第18話 キング・クルーガー・ザ・キッド令
「お兄ちゃん、はい」
突然、千亜が僕にチラシを差し出す。
「ん?なんだよこれ」
「カノラホールで、アマチュアバンドのイベントがあるんだって」
それはイベントのチラシだった。
「へぇ~、なるほど、あっ、今日だ」
日付は今日になっている。そう言えば今日は日曜日だった。何もしていないと曜日の感覚がなくなる。
「見に行ってみれば」
「うん、そうだな」
昼飯を食い終わったけだるい昼下がり、暇ではあった。開始時間も丁度午後からだった。
「よし行くか」
「私も行くわ」
部屋の片隅で相変わらず難しい本を読んでいたマチが言った。
「マチが行くなら私も行く」
千亜も言う。
「・・・」
小さい時はよく僕の後ろを意味もなくついて回ってきたものだったが、思春期に入る頃から、千亜が僕と一緒にどこかへ行きたいなどとは、ついぞ言ったためしがない。僕と一緒に歩いているところを見られるのを嫌う素振りすらする。
「じゃあ、三人で行くか」
僕は複雑な気持ちで言った。
僕の後ろにマチを乗せ、千亜と二台の自転車で、えっちらおっちら三十分ほど走り、市役所隣りのカノラホールに辿り着く。人口三万人に満たないこの田舎町には完全に過分な、世界最高水準の立派な音楽ホール。維持費だけで赤字を垂れ流しまくるという、バブル期の無駄な公共事業で作ってしまったこの町の負の遺産だ。そのことを穴埋めするためのイベントなのか、市が主催のイベントで入場は無料だった。
「おおっ」
中に入ると、すでにバンド演奏は始まっていた。一種独特の人の集まる高揚した雰囲気が、僕を怯ませる。こういうとこが、引きこもりとしては一番怖い。
「結構本格的だな」
意外と、田舎のアマチュアバンドイベントにしてはしっかりしている。しかし、出ているバンドはやはり田舎のアマチュアバンド。高校の文化祭に毛の生えたようなレベルだった。
「まっ、こんなもんだよな」
僕は少し安心する。
「あっ、涼美」
ふとステージ前を見ると、涼美がいた。
「何してんの」
僕たちはステージ前に立つ涼美のところへ行き、声をかける。
「あっ」
涼美もこちらを発見する、
「あっ、じゃないよ」
「何であんたがいるのよ」
「何でって、いいだろいても」
相変わらずいきなり失礼な奴だ。
「っていうかなんでお前がいるんだよ」
「キング・クルーガー・ザ・キッドが出るのよ」
「は?キング・クルーガー・ザ・キッド?」
「お兄ちゃん知らないの。めっちゃ有名だよ」
千亜が言う。
「そう言えば・・」
確かに僕も聞いたことがある。地元で今かなり有名なバンドだ。確か、ボーカルの令とかいう人が・・。
「きゃ~、令さ~ん」
その時、涼美が突然、ステージに向かって激しく手を振りながら叫び出した。僕はいきなりでめっちゃびっくりした。すると、それと同時に一気に会場全体から女の嬌声にも似た歓声が上がる。それはものすごいエネルギー量だった。このエネルギーで発電したら、日本の一年分くらいの電気がまかなえるのではないかと思わせるほどの凄まじさだった。
「あれがキング・クルーガー・ザ・キッド・・」
ステージを見ると、細身の男が四人演奏準備に入っていた。
「きゃ~」
隣りの涼美はテンションが上がりまくっている。
「お前、案外ミーハーなんだな・・💧 」
涼美の興奮振りに、若干僕も引く。
「令さ~ん」
涼美は、壊れるんじゃないかってくらい興奮している。
「そんなにカッコいいのか。どうせ顔だけ軽薄男だろ」
僕もステージの中央に立つ令という人を見る。
「おおっ」
かっこよかった。確かにかっこよかった。男の僕が見てもかっこよかった。何か惹き込まれる強いカリスマ性というかオーラというか、独特の人を惹き込む雰囲気があった。その辺の顔の良いだけの軽い感じではない。男らしさと強さ、そして、独特の悪と影りがあった。
「かっこいい」
千亜とマチも、見た瞬間にボーカルの令に、一気に惹きこまれていた。
「でも、なんでそんな有名なバンドがこんなアマチュアイベントに?」
僕は首を傾げる。しかし、女三人はステージに立つ令に完全に入り込んでいて、もはや僕など完全に見えていない。
準備が整い、マイクスタンドの前に立ったボーカルの令が、その長いストレートの髪をかき上げる。
「きゃ~」
もうそれだけで、女たちの歓声は地を揺るがすほどの大きさになる。
「う、うるせぇ~」
僕は思わず耳をふさぐ。
「こんちわ。今日もいきます。よろしく」
令が独特の言い回しで軽くあいさつすると、そして、いきなり演奏は始まった。
「おおっ」
いきなり出だしの一発目の音が、ガツ~ンと胸の奥を叩きつける。その圧倒的迫力で、僕の意識はもうキング・クルーガー・ザ・キッドにくぎ付けになっていた。僕はその最初の一瞬で心を持っていかれていた。
そして、令が歌い始める。その歌声に、みんな痺れるような感動を背筋に感じ、ぞくぞくさせる。低く陰りのあるそれでいてどこか純粋に澄んだ声。冷徹で、でもどこかに大きな温かさを持った歌い方。全てがカッコよかった。
「すごい」
心の底から、腹の底から何か熱いものが込み上げてくる。
「すごい」
僕は興奮し、手に汗を握っていた。アドレナリンとかエンドルフィンとか、もう人を興奮させるうるありとあらゆる脳内物質が、僕の脳内にドバドバ出ていた。
「すごい、すごいぞ」
どうしようもなく胸が熱くなり、もうじっとしていられなかった。
「令さ~ん、令さ~ん」
気付けば、僕も女たちに負けずに叫んでいた。そのステージは誰しもが認めざる負えない圧倒的な熱狂に渦巻いていた。
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