二章 献身的な先輩
『小さな公園』のベンチに座り、俺は項垂れていた。
直前に仲間から告げられた事実を受け入れることができずに、ひたすらに、それを捻じ曲げるための解法を探していた。
どれくらい地面を見つめていたのだろう。
帰ろうという気持ちが湧いたころになって、ようやく雨が降っていることに気付いた。
俺の涙は、頬を伝う雫に混ざっていた。
遠い記憶のようなものを夢に見ていたらしい。
目を覚ましたとき、どういうわけか、俺はどこかの病室のベッド上に横たわっていた。
全体的に透き通るような白い空間は、清涼感に満ち溢れていた。
「おはよう、よく眠れた?」
女の子の声が聞こえた気がして振り向くと、彼女は行儀よく椅子に腰かけていた。
首元のリボンに目が向くが、随分寝ていたようで、色というものが認識できない。
「君は……この前の」
意識がだんだんと覚醒してきて、それと同時に、彼女がすでに会ったことのある人物だと思い出す。前に夜の公園に現れた、青いリボンを下げた短髪の少女だ。
「……」
「何があったんだ?」
気を失う直前の光景が脳裏をよぎる。俺はたしか、特殊能力者を名乗る女と戦って、溶けた鉄棒の一撃を食らったはずだ。それなのに、突然目の前に黒い渦が現れて――。
自分で回想しながら、何を馬鹿げたことを言っているんだと自虐する。そんなフィクションみたいな出来事を、俺は信じているのか。
「あなたが無茶して素手で戦いを挑むから、私が助けてあげたんだよ」
静かに言葉を紡ぐ。ベッドに乗っているせいで、図らずともちょっと上目遣いに見える。
「助けたってどうやって?」
「うーん」
そこで変に悩むから、君を怪しく感じてしまうんだと言いたくなってしまう。
前も知り合いのふりをして近づいてきたし、もしやブロンドヘアの女とこの女は仲間なのかもしれない。
俺が若干身構えていると、彼女は訝しげな眼つきをした。
「本当にわからないの?」
そう言われると実際のところ、予想している答えはあった。だがそれを口に出してしまうのは、そんなものが存在していることを認めることに他ならない。
「わからないから聞いてるんだ」
「そう……。私の特殊能力を使ったんだよ」
「君もそう言うのか」
案の定というか、一番聞きたくないワードが出てきて困惑する。
前回も今回も、揃って二人は特殊能力という非現実的な言葉を使う。
それってあれだろ? 念動力とか瞬間移動とかそういう類の話だよな?
「馬鹿にしてるのかよ。真面目に話す気がないのか」
「本当のことだよ。あなただって見たでしょ。彼女が鉄を溶かしたり、地面を高温状態にしたりしたのを」
あれに関しては、まだ整理がついてない状態だった。
「彼女が熱量を操る能力者ならば、私は次元の裂け目を引き起こす能力を持っているの。入口が自分の近くじゃないといけないっていう制約はあるけど、出口にはある程度融通が利くんだ。それを使ってあなたを助けた」
「えーっと……」
「あなたと鉄棒の間にワームホールを引き起こして、攻撃が当たらないようにしたんだよ」
ダメだ。理解が追い付かない。見た感じ大人しそうな子なのに、頭の中は結構ヤバい子なのかな? こういうとき俺はなんて返答すればいいんだ。
「凄い想像力だと思うよ。漫画家とか目指したらどうかな?」
「信じないってこと? 私をただの変態だと思っているって感じだね」
「そうなっちゃうかな。信じる方がどうかしてると思うよ」
少女は深いため息をつく。しかしここまでの展開はある程度予見していたようで、
「じゃあ変態ついでに、今あなたが置かれてる状況を説明させてもらうね」
「説明ね……」
「そういう設定ってことでいいから」
「……」
まあ、聞くだけでいいって言うなら、とりあえず様子を見るか。
「まず、私は『WPO』の人間で、私たちがいるここは、本部の医療エリア。重傷はなかったけれど、念のためWPOの医療班があなたのケアをしてくれたの」
知らないワードがいくつか混ざってるが、『特殊能力』を聞いている手前、驚きは思ったより少なかった。
「これがその証拠」と言いながら、少女は内ポケットからカードケースを取り出す。
上部には彼女の写真が、下部にはプロフィール(WPOの刻印付き)が入れられていた。
「WPOってなんだ?」
「World Protection Organizationの頭文字をとった通称のこと。正式には世界保護機関って呼ばれてる」
「世界の保護か」
「世間に公にされているものだけでも、世界中には多くの組織が存在するでしょ。そしてそれらは秩序を保つために活動している。だけどそれって結局のところは絶対じゃない。その中でも、どうしても食い止められない犯罪や事故も出てくるものなの。つまりWPOはそれを阻止するための組織なんだ」
「食い止めきれずに世間からあぶれた危険から、世界を保護するための機関ってことか」
「そういうこと」
「へえ……」
聞いたことないけど、裏の世界でそんな組織が暗躍していてもおかしくない……のかな。
「あくまで設定でいいから、まずは話を聞いて欲しい」
「大丈夫、茶々を入れるつもりはないよ。気にしないで続けてくれ」
俺が正直に言うと、少女は少し面食らったようだ。
気を取り直して続ける。
「その際に私たちが有事に使っているのが特殊能力なんだ。肉体の強化、知識の蓄積、精神の鍛練――これらすべてをこなすことで、特殊能力は身に着けることができるんだよ」
「それだけが信じられないんだよな」
「そう? ポピュラーなものだと未来予知とかは実際に証明されてるでしょ?」
予知夢とかそういう類を言っているのだろうか。
「あんなの、占いと似たようなインチキだろ。近い情報だけを取り上げて騒いでるんだよ。実際には7割外していても、3割がピタリと当たっただけで本物だと言い張るんだ。外した事実については目も当てない。なんなら3割の中にも都合のいいように解釈してる部分があったりするしな」
「それは完全に能力として開花していないからだよ。時間を突き詰めていけば、必ず人智を超えた力は身に付くんだ」
釈然としないが、ここを受け入れておかないと先に進まない感じか。
「まあより取り見取りってわけじゃないけどね。みんなにそれぞれ適性があって、それを伸ばすことで開花するって感じかな」
「じゃああの女も機関の人間だったってことだよな。それならどうして彼女は一般人を襲うようなことをしたんだ」
ここらで話を一歩前進させる。能力者は機関の人間で、しかもこの組織が救いために存在するのであれば、疑問に感じて当然だった。
「違う。厳密に言えば、彼女はもう機関の人間じゃない」
そんな疑問を少女はキッパリと切り捨てた。
「……まあなんていうか、凡人にはない力を手に入れると、人っていうのは変わってしまう生き物なんだろうね。きっと彼女も元々は組織として人を救うために活動していたと思う。だけど特殊能力に魅せられて、私利私欲のために行動するようになってしまった」
その結果があれなのか。
「機関から逸脱したそんな人間を私たちは『異端能力者』って呼んでる。欲望、思想、怨恨、愉快犯。動機なんて様々だけど、避けられなかった事態なのかもね」
「一人だけじゃないのか?」
「たくさんいるよ。そのせいで、今は異端能力者関連の任務が多くて困ってるんだけどね」
結構重大なことを言っていると思うのに彼女は悠然としていた。
「そして話は最初に戻って……つまり、あなたが異端能力者に襲われているところに私が駆けつけて、助けたってわけ。で、ここで目を覚ました」
「なるほどな。筋は通ってるな」
「だけど、まだ信じてないんでしょ」
「……いや、そうでもないよ」
「そうなの?」
「ウソをついている人間とそうでない人間の違いなんて話していれば大体わかるもんだろ。少なくとも今の俺は君の言うことを信じたいと思ってるよ」
方便だと勘違いされても困るので念を入れておく。
「ここに運んでくれたのは事実だしな。だから君は少なくとも悪い奴じゃない」
「そっか。じゃ、証拠があれば百パーセント信じてくれるってことだよね」
「んまあ、そうなるのかな」
「ついてきて、案内する」
急に思い立ったように腰を上げた。
「どこへ?」
「WPOがどんな組織なのか具体的に見せてあげる」
少女が一方的にドアの方に向かってしまうので、仕方なく床に置いてあった靴を履いて後を追った。ちなみに鞄も隣にあった。
「そういや自己紹介まだだったよな。俺は吉祥叶真。君はなんていうんだ?」
「それは本当に必要なの?」
「……当たり前だろ。名前がわからないんじゃ、話すときに不便だよ」
「そっか。逢河美咲だよ」
「じゃあ、逢河。よろしくな」
「うん。こちらこそよろしく」
なんつーか、必要なことしか喋らないし、ところどころやりにくい奴だな。
静かに扉が開かれると、そこには病室と似たように清涼感ある白い廊下が広がっていた。両側には等間隔で扉が配置されている。
白衣を着ている医者のような研究者のような恰好をした人が忙しく行き交っているが、さっきの彼女の言葉を受け取るなら、彼らは医療系の人間に当たるのだろう。
それはさながらSF映画を彷彿とさせる空間だ。
感極まる俺をよそに彼女は歩き出す。
「こっち」
「あ、ああ」
しばらくして、エントランスホールのような広い空間に行きつく。メカメカしい機械が至る所に並べられており、隊員のような人が自身の筐体に就いている様は、ハイテクノロジーの一言に尽きた。
「ここは司令塔。ここで日本の犯罪や事件性のあるものを監視してるんだ。あれを見て」
全員が見える高い位置には大きなモニターがあった。日本地図を映しており、全国の至る所に赤いマーカーがされている。
「あれは時限爆弾が日本のどの都市にあるのかを表示してる」
「爆弾?」
「そう。現在進行形で、全国で起きてる爆弾テロの対策が行われてるの」
そんなことが本当に起きているなら大事じゃないか。
「前にも似たようなことがあったんだ。ふふっ、知らなかったでしょ。ニュースじゃまず報道されないしね。こんなの日常茶飯事なのに」
テロをあたかも日常のように述べる辺り、この組織は相当なものらしい。
次にあれを見ろと彼女が指す方向に視線を移すと、二十代くらいの女性が、この空間のどこからでも見える目立つところに立っていた。自身のモニターを見つめており、あそこにも日本地図が表示されているらしい。
「彼女は言うなれば千里眼の能力者。もうすぐ動きがあるはずだから見てて」
「おう……」
女性は瞳を閉じて何やら精神を集中している。
そして周囲の隊員はそれをじっと固唾を飲んで見守っていた。
まるで全員が天命を待っているかのように。
その瞬間はまもなくして訪れる。
『わかりました』
女性の瞳がすっと開かれた。
『北から順番に言います。赤、青、青、緑――東京のパスワード型は『41524649』――黄、赤、青、青、白です』
聞いているだけでは適当に色を述べているだけだと感じたが、周りの反応は真剣そのものだった。隊長らしき人物が全員に連絡をとるように指示を飛ばし、一気に騒がしくなる。
「なあ、あれってもしかして……」
「切るべきコードの色とパスワードを透視したの。今はそれを全国のチームに知らせてるところだね」
大型モニターの赤いマーカーが次々と緑に変わっていく。
『すべての爆弾の無力化を確認。成功だ!』
歓声が沸き上がる。
「……」
だけど俺だけはこの状況を素直に喜べなかった。現実離れした光景に声が出せない。
「どう? 凄いでしょ?」
「凄いっていうか……なんていうか」
千里眼の能力者を語る女性がこちらに近づいてくる。
『どうも、美咲さん。今日もいらしてたんですね』
「爆弾解除、素晴らしかったです。さすがですね」
『いえいえ、こっちだって結構ギリギリだったんですよ』
「またまたご謙遜を」
『そちらの方は?』
世間話程度にジャブを済ませたところで、俺の方に話が及ぶ。
「吉祥っていいます。色々あって今は本部を案内しているところです」
『吉祥さん……。案内をしてるんですか? あれ? 私の記憶違いかな……?』
「どうも」
何やら頭を悩ませているようだが、会釈程度で軽く挨拶を済ませる。
ふいに気になったことを、女性に聞こえないボリュームで聞いてみた。
「逢河ってここじゃ有名なのか?」
「まあ、殆ど入り浸ってるからね」
女性が訝しげな表情をする。
「そうだ! よかったら吉祥に能力を使ってみてくれませんか」
『どういうこと?』
「彼、特殊能力の存在を信じていない節があるようで。千里眼で色々言い当てたら信じると思うんです」
『ああ、なるほど、構いませんよ』
「おい、勝手に話を進めるなよ」
「いいからいいから。吉祥は立っているだけでいいんだから」
「……」
圧力のかけ方が雑だ。さっさと済ませるためにも大人しく従っておこう。
「彼女は対象者の思念も見通すことができるの。――簡単なところで、彼の家を見ることはできますか」
『ちょっと待ってくださいね……』
女性が俺に手を翳して、何やら念を読み取っている。正直結構もどかしい。
『あ……見えてきました。自室はどこですか?』
「どこなの吉祥?」
「え? ……廊下の、奥の方のドアです」
『廊下の奥ですね』
女性は自分にしか見えない空間で廊下を進んでいるとでもいうのか。
本当に要るのかこれ?
『なるほど。窓際にベッドがありますね。ドアの近くには本棚と机があります』
なんかいつの間にか、大人の女性に部屋を覗かれてるんだが、どうしてこうなったんだ。
「どう?」
「どうって……俺に感想を言えってか?」
終始楽しそうな逢河に視線を送る。これって俺に能力の存在を知らしめるためにやってるんだよな。
「……どうやら透視が足りないみたいです。机の中でも見てみましょう」
「おい、なんでそうなる?」
『やってみます』
あんたもだよ!
『――えっと、まあ至って普通の中高生らしい感じですね。教科書とか文房具があって』
「一番下の引き出しはどうですか? 面白いものを入れてるかも!」
「あ、一番下はさすがに……!」
『はい……あ』
俺が止めようとしたころにはもう手遅れだった。
『これはこれは……。うーむ、雑誌がありますね』
「どんな雑誌ですか? 中身はどうですか?」
逢河の催促を合図に、女性の頬がピンクに染まっていく。
『ほうほう……。へえ……。ふむふむ……。うわあ、なんて大胆な……!』
「あの……どんな雑誌か教えてくださいよー」
「お前、目的忘れてないか?」
『とりあえず、この辺にしておきましょう』
女性は先ほどと同じように、すっと瞳を開く。
『それにしても吉祥さん、トリッキーな趣味をお持ちですね』
「ええ……まあ」
『美咲さん、これくらいでおしまいにしましょう。私もさすがに疲れました』
「どう吉祥? 信用する?」
「あのさ……結構前から信じてたぞ」
「そうなの?」
そうなの? じゃなくてだな。
『私は失礼しますね、では』
「あ、ありがとうございました」
それきり、女性は去ってしまった。
「ねぇ吉祥。結局どんな雑誌を持ってるの? 私にも教えてよ」
「断る。俺の沽券に関わるからな」
「……どういうこと?」
頼むからもうそれ以上踏み込んでくんな。
俺はたるんだ空気を入れ替えるために深呼吸をした。
「――で、話はわかった。まだ何かあるのか?」
「あるよ。一番重大な話がね」
「それが終わったら帰してくれるのか」
「うん」
「じゃあ話せ」
俺としてはさっさと終わらせて早く帰りたい気分だったのだが、次の一言でそうもいかなくなった。
「あのね、吉祥さ、私たちの仲間にならない?」
……仲間?
「おいおい、次は何を言い出すかと思ったら……」
このWPOとかいう組織に加われっていうのかよ。
「私は本気だよ。吉祥には私と一緒のチームになって欲しいの」
「チームって……。ごめん、急にそう言われても、なんで俺なんかが」
「気を失う前、あなたは、相手が常人ではないとわかっておきながら、被害が広がらないように敵に挑んだよね。そういう強い心を持った人がこの組織には必要なんだ」
「だからってすぐに『はい』とは言えないだろ」
「そっか……」
逢河が俯いてしまう。その姿はなんだか痛ましくて、悪いことをした気分になってくる。
「じゃあさ、こういうのはどうかな。仮っていう形で所属するのは?」
「仮?」
「仮入部とかそういう感じだ。俺に務まりそうにないと思ったら、そのときは手を引くよ」
「ホント!? 入ってくれるの?」
「ああ……。逆にそれでもいいのか?」
「大歓迎だよ! よかった。吉祥ならきっと入ってくれるって思ってたんだ」
そんなに期待されてたのかよ俺。
「ちなみに、俺の適正って何なんだ? 一人一人違うんだろ? 俺は何を伸ばせばいい?」
「えっーと……吉祥のはたしか『重力の支配』だったかな」
「重力か。工夫次第で色々できそうだな。トレーニングとかはどうやってやるんだ?」
「そんなに焦らなくても大丈夫。これで私たちは仲間ってことになったから。必要があれば、私があなたの訓練をしてあげるよ」
今までで一番の笑顔を見せる。そんなに俺が仲間に入って嬉しかったのだろうか。
「今日はもう帰ってもいいよ。吉祥も色々あって疲れたでしょ?」
「まあ、そういう意味じゃ、ベッドで目を覚ましたところからもう疲れてたけどな……」
WPOの去り際に、逢河の言葉を背に受ける。
「忘れないで。私はずっと、あなたの傍にいるからね」
2
「ここが都乃衣先輩の家だな」
「やっと着いた……。完全に迷子になってたよね」
「結果的に着いたんだから、迷ったのは勉強料だ」
「どういう理論なの、それ」
伊吹とやいのやいの言い合いながら、人んちの前で二の足を踏む。
都乃衣先輩との約束を果たすためにこうして家までやって来たはいいものの、どのようにして主を呼び出そうか迷っていたのだ。
学校で都乃衣先輩に家がどこかを確認し、帰る前に伊吹を誘った(柊にはやはり断られた)ところまでは順調だった。ただ、着いた後の台本を用意していなかった。
そもそも、予想外の出来事も起きていたのだ。インターホンがないのである。
都乃衣先輩宅は、昔ながらの平屋だった。
「呼び出さないの?」
「これってノックするしかないよな」
「他に方法ないしね。ちなみにノックは三回以上がマナーだよ。二回はトイレのノックだからね」
聞いてねーし。心中で突っ込みを入れながら、うんちくはひとまず受け流して、未知の扉をいよいよ叩こうとする。
「突っ立っていてもしょうがない。悪いことをしに来たわけじゃないしな」
伊吹に言われた通り三回ノックし、近所迷惑にならない程度に声を張る。
「都乃衣先輩! 吉祥です!」
ほどなくして玄関奥からだるそうな声が近づいてきて、
「おう、お疲れ。本当に来るとはな」
情緒ある引き戸の軋む音を鳴らしながら、その扉は開かれた。
こうまで来ると引き返すわけにもいかない。先輩宅とはいえ、手伝いを名乗り出たのは俺自身だ。覚悟を決めて敷居を跨ぐ。
伊吹が都乃衣先輩と挨拶を交わしている間に、玄関をぐるりと見渡してみる。
俺の家とは違って靴の数が遥かに多い。下駄箱の外に出ているものだけでも相当な数だ。それもあって、自分の靴をどこにおくか少々迷ってしまった。
「吉祥も上がれ。初めてきたからって人んちをジロジロ見るなよ」
「いや……なんていうか、都乃衣先輩でも、庶民的なところに住んでるんだなって」
どちらかというと、必要ないものは置かなそうなイメージだったから、それは家族も同じで、流行りのミニマムでもやってるんじゃないかと思っていた。
「それで俺を煽ってんのか? 後輩のくせに生意気なことを言うね」
「そういうつもりはなくて!」
「それはもういいから。早く上がれよ。やることは山ほどあるんだからな」
「あ、はい、すみません」
玄関でのやりとりは軽くで済ませ、そのまま居間まで通された。
「よーしお前ら、全員集合! ゲストが来たぞー」
開口一番、都乃衣先輩の声が家中に響くと、ぞろぞろと、マトリョーシカのように段々とした背丈の三人が集まってきた。
『あの……こんにちは……』
『なんだなんだぁ? 悠一が昨日言ってた人かー?』
『わぁ! お客さんだぁ!』
「上から順に、長女のこはる、次男のさとる、次女のまいだ」
『よろしくお願いします』
都乃衣先輩の言葉を受け、台本通りと言わんばかりに三人が同時に頭を下げる。
ここまで礼儀正しいとは、教育が行き届いている証拠だ。
『ねーねー。一緒にゲームして遊ぼうよー。こはる、弱っちくてつまんないんだ』
『そもそもやり方知らないんだし仕方ないでしょ……』
無邪気なさとる君に対して、長女のこはるちゃんが呆れたように手を広げる。
「遊んでる場合じゃないだろ、さとる。家に帰ったらまずは宿題をやれって言ってるじゃないか。ちゃんと終わらせたのか?」
『あとででいーじゃん』
「ダメだ。お前はいつもそれでやらないんだ。今日は吉祥たちに見てもらってちゃんとやれ」
「ああ、なるほど。宿題を見るってのはいいですね」
唐突な提案に若干の驚きはあったが快く承諾する。
手始めに何をすればよいのか、ちょうど考えていたところだった。
『あの……だったら私も教えて欲しいです……。今度テストがあるので……』
「じゃあまずは勉強会にしよっか」
伊吹がみんなの意見を総括し、腰を屈めて笑顔で言った。
「助かるよ。吉祥一人じゃ正直不安だったんだ」
「任せてください」
「吉祥も頼むぞ。俺は洗濯物取り込んでくるから」
「はい、わかりました」
色めき立つ兄妹を一瞥して、都乃衣先輩は兄貴らしい一言を残した。
「いいかお前ら、二人に迷惑かけるなよ」
『はーい』
ちょっとだけ、小さいころの蓮を思い出す瞬間だった。
「今時の中学の数学ってまあまあ難しいことやってるんだな」
およそ三十分が経過したとき、ほろりとそんな感想が突いて出た。
基礎的な問題は殆どのものを覚えていて余裕だったのが、応用は案外レベルが高く、式を羅列するのに結構な行を食ってしまほどだった。
ていうか数学の先生はりきってんなあと思ってしまう。
「そっちはどうだ?」
「こっちは順調だよ。さとる君頭いいからスイスイできちゃう。えっとここはね……」
それはきっとお前の教え方が上手いからだよ、と褒めたい気持ちをなんとか抑える。
子供たちの自主性を重んじるなら、そういう言葉は野暮な気がしたのだ。
「まいちゃんは宿題とか勉強とかしなくていいの?」
その代わりとは言っちゃなんだが、居間の端っこにちょこんと正座し、満面の笑みで全体を眺め続けていたまいちゃんに話しかける。
一切動かずもはや人形と化していたまいちゃんは、笑顔を崩さずに口を開いた。
『私は大丈夫だよ。宿題は帰ってすぐにやっちゃったし、今習ってるところ、凄く簡単だから』
「そ、そう、ならいいんだけど……退屈じゃない?」
『ううん、この光景楽しいから大丈夫』
楽しいとはどういう意味なんだ? 含みを持たせた言い方が気になってしまう。
小学校低学年と聞いているのだが、まさかその年で年上を見下せるほどの器量を持ち合わせているのだろうか。
『宿題程度で手間取っちゃって……』とか『真面目に勉強してるよ……』とか、あの笑顔の下ではそういう闇が渦巻いてそうだ。末っ子らしいと言えばらしいが、まあ怖いな。
「ねぇ、さとる君って、学校の休み時間は何してるの?」
宿題に飽きてきたさとる君の気分を紛らわすためか、伊吹が楽しい話題を提示する。
『んとねー。友達とサッカーやってるよ。実はオレ、サッカークラブ入ってるんだ』
「へぇ、凄いねー。スポーツできるんだ。かっこいいじゃん。女の子にモテるんじゃない?」
『どうかなぁ? まあ、オレのかっこよさがクラスに広まるのも時間の問題なのかなぁ』
『ないよ』
さとる君が上機嫌になったところを、こはるちゃんは水を差した。
『だってさとる、サッカー始めてまだ一年も経ってないじゃん。時間の問題というよりは、時間をかけて上手くならないとダメだね』
急にさっきまでのこはるちゃんらしからぬ、語気の強い言い方をする。
『何だとぉ? さっき対戦したサッカーゲームだって、バンバンゴール決めたじゃんかよ!』
『ゲームで出来たからって、現実でも上手いとは言い切れないから』
『うぐっ……』
『そのサッカークラブで、さとるは今までに何回ゴール決めたの?』
『何回って……』
次男に対する長女の追及が止まらない。
そしてまたしても、末っ子のまいちゃんは、楽しそうにそれを『鑑賞』していた。
ああ……日常茶飯事なんだろうな。
『ゼロだけど……』
『ぷふっ』
『おいこはる笑ったな! だったらお前が書いてるっていう小説、ここで読んで聞かせてみろよ!』
『な、なんでそうなるのか理解できないんだけど』
ここでさとる君のターンに切り替わる。反撃開始だ。
『オレは知ってるんだぞ! こはるが作家に憧れてて、オリジナルの小説書いてるって!』
「小説か……。そう言われるとたしかに気になるね」
「私もどんな内容か気になる」
『お二人に読んでもらえるほど、大層なものじゃないので……』
俺たちに恐縮しだしたこはるちゃんと捉えるや否や、さとる君は態度を尊大にした。
『だったらこはるの方がかっこわりーな! そもそも部屋でこそこそ書いてるより、外でスポーツやってる方が男らしいんだ!』
『わたし女だから!』
最後にこはるちゃんまでもが大声を張り上げるもんだから、俺は完全にお手上げだった。
そこで、またというか代わりというか、視線だけでもまいちゃんの方に逃げてみる。
『ね、楽しいよね?』
だけど俺は、もうこの兄妹のパワーバランスがわからなくなって、手を上げる力すらなくなってしまいそうだった。
3
『っしゃー、終わったー!』
さとる君の絶叫で、唐突に静寂は破られた。
柱に掛けられた時計を見ると、ちょうど五時を回ったころだった。
さすがに頭が中々に疲労してきたこともあり、一気に力が抜けていくのがわかる。中学生の内容とはいえ、ここまでフルに脳を働かせたのは久しぶりかもしれない。学校の授業なんて、成り行きで受けているようなもんだからな。
「お疲れ様さとる君。こはるちゃんもそろそろいいんじゃないかな?」
『そうですね……。これだけやれば高得点を期待できると思います……』
いつの間にかクールな雰囲気に戻っていたこはるちゃんは、静かに問題集を閉じる。
「じゃ、どうする? 何かして遊ぶか?」
ここまでがお堅い勉強タイムなのであれば、ここからは自由タイムとなる。何気なくそんなことを問いかけると、遊びという単語を聞いて真っ先に手を上げたのは、テンションマックスのさとる君だった。
『じゃーさじゃーさ、ゲームしようよ! さっきのサッカーゲーム、2vs2ができるんだ!』
「おー、いいね。じゃ、夕飯までゲームで遊ぼっか」
『うぉーし! オレのスーパーテクニック見せてやるぜ!』
『はいはい……』
勇んで立ち上がったさとる君を手伝うように、こはるちゃんが押入れを開く。最近流行りの二世代前のテレビ用ゲーム機が乱雑にしまってあった。
「準備に時間がかかりそうだし、俺は都乃衣先輩に勉強が終わったことを伝えてくるよ」
「うん、頼むね」
笑顔で返事をしてくれたのは伊吹だ。
こはるちゃんとさとる君がテレビ周りに夢中なのは良しとして、何故かまいちゃんが意味深な視線を向けていたのが一瞬だけ気になった。
すでに日は落ちかけており、灯りを頼りに廊下を歩いていくと、一番奥の部屋に辿り着いた。軽快な包丁の音が鳴りやんだところを計って、邪魔にならないよう静かに話しかける。
「夕飯の準備ですか。さすが都乃衣先輩。料理もできるんですね」
「ああ、吉祥か。お前に言われるとなんかウザいな」
ちらりと顧みるとすぐに台所に向き直る。
いや、至極真っ当な感銘ですよ。
「勉強の進捗はどうなんだよ」
「さとる君の宿題が終わったんで、それを見て今はゲームをする話になってます。マズかったらやめさせますけど……大丈夫ですか」
「いやいいよ。やることやったんなら自由でいい」
「他にも手伝うこととかは? あるなら僕やりますけど」
「洗濯物は畳んでしまったし、あとはこれを作るだけだよ」
言われて小さな作業用テーブルに目を移す。
並々とタレで満たされたボウルの中に鶏肉であろう塊がいくつも漬けられている。横には小麦粉だか片栗粉だか思しきものが入ったボウルと、それとは別に、つなぎとして使う黄身を溶かした玉子を入れたボウルが、ラップをして置いてあった。
「へえ、作ってるのは唐揚げですかね。ニンニクが程よく香ってくる気がします」
「はあ? ヘルシー趣向だから使ってないぞ」
「え? ……まあ、そういうボケですよ」
背中に冷静な指摘を受けたのでこちらも冷静に返す。
気の利いたことを言おうとして完全に墓穴を掘ったな。
「そうかよ。面白いことを放り込んでくるね。次はこはるたちの前でもやってみてくれ」
「それはおいおいということで……」
語尾が弱弱しくなってしまう。
決まりだな。そういう流れには絶対させないようにしよう。
都乃衣先輩の調理に視線を戻すと、テーブルでは唐揚げの準備がされてある一方で、こちらは味噌汁を作っているようだった。
お世辞抜きで美味しそうだ。だからこそ気にかかることもある。
「本当に僕たちまで頂いていいんですか?」
「学校でも話したろ。あいつらの相手をしてくれてるんだ。これくらい御馳走するよ」
「ありがとうございます。――毎日こんな感じなんですか?」
都乃衣先輩が火入れに入ったところで、ふと思ったことを、労りの念も込めて聞いてみる。
「まあ、両親が共働きしてるからな。帰りが遅いときはいつもって感じだ。長男の俺が面倒を見てやらないとな」
「帰りが遅いのは週何回くらいなんですか?」
「最近は週四かな。前はもっと余裕があったんだが、下が成長したからな、色々と出費がかさむんだと」
「回数が多いとなると、メニューを決めるのも大変そうですね」
重い話になりそうな気配を察知して、自然な風に流れを別方向に持っていく。
案の定それは功を奏し、都乃衣先輩は小さく笑ってから、
「たしかにな。実は今朝の段階ではまあまあ揉めたんだよ。カレーにするかキーマカレーにするかでな。こはるとさとるの好みはいつも分かれるんだ」
それ、大差あるのか?
「性格は真反対って感じですもんね」
「ああ、それで収拾がつかないから、最終的に間をとって唐揚げになったわけだ」
「なぜ!?」
急に訪れた最終駅に上ずった声を出してしまう。因果関係を成していない。
「唐揚げ嫌いな奴はいないだろ」
「まあ少なくとも嫌いな子供はそうそういないでしょうけど……」
一瞬はぞんざいな対応だと思いつつも、すぐに考え方を改めてみる。
穿った見方をするなら、それは双方を考えた上での都乃衣先輩なりの優しさなんだろう。
現に学校では女子にモテており、男の同級生にも慕われているのだ。
まあそれでもやっぱり、タイマンで話すときに緊張してしまうのは変わらないよな。
「何をニヤついている?」
「えっ?」
変に都乃衣先輩のことを考えすぎたせいか、顔に出てしまったらしい。
それを追及された俺は、焦って思ったことをそのまま口走る。
「いやなんていうか、家族のこと、愛してるんだなあって思って」
少々クサい表現とは理解していながらもあえて誇張をしてみる。
今日こうして都乃衣先輩の兄妹と接し、本人の話を聞いての感想でもあった。
「『愛』ね……。俺にはそういう感情はわからないよ」
しかしながら和やかなムードは一変する。
さっきまで俺を弄ぶようだった顔つきは一様に暗いものになった。
「これは俺がやらなくちゃいけないからやってるだけさ。そこにそういう余計なものは介入しないよ」
「……」
そのまま沈黙が訪れる。さっきまで気にならなかった室外機や冷蔵庫の稼働音、居間から聞こえるさとる君の声が鮮明になってくる。
都乃衣先輩は勢い余って言ってしまった感じだった。
「まあいいか。この際だからはっきり言っておこうかな」
そして覚悟を決めたように続きを話し始める。
「俺は俺以外の人間に対して何も思っちゃいないんだ。俺をもてはやす女子たちも、俺を慕ってくれる同級生も、もちろんお前も。俺以外は等しく、全員が他人として映るんだよ」
都乃衣先輩の抱えていたもの。それを一気に吐露されて、背中に重みを感じる。
「俺にあるのは『あいつ』だけなんだ」
依然として顔に翳りはあったが、辛そうという顔つきではなかった。むしろ最後には安心したようにも見える。
「それは家族もなんですか?」
『お兄さん、準備終わったよ』
都乃衣先輩が答えようと顔を上げたとき、泰然たる少女の声が割って入った。
出入り口のところには満面の笑みのまいちゃんが立っていた。
もしや最初から聞いていてタイミングを計って止めに入ったのではないか。その笑みには、そんなことを思わせる、有無を言わせぬ圧力を感じた。
「行って来いよ。手伝うって言っても指示を出しながらは手間がかかるしな。向こうを一人で任せるのも大変だろ」
「都乃衣先輩がそう言うなら……」
『いこ』
作り物のような無垢な笑みをしつつ、まいちゃんは先導して俺の手を取った。
自分以外に対して何も思っちゃいない……か。
世の中には色んな人がいるし、そういう私見を持つ人がいてもおかしくはない。
でも心なしか、都乃衣先輩にそう思われていると思うと、悲しい気持ちになった。
「おかえり吉祥。なんて言ってたの?」
「自由にしてていいってさ」
「そっか」
『よぉーし! じゃ、早速やろーよ! コントローラーは適当に取ってね』
まるで何事もなかったかのように、居間ではサッカーゲーム大全の幕が開く。
自信満々にゲームが得意だと豪語していたこともあり、試合の優勢は終始さとる君・伊吹チームの方にあった。終盤になって、さとる君の度重なる煽りに業を煮やしたこはるちゃんが暴走することもあったが、結局俺たちのチームは大差をつけて負けることになった。
『ふぅー、ふぅー』
「ひとまず落ち着こうよこはるちゃん。息上がってるよ」
俺が間を取り持とうとしても、さとる君は意気揚々とそれを遮ってくる。
『弱っちぃな! やっぱりオレが最強なんだよな!』
『うぐぐぐ……』
彼女の怒りは、もはや口先だけのフォローではどうにもならない域に達していた。
というか、俺はこれの鎮め方を知らないのだ。
『お兄さん、真面目にやってますか? 途中から来たから操作とか中途半端にしか覚えてないですよね?』
とうとう矛先はこちらに向けられてしまう。
「大丈夫。次は必ず勝つよ。今ので慣れてきたからさ」
俺がそう言うと、こはるちゃんはそれを信じるしかなかったのか、少しだけ冷静さを取り戻した。女性を怒らせると怖いとはよく言ったものである。
『ねーねー、お兄ちゃんさ、その手首に付けてるやつ、何なの?』
ゲームがインターバルに入り、さとる君は興味深そうに俺の手元に視線を注いだ。
白と黒で編まれたヒモの輪っか。それが俺の手首には付けてある。
「ミサンガだよ。聞いたことあるでしょ?」
『え、知らないなぁ。なんなのそれ?』
『さとるってば、ミサンガも知らないんだ』
『雑魚っぴのこはるには聞いてないし』
二人のやりとりは歯牙にもかけず、淡々と質問に対する回答を紡ぐ。
「おまじないみたいなものだよ。これをつけて生活して、自然に切れたときにお願いをすると、それが叶うって言われてるんだ」
『面白いね。オレも付けてみよっかな』
『あ、ちょっと待ってください。わたし、それと似たようなものをどこかで見たことがあります。……えーと、どこだったかなあ?』
こはるちゃんが急に頭を抱えて悩みだす。
…………。
「……駅前の雑貨屋だよ。先週そこで買ったんだ」
しばし逡巡した後俺は答えを教えてあげた。
『そう、それです。たしか『幸運のミサンガ』って呼ばれてるやつですよね』
「幸運のミサンガ?」
『あれ、知らないんですか? そのミサンガは『幸運のミサンガ』という名前で売られてるんですよ。なんでも、同じ配色のものを男女でペアで付けると、その二人が結ばれるとか。どうどうと広告も張ってましたよね。手書きだから胡散臭いなとは思ってたんですけど』
「俺が買ったときは何も張ってなかったな」
もしかしたらそのときには誰かに訴えられていて、やむなく自粛したのかもしれないな。
『えーなにぃお兄さん。恋してるのぉ。初心だなぁもぉ』
面白いオモチャを見つけたまいちゃんが嬲ってくる。
『まい、そんな言葉どこで覚えたの……』
『まいは普段何やってるのか得体の知れない奴だかんなぁ』
『ふふ……。こは姉さんとさとる兄にピッタリの言葉だよね』
横で三人が兄妹コントを展開している中、俺は静かにミサンガを見つめていた。
「……」
「ねぇ吉祥、今楽しい?」
過去のことに思いを馳せているのがバレたのか、伊吹は俺にそんな質問をする。
何気ない日常的会話の中に幸せはある。きっと伊吹はそんなことを考えたのだろう。
「うん、楽しいよ」
それに関しては俺も同意だった。
4
「一旦席外してもいいかな?」
ゲームが再開し、ある程度が経ったところで、恥ずかしくも尿意を催してしまった。
『トイレなら、キッチンとは反対のところにあるよ』
「ありがとう。ちょっと借りてくるね」
『じゃあお兄さんが戻って来るまで、代わりにまいが相手しておくね』
末尾に若干の違和感を覚えながらも、心の中でもう一度まいちゃんにお礼を言う。
廊下を再び歩いていると、妙な影が視界の隅を横切った。
「……誰かいるのか?」
窓の外に人の気配を感じ、恐る恐るそちらに歩み寄る。
どうやら窓の向こうは庭のようだ。嵌め殺しの窓はスリガラスで外を詳しく視認することができないが、少なくとも誰かが二人いることだけはわかる。
片方は都乃衣先輩だとして、もう一人は誰だろうか。
俺は一抹の不安を抱えつつ、念のため玄関を回って庭の様子を確認しに行った。
案の定外にいたうちの一人は都乃衣先輩だった。
「都乃衣先輩、どうしたんですか?」
「やっと来たか。待ってたんだよ、君のこと」
完全に初対面の見知らぬ男が、夜の闇の中で静かに佇んでいた。
男が一歩前に踏み出すと、家から漏れ出た光で眼球が照り出す。
「待ってたとかじゃなくてだな。あんた、ここがどこかわかってるのか? 不法侵入してんだよ。さっさと出て行かないと警察呼ぶぞ?」
「知り合いじゃないんですか?」
「知り合いなら直接庭まで来ないだろ。窓の外に人影が通って、庭に出てみたらこいつがいたんだよ」
「『こいつ』だなんて、君は汚い言葉を使うね。もっと僕みたいに冷静になったらどうだい」
意識の高そうな喋り方が精神を逆なでする。
都乃衣先輩もどうやら同じ心情らしく、
「論点をずらすなよ。いい加減にしないと本当に呼ぶぞ?」
ほんの少し語気を張り上げる。まだ単に迷い込んだ可能性も捨て切きれないため、警察を呼ぶのは最後の手段と考えているようだ。あるいは家内にいる兄妹を気にして、穏便に済ませたいのかもしれない。
「いや、まだだな。近くにもう一人能力者を感じるんだ」
『能力者』……?
その単語を聞いて、最近いやいや頭に刷り込んだ情報が一気に反芻される。
WPO、異端能力者、特殊能力。
この世の中にはそういうものが存在すると、俺は逢河に教えられたばかりなのだ。
「お前、もしかして、逢河が言ってた異端能力者って奴か?」
「えっと、なんで疑問形なのかな。君だって能力者なんだろう? 君も僕の気配を察して、こうして外に出てきたんじゃないのかい」
能力者は互いを引き寄せ合うとでもいうのだろうか。
であれば、俺がここにいるのは必然ということになる。
「まあ、そっちの彼とは単に鉢合わせただけなんだけどね」
舐められたような言い方に都乃衣先輩は眉を顰める。
「――ふむ。どうやらもう一人は様子見をするみたいだね」
男は勝手に合点がいったようになると、片手を上向きに広げた。
バトンを受け取るときのような形だが、生憎その中に納まるものはない。
「ならいいか。君たちが僕の『練習相手』になってくれよ」
そう油断するも束の間、男の掌で赤い光が輝きだした。
仄かに熱を帯び、燃え滾る炎のようにうねりながら、一個の球へと凝縮される。
そうして出来たもの――俺の知識で表現するなら、それは爆弾のように見えた。
「爆弾を生み出す特殊能力……?」
男は球をパスするように、なんてことないように、軽い力でこちらに放った。
球は俺の足元に転がり、先刻同様、赤い輝きを放つ。
「吉祥! ぼけっとすんな!」
「……えっ?」
横っ腹に重いものがぶつかり、体が大きく弾かれたかと思うと、気付いたときには俺は地面に倒れ伏せていた。
上に覆い被さる都乃衣先輩の背後で、地面を軽く抉るほどの爆発が起こる。
近くでもろに食らっていたら、ただでは済まなかっただろう。
「お前、しゃんとしろよ! これはマジで気ィ抜いたら死ぬぞ」
額に汗が滲んでいるのがわかる。
平日の放課後に出向いた先輩宅は、瞬く間に殺伐とした空間と化していた。
「おい、聞いてんのか? お前はあいつがどんな奴かわかるんだろ?」
必死に肩を揺さぶってくる。
自分の焦る気持ちを俺に押し付けて安心を得たいんだろう。
男が特殊能力を一般人に発動したということは、間違いなく彼は異端能力者である。
だけど……それがわかったところで俺はどうすればいいっていうんだ。
俺はまだ、まともに能力を使うこともできないんだぞ。
「ちょっと落ち着いてくださいよ! 僕だっていきなりのことで混乱してるんです!」
そう口にしながらも、同じことを自分に言い聞かせる。
そうだ……落ち着け、落ち着くんだ俺。
俺だって特殊能力者の端くれとして、WPOに入ったんだろ。
『念のため、最後に能力の扱い方について簡単に教えておくね』
WPOを去る前に逢河はレクチャーしてくれた。
『能力の発動は基本的にはイメージして行うんだ』
『イメージ、か』
『そ。こう、ね……胸に手を当てて静かに念じるの。こうなってくれ、とか、ああなってくれ、とか、鮮明にイメージすればするほど、正確さは上がってくるんだ。回数をこなして慣れてくると、ホント息をするように能力が発動できるんだよ』
『特殊能力の発動が念じるだけって、そんな簡単なものなのかよ』
『もちろん自在に操れるようになるには時間が掛かるけどさ、なんていうか、私は、吉祥には資質があるように感じるんだよね』
『はあ……。まあ他人より仕事をこなせるって、何回か褒められたことはあるけどさ』
『うん! 吉祥ならきっと自然に身に付いてくるはずだよ!』
『おう……。『重力の支配』……か』
最終的に、逢河の根拠のない自信に押し切られる形になってしまったわけだが、どうも俺には資質なるものがあるらしい。
『天賦の才能』という言葉があるくらいだし、それの示す通り、俺に生まれつき備わっている才能が『特殊能力の扱い』なのであれば、本当に発現できる可能性はあるのかもしれない。
このままじゃやられる。間違いなく殺される。だったら……!
「やるしかないのか……!」
男は余裕綽々としていた。
「どうしたんだい? 能力者なのに反撃してこないのかい? そっちの彼の方が機敏じゃないか」
また、男の手中が赤く輝きだす。
「この程度じゃ、僕の力を試す相手にはならないな」
素早く反撃の一手を見出さなくてはならない。
俺は胸に左手を当てて静かに――それでいて強く念じた。
俺の資質が『重力の支配』にあるっていうなら、まずは『過重力』を発動させてやる!
深く深く、より深く深く、心の中に眠る力を呼び覚ますように――。
「さようなら」
俺は再び放られた爆弾を鋭く注視し右手を翳した。
そしてその爆弾が地に着くようにイメージする。
「そう簡単にやられて堪るかよ!」
「何だと!?」
次の瞬間、きれいな放物線を描いていた球は、黒いオーラを纏いつつ急激に角度を変え、こちらまで届くことなく、男のほど近いところに転がった。
爆弾の輝きが増していく。
「チィッ!」
大きな衝撃ともに、俺たちと男の間に砂煙が舞う。
砂のカーテンが晴れていくと、その向こうに軽傷を負った男の姿が浮かび上がった。
「いいね。やっと面白くなってきたじゃないか。それくらいはしてもらわないとね」
ここからが本番だと言わんばかりに、男は全身に気合を入れる。
そこで気になったのは、家内に残っている子供たちのことだった。
「都乃衣先輩、今のうちです。相手が次の行動に出る前に、子供たちを外に避難させてください」
「お前はどうすんだよ」
「あいつの相手は僕がします。子供たちが人質にされる前に早く!」
「……わかった! だけど時間を稼ぐだけでいいからな! 避難させたらすぐ戻る!」
できるだけ短いやりとりで済ませると、都乃衣先輩は土足のまま家内に戻った。
「勇ましいね。この状況で他人を心配できる余裕があるなんてさ。いや、それとも一人でも相手に足る存在だと踏んだのかな? 僕も舐められたもんだ」
「減らず口叩いているのも今のうちだ。お前なんかすぐに倒してやる」
「さーて、そう上手くいくといいけどね」
男は三度手を上向きに広げた。しかも今度は両手。
気迫からも本気を出してきたのが窺える。
さっきやったのが下方向への重力操作なら、横方向もできるはずだ!
二つの爆弾が同時に襲い掛かる。
俺は一度目と同じように胸に手を当てて念じた。
爆弾に掛かる重力の向きを変え、男に向かって『落ちていく』ようにイメージする。
子供たちは俺が守るんだ……!
それは俺の強い意志だったが、その雑念が結果として、発動を遅らせることに繋がってしまう。
黒いオーラが視認できるようになり、能力の発動が成功したことを示す。まだ直撃は避けられるタイミングだった。
「よし、このまま爆弾を向こうに……!」
「なるほど、空間系の能力ってわけか。なら――」
男は広げていた掌を閉じ、握り拳を作った。
それに呼応するかのように、球の輝き方が急激に増していく。
「まさか、そんなことまできるのか……!」
殆ど眼前で留まっていた爆弾は、その破壊力を同時に炸裂させる。
「……うぐっ!」
全身に焼けるような痛みを感じ、そのまま俺の体は後ろに吹っ飛ばされた。
続いて地面にも叩きつけられ、激痛なんてものではない感覚に支配されていく。
ちくしょう……。攻撃に特化してるってわけか……!
脳から強引に指令を飛ばして体に鞭を打つ。
このままやられっ放しじゃダメだ。こっちからも攻撃しないと。
霞んでいく視界の中に五体満足の男が見える。
大丈夫だ……。まだなんとか体は動くみたいだ。視界もはっきりしてる。
だからまだ戦える……!
『悠一……どういうこと? なんで外に出なくちゃいけないの……』
『そーだそーだ。せっかくいいところだったんだぜー』
『二人ともさ、さっきの音でなんとなくわからないの?』
「三人いっぺんに喋るなよ。ここでじっとしてるんだぞ。――悪いな、こいつらと一緒にいてやってくれ。俺は吉祥のところに戻るよ」
「あ、待って――!」
何度も爆発音が響き渡っているというのに、周囲の住宅の静けさは変わらなかった。
窓から顔を出して何事かと様子を確認する人がいてもおかしくないものだが、何かの工事か、誰かの作業音か、そんな風に理由を付けて気にしないようにしてるんだろう。
男は小休止といった風に、和やかな雰囲気で問いかけてきた。
「今の君を突き動かすものはなんなんだい? そんなにボロボロになってるのに、どうしてまだ戦おうとする?」
「……どういう質問だ?」
「ふと気になってね。まあ、止めを刺す前に聞いてみたくなったんだ」
言い方が鼻に付く。相変わらず余裕って感じでムカつく奴だ。
「これ以上被害を増やさないためだ。誰かが傷つくだなんて、俺はそんなの望まない。みんなを守るためにお前を倒す」
「『守る』ねぇ……。つまり君が戦うのは、『守るため』ってとこかな?」
「ああ、そうだ……」
今思うと、公園でブロンドヘアの少女と戦ったときも似たような状況だった。
最悪な結末はできることなら避けたいもの。誰だってそういう気持ちはある。
「本当に、すべてを守り切れると思うのかい?」
「……えっ?」
男の含みを持たせたような発言に、俺の心に波が立つ。
「人はね、自分さえよければそれでいいんだ。いつだって、自分の損得を考えて生きているんだよ。なのに他者のことなんて考えるから綻びが生じる」
自分の過去に思うことがあるのか男は神妙な面持ちをしていた。
だがすぐに吹っ切れたように元の顔つきに戻る。
「そうさ。僕は僕の命を大事にしてきたからここまで生きて来れたんだ」
「何が言いたい……?」
「なあ、さっきの彼、本当に戻ってくると思うかい? なんとなく聞こえたけど、人を避難させに行ったんだろ?」
半分笑いながら、馬鹿にしたように言う。
「そのまま逃げたとは思わないのか?」
そのまま逃げる……?
――『俺は俺以外の人間に対して何も思っちゃいないんだ』
都乃衣先輩の言葉を思い返し、一瞬だけ懐疑的な気持ちが生まれてしまう。
だがすぐにそんなふざけた考えは振り払った。
「いや、都乃衣先輩はそんな人じゃない。都乃衣先輩をお前なんかと一緒にするな」
言っている最中に窓の向こうで何やら人影が動く。
別の誰かが聞いているようだが、俺は構わずに続けた。
「自分以外の人間に対して何も思っちゃいないなんて言ってたけど、俺はそうは思わない。だったら律義にプレゼントを受け取ったり、後輩に料理を振舞ったり、兄妹の世話をしたりしないんだ」
俺の言葉に反応するように人影がまた動く。
「俺を爆発から守ったり、冷静に避難を優先したり――都乃衣先輩は自分を悪く言うけど、俺は心の優しい人なんだと思ってる。だからきっと戻ってくる」
「うん、僕も君みたいに他人を信じていたころがあったよ。けど結局、助けになんて来なかったんだ。現実はもっと非情で劣悪で、君が思っているよりも残酷なものなんだよ」
「お前の過去がどうだったかは知らない。だけどな、こっちだって言わせてもらう。都乃衣先輩はお前が思っているよりも凄い人なんだ。都乃衣先輩は必ず戻ってくる」
「おう、当たり前だ」
声のした方を見ると、いつの間にか戻ってきていた都乃衣先輩が俺の肩を軽く叩いた。
『よく頑張ったな』――そんな意味を込めた力を肩に感じる。
「避難できたんですか?」
「ああ。あとはこいつをなんとかするだけだな。つっても、未だに理解できてない部分が多いんだが」
「とりあえず一発ぶん殴りましょう。それでいいじゃないですか」
「いいな吉祥。それには賛成だ。散々俺んちで暴れてくれたわけだしな」
何よりムカつくしな。無力化するためにもそれが手っ取り早いだろ。
「お前、あいつの動き、封じれるか?」
重力操作の能力を俺の不思議な力と予想しているのか、協力を促してくる。
「能力者自身に過重力を掛けられれば……。とにかくやってみます!」
「頼むぞ!」
「そうは行くか!」
俺と、都乃衣先輩と、能力者が、一斉にそれぞれの動きに入る。
数秒のうちにすべての決着が付こうとしていた。
俺は過重力の操作をイメージし、都乃衣先輩は男へ突進し、能力者はまたも爆弾生成の構えに入る。
男は右手の上に左手を重ね、火の球を混ぜ合わせた。
二つを合わせて生み出された、これまでとは桁違いのサイズの爆弾が出来上がる。
過重力の発動と、爆弾が放られるのはほぼ同時だった。
「……ぐっ! やるね。だけど、この一撃で今度こそ終わりだ!」
男を地面に縛り付けたころには、すでに爆弾は宙を舞っていた。
都乃衣先輩のすぐそばで爆発する――そう思っていた矢先、赤く輝く球は一瞬にしてその輝きを失った。俺のいるところからは暗いためよく見えなかったが、そもそも消失したように見えるほどにまさに一瞬のことだった。
「な、何が起きた?」
「俺に聞くんじゃねぇぇっ!!」
動揺する男をもろともせず、都乃衣先輩は勢いのままに突っ込んで、豪快な右ストレートをお見舞いしてみせた。
「うごぉおおおお!!」
拳は頬肉にめり込み、骨を砕きそうな心地よい音を響かせる。
そのまま男は地面に倒れ伏し、たった一撃で気を失ってしまった。
「はぁはぁ……ざまあみろってんだ。これはこはるたちを少しでも危険に晒した罰だ。しばらくそこで眠ってろ」
肩で息をする都乃衣先輩。
兄妹を守り、俺を守り、能力者を下した人間の後ろ姿は勇ましく映えていた。
「なあ吉祥」
「なんですか?」
背中を見せたままの都乃衣先輩は、男を見下ろしながら俺に話しかけた。
言葉を選んでいるのか、逡巡しているように見える。
「俺にとってお前はやっぱり他人だよ。何があってもそれが揺るぐことはない。俺にあるのは『あいつ』だけだからな。けどな……」
そこでクルリとこちらに振り返る。
「他人の中でも、お前は信頼できる後輩だよ」
ちょっと複雑だけど、それが嬉しい一言に変わりはなかった。
「なら、光栄ですね」
だらしなくも伸びてしまった男を視界の隅に追いやりつつ、縁側に座り込んだ都乃衣先輩は深呼吸する。
「お前、体は大丈夫なのか?」
「まあ、何回か転んだり吹っ飛ばされたりはしましたけど、命に別状はないです」
「ならいいか。外にいるこはるたちもケガはないし、一件落着だな」
「ですね」
若干の緊張を覚えながらも落ち着いて都乃衣先輩と会話を紡ぐ。
これもこれで一難去ってまた一難だな、とか思っていると、ありがたい援軍が来てくれた。
「大丈夫だったんですか?」
先輩の手前、敬語を使いながら現れたのは伊吹である。
「ああ、様子を見に来てくれたのか。こはるたちはどうしてるんだ?」
「えっと、すいません。三人でも平気って言うので置いてきてしまいましたけど……どうも二人のことが心配で」
「それでお前まで巻き込まれたらどうするんだよ」
「……何があったの?」
俺の言葉と、地面に倒れる男とを受けて、当然の疑問を抱く伊吹。
「お前が無理に知ろうとしなくていいことだよ。全部片はついたんだから」
「簡単に言うなら、不審者がいたからそれを撃退したって感じだな」
「なるほど……。なんとなくですけど、状況は飲めてきました」
頷く伊吹を見て、やや自慢げになる。
「僕たちにかかればこんな奴どうってことないですもんね」
「まあ、そうだな。――なあ吉祥、ずっと気になってたことを言ってもいいか」
そこで都乃衣先輩は急に矛先を俺に向けてきた。
「お前さ、その喋り方、どうにかならないのか」
「喋り方ですか? ……と言いますと?」
「なんかナヨナヨしているっていうのかな。もっと男らしくして欲しいんだよな」
男らしく、か……。
都乃衣先輩も難しい要望をしてくるものだ。俺にとって男らしいと言えば、それこそ尊敬の念を抱かずにはいられない都乃衣先輩本人ということになるが。
「じゃ……『おう、都乃衣。さっきは助かったよ』。こんな感じですか?」
「は?」
都乃衣先輩は眉間にしわを寄せ、全身で不快感を露わにした。
「いや、さすがに礼儀はわきまえろよ。ため口をすりゃいいってもんじゃねぇぞ」
恐縮して視線を横に移すと、伊吹が深く頷いていた。
「えっと、じゃあ間をとって……」
なんとかちょうどいい具合の変化はないものか、そう考えて一つの案が思いつく。
「俺はこんな感じでいいですかね……?」
普段はよく使う方の一人称を目上相手に使うことになり、僅かにたどたどしくなる。
「ああ、いいんじゃないか」
都乃衣先輩は俺にしか見えないくらいに、そして今の俺と同じように、たどたどしくも小さく笑った。
その瞬間、ほんの少しだけど、都乃衣先輩との距離が縮まったように感じた。
「あの、ところで話を戻しますけど、彼はどうするんですか?」
話に区切りがついたところで、伊吹が静かに口を挟んだ。
「ああ、そういや忘れたな。どうするかこいつ」
「とりあえずこういうときは、警察でも呼びますか?」
言いながらやはり最初からそうすればよかったかと一瞬思ったが、能力者による被害を広げないためにも、俺たちだけで沈静化させた方が結果的に良い方向に転んだと勝手に納得する。
「だな。そうするか」
それはきっと都乃衣先輩も同じだろう。
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