第28話 回復魔法を使うならばこそ、医学の習得を怠るなかれ



 報告者 芦川佐助

 


 「PX依頼」の遂行時に発生した事件の経緯報告


 発生日時  ◯年8月13日 午前8時30分頃

 発生場所  矢港市総合病院 4F南個室病棟



 概要  


 依頼対象の患者が何者かにより襲撃を受ける事件が発生。本書は居合わせた「KT」の証言に基くものである。


 臨時で派遣されたKTが、患者を狙ったと思われる凶徒二名の襲撃と遭遇。立哨していた私服がこれに対応するが、逆に襲撃者によって拘束された。KTは咄嗟の判断で患者を連れて避難を選択。

 当時自分は別件で現場に居なかった為、事件発生直後にKTから報告を受けてピックアップに向かったが、到着した時には既に患者の姿は見えず。患者はKTの隙を突いてしていた。同じく逃走した襲撃者二名も合わせ警察が行方を追跡中である。

 尚、拘束された私服は解放され軽傷で済んだ模様。


 概要補足  


 本件は普段のPX依頼とは異なり、患者は元々「容疑者」ではなく「被害者」ではないかと推察されていた。先方に確認したところ明確な回答は得られなかったが、8月10〜12日に発生した「薊区連続通り魔事件」の唯一の生存者である可能性が非常に高いと思われる(推察の詳細な理由は下記にて記載※1)。この情報は事前にKTも把握しており、患者の逃走は予期せぬ事態だったと見受けられる。


 経緯


 一:事件発生の前日、8月12日に緊急のPX依頼が届き此れを受領。当月、EMの代理に当てられていたKTが翌13日に矢港市総合病院へ単身で向かい───…………



 ──────

 ────

 ──






 8月12日、19時05分。


「明日の朝一……ですか?」

『────────』

「ええ、大丈夫です。飛び入りで依頼が来るって話は最初から聞いてましたから」

『──────、────────』

「あ、そうですか。なら電車で向かいますよ。矢港市なら確か一本で行けたと思いますし」

『────』

「いやいや、こっちは全然平気です。緊急なら仕方ないですよ」

『────────』

「はい」

『────、──────』

「はい」

『──────』

「了解です、終わったら完了報告入れますね。……ああ、あとエイさんに追加報酬を寄越せって伝えといて下さい」

『──、────』

「ハハっ、はいお疲れ様です」



 トン、とスマホをタップして通話を終了した。

 夕飯時に突然掛かってきた芦川さんからの電話。何事かと思えば、やはり臨時の依頼だった。取り急いで治療して欲しい患者が出たとの事。

 あまりにも急な話だが、こういう事はあると事前にエイさんから聞いていたし、こちとら幾らでも時間に融通の効く立場だ。夏休み中の大学生の自由ひまっぷりを舐めて貰っては困る。


「アッシーから?」


 と、聞いてくる白姉に俺は肯定すべきかどうか迷った。

 確かに名前が「芦川」なのでその渾名は違和感無いっちゃ無いのだが。一方でその呼び方はバブル期に流行ったとされる「アッシー君」なる俗語をも彷彿とさせる。まあ確かに、俺は送り迎えでお世話になっているのである意味間違いでは無い。それだけに俺がアッシー呼ばわりするのは余計に不味かろう。


「芦川さんからね」


 訂正しておいた。

 俺の台詞に夕飯の肉じゃがをもぐもぐと頬張りながら肩を竦める白姉。洒落がウマいと言って欲しかったのだろうか。料理の方は凄くウマいとだけ言っておこう。


 一人暮らしを始めてからというもの、毎日毎日「ザ・男の一品飯」で通してきた我が食卓。だがここ最近はだいぶ様相が変わってきている。白姉が台所を預かるようになったからだ。

 彼女が此処へ来た当初、飯は俺が作るか偶にデリバリーで済ませていた。しかし、数少ないレパートリーのローテが二週目に差し掛かった所で、白姉が「飽きた」と宣言。


 言い草酷え、と思ったものだ。勝手に押し掛けておいて、おまけに食わせて貰っている立場でなんて事抜かすのだと。

 当然文句を言おうとしたのだが、その前に彼女は立ち上がって冷蔵庫の中身を漁り出していた。「だから私が作るわ」と気軽に言ってきたのだった。

 その瞬間の俺の緊張は、分かる人には分かるだろう。

 このシュチュエーション。お約束だと出てくるのはクソ不味いゲテモノか、逆にめちゃ美味いプロ並みの料理。つまり0か100かの究極であろうと。


 天国か地獄、或いは生か死か。俺のそんな心配を他所に料理はあっという間に出来上がり、次々と食卓に並ばれていく。

 恐る恐る食べたそれは、0でも100でも無く200を軽く超える神の品々だった。



「飛び込みの仕事だってさ。芦川さんは別件があるから俺一人で電車で行ってくれって」

「ふーーん? じゃあ明日のプールは?」


 じゃがいもを箸でツンツン突きながらそんな事を聞く白姉。


「そりゃまあ、仕事優先だし当然中止で…………冗談だよ。どうせ朝の内に終わるから問題無いって」


 ガスン、と箸が芋に突き立てられたので慌てて訂正した。怖いから無言でやらないで欲しい。


「あ、そーだ。だったら私が車を借りてくるってのはどう? 現場まで送ってあげる。んで、そのままどっかで飯食って、水着買って、プール直行する感じで」

「白姉がそれで良いなら良いけど……つーかいま免許持ってんの? 財布、実家でしょ」

「免許証ケースは別個にしてんの。偶々ポケットに入ってたわ」


 そのケースにクレカやキャッシュカードは入ってなかったのだろうか。まあ入ってなかったんだろうな、きっと。でなけりゃ此処に来る筈無いのだし。

 ピラピラとケースを振っている白姉を見ながら、そんじゃお願いしますと俺は頭を下げた。



 白姉がこのアパートに押し掛けて来てから約半月以上。なんやかんやで彼女の今のキャラにも幾分か慣れてきていた。

 過去は過去、今は今だ。果たしていつまで此処に居座るつもりなのかは知らないが、居たいのなら好きなだけ居てくれて構わない。そう思えるくらいには気を許せている。

 いやほんと、いつまでかは知らないけど。





 ピロン。


 駄弁りながら食事を続けていると、スマホから再び着信が鳴った。

 今度は電話ではなくメール、また芦川さんからだろう。先程の通話で直ぐに明日の詳細を送ると言っていたから多分それだ。


 「どれどれ……」と内容を見ていくのだが、画面をスクロールする俺の手は直ぐに止まってしまった。



 ────情報量が少ない。いつもであれば患者のデータが事細かに記載されているのだが、今回は必要最低限の事しか書かれていなかった。

 病院へのアクセスと部屋の番号、あとは患者が陥っている症状についてのみ。これで詳細と呼べるのだろうか。個人情報なので扱いに制限があるのかも知れないが、それにしたって何か変だ。


 特にカルテの方。その内容は、腹部に一箇所と両掌に数箇所の穿通性外傷せんつうせいがいしょうと書かれている。穿通、つまり何かが突き刺さったという事だろう。


 腹部の傷は管腔臓器(小腸)にまで達していたそうだ。穴を塞ぐ手術は既に施され、取り敢えず命に別状は無いとの事。しかし今後の経過によっては、腹膜炎に至る可能性もありと。

 そして、患者は意識を取り戻したそうだが「解離性健忘」の疑いがあるらしい。


「……キナ臭さが半端ないんだけど」


 思わず口に出た感想がそれだった。

 銃創だか刺創だかは知らぬが、今回の患者は相当血生臭い事件に関わっている事は間違いないだろう。


「アッシーもなかなかに厄介臭い仕事を引き受けてくるのね」


 いつの間にか白姉も俺の後ろに回ってスマホを覗き込んでいた。見せて良いのかとも一瞬思ったが、一応関係者だし問題はなかろう。もう既に遅いし。


「あの人は依頼を断れる立場でもないんだろうけど……」

「だとしても規約的にどうなのよ。明らかにこの患者、容疑者じゃなくて被害者の方でしょ」

「やっぱそうだよなぁ」


 腕を組んでうーんと唸る。

 白姉の言った通り、普通に考えて今回の患者は犯罪者ではなく、何らかの傷害事件の被害者と見るべきだろう。「掌の数箇所の傷」という明記からも推察できる。抵抗した際の「防御創」と考えるのが自然だった。100パーセントとは言い切れないが。


 いやまあ、別に患者の立場がどうだろうと此方としては構わない。その辺の葛藤はもう済ませた訳だし。寧ろもし被害者なのであれば、それこそ悩む理由は本来無いのだが。

 問題はそこじゃない。


「疑問なのは、何でこんなをわざわざ飛び入りで治す必要があるのかって点ね」


 腹に穴の開いた人間を「軽傷者」と呼んで良いのかはさて置いて。


 白姉の台詞は尤もである。カルテによれば手術は適切に完了しているし、今現在、患者の命は切羽詰まった状況ではない。

 事件性があるので警察からの依頼リストに加わるのは分かるが、普通なら順番の最後に組み込まれる筈だ。メールの情報からはこの患者が他の患者より優先される理由がハッキリしていなかった。

 まあ、でもある程度の予想は出来る。考えられる可能性は二つだろう。


「ひとつはこの患者が依頼主けいさつ、又は社会にとって重要な人物だから優遇されている」

「あり得る話ね。顔も名前もシークレットだし。もう一つは?」


「……この患者を刺した(或いは撃った)犯人が未だ逃走中のパターン。手掛かりが少ないから、一刻も早く被害者から聴取を取りたい」

「ふんふん、成る程。……って、その場合だと依頼主けいさつが本当に治して欲しいのは、怪我じゃなくて健忘の方って事になるわね」


 そういう事になる。

 両掌の傷が本当に防御創であった場合、患者(被害者)が犯人の顔を真正面から見た可能性は極めて高い。もし犯人が未だ捕まっておらず、その正体も掴めていないのであれば、警察としては是非とも患者から犯人の特徴を聞き出したい所だろう。


 だが送られてきたデータには、怪我の他にこう記載されている。「解離性健忘の可能性あり」と。

 解離性健忘、要は記憶喪失である。怪我の容態云々以前に、これでは事情聴取なんて出来よう筈もない。

 

 だからこその承和上衆への依頼。

 記憶喪失の一般的な治療は、支持的環境を整えた長期療法。或いは薬剤を用いて半催眠下に誘導し、質問を繰り返すことで回復を促すやり方だったと思う。いずれも有用効果はあるらしいが、確実性と即効性にはイマイチ欠ける所だ。

 その点、神通力を使えば重度の記憶障害も確実に治せる。外傷の方も同時に治せば、警察は直ぐにでも聴取を取る体勢を整えられるだろう。


 しかし、だ。この推論が正しかった場合、警察はあるひとつの問題を完全に無視している事になる。


「患者の精神はどうでも良いってか」

「あー、承和上衆ウチらってその辺の治療はムリだからねぇ」


 口から勝手に出た言葉に、白姉は頷きながらそう返していた。


 指の逆剥けからステージ4の癌に至るまで「何でも治せる」が謳い文句の神通力。だがその表現には実は少し語弊がある。

 承和上衆の神通力はあらゆる怪我や病気に対応出来るが、それは飽くまで「身体面」に限っての話だ。感情を起因とする「精神面」まではその範疇に入らない。


 「鬱病」を例に挙げた場合。

 その症状には、頭痛や目眩などの「身体症状」と、気分の落ち込みや意欲低下といった「精神症状」の二つに大別される。

 これら全ての症状を持つ鬱病患者に、神通力を施したとしよう。

 回復するのは「身体症状」の方だけだ。身体の負担が減った事により副次的に精神面が楽になるかもしれないが、直接的に神通力が作用している訳ではない。


 その事実を踏まえると、解離性健忘は神通力で迂闊に治してはならない症状の典型だ。

 この健忘は、頭部外傷や薬物使用の副作用などが原因の記憶障害と違い、心因性が大きく関わっている。虐待、レイプ、戦争、災害、対人関係etc……世に蔓延る理不尽に遭遇した時、人は稀にそのストレスから逃れようと本能的に記憶をシャットダウンするケースがある。ある種の自己防衛的反応とも言えよう。


 神通力で解離性健忘を治すという事は、封印したトラウマを無理矢理叩き起こす行為に他ならない。とても健全な治療とは呼べないだろう。


「患者に余計な動揺を与えない為にも、徐々に回復を促すやり方が一番良いんだ。神通力を使うのは、身体の傷だけに留めるべきだと俺は思う」

「記憶喪失は治せても、その直後に降り掛かる精神ダメージは治せないもんね」


 ガシガシと頭を掻いた。

 口では言ってみたものの、じゃあ実行出来るかと問われたら、そこはまた悩むところだ。そもそも前提の想像がまだ正しいと決まった訳ではないので、この考察は取り越し苦労なのかも知れない。よしんば正しかった所で、上の意向をガッツリ逆らう事になるかも知れないし。

 一度、芦川さんに相談をするべきか。彼が事態を何処まで把握しているかは分からないが。


「何であろうと、最終判断はあんたがすれば良いわよ。トップダウンに逆らった所で別に死ぬ訳じゃないしぃ」


 椅子に座り直した白姉はテレビを点けてポチポチとチャンネルを回し出す。

 今の彼女の台詞は妙な説得力があった。ダラけた姿勢で座っているのに何故か貫禄をも感じさせる。流石、伊達に一人でボイコットやってませんってか。



「つーかさ、明日の仕事の現場ってどこだったっけ?」


 チャンネルを止めたと思ったら、テレビを見つめたまま質問してきた。


矢港やこう市の総合病院だけど……」


 俺がそう答えると、顎でテレビを示唆する白姉。

 なんぞ? と見ると、ニュース画面が映し出されていた。キャスターが深刻そうな顔で記事を読み上げており、テロップには「連続犯か、またもあざみ区内で通り魔の被害」と書かれている。一昨日の夜から区内で頻発しているらしい。


「薊区って確か矢港市じゃなかったっけ?」

「……矢港市だった気がするね」


「てか、こんなデカいニュースを二人とも知らなかったってどうなのよ? ここから結構近いじゃん、矢港市」

「バラエティか野球中継しか観ないもんなぁ、俺ら」



 ニュースによると犯人は逃走中。

 既に五人の犠牲者が出ているらしい。

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