神通力は人を救うが同時に世界を掻き乱す

梅しば

序章

第1話 死にそうになる三時間ほど前の話




 直感で理解していた。



 俺は今、分水嶺に立たされているのだと。


 それも生半可なものではなく、選択次第で「生きる」か「死ぬ」かの瀬戸際に追い込まれるやつだと言って良い。


 無論、俺が望むは「生きる」の一択。


 当然だろう。こちとら、楽しいキャンパスライフを送っているだけの唯の学生だ。悲劇モノの主人公じゃあるまいし、死を選ぶほどの悲壮なんて元々抱えちゃいない。


「死ぬ」を選択するなど甚だあり得なかった。

 その上、選択すべき「生きる」の方法は、阿呆でも理解できるほど非常に分かりやすいものである。



 一歩だ。


 俺が今、立っているこの場所から一歩分だけ身体を前に出す。


 たったそれだけ。


 それだけで間違いなく死の運命から逃れることが出来る。


 猿でも可能な簡単な生還方法。


 迷いなんぞは最初から無い。


 ぐだぐだと御託を並べず、さっさとその一歩を踏み出せばいいんだ。




 ──っただ一歩、前に進みたいだけなのに……!




「ちっくしょう……! 離しやがれ……!!」


 背後から俺に組み付いている人物。こいつがその選択を邪魔していた。そのせいで、俺は十字架に磔られたキリストの如く、全く身動きが取れずにいる。

 さっきからなんとか逃れようと必死で踠いてはいるのだが、相手の力が馬鹿みたいに強くて拘束からは全然抜け出せそうにない。まるで万力で固定されてる気分だった。


 ギギギ……と首だけはどうにか回して相手の顔を必死に睨む。だがその男は、こちらの視線に気付いてもニヤリと口角を吊り上げるだけだった。


 気持ち悪いからやめて欲しい。生憎とこっちは男から抱きつかれたり、ニヤつかれたりして喜ぶ趣味は無いんだ。


 いや、いいからマジで離れろコイツ。



 しかし情けないことに、腕を振り回し足をバタつかせる決死の抵抗も、この男の前では全くの無意味らしい。どうやらこの場で絞め殺すつもりではないようだが、無情にも時間だけは刻々と過ぎてゆく。


 助けを求めて声を上げるも、そばにいるのは小さな女の子が一人だけ。それも状況が解っていないのか、ポカンと口を開けて俺と男の揉み合いを眺めているだけだった。


 これはまずい。このまま時間が過ぎてしまえば、たとえ此処で絞め殺されなくても確実に死が待っている。分水嶺は今、この瞬間なのだ。

 実感した恐怖に全身からブワリと汗が湧いた。


 ──嗚呼、どうしてこうなったんだ……


 ついさっきまで仲間と楽しく酒を飲んでいた筈なのに。


 平穏な日常を謳歌していた筈なのに。


 縋るように前方を見ると、それは美しい夜景が遠方の彼方まで広がっていた。





--





 サークルの飲み会から話は始まる。



「私、スポーツカメラマンになりたいんですよね」


 俺の対面に座った女の子、片岡直奈かたおかすぐなは着いた早々にそう切り出した。


 片岡は敬語で話しかけてくるのだが、俺は彼女の先輩ではない。普通に同い年で大学の同期だ。

 では何故敬語なのかというと、この子が俺に対して隔意があるから他人行儀をしてる……というのでは勿論ない。


 彼女は誰にでも、それこそ親しい間柄でも敬語を使うという珍しいタイプなのだ。家族や後輩相手にも普通に敬語を使っているらしい。


 片岡と出会ったのは昨年の四月、大学の写真サークルに入部した時だった。……ぶっちゃけ、当時は絡みにくい奴だなぁと思ったものである。

 なにせ第一印象が、タメ相手にタメ語を使わぬ「堅い女」だ。たとえ友達を選ぶ人種で無くとも、少し遠巻きにしたいと思った所でそれは仕方ないと言えよう。

 しかし慣れとは恐ろしいもので、知り合って一年以上も経てば違和感を感じなくなるらしい。今じゃ普通に話せる間柄だ。

 確かに話し方に堅さはあるし、おまけに表情も滅多に変わらないのだが、別に会話のノリが悪いという訳ではない。

 何気に友人も多いみたいだし、妙な人徳を持っている奴である。


 とはいえ一応、声は掛けておく。最早お決まりのやり取りになっているので、片岡と話す時の挨拶みたいなものだ。


「片岡、一応同期なんだしタメ語で……」

「癖です」


 間髪を入れずにそう返された。相変わらずの鉄面皮。

 当初はその言葉や表情を柔らかくさせようと、サークルの仲間とあの手この手を画策したものだ。

 具体的には渾身の一発ネタを披露したり、不意の変顔で攻めてみたりと……まぁ色々やった。しかし我らの猛攻虚しく、結局そのポーカーフェイスは未だ健在である。

 サークル内では、最早そういうキャラとして定着していた。だが俺としては、いつかは「か、勘違いしないでよね!」ぐらいの台詞を吐かしてやりたい。無論、照れ顔でだ。美人だから絶対映えるだろう。



「それにしても、スポーツカメラマンってなんか意外だな。片岡ってスポーツにも興味あったんだ?」


 一応挨拶(?)も済んだので、彼女が最初に言ったことに触れてみる。スポーツカメラマンになりたい……奴はそう口にしたのだ。俺からしたらすごく意外だった。


 確かに片岡が新聞社か出版社に就職したいという話はいつかの会話で聞いたことがあったし、彼女が写真サークルで使っているカメラはかなり高価そうな一眼レフだ。レンズも複数揃えてるらしい。

 なんとなくプロカメラマンを目指しているんだろうと思ってはいたが、スポーツとは予想外だった。キャラ的には報道系と言われた方がまだしっくりくる。


「言ってませんでしたっけ? 私、高校は陸上部でしたよ。ハードルで県大くらいまでは行きました」

「……マジか、全然体育会系には見えないんだけど」

「多分、戸塚くんの三倍は脚速いです」

「車かお前は」


 偶にこんなワザとか天然かわからないボケを入れてくる時もあるのだが、そういうところも彼女が好かれる理由のひとつなんだろう。

 因みに戸塚とは俺の名前だ。


「観るのは陸上より球技の方が好きなんですけどね。よく一人で観戦にも行くんですよ? そこで撮る練習もしてるんです」


 どうやら本当にスポーツが好きらしい。でなければ、普通一人で生観戦になんか行かないし、撮る練習をしているというのもプロを目指す彼女の本気度が伺える。

 スポーツの撮影はブツ撮りやポートレートと違って取り直しが不可能だ。その上、ほとんどのスポーツは人やボール等が高速で動いているから、ベストなシャッターシーンなんてコンマ1秒の世界だろう。動く被写体を捉える為に、プロも最初はひたすら練習するのだと聞いたことがある。


「ふーん、片岡って結構アクティブだったんだな……野球? サッカー?」

「色々ですね。野球やサッカーもですけど、後はバスケ、バレー、ラグビー、セパタクロー、フロアボール、キンボール、チュックボール、コーフボール、タスポニー……」

「待て待て待てい」


 アクティブ過ぎる。数が多いし、途中からは聞いたことないマイナースポーツばっかじゃねーか。


「ベンチャースポーツは試合だけじゃなくて体験会とかも開かれてるんです。布教の為に。試合中のプロの真剣な表情も良いんですけど、こういう体験会だと皆んな笑顔でプレーするんですよね」


 片岡曰く、良いスナップが撮れるらしい。息抜きにもなるんだとか。

 それにしても、さっきから片岡の意外な一面が意外過ぎる。俺の中で彼女のイメージががらりと変わりそうだった。

 というか、一年以上の交流があって今までそんな面白いネタを黙ってたのか、此奴。


「その体験会って片岡も参加することあんの?」

「基本撮るだけですよ、いつも撮影は一人で行ってますから。ああいうのって誰か知り合いと一緒にじゃないと……」

「ああ、確かに」


 一人だと参加しにくいよね。


「あ、でも一個だけどうしても参加したくて、友達誘って行ったやつあります」

「へぇ、なんてスポーツ?」

「ク⚪︎ディッチです」


 どうせ知らない競技名が出ると思ったが、なんか聞いた事あるやつだった。


「……それってアレか? ハ◯ポタの」

「ご存知でしたか、それを再現したやつです」

「いやいやいや、再現は無理でしょアレは」

「流石に箒で空を飛ぶのは無理ですからね、普通に地面を走ってプレーします。イメージとしては、箒に跨ってプレーするラグビーって感じですかね」

「箒には跨るんだ……」

「ク⚪︎ディッチですからね、箒はいるでしょう」


 写真見ます? と言って片岡は大型のタブレットを取り出しトストスと操作し始めた。どうやらそこに今まで撮った写真が収められているようだ。


 その時は参加者が多かったらしい。多数のチームが組まれたので、自分達が休憩の時に他チームの試合を撮影出来たそうだ。まあ確かに気になるので見せてもらうことにする。


 映し出されたそれは、ゼッケンをつけた複数の男女がボールを追いかけている写真だ。

 パッと見た感じ普通のスポーツ風景の写真なのだが、よくよく見ると選手全員が箒に跨っている。

 片手は常に箒を支える必要があるようなので、ボールをキャッチするにも投げるにも、空いたもう片方の手でしか出来ないようだ。意外と難しそうな競技である。

 それにしてもやはり……


「シュールだなぁ」

「結構楽しかったですよ? それに白熱もしました」


 やはり俺からしたら珍妙な光景にしか見えなかった。


 しかし、片岡が言っていた良いスナップになるというのは本当らしい。

 スクリーンをスライドしていくと参加者達のアップの写真もあったが、確かに皆良い笑顔で撮られていた。


「良い写真だな、プロが撮ったみたいだ」



 一応俺も写真サークルに入ってはいるけど、それほど積極的に活動してるわけじゃない。

 入った切っ掛けも大学通う為に田舎から越して来て、周りに友達がいなかったからだ。コンパをよくやるという話を聞いて、友人作りのきっかけになると思って飛びついた。


 だからほぼ素人目線なので月並みな感想しか言えないが、それでも片岡の撮った写真が上手いのはよくわかった。俺だったら激しく動いている人間をこんなに上手くは撮れない。


 タブレットの中の写真は、競技によってフォルダ分けされているらしい。片岡に許可を貰って他の写真も見せてもらっていると、近くに座っていた他のサークルメンバー達も興味を持ったのか「見せてー」と言ってきた。



 今俺達がいる場所は、大学から程近い所にあるチェーンの居酒屋店だ。

 勧誘時の誘い文句に違わず、我がサークルはだいたい月一のペースで飲み会が開かれている。参加は自由なので集まる人数は毎回ばらばらで、今日は10名程といつもより少ない方だ。


 この飲み会の費用はもちろん割り勘で賄われるのだが、一つの独自ルールがある。

 それは、その月に結果が発表されたフォトコンテストに入賞者がいれば、その人は支払いが免除されるというものだ。

 昨今のフォトコンは全国の企業や自治体が多数企画していて、毎月のように何処かしらの団体が公募をかけている。参加資格は殆ど必要ないので俺達みたいな一般人にも投稿が可能だ。

 入賞すれば高額賞金や景品の出るコンテストも結構多い。それもあってか、うちのサークルのメンバーたちも積極的に参加している。決して名前だけの飲みサーではないのだ。


 何故いきなりこんな説明をしているかというと、この度とあるフォトコンに投稿し、見事大賞に輝いた奴がいるからだ。そいつは公約通りに今日の会費を免除され、タダ酒に美味しくありついている。


 俺だ。


 ほぼほぼ素人、カメラもスマホ。何気なく撮った風景写真が、どう審査員の琴線に触れて評価されたのかは全くの謎だった。

 完全にラッキーパンチのようなものなので真剣に参加して落ちた人には申し訳ないが、こういうこともあるのだろう。貰えるものは有り難く頂戴することにする。

 心なしかいつもよりビールが美味い。


 そんな風に楽しんでいた俺だが、対面からじぃと視線を感じて飲んでいる手を一旦止めた。

 誰かといえばもちろん片岡である。


「大賞、おめでとうございます。私は今回、全く擦りもしませんでした」


 賛辞を貰ったはずなのに急に居心地が悪くなった。

 表情は相変わらず読めなかったが今の皮肉(多分)から察するに、適当にやった俺が受賞して自分が落選したことに若干の不満があるらしい。

 気持ちはわからんでもないが、こういうのも時の運だ。酒と一緒に飲み込んで欲しい。

 とはいえ一応俺からもフォローを入れてみる。


「今回のやつはテーマが風景写真だったからなぁ、片岡は人物スナップが得意だから専門違いだろ? 俺のが通ったのは偶々だって……」


 そこまで言ってからはたと気づく。

 ……もしかしてコイツ、最初からそれが言いたかったのではなかろうか。

 スポーツカメラマンを目指していると突然言い出したのは、今回の自分は単に門外漢だったからと暗に伝えたかったからなのか? だから今回は入選を逃したのだと。

 だとしたら周りくど過ぎるわ。


「勘違いしないでください、そんなことで不満に思ってるとか無いですからね?」


 勘違いらしい。どうやら俺の思考が顔に出ていたようで、それを読んだ彼女はすぐに否定してきた。俺の独り合点……他人からの称賛は素直に受け取るべきであった。


 それにしても今のは結構惜しい。「勘違いしないでよね!」に近い台詞を頂けたのだが、いかんせん肝心の表情と口調がいつものままだったのだ。

 もっとこうコロコロと表情を変えて欲しい。

 隣でケラケラ笑ってる雛川先輩を見習え。この人は一日で喜怒哀楽、全ての顔を作るぞ。


「そうだ、今度面白そうなマイナースポーツの体験会があったら俺にも教えてくれよ。話を聞いてたら参加してみたくなった」


 取り敢えず話を変える為にそうお願いしてみる。この際、絵面が多少シュールでもやってみたら意外と楽しいのかもしれない。他のサークルメンバーを誘ってみるのも良いだろう。


「ああ、いいですね。丁度、戸塚くんにオススメしたいスポーツあったんです。残念ながら日本ではまだやってる所がなくて、参加するなら海外に行く必要がありますけど」


 海外? 流石にそこまでのスケールで考えて無いんだが……


「アルティメットテーザーボールと言いまして、スタンガンで相手を攻撃して良い集団球技です」

「やっぱちょっと不満あったんだよな? そうだよな?」

「大丈夫です、スタンガンは競技用に電圧下げていますから」


 違うぞ片岡、そうじゃない。

 相変わらず表情が読めないから、彼女が本気か冗談なのか分からなかった。

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