第32話 憐れな勇者

「貴方の相手は私よ、ケンジ・ハザマ」


「覚醒したからと言って、勇者である俺を倒せると思うなよ」


――そんな事分かっている。


 彼の言っている事は正しい。いくら聖女の力が覚醒したとて、物理的な力では勇者に到底及ばない。


 だから彼女は、最初にそれを出現させた。


「……扉?」


 ケンジの背丈より少し高く、横幅が広い扉が現れる。


「私の力は悪しき者を滅ぼす。この場でいう悪しき者とは、貴方のことよケンジ・ハザマ」


 精悍な顔をしたクリスタに見つめられ、ケンジは「――はっ」と鼻で笑う。


「扉を出して、そこからどうするんだ? どうやって俺を殺す?」


「殺さない。貴方を元いた世界に送り帰す」


「は?」


 今度は本気で何を言っているのか、分からないという顔をクリスタに向ける。


「異世界から貴方を呼び出すには、多大な魔力が必要だったと大司教様から聞いた。そして聖女として覚醒した今、私はその多大な魔力を一人で補える。だからね、簡単にいうと私は貴方を殺さないで元の世界に帰してあげるって言ってるの。優しいでしょ? だって旅の最中ずっと言ってたもんね。あっちの世界は自分には窮屈だったって。でもね、私は思うんだ。窮屈だったそっちの世界の方が、貴方には絶対お似合いだって――」


「お前さっきから何言って――」

「どんなに謝っても、もう許さないから」


 つまり彼女が出現させた扉は、勇者を送り返す為の扉である。


 ここまで言っても、まだ事の次第を理解していない憐れな勇者に、クリスタは溜息をつく。


(――きっと、彼は今まで、自分で考えて行動するということをしてこなかったんでしょうね)


 扉が少しずつ開かれる。完全に開くには、もう少し時間が必要だ。その間、この扉を守らなければいけない。勇者に破壊されたら一巻の終わりだ。


「ねえ、なんでこんなにも私が丁寧に説明してあげてるんだと思う?」

「は? んな事知る――」


 再度問いかけ、クリスタは視線を扉の方へ向ける。彼には心の底から、絶望してもらいたかった。


 つられて扉の方を見た彼が青褪める。このアホはようやく自分の置かれた現状に気付いたのだと聖女は嗤う。


 クリスタは静かに、その時を待っていた。


「もう分かったよね? このお喋りはただの時間稼ぎだよ」


「――っ、くそがぁぁぁぁぁーー!!」


 勇者が剣を抜き、クリスタに向かって迫る。全力の突進だ。扉を狙えばいいのに、彼はご丁寧にクリスタの方を狙ってきた。


 こいつは今、ジュドーから言われた殺すなという命令も忘れて自分に向かってきているんだろう。


「うぉぉぉりゃぁぁぁぁー!」

 

 あっという間に近付いてきた勇者が、クリスタに向けて剣を振りかざす。しかし、それが彼女に当たる事はなかった。


 ガキーン!!


「あ? ガキーン?」


 透明な壁が、勇者の攻撃からクリスタを守っていた。


「残念だったわね。私の力をあまり舐めないで。聖女の力は人々を守る力、もちろん自分の身だって守れる」


「あ、ああ、あああ!!」


 ムキになって、勇者は何度も剣を振るう。その一撃一撃が大地を揺るがし、地表深く斬りつける。


「何度やっても無駄」


 それをモノともしない壁が今、目の前にあった。


 勇者の力が最強の矛なら、聖女の力は最強の盾だ。勇者の力が絶対のように、聖女の力もまた絶対。どちらかが力尽きるまで終わらない。


「なんでだ! なんでだよー! なんで純潔を失った聖女がこんなにも強力な力を使えるんだッ!!」


 ピシッ。


 彼は確かに、その音を聞いた。


 その直後、視界が反転する。魔力を乗せたクリスタの拳が、彼の右頬に炸裂したのだ。


「ぐあっ……」


 そして巻き起こる魔力の暴風が、ケンジを後方に吹き飛ばす。



「ふっ――ざけるなぁぁーー!! いい加減にしろッ! 私はまだ処女だー!!」



 地面に叩きつけられた勇者は、ぐぶっと血を吐き出す。


「…………ジュドーの野郎。俺に嘘を……」


 しかし、さすがは勇者。タフさでいえば、聖騎士フィリックスよりタフだった。

 すぐに立ち上がり、懲りずに再び向かって来ようとする。


「ふぅふぅ……あー、なんかちょっとスッキリした。でもまだまだこれからだよ」


 彼女が腕を天高くあげると、無数の光の球が生まれる。


「よし、くらえー!!」


 クリスタがケンジに向けてその光球を放つ。


「う、うぁぁぁぁぁ!」


 攻守逆転。逃げ惑うケンジをまるで意思を持ったかのように無数の光球が追いかける。


 それは当たるまで絶対に消えない。


「くそがぁぁぁぁー!」


 逃げきれないと判断したケンジは、持っていた剣で光球を斬りつける。

 光球は爆散したものの、脅威のスピードで斬りつけたケンジには、爆発が当たらない。


「ふぅ……」


 なんとか光球を全て斬り落とし、安心したケンジの目の前に、突如として巨大な光球が現れ、爆散。


「あぐぁあぁぁぁぁぁー!?」


 横に跳び、直撃は免れたものの片腕が吹っ飛び、片目が爆発で潰れた。


「はあはあ……」


「まだだよ」


 第二幕というように、先程よりも多くの光球を安全圏から撃ち込み続けるクリスタに、ケンジはこの世界に来て初めて恐怖を覚えた。


「誰か、誰かあの狂女を止めてくれー!!」


 恥を捨て、助けを呼ぶ勇者。しかし彼を助けようとする者も、今のクリスタを止められる者はいない。


 片目が潰れ、視界の悪い中、彼は勇者として授かった勘で攻撃をかわしていく。


 暫くの間、攻撃をかわしつづけ、少し慣れたのか、軽口も叩くようになった。


「くそ、なんだよ! 聖女のくせに攻撃的だな」


 聖女がそれを聞いて嗤う。


「言ったよね。私の力は悪しき者を滅ぼす力。つまり、もし貴方が悪しき者でなければそれは癒しになる。現に、光球のいくつかは貴方に向かっていってないでしょ? きっと貴方なんかに構うより、助けるべき命がある方へ向かっているのよ」


「なっ――」


 確かに光球の中には、ケンジに見向きもせず、別の方向へ向かっているものもある。その方向は、魔族に蹂躙された街や村、そしてリュカが助けた子供達がいる場所など様々だった。

 彼がもし、ジュドーに操られていただけで、本当は良き心の持ち主だったら、逆に傷が癒えていた事だろう。


 光球は真実だけを残酷に映す。


「それに貴方ももうおしまい」


――時間切れ。


 そう呟いた瞬間、聖女の力が解き放たれ、勇者ケンジを異世界に送還する扉が開かれる。


「うっ、うぁぁああああ」


 ケンジの身体は、本人の意思とは関係なく扉に引き寄せられる。ケンジは送還されてなるものかと、剣を地面に突き刺し、必死になって耐えるが、それも時間の問題だ。


 この扉の力はクリスタ自身には作用しない。


 彼女はケンジの元へ真っ直ぐに歩むよると、彼を上から見下ろす。


「最後まで往生際が悪い」


 いつまでも扉を出現させている事は出来ない。聖女の力とて、無限ではないのだ。



「クソ聖女め。俺は勇者だ! この世界を救う勇者なんだぁぁー!!」



 尚も吠えるケンジをクリスタはキッと睨みつけた。


「お前みたいなクソ勇者が、勇者なんて名乗るなぁぁぁー!!」


 そしてクリスタが、ケンジの顔に向けて魔力を乗せた全力の蹴りを放つ。普段から、アルベルトに「お前、前世は猛獣かなんかだったろ」と言われている通り、彼女の基礎筋力は高い。


 そのクリスタが、聖女の力を完璧に使いこなせるようになり、打撃に魔力を乗せる。すると、どうなるのか?


 結果は見ての通りだ。


「ぶべっ!?」


 蹴り飛ばされた衝撃で剣を手放し、地面と離れた彼の身体は、そのまま宙を舞い、扉に吸い寄せられていく。


「いやだぁぁぁぁー! あんな、働がないと生きていげない世界になんで帰りだぐねえー!!」


 血だらけの口内。下顎が割れている。


 周囲に血液を撒き散らしながら、彼は喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。戻りたくないと。


 しかし、もう彼にはどうする事も出来ない。どれだけ身体能力が高くとも、どれだけこの世界にいたいと望もうとも、聖女の怒りはそれを軽く凌駕するのだから。


「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁーー!!」


 勇者ケンジは断末魔めいた悲鳴をあげながら、扉の中に吸い込まれていった。



「…………終わった」


 彼女の身から溢れていた光が収まる。

 クリスタが肩の力を抜き、その場にへたり込む。


 同時に勇者を吸い込んだ扉が閉じ、消える。行き先は次元の狭間。この世界と別世界を結ぶ、架け橋の空間。


 彼はそこに飛ばされた。


 クリスタは無意識の内に、勇者ケンジの送還場所を変えていた。彼のいた元の世界ではなく、何もない、真っ暗な異空間へと。



『ここはどこなんだよー!! 帰すならちゃんと家に帰しやがれ、くそ聖女がーー!!』



 闇の中に響く声。それに応える者はいない。クリスタに負わされた怪我は完治していた。


 この空間にいれば、空腹や病気、怪我、老衰で死ぬ事はない。時間の概念もない。もちろん自決も不可能。


 聖女の怒りを一身に受けた彼は、未来永劫ここに留まり続ける事が決まった。


 異空間に飛ばされる間際、彼がほんの少しでも謝罪の言葉を述べていれば、結末はまた変わっていただろう。



「ざまーみろ……」



 扉のあった場所へぽそりと呟く。これで追放された時の恥辱も、アリアのような、多くの罪のない人の命を奪った仇も取れた。


 だが、たとえ彼がいなくなっても、彼によって失われた尊い命は戻ってこない。


「アリア……」


 思い出すのは、自分とアルベルトをママ、パパと慕ってくれたエルフの子供の事だ。

 もし、勇者ケンジが言った事が本当なら、アリアはもう、この世には存在しないだろう。


 だけど、もしそれが嘘なら……。



「……ママ?」



 どこからか、愛らしい声が聞こえてきた気がした。

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