶喪失なんて珍しい事、普通だったら話しちゃうと思う」
確かに人それぞれ感じ方はあるだろう。記憶喪失なんて漫画やアニメの世界でしか見ることのないものだ。つい人に話してしまうということについては理解できる。
しかし俺は何があったか自分でもわからない過去について、あれこれ話す気にはならなかった。
すると大野は急に神妙な面持ちになり、俺の目を真っ直ぐ見据えた。
「けど、唯にはいつかちゃんと伝えてあげてね」
どうして新川には伝えて欲しいと彼女は願うのか。俺には分からなかった。
けれど—
「あぁ、そのつもりだ」
その願いはちゃんと聞き入れよう。
◇◇◇
「ごめん、先帰っててくれる?」
駅まで後2、3分と言ったところで大野が突然立ち止まった。
「どうかしたか?」
「たはは、ちょっとこの顔で2人には会えないかなぁって」
外灯に照らされた大野の顔は、先ほどまで泣いていたせいでかなり赤くなっている。
「すまん、デリカシーが無かった。もうこんな時間だしなんだったら俺も一緒に—」
「ううん、気にしないで。それに家もそこまで遠くないし、お母さんに車で迎えに来てもらうことにするから」
そう言われれば引き下がるしかない。大野と別れ、1人で駅へと向かう。
はぁ、あいつらに大野のことなんて説明しようか。
◇◇◇
次の日の放課後、再び俺達はテスト勉強をすることになったのだが、
「定休日……」
定休日の張り紙を前に俺たちは立ち尽くしていた。
そういえば火曜日が定休日って書いてた気がする。忘れてたとか言ったら怒られそうだし黙っとこ。
「どうする?ファミレスでも行く?」
一番無難な案だな。そう決まりかけていた時、
「なら、ウチに来ないかい?」
「え?平川君の家?いいの?」
「あぁ、母さんからいつか友達を連れてくるようにってしつこく言われててね。みんなが良ければ来てよ」
「行きたい行きたい!」
「私も香織さんに挨拶したいし、お邪魔しようかな」
「香織さん?」
「潤君のお母さんだよ」
「そういえば2人は幼馴染だったな」
「うん。最近はあまり遊びに行かないけど、昔はよくお互いの家を行き来してたんだよ?」
「へぇ!昔の平川君ってなんか興味あるなぁ」
すると平川は少し苦笑いをして気まずそうに頭を掻いた。
「ま、俺は全然興味ない」
「うわぁ、ツンデレだぁ」
「ツンデレだね」
「だな」
「頭カチ割んぞお前ら」
俺の冴え渡ったツッコミが炸裂し、皆爆笑している。本当にカチ割ってやろうかこいつら。
「あ、そうだ。あたしなんかお菓子とか買って行こっかな」
「もう、お菓子パーティじゃないんだから」
「いいじゃんいいじゃん!腹が減っては戦はできぬ、ってね」
「遥はなにと戦うのよ……」
「そりゃもちろん問題集だよ!」
「絶賛惨敗中だな」
「もー!そういうこと言うのなし!」
大野に蹴りを入れられた。割りかし痛いんだけど。
「まぁまぁ、遅くなっても良くないし家の近くで何か買っていくかい?」
「さんせー!」
「それじゃ、行こっか」
こうして俺達は駅に向かって歩き出した。すると後ろを歩いていた俺に平川が近づいてくる。
俺の隣に来たと思うと、俺だけに聞こえる小さな声で呟いた。
「さっきはありがとう」
「……何の話だ」
「俺が話しにくい話題だって分かってて興味ないって言ってくれたんだろう?」
「……本当に興味がなかっただけだ」
「ふっ、颯人ならそう言うと思ったよ」
「その顔うぜぇ」
「ひどいな……」
苦笑いする平川だったが、突然真剣な表情に変わった。
「……颯人にはいつかちゃんと話すよ」
「何をだ」
「昔のこと」
「興味ないな」
「だろうね。……けど、君にはきちんと話しておきたいんだよ。興味や意味が無くてもね」
「面倒なのは嫌いだぞ」
「知ってるさ。だから—
いつか君のことも教えてほしい」
スッと息を呑む。こいつは分かっているのだ。俺が何かをひた隠しにしていることを。
「交換条件ってか?興味はないって言ったはずだぞ」
「あぁ、分かってるさ。それでも知りたいんだ」
「……何でそんな俺にこだわる」
すると平川は意表を突かれたような表情になった。しかしすぐに元の爽やかな笑みを浮かべる。
「友人だからじゃあ、ダメかい?」
「……そうか」
これ以上追求するつもりはない。平川が俺にどんな感情を抱いていようがこいつの勝手だ。隠し事ぐらい誰にだってある。けれど—
「友人としてって言うなら」
「ん?」
「いつか、お前の胸の内も話してくれよ」
「え……」と、平川には似合わないような呆けた声を出した直後、楽しそうに声を出して笑い出す。一頻り笑い終えると、俺の方を見ていつもの爽やかな笑顔を見せた。
「ほんと、颯人には敵わないなぁ」
その言葉の後、平川は何か寂しそうな表情へと変わっていった。
平川が一体どんな過去を経て俺にどんな感情を抱いているのかは知らない。けれど平川が俺に友人として本当のことを話してくれた時、俺もきちんと向き合おう。
「おーい、2人とも置いてくよー!」
いつの間にか随分と距離が空いてしまった3人に呼ばれ、俺は空返事をして歩く速度を上げる。
「俺は、君が羨ましい」
そんな、憂いを帯びた平川の呟きが俺の耳に届くことはなかった。
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