第41話 幾ら先達相手でも物申さねばならない時はある



 闇が僕の視界を覆っている。


 それもただの闇ではなく、光の強さを表す「カンデラ」がゼロの状態。手のひらを顔の前に持っていくが、輪郭すら捉える事が出来なかった。視覚情報を全く認知出来ない、完全なる闇である。

 夜目には自信のある方だが、これでは周りの把握など無理だ。単なる停電なら動かずジッとするのが正解だろうが……今はそうもいかない。意を決して僕はゆっくりと前へ進む。


 無論、忍び足。音を立てるのはあまりに危険だ。


 呼吸を荒げてはならない。

 生唾を飲んでもならない。

 心音さえも消すつもりでひたすら隠密行動を徹底する。


 頼りにするのは肌感覚、七年磨いてきたセンサーを信じてジリジリと前へ出るが。中々どうして、先に居るであろう「敵」の位置を把握する事が出来なかった。

 相手も相当なやり手である。右手に握る唯一の得物ナイフがここまで心許ないのも久しぶりだ。


 (…………10時方向、5メートル?)


 肌表面というより産毛の先端。ほんの少しだけ反応した……気がする。ほぼ直感なのだがこうゆう感覚は大切にしたい。というか、他に頼れるものが無いのでこれを信じるしかない。

 身体の向きを修正しようとしたその時、


 チリッ。


 (後ろかよ!?)


 突然気配を感じて慌てて膝を落とした。次の瞬間、フォンッと頭上を何かが掠める。

 先程首筋のあった位置、姿勢を低くしなければ確実に当たっていただろう。まさかの背後からの強襲である。


 前傾で片膝をつく無格好を招いてしまった。

 すぐさま反撃をしたかったが体勢が不利くさい。上体を起こす間に二撃目が来る可能性がある。なのでそのままベタリと地面に伏せ、追撃から逃れようとしたのだが……


 ダン! と胴体のわきで鳴る床を叩く激音。

 恐らく相手のスタンピング(踏み付け)だろう。咄嗟に身体を捻らなければ肋骨がイッていた。

 冗談ではない……やっと治ってきた所なのに。ゴロゴロと転がって距離を取り、何とか立ち上がってナイフを構え直す。


 敵は軽々に距離を詰めて来ず、再びすぅと気配を消していた。



 ────後手を取らされている。

 これはちょっと不味いと思った。何とか先に攻撃したい所だが相手の気配遮断が上手すぎる。

 視界皆無なこの状況、先手を許してしまうのは痛手だ。カウンターが出来れば良いのだが、こんな条件下では見極めもクソもない。

 相手も攻撃の瞬間だけは気配を隠せてないので何とか回避は出来るのだが。しかし、当てれば勝ちの「殺し合い」。やはり自分から仕掛けられないのは辛かった。


「…………」


 だからこそ、今はカウンターに集中する。

 正しい選択かはわからないが、下手に先手を取ろうと焦るよりは良いだろう。意識のリソースを「隠密」と「探知」の五分五分から「探知」一本のみに切り替えた。

 呼吸を殺す必要もない、一度大きく深呼吸して気持ちを整える。この僅かな音で居場所はまたバレてしまっただろうが、それで良い。



 ──数拍の間。



 (…………また、後ろ!!)


 探知に集中したお陰で先程より一瞬早く反応が出来た。

 方向は一緒だが今度はさっきと角度が違う。地を這うように低い位置から近づいてきた敵。下から突き上げるような攻撃だった。

 軌道から見て右肩狙いか。ならばと素早く反転しつつ、左肘で弾くようにいなす。イメージ通りなら恐らく相手は体勢を崩す筈。

 初手の時とは違う立場の逆転。ここを狙わない手はない……!


「シッ!」


 右手のナイフを振るうが当たった感触は無い。上体を無理矢理捻って躱したようだが、ちゃんと気配は捉えたままだ。

 続け様に畳み掛ける。大きく振らずコンパクトに。

 1発掠めたが、これでは当てたうちに入らないだろう。相手もまた此方の動きを良く読んでいた。


 だが、慌てた様子の引き気味の回避である。回数が増える度に相手の動きが段々と大きくなっていた。決定的な隙が今にも生まれそうな、勝ち筋が見えたと思えるほどの一方的展開……



 ────この余計な思考が致命的なミスを招く。


 ゴツン。


「!?」


 調子良く振るっていたナイフが何かに当たって止まってしまった。相手ではない、堅くて重みのある障害物。


 (しまった! 壁!!)


 気付いた時にはもう遅かった。

 相手の動きに釣られ、僕の攻撃も無意識に大きくなっていたのだろう。壁にぶつかった時の硬直は殊の外長く。

 それを見逃す敵では無い。


 一閃。

 相手のナイフが僕の急所を正確に捉える。


 頚動脈の位置に焼けるような痛みが走った。

 





「何してんのアンタら」


 背後から声が掛かり、僕は顔に巻いていたタオルを外した。

 振り返ると、部屋の入り口に若干呆れ顔の朱音猫さんが居る。少し前から見ていたようだが、訓練に夢中で気が付かなかった。


「見て分からんかった? 目隠しチャンバラや」


 僕の相手をしていた霧矢さんがそう答える。口振りからして彼は朱音猫さんの存在に気付いていたようで。タオルを外しながら、手に持っているナイフを見えるようにプラプラと振っていた。

 無論ゴム製、訓練用である。切りつけられたら摩擦で痛い程度の安全な奴だ。……やられた首筋は今もかなりヒリヒリしているが。


 そんな僕らの様子を見て、尚も呆れた表情を崩さない朱音猫さん。目隠しチャンバラは流石に分かるけど、と前置きして彼女は述べた。


「YouTube撮影でもしてんのかと思った」

「訓練や訓練。撮んならもっとオモロい企画考えるわ」


 「いや、撮らねーよ」とツッコミを入れた方が良いだろうか。

 この人の場合、どこまで本気なのか分からないので不安になる。彼の考える企画は無茶振りが凄そう。幾ら僕でも付き合うのはごめんだ。君もやる? と誘う霧矢さんに向かって首を横に振る彼女に同意である。

 と、霧矢さんの意識が朱音猫さんに向いていると思っていたら突然此方に振り返った。


「それはそうとキョージー。なんやねんさっきの動きは」


 このまま「なあなあ」な雰囲気で終わると踏んでいたが、そうもいかないらしい。やはり反省会という名のダメ出しは開催されるようで。


「スンマセン」


 取り敢えず謝ってみたが「阿呆う」と返される。


「最後、地形のこと頭から抜けてました」

「そこちゃうわ。自分、途中から『後の先』狙いやったやろ」

「…………あー、不味かったですかね?」

「不味くは無い。でもな、やんならちゃんとやれ」


 そこに関しては結構集中していたつもりだったが。納得し兼ねていると霧矢さんは口をへの字に曲げた。


「俺の攻撃を左肘で捌いたあと、コンマ数秒の間があったやろ。あんなんカウンターとは言わんねん。攻撃もせな」


 躱しだけに集中し過ぎや、と説明する霧矢さん。

 言われてみれば確かに。背中向きだったとはいえ、反撃のタイミングは少しずれていたのかも知れない。それにより追撃に熱が入り過ぎていたのも事実だ。

 結果論だがもう少しやり方を工夫していれば違う結末もあっただろう。


「ええかキョージー。勝負所を間違えたらアカン、そこをミスったら仕舞いや。特に俺らみたいな稼業はな」


 霧矢さんの弁に熱が入る。

 僕も神妙な面持ちで頷いた。


「さて。『トチれば死』が普通の我々やけど、今回は訓練や。幾ら俺でもそんな惨いペナルティを要求するつもりは無い」

「うっす」

「けど約束は約束や。『負けた方が寿司を奢る』……今日はキョージーの払いで出前を取るで」

「…………はい」


 そう言えば、訓練前にそんな話をしてた気がする。てっきり冗談かと思っていたのだが、彼は至って本気だったらしく。早速と言わんばかりにスマホを操作して注文を取ろうとしていた。

 弟弟子に容赦の無い人である。


「特上は勘弁しといたる」

「……まあ良いんですけど、その前に一個だけ聞いていいですか?」

「なんや」

「どうして僕が左肘で捌いたって分かったんです?」


 幾ら気配で分かると言っても限度はある。なのにダメ出し中の霧矢さんはまるで本当に見えていたかのような口振りだった。


「俺くらいになると分かんねん」

「……あと今気付いたんですが、目隠しに使ったタオル。霧矢さんの奴だけめっちゃ薄手に見えるんですけど」

「…………」

「…………」


 おい、目を合わせろ。


「まさかそれ透けるんじゃ……」

「ええかキョージー。俺らの稼業はな、前準備の段階で勝負が8割決まんねん。言うたやろ、勝負所を間違えたらアカンって」


 ……ん成る程。

 大人気ないとはこの事を言うのであろう。うわぁ、と述べてドン引きしている朱音猫さんを見て欲しい。

 2人してジト目で睨んでいると分が悪いと思ったのか、霧矢さんは降参したように両手を上げた。


「しゃあないな、シチサンに負けといたる」

「いやそこは全額出すか、せめて五分五分でしょーが」


 今度は流石にツッコんだ。




--




「ねえ、そろそろこっちの話も良い?」


 どっちがどれだけ寿司代を出すのか。ギャイギャイ言い合っていると、痺れを切らした朱音猫さんが口を挟んだ。

 言われてみれば、彼女がこのトレーニングルーム(として使っていた部屋)に来た理由をまだ聞いていない。まさか遊びに来た訳でもないだろう。

 再戦して白黒ハッキリさせようとしていた僕らの動きが止まった。


「奴らが映ってる映像が見つかったのよ。まず間違いないってさ」



 傷病の犯罪者を利用して、警察と直接繋がる承和上衆を釣る。

 具体方策が決まったのは良いのだが、そもそも実行する前に一つ言及せねばならぬ問いがあった。即ち、「どっちが相手の元へ出向いているのか」についてである。


 移送の手間や警備、そして隠秘性を考えれば犯罪者を彼の地へ送るには面倒事が多い。普通に考えれば承和上衆側から出向いて貰った方が色々都合は良いだろう。

 だが、相手は地元から離れないと有名な引きこもりである。「犯罪者相手にわざわざ出向いて溜まるか」と述べていても不思議ではなかった。

 もしそうなのであれば作戦の難易度は跳ね上がる。というかその場合、普通に潜入するのと変わらないので折角出た案もおじゃんだろう。


 この問いの答えを探るべく、情報トリオには再び頑張って貰っていた。「今度は時間が掛かるかも」と事前に述べていたが、思いの外簡単に証拠が見つかったらしく。勿論、彼らが優秀な事も大きかったのだろう。すんなり確証が得られたのは僥倖である。




「で、これがその映像」


 場所を移動してPCルーム。朱音猫さんが示した画面には監視カメラの記録と思しき映像が映し出されていた。

 どこか駐車場の一角を捉えたものだろう。暫く見ていると、そこに一台のコンパクトカーが滑り込みカメラの前で停車した。


「これが?」


 という霧矢さんの問いにニキさんが頷く。


「半月ほど前の門平かどひら市にある大学病院。ここに特殊詐欺グループの幹部と目されていた男が事故の大怪我で入院していたが……例によって予定より二週間も早く退院している」

「件の"優先権"が使われたっちゅー話やな」


 ほほーんと言いながら、食い入るように"車から出てきた男"を見つめる霧矢さん。男は黒縁眼鏡を掛けたスーツ姿、一見すると普通のサラリーマンにしか見えない。僕も良く見ようとしたのだが、如何せんカメラの角度が悪かった。

 おまけにマスクも着用していたので顔の詳細は分からない。


「映っていた中で特に怪しかったのがこの人物だと?」

「そうだ。コイツは受付もナースステーションも素通りして真っ直ぐ患者の元へと向かっている」


 パッと切り替わった映像は病院内部のものだろう。一階ロビーや奥の廊下などを次々と映し出し、スーツ男の動向をバッチリと追い掛けている。

 ニキさんの説明通り彼は一切立ち止まらず、せかせか奥へと進んでいた。ノンストップに早歩き、そしてとある病室の前まで辿り着く。

 

「この病室に居たのが当時の患者だ。入り口の傍に立っているのは見張りの私服警官。奴は何かを警官に提示した後、扉を開けて少し中を覗き込み……そのままUターンして病院から去っている」

「この一瞬で治したんかぁ」

「恐らくな、この2日後に患者は退院した」


 再び駐車場に切り替わり車が去った所で映像は終了していた。


「……普通に、普通の警察関係者という可能性もあるのでは?」


 ふとして浮かんだ僕の疑問、それに対してニキさんは結構しっかりと首を横に振る。

 まあ確かに、アレが承和上衆以外の人間だとすれば一体何をしに来たって話になるだろう。更にニキさんはPCを操作して、先程とはまた別の映像を流し出した。


「実はもう一件、同じ男が映っている映像が見つかってな。ここにも別件の容疑者が入院していたが、完全に同じ流れだった。男が去った後、患者は早期に退院している」

「確定として見るべきか。……いやー良かった、ちゃんと『巣穴』から出てきとるやん」


 これなら「釣り」は成立するだろう。漸く次のステップに進めると素直に喜ぶ僕と霧矢さんである。


 そんな様子を見ながら、朱音猫さんが呆れたようにボヤいていた。


「……まったく、苦労したわ。監視カメラ映像の保存期間なんて1ヶ月かそこらだし」


 何でも、既に見つけていた事例は一番最近のものでも数ヶ月前の記録だったらしく。今回の映像証拠を見つける為に全て一から洗い直したらしい。

 たった3人による記録と映像の総浚い。「簡単に証拠が見つかった」というのは僕の愚かな思い違いだったようで。

 根気のみでこれだけ短期間に見つけてきた情報トリオには改めて頭が下がる。よくよく見ると彼らの目の下には立派な隈が出来ていた。


「御三方の寿司代は僕と霧矢さんで出しましょう」


 労いの気持ちにそう提案すると「まずは寝かせろ」と述べて部屋から去っていく朱音猫さん。それに倣ってストロボ君も「寝るっす」とだけ言い残して近くのソファに突っ伏した。残ったニキさんも画面を切りながら立ち上がる。


「俺も少し休む、ここから先はお前らの主導で良いんだよな?」


 此方を見ながらそう聞いてきた。それに頷きながら霧矢さんも「お疲れさん」と労いの言葉を述べる。


「助かったわ、お陰で面白い作戦が組めそうや」

「……まあ、自分の仕事をしただけだ」


 そうクールに言い残し、部屋を後にしようとするニキさん。見送っていると、彼は思い出したかのように立ち止まって此方に振り返った。

 もう一つ聞きたい事があったらしい。釣りを実行するにあたり「必要不可欠なモノ」についての質問だった。


「そう言えば"エサ"の準備は出来てるのか?」

「ええ候補見つけといたで。最初はキョージーにしよう思ってたけど……使い捨てんのはちょっと勿体ないし」

 

 なんか今、関西弁野朗がスゲェとんでもない事を抜かした気がする。

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