第5話 告白




それからは、姉のメッセージのおかげで何度も美好に会いに行くことが出来た。美好は頻繁に仮想空間に姿を現す啓太を最初不思議がって、最近は心配そうに啓太を見る。


「お身体、何ともないですか?」


実は現実世界に帰ると、多少疲労を感じていた。しかし、寝れば治るし、美好には会いたかったから、何ともないと応えていた。


「何ともないなら良いんですけど…。今日もメッセージ来てますよ」


そう言って肩から提げた布鞄の中から封筒を取り出して渡してくれる。姉からのメッセージだとわかっているので、受け取るだけだ。


「たまには美好からメッセージを受け取ってみたいな」


啓太が言うと、美好はおかしそうに笑った。


「メッセージを自動生成するメッセンジャーなんて聞いたことないですよ?」


それもそうか。美好はこの仮想世界でメッセンジャーとして働いているから、それ以外のことはしたことがないのだろう。ここはあまり無理を言わないでおくことにした。


美好が心配するので、此処での滞在は短めだ。帰るときには美好に扉を選んでもらって、其処から帰る。


「また明日来るから」


「身体、無理しないでください」


でも、美好は来るなとは言わなかった。




週末、業後。課内の飲み会が始まった。皆和気あいあいと交流しているが、長く所属していてもこういう場は苦手だった。酔うと課長が直ぐに成績のことを口に出すし、啓太はそもそも人を相手に上手く喋れない。それでも森川と一緒の宴席なので、楽しめた。


森川は薮内と仕事を一緒にしているから薮内と仲が良いし、課長も可愛い森川のことは好ましく思っているらしい。他の男性社員も森川に話し掛けるし、森川は女の子受けも良いからこうやって課内で集まると、森川は人気者だった。


啓太はそういう森川の様子を視界の隅に収めながら、ちびちびとビールを飲んでいた。


…不思議だ。森川の姿を見ても、美好のことしか思い浮かばない。今何をしているんだろうか。啓太以外の担当の人のメッセージを運んでいるんだろうか。もしかして、その人が啓太みたいにあの世界に迷い込んだら…? 迷い込んだ人が男性だったら、美好は可愛いし、見初められないとも限らない。そうなったら啓太に勝ち目はない。


不意に焦りが浮かんでくる。早く家に帰りたい。家に帰って、早く美好のところに行きたい。姉は一日の仕事が終わって家のことがひと段落してからメッセージを送ってくれるので、啓太が帰るころにはラインが送られてくるだろう。


だんだん声が大きくなっていく皆に合わせることが出来ず、啓太はトイレに席を立った。すると、トイレへ行く途中の通路の衝立の向こう側に、いつの間に席を立っていたのか、薮内と森川が居た。二人は微笑みあいながらひと言二言会話をしている。格子状の衝立のこちら側を通り過ぎるときに、その会話を、つい盗み聞いてしまった。


「今日、送る?」


「大丈夫ですよ、今日はみんな一緒ですし。でも、心配してくれてありがとうございます」


(え……)


薮内が森川を自宅まで送っていくか打診していた。森川の受け答えは、送ることの打診が今日が初めてではないことを示していた。二人の間には、職場の一緒の仕事をしているだけじゃない関係があったのだ。


少し呆然とするけど、不思議としっくり来た。二人は良いコンビネーションを見せていたし、それが、帰りに送ったり送られたりの関係に発展してもおかしくないと思う。


しかし思いの外ショックを受けていない自分に驚く。森川のことは今の所属になってからずっと気になっていたし、多分、淡く好きだったと思う。それなのに森川に特別な相手が居たと知ってもさほど傷つかないなんて思わなかった。自分は森川のことをそんなに諦めていたのか。


…いや、と思う。確かに森川について大きな期待は持っていなかったが、それ以上に美好の存在が大きいと思う。多分、自分が思っているよりも相当、自分の気持ちは森川よりも美好に傾いている。森川に会えない週末に会えたら良いのにと期待したことはなかったが、美好にはこれっきり会えないかもしれないけれど会いたいと思っている。可能性として、美好に会える可能性のほうが低いにもかかわらず(何せ、メッセージが着信すれば会えるという考えだって仮説のままだ)、そう思うのだ。


薮内と森川のことを知って、余計に美好に会いたくなった。早く帰ろう。そしてあのアイコンをタップするのだ。



家に帰ってジャケットを脱ぎネクタイを抜くと、コンビニで買ってきたビールを一口飲んでから、あのアイコンをタップした。


これまでのようにスマホからは光が放たれ、啓太の身体はその光に包まれる。眩しさに目をつぶると、啓太の身体はふわりと浮いた気がした。



しん、と静まり返った、何もない空間の気配。目を開けると、足元のスクランブル交差点と、そこを走る抜ける光の帯の数々の光景が広がっていた。…来ることが出来た。良かった、と安心して息を吐いた。


暫く光の波に身を任せておく。このひとつ一つの光の玉にも人格が宿っていて、もしかしたら誰かと出会うこともあるのかと思うと、この光の渦にいとおしさを感じる。それぞれの光の玉にそれぞれの出会いがあれば良いなと願った。


そう思っていたら、自分を呼ぶ声がした。美好だ。


「やあ、美好。また来たよ」


「啓太さん、どうしてこんなに毎日此処へ来るんですか…? 身体に負荷が掛かってしまいます…」


美好は困惑した様子だった。確かに、現実世界からこの仮想世界に来る人間は今まで居なかったそうだから、連日此処を訪れる啓太に疑問を感じているのだろう。


「君に会いたいと思っていたら、此処へ来るアイコンがスマホに表示されるんだ。神様の采配かな?」


言ってから、ちょっと身の丈に合わないことを言ってしまったなと思って恥ずかしくなったが、美好が頬を染めて俯いたので、気持ちは多少でも通じたのではないかと思う。でも、美好の口から零れたのは寂しそうな声だった。


「でも、私はただのメッセンジャーですし、啓太さんは人間ですので、本来出会うことのない間柄です。電気信号でしかない私に会いたいなんて仰って頂くのは贅沢すぎますが、これ以上啓太さんがこの世界に来るのは身体に負荷が掛かりすぎます。あんまり無理しないでください…」


そんなこと言わないで欲しい。本来出会うはずのない啓太と美好が出会えたのなら、それは神様が授けてくれた運命なのではないだろうか? そんな風に考えるのは楽観すぎるのだろうか?


「…僕は、本当に君に会いたいんだ、美好。…君はそんな風に思わない?」


啓太が言うと、美好は逡巡した様子で考え込む。


「私は…、メッセンジャーだから、啓太さんたち人間の役に立つことが嬉しいです」


美好は一度言葉を切って、それから、でも、と続けた。


「神様の采配、という啓太さんの言葉は嬉しいです」


ただの電気信号だった自分に神様の手が及ぶなんて思ってなかった。そんな風に考えてくれる啓太の存在が嬉しいし、名前を付けてくれたのも、会いたいと思ってくれるのも、本当は嬉しい。でも、所詮違う世界同士の存在なのだ。ずっと交わっていることは無理が生じる。だから、こうやって会うのは出来れば避けなければいけない。美好はそう思っていた。


「啓太さん。あまり此処には来てはいけません。本当に、啓太さんの身体に悪い影響があったら、どうするんですか?」


美好の言葉を聞いた啓太は嬉しくなった。


「僕のこと、心配してくれるんだ」


そう言われると、美好は否定できない。こうやって会話を重ねるたびに、啓太のアドレスにメッセージを運べることに喜びを感じている自分を、美好は知っている。


「心配ですよ。だって、私の担当アドレスの人ですから」


美好の言い方に、啓太は飲み会の時に考えていたことを思い出した。こうやってこの世界に来るのが啓太だけではなくて、ほかの人間も来ることが出来たとして、その人間の担当が美好だったら、…その人間が男だったら、その人が美好を好きになる可能性だってある。啓太が迷い込んだんだから、可能性はゼロではない。


「…美好。滞在時間は短くするように努めるから、僕がまた来ることを許してくれないかな」


「許して…、どうするんですか?」


「美好に…、何度でも会いたい。会って、……美好に僕を選んでもらいたい……」


選ぶとはどういうことだろう。自分は既に啓太の担当として選ばれている、と美好は思った。


「そうじゃなく、僕を選んで欲しい。…上手く言えないけど、美好の運命を…、僕に、賭けても良い…と思ってもらえるようになりたいんだ」


「運命…」


「運命、は大袈裟だね。…でも美好の持っている全てのものからひとつを選ぶときに…、僕、を、選んで欲しいと思ってる」


全てのもの? 持っているものといえば、沢山の担当たちの沢山のメッセージと、メッセンジャーであるという自負だけだ。


「今、答えが欲しいわけじゃないし、僕はまた何度でも来るから、おいおい考えてもらえたら嬉しいよ」


啓太はそう言い終えると、現実世界に帰っていった。美好は仮想世界に取り残されて、啓太の出て行った扉を見つめた。


ただの電気信号である自分に心を寄せてくれた啓太。今まで仲間と話したことはあるけど、啓太みたいに特別に心を寄せてくれた仲間は居なかった。自分たちは人間の為に役目を果たす存在で、それ以上でもそれ以下でもなかった。そんな自分に、啓太は名前をくれて心を寄せてくれた。そんなものがあるなんて知らなかった美好の心が揺り動かされる。どくん、どくんと、人間のように心臓のような音が耳の奥で煩い。これは啓太が自分に名前を付けてくれた時とは違う症状だ。あの時は『嬉しさ』を感じていた。今は『嬉しさ』とは違う、何かだ。なんだろう? この症状は、なんと表現したらいいのだろう? 電気信号である自分には抱えきれないのだろうか。少し体が熱い。発光もしている。ああそうだ、仕事に戻らなきゃ。美好は考えることを止めて、呼ばれるままに担当のところへ飛んで行った。


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