第19話 イエローバク

 キング・クルーガー・ザ・キッドのステージが終わっても、体中を駆け巡る熱い熱気は冷めなかった。

「すごかった」

 僕は鼻息荒く一人気炎を上げる。僕も気付けばキング・クルーガー・ザ・キッドの大ファンになっていた。

「う~ん、すごかった」

 僕はあらためてうねった。

 そこに次のバンドがステージ上に出てきた。カジュアルな格好をした二十歳過ぎくらいの青年という感じのメンバー構成のバンドだった。しかし、彼らはもう完全にビビっていた。出て来てしまってすいません感までが漂っている。キング・クルーガー・ザ・キッドの後では、どんなバンドも出にくい。その運の悪さを顔面いっぱいに湛え、そして、演奏が始まる。

「・・・」

 僕は体を硬直させ見つめるしかなかった。それはアマチュアバンドの中でもさらに素人感丸出しレベルのバンドだった。本来それは、このレベルのイベントでは許されるレベルのものだったのだが、しかし、キング・クルーガー・ザ・キッドの演奏の後では、それはあまりにひどく見えた。

「・・・」

 会場が何とも言えない、いたたまれない空気になる。キング・クルーガー・ザ・キッドの演奏の後の空気の冷え方は、あまりに残酷だった。別に彼らは何も悪くはないのだが、冷たい視線と空気が会場を包み、演奏するバンドに無言の圧力を加える。それに対して、見ていてかわいそうになるくらい、バンドのメンバーは萎縮し、動揺していた。

「・・・」

 僕は音楽の持つ残酷なもう一つの側面を見た気がした。

「まっ、こんなもんね」

 さっきまで、ステージ前で熱狂していた涼美は、最前列の椅子にどかりと座り込み、偉そうに足を組み言う。

「令さん以外はみんなクソだわ。それだけのことよ」

 涼美が容赦なく言い放つ。それにしても今日も涼美のスカートはやたらと短い。

「お兄ちゃんのエッチぃー」

 千亜がそんな僕の視線を目ざとく見つける。

「ち、違う」

 しかし、千亜の僕を見る目は完全に蔑みの目だった。

「お、俺はだなぁ・・」

「いいのよ。男なんてみんなそんなもんだから」

 涼美は落ち着き払って言う。

「涼美おねえちゃんかっこいい」

 千亜は、涼美に尊敬の目を向ける。

「うううっ」

 最近、千亜は涼美をどこか尊崇しているふしがある。

「しかし、俺たちはキング・クルーガー・ザ・キッドになれるのだろうか・・」

 今目の前に繰り広げられている、惨憺たるバンドの姿が明日の自分と重なって仕方がない。

「大丈夫よ、あたしがいるんだから」

 涼美は言い切った。

「・・・💧 」

 なぜそこまで自分に自信がもてる。確かに美人だが、そこまでの自信はどこからくる。僕はマジマジとそんな涼美の横顔を見つめる。

「・・・」

 まったく自己肯定感のない僕には、涼美の精神構造はまったく理解できなかった。

 そして、誰しもが耐えがたきを耐えた重苦しい空気の中、痛々しいお通夜のようなバンド演奏は終わった。やっていた本人たちが一番ほっとしているようだった。表情でそれが分かる。バンドメンバーは逃げるようにステージから消えて行った。  

 と、突然、急にまた会場全体に活気が湧き上がり、人がステージ前に集まりだした。そして、さっきのキング・クルーガー・ザ・キッドとはまた違う何か異様な興奮が辺りを包む。

 そこへ、ステージにまた次のバンドが上がってきた。それは女の子だった。

「あっ」

 ステージに上がったのは、あのスタジオで見かけた女の子たちだった。

「どうしたのお兄ちゃん、イエローバク知ってるの」

「イエローバク?」

 僕は千亜を見る。

「そう、最近めっちゃ人気あるんだよ」

「イエローバク・・っていうのか・・」

 僕の目は再びステージ上の女の子たちにいく。そして、くぎ付けになった。高校生なのにもうすでにファンがいて、ステージ前にはキャーキャーと騒ぐ人だかりができている。

「みなさんこんにちわ」

 華やかな女の子たちの中でさらにカラフルな格好をした、頭にカラーヘアピンをいっぱいつけ、原色のキャミソールにミニスカート、左右色違いの派手派手なニーソックス、そして、いっぱい色鮮やかなシールを貼った真っ白いテレキャスターを首からぶら下げた子が、中央マイクの前に立ち、ちょっと照れながら明るくあいさつする。

「やっぱりあの子が・・」

 あのスタジオで目の合った、女の子たちの中で一際華やかな顔立ちの子だった。彼女が、やはりボーカルだったのか・・。

「みなさん今日は楽しんでいってください」

 その子が、もう人間の持つ穢れなんてどこの国のおとぎ話ってくらいの純度百パーセントの笑顔で言う。そのちょっとはにかんだ感じが、またかわいく、その何とも堪らないかわいさに、その場にいた男子たちは全て、魔法にかかったみたいに一瞬で魅了されてしまった。

「・・・」 

 僕も、彼女の発する生命の起源のようなかわいさに完全に魅入られていた。

「ふん、ガキね」

 隣りで涼美が妬まし気に言う。だが、僕はそんな涼美を無視して、ステージを見続けた。

 彼女たちのそのステージは正に輝いていた。メンバー全員、明るい原色のキャミソールにタンクトップにミニスカートという軽装に、惜しげもなく露出された若い輝く肌。じっと見つめているのが恥ずかしくなるほど、それは若さに輝いていた。若さとかわいらしさと、明るくポップなロックと、そこには、光り輝く青春そのものがあった。

 しかも、ただかわいいだけではなかった。演奏も高校生の文化祭レベルではない、しっかりしたものがあった。それぞれ何か小さい時から何かしら音楽をやって来た子たちなのだろう。演奏やリズムが、素人ではないしっかりしたものがあった。

 そして、ボーカルの子のその歌声が、さらに聴衆を魅了する。澄んだ中に、腹の底からうねるような、ジャニス・ジョプリンの歌声ような迫力と深み、音圧、そして、その場の空気全てを癒しに変えてしまう独特の揺らぎ。その歌声だけで、人を魅了する魔法のような何かがあった。バックの演奏が無くても、彼女の歌声だけで、十分ごはんがお腹いっぱい食べられた。

「・・・」

 僕は、その輝くステージに完全に心奪われ、見惚れてしまった。

「口空いてるわよ」

 隣りで涼美が睨むように言った。

「わ、分かってるよ」

 僕はあわてて口を閉じた。そして、一秒でも見逃すまいと再び彼女たちを見た。

「・・・」

 いや、彼女を見ていた。ステージ中央に立ち、スポットライトを一身に浴び、光り輝く彼女たちの中で、さらに輝いているあの子を・・。

「売れるよ。彼女たち」

 どこかからそんな声が聞こえてきた。僕もそう思った。彼女たちには、他にはない圧倒的な魅力とアイドル性があった。


「・・・」

 その帰り道、僕は複雑な気持ちでいた。

「僕は、あのステージに立とうとしているのか・・」

 イベントが終わり、熱が少し冷めてくると、自分が、裸でチョモランマに登ろうとしている無謀な大馬鹿野郎のように思えてきて、なんだか不安になってきた。

「お兄ちゃん、びびったんでしょ」

 千亜がそんな僕の顔を横から覗き込んでくる。

「び、ビビってねぇよ」

 思いっきりビビっていた。これからの自分の立つステージに、立とうとしている舞台に、完全にビビっていた。

「んー?」

 千亜は、にまーっとなんとも不敵な笑みを浮かべて僕の顔を覗き込んで来る。

「うううっ」

 完全に見抜かれている。だてに十年以上兄妹をやっているわけではない。後ろの荷台に乗っかったマチは、何を考えているのか一人黙って、自転車の荷台で揺れている。

 それにしても・・。

「それにしても・・、僕みたいな引きこもりで、対人恐怖症で上がり症の人間がバンドなどやっていいのだろうか・・」

 暮れ始める夕陽の下、僕は一人不安に悩まされていた。

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