第6話 そして、現実世界へ・・・




現実世界に戻った啓太は、あれ以来、あの吹き出しに郵便のアイコンがスマホに表示されなくなって困惑していた。今までは毎日表示されていたのに、美好に「何度でも会いたい」と言ってしまった途端にこんなことになってしまって困っている。これでは約束を果たせない。


どうして表示されないんだろう? 神様がもう美好に会うなと言っているということなのか? じゃあ、どうして自分と美好は出会ったのだろうか?


姉からのメッセージは順調に毎日送られてくるのに、あのアイコンだけが表示されない。啓太の焦りは日に日に大きくなっていった。




美好は今日も配達業務に勤しんでいた。次から次へと送られてくる担当へのメッセージ。それらを仮想空間にある自分のポストから抜き取り布鞄に詰め込む。


…今日も啓太のところへいつもの人からメッセージが入っていた。美好はメッセンジャーなので、送り主の基本情報がわかってしまう。啓太に毎日メッセージを送っているのは女の人だ。


(仲良いのかな…)


こんなに頻繁にメッセージをやり取りするなら、それくらい仲が良い人ということだろう。啓太はあれ以来此処に現れない。そのほうが良い。此処へ来ることでの身体の負担は計り知れないし、そもそも会うことのない世界の相手だ。このまま会わなくなればいい。


(なんだろう…。この、心臓みたいなのがしくしくするのは何ていうんだろう…)


あるはずのない、人間で言うと心臓みたいなところが痛むのだ。美好はぎゅっとシャツの胸の部分を掴んで、痛みに耐えた。





あのアイコンが現れなくなってから三週間。週末の今日もスマホを見つめて過ごしていた。


姉からのメッセージは子供が寝てから送られてくる。だからいつも通りその時間まで待っていた。


軽やかな音がして、メッセージが届いたことを知る。畳に寝ころんだままの緩慢な動きでスマホを確認すると、通知欄にはラインの通知と一緒に吹き出しに郵便のアイコンが表示されている。はっとして飛び起きると、恐る恐るそのアイコンをタップした。スマホから光が溢れ出し、啓太の身体は光に包まれた。



目を開けるとそこにはあの仮想空間が広がっていた。また来ることが出来たことに安心する。光の川の中に佇んでいると、前方から勢いよく光の玉が飛んできて、啓太の前でスピードを緩めたと思ったら、光の玉は人の形になって美好が現れた。


「美好……、何度も来るなんて言っておきながら、随分来ることが出来なくてごめん…」


美好は啓太の言葉に首を横に振った。


「啓太さんが悪いんじゃありません。もともと、会うはずのない関係だったんですから」


そう言いおいて、でも、と美好は続けた。


「ここのところ、胸の奥がずっと痛いんです…。壊れてしまったのかと思うくらい、ずっと痛いんです…。でも、壊れたら私、啓太さんのメッセージを届けられない。それは嫌でした」


美好が涙ぐんでいる。ぽろぽろと、小さな涙の粒がまあるい頬を零れ落ちていく。


「最初は、啓太さんがいらっしゃらなくなってから痛くなったから、啓太さんが来てくれれば治るのかと思ってました。…でも、お会いして、もっと痛いです。痛くて……、胸がざわざわします」


「それは……、またいつか会えなくなるかもしれないと考えているから?」


啓太の言葉に美好は目を瞠って、それから何度か息継ぎをして、最後にちいさくちいさく頷いた。


「……お会いできなくて、辛かったです……。多分この『気持ち』が私の仕事を邪魔しています……。…私は、メッセンジャーとして失格です…。啓太さんにお会いすることも、もうありません…」


ぽろぽろと涙を零しながら言う美好の手を取り、啓太は言った。


「美好。僕も此処に来られない間、色々考えたんだ。僕が此方に来ることが出来たのなら、美好が向こうに行くことも出来るんじゃないかな。僕としても、いつ表示されなくなるかわからないアイコンに左右されることなく君と会いたいし、君が僕に会えなくて辛くて仕事が出来ないというのなら、一緒に来てくれないかな? 現実世界へ」


ぱちり、と瞬きをして、美好が啓太を見つめる。大きくて濡れた瞳に、啓太が映っていた。


「…………」


美好は黙ったまま啓太を見つめている。現実世界に行くなんて考えもしてなかっただろう美好は、きっと啓太の言葉を一生懸命考えている。啓太はじっと待った。


「………わ、私……」


「……」


「……お仕事を止めてしまったら、私に啓太さんに会う価値なんて……」


ずっとメッセンジャーとして生きてきた。それ以外のことは、考えもつかないのだろう。


「僕は、メッセンジャーだから君に会いたいんじゃないんだ。君自身に、会いたいんだ」


「私…自身……」


美好は啓太の言葉を繰り返した。ぎゅっと美好の手を握る。


「行こう、美好。神様の采配に任せるんじゃなくて、僕たち自身で歩いていこうよ」


そう言って手を引けば、美好は素直についてきてくれる。啓太と美好は光り輝く扉を潜って、現実世界へと一歩を踏みだした……。



古い畳の匂いがする部屋。啓太は一人で部屋の中で立っていた。足元にはスマホと美好が肩から提げていた布鞄が落ちている。拾い上げると、布鞄は発光して光の砂になって消えていってしまった。


…確かに美好と一緒に時空を渡ったと思ったのに。やっぱり仮想空間での存在である美好は現実世界へは来られなかったのだろうか。今、美好は時空の狭間で彷徨っているのだろうか。そうだとしたら、啓太は自分の行動を悔んでも悔んでも悔やみ切れない。


自分の手のひらを見つめる。確かにこの手に美好の手の感触が残っているのに。神様はやっぱり啓太が美好と一緒に在ることを許してくれなかったのだろうか。


一人で沈んでいると、不意に玄関のチャイムが鳴った。誰だろう。今は誰にも会いたくない。しかし訪問者を放っておくことは出来なかった。玄関の三和土たたきに出てチャイムに応じる。


「…はい」


啓太が応答すると、耳を疑う声が聞こえた。


「郵便です」


それは確かに美好の声だった。はっとして急いで玄関を開ける。するとそこには美好が立っていた。


「美好…」


「啓太さん…」


渡って来られた。美好も時空を渡って来られた。目の前に美好が居ることに、心が歓喜で震える。美好は頬を染めて微笑うと、制服のポケットから一通の手紙を取り出した。


「…私の最後の仕事になりました」


そう言って啓太に渡してくれたのは、美好からのメッセージ。


―――『啓太さんと、一緒に生きたい』


メッセンジャーがメッセージを自動生成なんて出来ないと言っていたくせに。美好の気持ちをもらって、啓太は感極まってしまった。


「美好」


いとしい人の名を呼んで抱き寄せる。腕の中にすっぽり収まった美好は、啓太のことを呼んだ。


「もう、メッセンジャーには戻れなくなりました。…だから、これからはずっと、啓太さんの傍に居させてください」


美好の心が嬉しい。ぎゅっと抱きしめて離さない。


「離す気なんて、毛頭ないよ」


美好が啓太の背に縋るように腕を回した。シャツに感じる力がいとおしい。


「これからは、美好の言葉を、ずっと届けて。僕の為に……」






―――心に メッセージは 届きましたか?







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