一章 晴天の下で
リビングに置かれたテレビから、朝のニュースが報道されている。
『アスカ町駅近くの大通り一体の、地盤の劣化が確認されました。検査協会の報告によりますと、液状化の危険性もあるとのことで――一定期間の交通規制が敷かれる模様です。このことから通りにあるショッピングモールの売り上げ低下も危惧されており――』
適当に作ったトーストと飲み残されていた牛乳を交互に口にしながら、黙々と貧相な朝食を摂っていく。今日一日の栄養分になるのであれば、摂らないよりは遥かにマシだ。
「うわっ! なんだ叶真、帰ってたんだ。ビックリさせんなよ」
廊下に続く唯一のドアから、ブレザーを半分だけ羽織った騒がしい奴が現れる。
俺の三つ下の中学二年生、弟の蓮だ。俺をそのまま一回り小さくしたような見た目をしていて、なんなら嫌悪感があるくらいによく似ている。
「高校生にもなりゃこんなもんなんだよ」
「急に数日家を空けたりするもんなのかよ」
「自分探しをしてたんだ」
「高校生でもそんなことはしないだろ。馬鹿にすんな」
兄弟らしい、軽口の叩き合いが続く。
キッチンの奥から冷蔵庫を開けた音がするかと思うと、蓮は濁点まみれの声を出した。
「おい、牛乳なくなってるじゃんか」
「お前が買い足さないからだろ。こういうのは早い者勝ちだ」
そう言って、残り僅かだった牛乳をぐいっと呷って飲み干す。
うん、地味だけど、風呂上がりと朝の牛乳はやっぱり美味いな。
蓮の悔しそうな声が後頭部から聞こえてくるが……世の中弱肉強食なんだよ、弟よ。
「つか、洗い物もしてないみたいだけど、お前、何やってたんだよ」
「そりゃトーゼン、ゲーム三昧っしょ」
水で濯いだ使用済みのコップに水道水を汲み、パン切れをトーストせずに咥えながら、向かい側の席に着く。俺が言うのもなんだが、かなりいい加減な朝食だな。
「相変わらずのゲームオタクだな」
「まあ、ゲームしてるときが一番楽しいし」
「そんなんで友達できんのか? これでも心配してんだぞ」
「叶真に心配される筋合いはないね。なんかよくわかんない同好会よりも、ゲームしてる方が人との繋がりはできるもんさ」
「『放遊会』のこと、そんな風に思ってたのかよ。まあ、擁護するほどでもないから構わないけどさ」
少なくとも、今日同好会のメンバーと会ったときには、蓮がゲーム以下の扱いをしていたことを喋らないように注意しよう。
「じゃ、俺は先に学校行ってるから。戸締りだけ頼むわ。洗い物はキッチンに置いといてくれれば、帰った後俺がやっとくから」
「ほいほーい、いってらー」
慣れたように片手であしらわれながらも、俺は家を後にした。
五年前に両親が離婚してから、俺と蓮はずっとこんな感じの生活を続けていた。
母親は家を出て行き、父親は寮に住み込みで働いており中々会うことがない。
他人に話したら憐れまれそうな境遇かもしれないけど、そのころから俺たちは物事の分別が付いていたし、何より、なんとかここまでやって来れたんだから、気にされても困るような些細な問題だった。
強いて言うなら、もう少し蓮が家事をやってくれたらいいんだけどな。
自分たちが住む団地を出ると、通りには、見慣れた女の子が待っていた。
「……」
まさかの事態に足が止まる。
たしか名前が伊吹乙姫だ。
同じアスカ高校に通う同級生であり、リビングで蓮と話した放遊会のメンバーでもある。アスカ高校の制服を纏い、二年生の学年カラーである赤いリボンを下げる女の子だ。
微風でも靡くロングヘアーの毛先から、枯れ葉の擦れるローファーを履いた足先まで、まるで風の精かと思わせるその姿は、何度見てもうっとりしてしまうほどに優雅だった。
「今日も朝から迎えに来たのか。お前もよく寝坊しないよな」
「……?」
蓮との流れでなんだかぶっきらぼうになってしまったが、構わずに学校の方向へ歩みを進める。
「何してんだよ。遅刻するぞ」
「あ、うん、そうだね」
伊吹も朝が早くて少々寝ぼけてるのか、俺の言葉でようやく覚醒すると、小走りして横に並んできた。
「それにしても吉祥、久しぶりだね」
「久しぶりってほどかな。土日会ってなかっただけだろ」
「土日……? ……心配してたんだからね」
心配か……。伊吹に心配されるほど俺も子供じゃないんだけどなあ。
俺が黙り込んでいると、伊吹が顔を覗き込んできた。
「こういう話って、あまりするべきじゃないのかもしれないんだけどさ……あれから一週間近く経ったけど、吉祥は大丈夫なの?」
「あれから? あー、そういや新学期になってから一週間が経つのか。二年になってクラスメイトが若干変わったけど、なんやかんやで上手く過ごせてるよな。お前はどうなんだよ」
一泊置いてから返事がくる。
「……うん、私もなんとかやれてるよ」
「そっか。お前なら平気そうだよな」
自分としては八方美人を褒めたつもりだったのだが、引っ掛かることがあったのか、伊吹は急に地面を見つめだす。まさか俺が気付いてないだけで、案外こいつもギクシャクしてるところがあるんだろうか。
強引に話題を変えてみる。
「てかあれだ。徐々に学校も通常通りになってきたし、まーたこれから、柊の馬鹿に付き合わされることになるんだなあ」
「あはは、そうだね……」
伊吹と他愛のない話をしていると、いつも通りというか、いつの間にかアスカ高校に到着していた。基本的には同好会のメンバー全員で登校する、という謎のルールがありながら、今朝の足並みは二人だけだったため、幾分かの不安はあったのだが、俺から積極的に話を広げて正解だったようだ。
「ねぇ吉祥、今気付いたんだけど、私、忘れ物をしちゃったみたい」
「は? ホントに? お前が忘れ物なんて珍しいな」
「気を抜いちゃってたかなあ。吉祥は先に教室行ってて。私は急いで取りに戻るから!」
「わかった、気をつけてな」
「うん!」
『姫』のあだ名で慕われる優等生の鑑のあの伊吹だ。今日は雨が降るかもしれない。そんな一抹の不安を抱きつつ、俺は校門を通った。
2
『このままじゃ吉祥くんの同好会なくなるかもしれないよ』
放課後になって柊に、代わりに職員室に行ってくれと頼まれて来てみると、担任の先生に廃部の警告を言い渡された。
つい最近大学生だったような人間が椅子に腰をかけて、気を付けする俺を見上げている。
先週がグダグダに終わっていた時点で、まさか新学期早々、ここに出向くことになるとは思わなかった。いや別に、説教されてるわけじゃないからいいのだが、他の先生の目が痛く感じてしまう。俺は断じて悪いことはしてませんよ。そんな意思を態度で示す。
「まあ、そうでしょうね。そんな気はしてました」
『ウチの学校では、部活として成立させるには、部員が五人以上と顧問が必要。同好会の場合でも、顧問はいなくとも最低数、部員が四人必要なの。残念だけど、そういう決まりになってる』
「そうですね。知ってます」
そんなわざわざシステムを説明するような言い方をしなくとも。
俺の反応があっさりしていたのが意外だったのか、先生は僅かに面食らった。
『えと、あとさ……続けたとして、名前もどうにかならないかな。……あの、放課後は楽しく遊ぼう、みたいな、そんな名前だったよね』
「『放課後を楽しく遊んで過ごそうの会』です。長ったらしいので放遊会って呼んでます。先生のそれだとただのポスターですよ」
同好会をフルネームで言うのは少し恥ずかしかったが、そうしないとずっと勘違いしそうなので教えてあげた。
『そう、それだ!』
無邪気な子供のように、手を打って喜ぶ。
「僕に言ってもしょうがないですよ。先生も知ってますよね? 柊には常識が通用しないんですから」
『まー、そー……かもねー』
どう返したらいいかのわからないのか、曖昧な返事とともに視線を逸らされた。
『ちなみに前から気になっていたんだけど、活動はどこでやってるの?』
「それは秘密です。部長命令ですから」
『変なことしてなきゃいいけどね……』
目を細めて先生なりの睨みを利かしてくるが、見た目的にそぐわないし、慣れてないのか、逆に微笑ましく見えた。
『とにかく、今話したこと、その部長に伝えておいてよ』
「はぁ……じゃ、伝えておけばいいんですね」
『うん、お願いね』
それを最後の返事と解釈して、職員室を後にした。
自分のクラスに戻ってくると、当の柊はまさに帰ろうとしている最中だった。
『じゃあね、玲奈~』
「うん、ばいばーい」
しかも、厄介ごとは俺に押し付けておいて、自分は友人と楽しくおしゃべりしていたようだ。
「用事があるって言ったのはなんだったんだ」
「やーやーきちじょーくーん。悪いねー代行頼んで。で、どーだった?」
「俺がどうかよりも、まずはお前の所業について話そうか」
「ほら、私ってこう見えて忙しいんだよ」
「俺にはそうは見えなかった」
「そりゃ、きちじょーが未熟だからかな」
人差し指を振って茶化してくる。
うぜぇ。男だったら手が出ていたところだ。
一年中、頭の中が晴れていそうな、太陽のように明るいエネルギッシュなクラスメイト ――柊玲奈。こいつこそが、放遊会を創部した一人目のメンバーであり、奇しくも部長なのである。正直、校則違反のピンクのリボンを下げているような奴に部長が務まるのか甚だ疑問だ。
「ったく、やっぱ柊と話してると疲れるわ。都乃衣先輩はよくお前の相手ができるよな」
「むふ……精進しなされ。悠一の域に達するには険しい道だぞぉ」
「都乃衣先輩はお前と『幼馴染』だから、ある程度扱いが慣れてるんだ。凡人じゃそういうの疲れるんだって」
柊のペースに持っていかれる前に要点だけ伝えとく。
「放遊会、このままだとなくなるかもしれないってさ」
唐突に本題に切っ先を入れると、柊は瞬く間に顔つきを変えた。
「あー、まーそりゃそーだよねー。人数が足りないんじゃそっか」
さっきの先生とのやりとりをトレースしたかのように、あっさりした反応が返ってくる。
「お前はそれでもいいのか。何かの大会で優勝したり、賞を取ったりしたわけでもないけど、一応一年間やってきた同好会だろ?」
放遊会の主な活動内容は、その名の通り放課後を楽しく遊んで過ごすこと。指針としては『放課後をポジティブに生活する』というテーマを謳ってはいるが、現状はさしずめ、遊びを探求する同好会みたいなものだ。他の部活や同好会と比べると、うやむやな点は多くある。
「じゃあさ、きちじょーが新入部員を探してきてよ」
「はあ? なんでいつも俺ばっかり、面倒なことをしなくちゃならん」
「部長命令ですー。それに何度も言うけど、私は忙しいんですー」
そう言って、鞄を抱えて苦労人アピールをかましてくる。
「私って弓道部を兼部してるじゃーん。今日はそっちに行かなくちゃいけないわけよぅ」
「武道の精神を言い訳に使う気か」
「いーえ、真っ当な理由です」
また指を振ってくる。うぜぇえええ。
「じゃさ、こーしよ。今日の放遊会の活動は自由ってことにしよう。いつも通り新しい遊び場を模索するのもよし、なんなら帰るのもよし。きちじょーの好きにしていいから。その上で! 新入部員を探すのは、『できれば』でいいから、やってくれればいいからさ」
「なるほど、じゃあ、やらなくてもいいわけだ」
「んじゃ、そゆことで!」
最後の方は捲し立てるようにして、柊は去っていった。嵐みたいな奴だな……。
内心じゃ『きちじょーは優しい人だからやってくれるんだろうなー』とか思っていそうだ。
いや、俺はやらないよ? だってそういう気分じゃないし。
「一応帰る前に、顔だけは出しとくか……」
都乃衣先輩を無視するのは怖いしな。
……いや、新入部員探しはやらないよ?
3
二階にある進路資料室。そこが、同好会が無断に使っている教室だ。ドアにはスモークがかかっているから、外から中を見ることはできない。しかし去年は柊が騒いだせいで、教室の使用がバレそうになることがあった。今年は気を付けるようにしよう。
柊とは幼馴染であり、二人で放遊会を創部したという、順番で言うなら二人目にあたるメンバー――都乃衣悠一先輩は、進路資料室にて、資料読みに耽っていたようだった。
「吉祥か。遅かったな」
「柊の相手をしてたらこんな時間になってしまいまして……」
柊との会話は疲れると自ら口に出してはいたが、こっちもこっちで、頭が上がらないという点では疲れる部類に当てはまる。
「放遊会の今日の活動、ナシになったみたいです」
「そんな気はしてたよ。わざわざそれを言いに来たのか?」
まさにその通りなんだが、それを肯定するのはなんだか失礼に当たるような気がする。
「帰る前に、顔だけ出しておこうかなと」
これも本心なのだが、こういう言い方をすると、俺が都乃衣先輩と話をしたがっているようにも取れてしまう。
「そうか。座れよ。立ってても疲れるだろ」
「あ、はい。じゃあ、お言葉に甘えて……」
案の定そういう流れになってしまったので、長机を挟んで、都乃衣先輩の向かいのパイプ椅子に腰を下ろした。なんだか面接でも始まりそうな雰囲気だ。
「ずっと資料読んでたんですか?」
息が詰まって来たので、他愛のない話題から始めてみる。
「進路資料室だからな。本来の使い方をしてただけだよ」
「たしかに……それが普通ですもんね……」
三年生だしな。むしろ、ここを集合場所に使っているのがどう考えたっておかしいんだ。
そこで、都乃衣先輩は徐に机の下まで体を屈めると、鞄の中を探っていたのか、きれいに包装された小箱を取り出した。
「これ、お前にやるよ」
「僕にですか?」
「っ……他に誰がいるんだよ」
目の前に現れた物体に戸惑いを隠せなくなる。
ベージュの箱に黒いリボンが十字に結ばれている。女子が男子にプレゼントするような代物だった。……それを俺に? まさか都乃衣先輩、その気があるのだろうか?
「じゃあ、ありがたく貰っておきます……」
まあ、変に質問しないでおこう。くれるもんは貰っておいても損はないからな。
俺が勝手な予想を立てていると、それを察知したのか、都乃衣先輩は声を張り上げて、
「おい、誤解するなよ。俺もそれを貰ったんだ。ただ量が多すぎてな。お前に分けたんだよ」
「ああ、なるほど……」
そうだ。言われるまで忘れていた。都乃衣先輩はそういう人種だったな。
緑色のネクタイを緩め、ブレザーのボタンは当然のように開けるなんて離れ業、同級生からも下級生からもモテるような人種でもなければ、できるわけがない。
俺がやったらまず頭を心配される。そしてその流れで引かれる。
「どれくらいあるんですか?」
「五十はあるな」
そんなに!? バレンタインデーでもないのに。
おそらく殆どがチョコやクッキーといったお菓子系だろう。俺はそんなもの生まれてこの方貰ったことがないぞ。
都乃衣先輩は資料を繰りながら、なんてことないように続ける。
「三年になってから一年の子からも貰うようになってな。結構増えたんだよ」
「全部食べ切ろうとすると、大変じゃないですか?」
「まあな。中には怪しいものもあるしな」
「怪しいもの?」
急に空気が変わったかと思うと、都乃衣先輩は資料から顔を上げ、流し目でこちらを見た。特に格好つけているわけでもないのに、なんだか優艶な雰囲気があって、なるほどモテるわけだと実感させられる。
「あるときは表面に体液のような半透明の液体がかけてあったり、あるときは中に髪の毛のような物が無数に入っていたり、そういうことが何度かあったんだよ」
「うわ……」
度が過ぎたファンのイメージって、まさにそんな感じだったけど、本当にいたのか。
ちなみに都乃衣先輩はそれを食したのだろうか。
「さぁて、吉祥に渡したそれは『当たり』かな?」
「え……」
「いや、この場合は『外れ』の方がいいのかな?」
「言い方の問題じゃないでしょう……」
自分の顔が引きつっているのがわかる。
そんな話をされたら食べづらくなるってもんだ。それが狙いなのか、都乃衣先輩は楽しそうにこっちの反応を窺っている。てかいつの間にか資料を閉じているし。
「ま、っていうのは冗談なんけどな」
「はい?」
前のめりだった反動で今度は背もたれに体を預けると、わざとらしく両手を上向きに広げた。
「液体は溶かした砂糖だったし、毛に見えた物は細く練り込んだ飴だったよ。だから、変に心配しなくていいぞ。みんないい子だから、そんな変態チックなことしてこないって」
「だったら最初からそういうこと言わないでくださいよ!」
「案外ないとも言い切れないからな。忠告を兼ねてイジってみただけだ」
イジったって言っちゃったよ都乃衣先輩。進路を決めなくちゃいけない大事な時期に入ったからか、性格が捻じれてきたんじゃないか?
「まったく……勘弁してくださいよ」
いや、前からこういう人だったな。
「で、話を戻しますけど、残りはどうするんですか?」
「ああ、いつも通り家族に配るかな。くれた気持ちは嬉しいし、俺が食べるべきかもしれないけど、腐らせたら元も子もないしな」
「そんなにたくさん、家族といえど完食できます?」
「言ってなかったか? 俺んちはまあまあの家族でな。下に兄妹が三人いるんだ。毎回喜んで食べてるよ」
「へえ、兄妹がいるとは聞いてましたけど三人も。そんなに多いと、家事とか世話とか大変じゃないですか?」
つい同情の気持ちが入った聞き方をしてしまう。かくいう俺も、毎日家事に追われてるからな。
「そりゃ大変ってレベルじゃないぞ。ケンカとかされてみろ。俺が誰につくかで命運が決まるんだ」
「はは……想像もしたくないですね」
その点俺は下に弟が一人いるだけだ。
モテる先輩って印象しかなかったけど、結構苦労してんだな。
「しかも明日は親の帰りが遅いと来たもんだ。一人で全部をこなさなくちゃならん」
「じゃあ明日、都乃衣先輩の家に手伝いにでも行きましょうか?」
「手伝い? お前が?」
流れ的に俺に助けを求めてるのかと思ったが違うのか。
都乃衣先輩でも弱音を吐くことがあるんだな。
「僕だけで不満なら、他にも連れていきますけど。放遊会の活動っていう名目でやるなら、きっと大丈夫だと思いますよ。それになんか楽しそうじゃないですか」
伊吹は小さい子供が好きだからな。そうでなくとも、二つ返事で了承してくれるだろう。
柊は……また武道を言い訳にしてきそうだ。
「……」
「どうですか?」
俺の提案に、都乃衣先輩は沈黙してしまった。何か気になる点でもあったのだろうか。
「吉祥の手を借りるねぇ――」
えっと、まさかのプライド的な話か……?
「わかった。お前からそう言うのであれば、とりあえず頼んでみるか」
「はい。任せてください」
「途中で逃げんなよ」
「え……」
話が纏まったことに安心したのも束の間、これは伊吹を連れていくしかないなと、最後の一言に頭を抱える俺であった。
4
下校前の寄り道にしては校内で時間を喰いすぎてしまったわけだが、ようやく帰路に着くことができた。一人の時間を堪能するため、愛用している音楽プレーヤーを操作する。自分にだけ聞こえるように音量を調節し、イヤホンを耳に嵌めようとすると、校門に今朝と似たように伊吹が立って待っていた。
「吉祥、お疲れ様」
あーそういえば、活動ナシになったって報告してなかったな。
「俺が来るまで待ってたのか。そっちこそお疲れ」
「ねぇ、帰りに公園に寄っていかない?」
自然な流れで横に並ばれる。かれこれ一年以上こんな風にして帰っているのだが、未だに変な噂が立っていないのが不思議なくらいだ。
「公園って、『小さな公園』のことか?」
「うん」と短く返事しながら、伊吹は小さく頷いた。
『小さな公園』とは俗称ではなく正称で、俺の家とアスカ高校を直線で結んだときの間くらいに位置する公園である。
「何か用でもあるのかよ」
「用っていうかなんというか……こう、なんとなく?」
歯切れが悪いなあ。何か思惑のようなものを感じてしまう。
「まあいいけど。断る理由もないし」
「うん、じゃ行こっか」
ただ、伊吹に限ってそんな意図はないだろうし、放課後の疲れているタイミングで波風立てるのもよくないと思って、大人しく付き合うことにした。
ほどなくして、入口に『小さな公園』のプレートが掲げられた公園にやって来る。
すべり台、シーソー、ブランコ、歩道に沿って並べれたベンチ。高校生になった俺からすればオブジェとも呼べるような遊具の合間を駈け抜けながら、小学生くらいの子供たちが鬼ごっこをしていた。それを見守る保護者たちも、悠々自適に日が暮れるのを待っている。
そして俺は、この光景を見ていつも思うのだ。
やっぱり『小さい』と呼べるほどのサイズ感ではない。ちゃんとした公園だなあ、と。
「で、何する?」
「えーっと、ちょっと待ってね……一応段取りがあるんだ」
段取りか……。俺を公園に連れて来てまでしたいことがあるってことだよな?
二人きりで公園に来てすることとなれば、ある程度予想はできるものだ。
さすがに呑気に遊びに来たわけではないと思うし、トイレに行きたいのであれば学校を出る前に済ませるはず。となると、他に考えられるのは……告白、だろうか?
愛の告白とは言わないが、学校の知り合いがいない場所で悩みを相談されるというのは、一番ありえそうな展開だ。
伊吹が慌てふためいている間に、改めてざっと周囲を見渡してみる。
社会とは切り離された空間とはこういうことを指すんだろう。そう思わせるほどに、ここだけが、落ち着いた時間が流れていた。
頬を撫でる風は心地よく、ふと空を見上げると、すべてを飲み込みそうな碧がそこにある。
そんな風にして俺が一時の幸せを味わっていると、異質な空気を近くから感じた。
「……」
この空間を歪なものにしかねない、招かれざる存在。そんなオーラを纏った『少女』が、ハットを目深に被り、目の前で静かに佇んでいた。
一気に緊張感で全身が縛られた俺の体は、少女を注視することしかできなくなる。
嫌な予感がする。
「なあ、用がないならそろそろ出ないか?」
「どうして? 何か急ぎの用事でも思い出したの?」
少女はハット下の影で小さく口を細めると、近くにあった鉄棒にゆっくりと近づいた。
殆ど動いていないとも取れる静かな動きに、伊吹も気付いていない様子だ。
少女が鉄棒に手を触れると、目を疑うような現象が起こった。
鉄棒が溶けた……?
二本並ぶ支柱だけを残して、真っ赤に照り返す横棒だけが少女の手で持ち上がったのだ。バーベルの棒だけを持ち上げたような感覚で、支柱はそもそも繋がっていなかったのかと思えてしまう。
そのまま少女は流れるようにしてその鉄棒を構えると、槍投げの要領で肩に力を込めて、それを力一杯投擲した。
「危ない!」
「あっ!」
反射的に伊吹を突き飛ばす。
完全にこちらに向かって放たれた鉄棒は俺たちの間をすり抜けると、後ろで走り回っていた子供の一人に直撃した。
『いててて……うえ……なんだよこれぇ……』
しかしながら、痛みは転んだ際のものしかないのか、男の子は平気そうに体を起こした。
その腹部には、スライムの如く溶けた鉄棒が、ベチャリと『突き刺さっている』のにも関わらずだ。あれをもろに受けて平気なのだろうか。
俺は少女が現れた瞬間から目を離さないようにしていたため冷静でいられたが、公園にいた人たちにはそれだけで恐怖を与えるには十分だった。
『お、おい! なんなんだよ!』
『みんな! 早く逃げろ!』
『たくみ! 行くわよ!』
『へ? あ、う、うん!』
攻撃を受けた子も含め、全員が一斉に公園から去って行った。
残ったのは俺と、足がすくんで動けなかった伊吹と、謎の力を持つ少女の三人。
「な、なんなのあの子……」
「俺だって聞きたいよ。少なくともただの人間ってわけではなさそうだ」
マズイな……。俺たちも逃げればよかったのに、完全にタイミングを逃したぞ……。
足が笑っているのがわかる。
こういうときはあれか? ひとまず警察でも呼べばいいのか? いや、それじゃ動きでバレるし……大声を出すっていうのはどうだ? 不審者がいたらそうしろって、小さいときに習ったもんな。
公園内は一瞬にして、落ち着いたなんて言葉とはかけ離れた空間になってしまった。
そうだ。まず俺がするべきことはこれだな。
「俺があいつの気を引き付ける。その隙にお前も逃げろ」
「え……?」
少女には聞こえない程度に声を調整して、相変わらず一歩も動けないでいる伊吹を安心させる。男がすべきことと言えば、女子供の安全を確保すること、すなわち伊吹を避難させることだ。
少女の方に視線を移すと、すでに二投目の準備をしているようだった。
「いいから行けって。のんびりしている場合じゃないぞ」
「でもそれじゃ吉祥が……」
「別に相手をするわけじゃない。隙を作るだけだ。その後で俺も逃げるよ」
さあ、早く! 心の中で大きく叫ぶ。
少女は再び構えの体勢に入った。
「そうはさせるか!」
それと同時に、俺も一気に加速して少女に突進を仕掛けた。
「吉祥!」
「いいから逃げろって言ってんだろ!」
大丈夫だ。子供がさっきのを食らって平気だったんだ。鉄棒を溶かすなんて未だに仕掛けがわからないけど、こけおどしの可能性もある。
「……っ」
投げるのをやめた?
俺の鬼気迫るオーラに気圧されたか、目に有り余る隙を見せる少女。
きっと今ごろ伊吹も遠くまで逃げたはずだ。
俺はそのまま全身を塊として少女に突っ込んだ。
「……うぐっ!」
「……つっ!」
二人して勢いのまま地面に体を打ち付ける。
俺は少女が反撃できないように、両腕を地面に押さえつけた。
「お前、何者だ?」
「何者かって……? さあ、誰だと思う?」
近くまで寄ってようやく人相が割れてくる。
翡翠色の目をしていて、ブロンドを含んだ髪をしている。ハットの影と体勢のせいで大まかにしか掴めないが、顔立ちはよく、西洋の血を含んでいるのだろうと予想できた。
「わからないから聞いてるんだ。ふざけるのもいい加減にしろ」
「笑わせないでよ。それはわたしのセリフ」
「……」
「この程度で、わたしを抑え切れたと思ってんの?」
その言葉を象徴するかのように、地面が異様な形で波を打ち始める。先刻鉄棒を溶かしたときと同じように、少女の手元から、砂がドロドロの液体と化したのだ。
周囲が溶岩の如く赤黒く変色し、堪らずに飛び上がって距離を取る。
「本当にお前は何者なんだよ! こんなの普通の人間ができることじゃない!」
「そうだね。まあ、有体で言うなら特殊能力者とでも言うんじゃないかな」
「特殊能力者?」
そんな非現実的なものが存在するっていうのか?
「とりあえず、この辺で終わりでいいかな」
少女は俺の疑問を無視し、天を仰ぐとなんてことのないように、
「終わ……り?」
最後の一撃を俺に放った。
「吉祥!」
意識が途切れる直前に聞こえた女の子の声。それが伊吹のものか、そうでないものか、それを決めようと考えているうちに、俺の視界は真っ暗になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます