第30話 聖女覚醒

「グ……ォォオ……」


 フィリックスが口を開くも、それは言葉とはならない。意味のない音を発し、唸る。すでに理性はなくなり、自我が崩壊しているようだ。


 ジュドーは高みの見物とでも言うように、結界から少し離れた位置で、薄気味悪い笑みを浮かべている。


 ここは俺の出番だろう。クリスタは戦えないし、ユカナの魔法もサポート型だ。


「クリスタとユカナは下がってろ。あいつと決着をつけてくる」


「う、うん……」

「アルベルトさん。お気をつけて」


「ああ」


 腰からティルフィングを抜き、構える。剣先がキラッと輝いた気がした。


(この剣も、昔、クロが使っていたものだと魔王が言っていたな……物心ついた時からそばにあったものが、まさか魔王の右腕の剣だとは……驚きだが、納得の性能だな)


 ティルフィングが俺に呼応する様に、いや、俺の中にいるクロに呼応するように黒く輝く。


「さあ、いっちょやるか!」


「あ……!」

「どうしたのユカナちゃん?」


「丘の上に……」


 意を決して、偽フィリックスの元に向かおうとした時、ユカナが何かに気付いて声を上げた。


「「――っ!?」」


 彼女の指差す方を見ると、丘の上に露出の激しい服を着た女性が、長い髪を風に靡かせながら立っていた。


 今の今まで姿を現さなかった暗殺者のリュカだ。ジュドーとは、また離れた位置でこちらを眺めている。彼女は俺たちと同じく結界の中にいるようだ。


 敵か……? 


 脳裏に一瞬、その文字が浮かんだ。しかし、ユカナは俺とは反対の考えをしていた。


「あ、もしかしたら、リュカさんもボク達と同じ気持ちで、手伝いに来てくれたのかもしれません。クリスタさん。アルベルトさん。ボクちょっと行ってきますね!」


「あ、おいちょっと」


 止める間もなく、ユカナはリュカの方に走って行ってしまった。本当はユカナの防御魔法とか欲しかった所なんだか……。


「グァアアッ!!」


「ちっ、仕方ねぇか!!」


 斬りかかってきたフィリックスの剣をいなし、フィリックスがよろめく、その脇腹に蹴りを入れた。


 蹴りが入ったという感触はない。相手も痛みを感じていないのだろう。


 だが、剣の腕も、普通の人間だった頃とは比較にならないくらい落ちていた。少し剣の扱いが上手いアンデットといった所だろう。


 それでも、兵士千人くらいの戦力にはなるが。


 なるのだが、俺にとって、この偽フィリックスは――あまりにも弱すぎた。


 他の事を考えながら、戦えるほど、力の差があった。


(そういやリュカは、俺たちの次に、ユカナに懐かれていたもんな……まあ、あいつもそこそこ面倒見がいいし、妹もいるって言ってたから、元来、姉御肌なんだろう)


 リュカの事だ。ユカナを悪いようにはしないだろうと結論づける。もしもリュカが味方につけば、戦況は有利になるのは間違いない。


 敵だった場合の事は……考えたくない。


「グァアアァァァァァ!?」


 偽フィリックスが絶叫をあげる。しかしそれも一瞬の出来事だった。


 フィリックスの足を切断した俺は、そのまま横に剣を薙ぎ、偽フィリックスの首が飛ぶ。


 恐ろしい事に、首が飛んでも身体は動いていたが、暫くすると、ミイラのように干からびて倒れた。


 ジュドーの魔法が解けたのだろう。


「弱いな……」


 そう思っていると、ジュドーが「よいしょ」と重い腰をあげてやってきた。


 そして「おめでとう」と言いながら、拍手を送ってくる。


「でも、時間だね」

「あ? それはどういう……」


「アル君! 上!!」


「――ッ!?」


 クリスタの鬼気迫る表情と叫びに、咄嗟に身体が動き、後ろに飛ぶ。


「ヒャッハー!」


 すると、先程まで俺のいた場所に、勇者が剣を振りかざして落ちてきた。


 クリスタの叫びがなかったら、気付かないままお陀仏だった。


「……成る程。この偽フィリックスが弱かったのは、ただの時間稼ぎだったわけか」


「ま、そういう事だよ。接近戦で勝てないのはこないだ戦って分かったからね」


 勇者と合流したジュドーは、全て計算通りとでもいうように、俺に背を向けた。


 自分が斬られない事を分かっての上だろう。


 勇者が相手だと、俺も迂闊には動けなかった。


「ケンジ・ハザマ。一体、どこで道草食ってたんだい?」

「ちょっとエルフの行軍に出くわしてな、少し遊んでやってたんだ」


「ああ、そういうことか。なら仕方ないな、ちゃんと殺したんだろうな?」


「何人かは取り逃がしたが、だいだい殲滅させた筈だぜ。こんだけ頑張ったんだ。後でまた、いい女紹介してくれよ」

「ああ、勿論だよ。報酬はしっかりあげないとね。もちろん彼らを倒してからだけど」


「ああ、任せろ。アルベルトの奴、俺と同じ髪色で、前から気に入らなかったんだ。そうだよ、日本人は俺だけでいい」


 勇者ケンジが来た事で、余裕綽々といった様子のジュドーは、呑気に戦いが終わった後の話をしている。髪色……俺の髪は、あいつの母国の髪色らしいが……文句の一つでも言ってやりたい所だが、今の二人の会話には、聞き捨てられない言葉があった。


 俺が詰め寄るより先に、クリスタが声を荒げた。


「いま……今なんて言ったの!?」


「あ?」


 急に大きい声を出したクリスタに対し、勇者が心底めんどくさそうに睨みをきかせる。


「今、エルフの人がどうとか言ってたよね? どういこと!?」


「何怒ってるんだ、元聖女クリスタ? こっちに向かってたら偶然、エルフ……魔族の大群に会っちまって、声を掛けたら急に襲ってきやがったんだ。だから返り討ちにしてやっただけだぜ」


「嘘!! あの人達は無闇やたらに人を襲ったりしない! 貴方が先に何かしたんでしょ!」


「俺は何もしてないぞ。まだちっこいガキのエルフがいたから、ちょっぴり悪戯してやろうとしたら、いきなり長身のエルフが襲いかかってきやがったんだよ。まったくガキには興味ないっての。ちょっと泣かしてやろうと思っただけなのに。まあでも奴らを殺したのは失敗だったな。エルフは話に聞いていた通り、全員美形だったから」


「……お前最悪だな」


「あ、なんだよその顔。アルベルト、お前だって男なら分かるだろ。ちっこい、世間を何も知らなそうなガキを見たら、普通泣かしたくなるもんだろうが」


「お前の普通はおかしいんだよ勇者ケンジ。それで……その子供は女の子か?」


「ん? ああ、確かガキは女の子だぜ。たしか姫様って呼ばれてたな」


「姫様……貴方、アリアに手を出したのッ!?」


 今すぐにでも、勇者に殴りかかろうとするクリスタを必死に抑える。


 勇者はそんな事で、どうにか出来る相手ではないのだ。返り討ちに遭うのは目に見えている。

 俺だって本当は……。


 クリスタの気持ちなど、一切察することなく、勇者は罵倒を続ける。


「ああ? お前は魔物なんかの肩を持つのか? ったくお前は聖女のくせに純潔は失うわ、魔物の肩を持つわで最悪だな。隣にいる奴も魔族の生まれ変わり。でもまあ、顔はいいから俺は相手してやってもいいぜ」


「……最低」


 今の言葉を聞いて一つ分かった。勇者は計画について、何も知らされていないらしい。本気でクリスタが、俺によって純潔を失ったものだと思っているらしい。


「お前なんか死んでもお断りよ!」


「じゃあいいや。お前もエルフのガキの所に送ってやるよ!」


 血の付いた剣を掲げる。まるでその血が、アリアの血とでもいうように。



「――ッ!? ……絶対、私はあなたを絶対にゆるさなぁいいぃぃぃー!!」



 その瞬間、クリスタの身体が教会の時と同じく光出した。やはりあの時の光は、マルダーさんの推測通りクリスタによるものだったようだ。


(アンデットの特性上、唯一の弱点は聖なる力。そしてクリスタは聖女。あの時の光はやっぱり――)


 よくよく考えれば分かることだった。眠っていたアリアが、いや眠っていなくても、魔族であるエルフが“聖”の力を使う事は出来ないのだから。


 クリスタがゆっくりと振り返り、こちらを真っ直ぐに見てくる。


「アル君……勇者の相手は私に任せて、お願い」


「分かったよ。だからそんな目で見るなって」


 たとえ彼女の目が血走っていなくても、この場は譲っていた。それは俺が勇者に勝つ自信がなかったのもあるし、何より、クリスタの方が俺より明らかにキレていた。そのお陰で俺は、逆に冷静になれたのだ。


 俺は長年苦楽を共にした幼馴染の隣に並ぶ。


 クリスタの隣は暖かかった。側にいるだけで、心の内から暖かくなっていく気がする。これも、聖女の力なのだろうか?


「ははっ、やはり素晴らしい力だ……これを有効活用しない手はない。ケンジ・ハザマ、間違っても殺すなよ」

「ったく分かってるよ。殺すのはアルベルトだけだもんな」


 勇者が血の付いた剣を構え、ジュドーもウキウキとした様子で杖を向けた。


「アル君……」

「ああ……行くぞクリスッ!!」


「うん!!」


 ここからが最終決戦だ。この二人を倒さないと、魔王ラーニィーとの約束を果たせないのだから。

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