同じ夢を見られたら

 今日は日曜日。

 タマは休みで、ミケは仕事。


 いつも、仕事が休みの時には朝ごはんを用意してくれるミケのために、タマは早起きをする予定だった。車通勤のミケのために、片手で食べられる朝ごはんを用意してあげようと計画したのだ。

 気持ちだけはじゅうぶんにあったと思うのだけど、結局、ミケが先に起きてお湯を沸かす物音で目を覚ました。

 タマが自分のベッドから降りて、キッチンに出ていくと、ミケは「寝てていいよ」と声をかけた。

「コーヒーだけ、淹れさせて。」

 青白い顔のタマが、眠さをこらえて棒立ちになっている様子が、おかしかった。

 ミケは、タマのふんわりと寝ぐせのついたベリーショートの髪と華奢な体にまとったパジャマがいとおしく感じられた。

 濃紺の綿で包まれた肩と、髪の毛が逆立った後頭部を優しく抱き寄せて、

「ありがとう。じゃあ、顔を洗ってくるね。」

 と洗面所に去った。


 メイクと髪のセットを終えたミケが洗面所を出ると、コーヒーの香りがした。

 ふたりのベッドの間にあるローテーブルにマグカップを二つ並べて、タマが床に座っている。マグカップの取っ手を握ったまま、ベッドにもたれて眠っていた。

 ミケはタマの正面に座って、コーヒーを口にした。ミケには、コーヒーの味はよく分からないけれど、タマにいれてもらうコーヒーは、なぜだか、おいしく感じる。

 一口飲んで、マグカップをテーブルに置いたとき、カップとテーブルがぶつかる音で、タマが目を覚ました。

 タマは、目を覚まそうと頭をぶるぶると振って、

「何か、しておいてほしいことはある?」

 と尋ねた。

「家の中のことは特に……。そうだ、タマの髪の毛を染めたいの。」

 タマは、急に思い立って髪を切ってベリーショートにしてしまったのだけど、カラーをするほどの時間はなかった。そのため、短い髪の半分は茶色くて、根本の半分は黒いままであった。

「じゃあ、髪を染めるやつを買っておくよ。」

「うん。なるべく早く帰ってきて染めてあげる。」

 ミケは立ち上がると、素早く着替えた。いつものデニムに平らな小尻を収めて、ライムグリーンのカーディガンに袖を通した。

 マグカップのコーヒーはタンブラーに移して手に持ち、玄関に向かった。

「楽しみができちゃった。」

 とミケはご機嫌である。ハイカットのスニーカーを履き終えて立ち上がったミケが振り返るのをタマは待っていた。両側の壁で体を支えながら、首を伸ばして、ミケの頬に不意打ちでキスをした。

「めずらしいね。」

 ミケは、目を見開いて、頬を片手で押さえた。

「すぐに帰ってくるね。行ってきます。」

 と大きく手を振りながら出かけた。


 ミケを見送ったあとは、タマは一直線に自分のベッドに戻った。布団をきちんとかぶることもままならずに眠ってしまった。

 深い眠りの合間に、タマは夢を見た。

 タマは夢の中で猫になっている。まどろむ場所は、ミケの膝の上だ。細いのに柔らかな太ももの上で、子猫になって眠ろうとしている。

 ミケの優しい手が、タマの毛を撫でる。ごろごろと喉を鳴らして、それに応えると、ミケは嬉しそうに撫で続けてくれる。その手が、急に撫でるのをやめてしまった。

 薄く目を開けたとき、タマは硬い床に落とされてしまった。

 ミケが立ち上がって去ろうとしている。

「にゃあ、にゃあ。」

 行かないで、と言いたいのに、人の言葉が話せない。

「にゃあ、にゃあ。」

 ミケは、こちらを振り返って言った。

「だって、タマの髪は、もう、セットしてあげられないから。」

 カーディガンの裾の細かいフリルがぶるぶる震える。

 行かないで。


 目を覚ました時、暑くもないのに大量の汗をかいていた。

 ベッドの上に起き上がって、冷めたコーヒーをごくごく飲んだ。

 パジャマを脱ぎ捨てて、シャワーを浴びながら、髪を切ってしまったことを悔やんだ。ミケが、タマの髪をセットすることをどんなに楽しんでいたかタマはよく知っていた。タマも、ミケの優しい手で髪を触られるのは好きだったのに……。


 タマは、今日はさぼろうと思っていたメイクも、部屋着で過ごそうと思っていた服も、考えることにした。ベリーショートに似合うメイクと服を仕上げる努力をしたら、出かけるまでに1時間が過ぎていた。

 ドラッグストアでヘアカラーを買って、少し歩いた。駅まで行くと、本屋がある。本屋の雑誌コーナーにあるヘアアレンジのムックを手に取り、それを買った。

 そのまま駅のファストフード店に入り、本を開いた。

 タマの髪の長さでできるヘアアレンジをいくつか調べると、駅を離れて、再び先程のドラッグストアへ戻った。


 家に帰ったタマは、ベランダの鉢植えたちに水をやり、雑草を抜いた。床を掃除し、明日捨てるごみをまとめて、ミケの帰りを待った。

 階段を上るかすかな足音が聞こえて、タマは玄関の方を見た。

 ガチャッと鍵を回す音がした時には、タマは玄関まで迎え出ていた。

「おかえりなさい。」

 ミケは驚いていた。でも、微笑んで

「ただいま。待っていてくれてたんだね。」

 と空いている方の手をタマの頭に伸ばして、優しく撫でた。

 ミケは、目を閉じてその感触を味わった。

「あのね、髪をそめるやつ、買ってきたよ。」

「それじゃあ、さっそく染めましょう。」

「それとね……、来て来て。」

 タマは、ミケが靴を脱ぐのをせかした。

 ミケの足が靴から離れた瞬間に、タマはミケの手を引いてローテーブルの方へ。

「なあに。」

 テーブルの上には、ヘアカラーと、ショートヘア専用のヘアアレンジの本と、数種類のスタイリング剤などが用意されていた。

「私の髪を、もういちどセットしてください。」

 タマは、ミケにお願いをした。真剣な顔でミケに向き合って。

 ミケは笑いながらタマに抱きついて、そのまま、タマのベッドに倒れこんだ。

「もちろんだよー。」

 タマの短いふわふわの髪をかき混ぜて、頬に何度も唇を付けた。

 はしゃぐミケの腕の中で、タマは恥ずかしくて動けなくなっていた。

 夢の中の子猫に戻って、今こそ喉を鳴らしたいと思いながら。

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