第17話 スタジオからの帰り道

 僕は一人、駅裏の例の水木しげるじいさんのスタジオで一人ギターを弾いていた。あの音圧と痺れるような歪が忘れられなくて、僕は引きこもり体質を押して、一人で来てしまっていた。一人で自ら外に出るなどほぼない。人が怖いから・・。

「最高だ。最高だ。やっぱマーシャルは最高だ」

 僕は、ボリュームとゲインを思いっきり上げまくり、ギターを弾いて弾いて弾きまくった。

 テンション高く張られたスチール弦がビリビリと震え、ハムバッカーがうねる。指も熱く、指の先の先の毛細血管のその先にまで血が巡り、いつも以上によく動く。

「最高だぁ」

 音量も気にしなくていい。

「最高だぁ」

 本当に最高だった。

「うううっ、なんかくらくらしてきた・・」

 しかし、三時間ぶっ通しで、テンション高く大音量でギターを弾きまくっていたら、さすがになんかくらくらしてきた。スタジオは、気密性が高いのでなんか空気も薄い感じがする。

「さすがに疲れた」

 僕は新鮮な空気を吸いに、小屋の外に出た。

 小屋の外には、土の上にそのまま、どこかから拾ってきたのか無造作に様々な種類の椅子やテーブルが並んでいる。僕はその中の一つに腰掛け、ほっと一息ついた。ギターを思う存分弾きまくった後で、疲労の中にも爽快な気分が漂う。スタジオの小屋は山の森の中に立っているので、大きな木々に囲まれ、空気もうまい。時々、野鳥の姿も見える。

「ん?」

 その時、近くの小屋から何とも明るい感じのポップなロックが漏れ聞こえて来た。その音の中には、若さと、有り余る明るいエネルギーが溢れていた。

「なんかいい感じだな」

 聞いているだけで、なんだか若い元気が伝わって来て、気分を明るくさせてくれる。その中心から響くボーカルの声が、多分まだ高校生かそこらの幼い女の子の声だが、それがまたなんとも人を惹きつける迫力とオーラを感じさせた。

 僕は椅子にもたれながら何するでもなく、しばらく、彼女たちの演奏を聞いていた。

 すると、突然、音が止み、女の子たちがわらわらと小屋から出てきた。

「おおっ」

 まだ高校一年生くらいだろう。僕よりも一年か二年年下、十六歳か十五歳くらい。そこには、若いエネルギーとフェロモンんが溢れていた。色とりどりのカラフルなタンクトップやキャミソールといった軽装に加え、そこには若さとかわいさと、眩しいくらいのその年代特有の女の子の輝きがあった。

 僕は直視できないくらいのその眩しさに、引きこもりの卑屈さでビビりながらも、堪らない感動と好奇心で彼女たちを茫然と見つめた。

 よくこれだけのかわいい子が揃ったなと言えるくらいにみなそれぞれがかわいかった。だが、その中に一際かわいい、独特の華やかさをもった女の子がいた。多分この子が、あの迫力のある声を持ったボーカルなのだとすぐに分かった。僕は、何かドキドキとしながら、思わずその子に見惚れた。

「!」

 その時、その子が不意にこちらを見た。そして、思いっきり目が合ってしまった。僕は慌てて、目を反らした。ドキドキした。絶対変態だと思われたと思った。僕はオドオドと再び確認するように彼女たちを見た。しかし、彼女はまったく気にする風もなく、こちらの小屋の前と同じように外に無造作に並べられてる様々な形の椅子に座って、おしゃべりに興じ始める。僕はほっとした。


「それにしても、かわいい子たちだったなぁ」

 あんな子たちと一緒にバンドがやれたら、それはもう天国だろうなぁ。そんなことは絶対にありえないが、そんなバカなことを夢想しながら、僕は家への帰り道を一人歩いていた。

「先輩、なんて呼ばれて・・」

 あの子たちに囲まれている自分を想像すると、つい顔がにやけてしまう。

「ん?あれ?マチだ」

 駅前を通った時だった。マチが、駅前に小さな机と椅子を並べ、そこに一人座っているのが見えた。

「何やってんの」

 マチのところまで行き、声をかける。マチがその小さな顔を上げ、僕を見た。

「商売よ」

「は?商売?」

「そう」

「・・・」

 あらためてマチを見るが、何をしようとしているのかまったく分からない。

「ところで何、それ?」

 マチは何か重そうな荷物を大事そうに持っている。

「私の相棒よ」

「相棒?」

「うん」

 そう言って、マチはバックの中から、なぜかうれしそうに何か旧式らしい形の大仰な機械を取り出した。

「何これ」

「ワープロ」

「ワープロ?」

 なんだか懐かしい響きだった。

「うん」

 マチはバックから大事そうに取り出したその巨大なワープロを、本当に愛おしそうに抱きしめた。

「ワープロってまだあるんだ・・」

 時代はパソコンだった。ワープロ自体がもはや古いものだが、その中でもさらに型の古いものらしい。相当重そうだ。それをテーブルの上にドカリと乗せる。

「リサイクルショップで見つけたの」

 マチは愛おしそうにワープロを見つめる。

「捨てられる寸前だったの。でも間一髪私に見つけられた」

 何か特別な思いがあるのだろう。マチは本当に愛おしそうにワープロを見つめる。その気持ちは全然分からなかったが・・💧

「三千円を千五百円までまけさせて、専用のインクカートリッジを三本つけさせたわ」

「・・・💧 」

 それが、すごいことなのかどうなのか僕は判断に困ったが、マチは誇らしく語っている。

「これでどうするの?」

「決まってるでしょ」

「えっ?」

 何が決まっているのかまったく分からなかった。僕はマチの顔を見返す。

「私はこれで詩を書くの」

「詩?」

「そう、詩を書いてその詩を売るの。誰かの思いを詩にしてそれを売るのよ」

「詩を売る?」

 そういえば、確かに自分を詩人だと言っていた。

「なるほど・・」

 そういうことだったのか。

「でも・・」

 詩なんか売れるのか?僕には全然そう思えなかった。

 だが、マチは、小さな机にワープロを置き、その前に「あなたの思いを詩にします」と張り紙を張った。「お代はお気持ちで」と横に小さく添え書きをして。

「お客さん来るの」

「来るわ」

 マチは自信満々だった。

「・・・」

 しかし、僕には信じられなかった。

「・・、僕も付き合うよ」

 なんだか、今後の展開が妙に気になった。僕も付き合うことにした。僕は、マチの座るすぐ後ろの植込みの枠に腰を掛けた。

 ――辺りはもう暗くなってきた。しかし、客は来ない。時々物珍し気に、駅前を行きかうサラリーマンや若者が、チラチラとマチとワープロと張り紙を見ていくだけだった。

「お客来ないね」

「来るわ」

 マチはめげない。

「でも・・」

 その時だった。何やら若い二人連れの女の子が、マチの前にやってきた。

「詩を書いてくれるんですか」

 その右側の女の子が、おずおずと訊ねる。

「そうよ」

 マチが毅然と答える。

「あの、私・・、私・・」

 すると、右側の女の子がそのままマチに説明しようと、何か言おうとした。しかし、すでに泣きそうになっていて言葉にならない。

「この子、失恋して・・」 

 すると、見かねた隣りの子が、その子を支えながら変わりに説明しようとする。

「すごく好きで・・」

「大丈夫。分かったわ」

 しかし、みなまで聞かずマチは、猛烈な勢いでワープロを打ち出した。

そのスピードは鬼神のごとくだった。

「す、すごい」

 あまりの速さに僕はそれを茫然と見つめた。

「出来たわ」

「えっ、もう」

 一分も経たないうちに詩は完成した。マチは、完成した詩をプリントアウトすると、出てきた紙を千切って、泣きそうになっている女の子に渡した。

「ううっ、うっ、うっ」

 女の子は、それを読み始めると、堪らず涙を流し始めた。

「ええっ」

 僕はその光景に驚いた。何が起こったのかまったく分からなかった。しかし、彼女は明らかに、感動の涙に、むせんでいる。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 読み終わると女の子は、少し晴れ晴れとした表情で、そう言って千円を置いて去って行った。

「す、すごい」

 僕はマチを見た。マチはまったくなんてことないみたいに整然と澄ましている。

「・・・」

 僕は今起こったことに、茫然としていた。

 しばらくして、次には感じの良い、白髪の老婦人がやって来た。

「私の夫は戦争で亡くなったの。結婚してすぐだったわ」

 老婦人は語りだした。

「彼は最後に必ず帰って来るって言った。でも、帰ってこなかった。今日で、あの日から五十年も経ってしまった・・」

「分かったわ」

 マチは、また猛烈な勢いでワープロを叩き出した。マチはプリントアウトした紙を千切って老婦人に渡す。

「あっ」

 老婦人は紙を見るなり、少し驚いた声を発して、そして、涙を流し始めた。

「ありがとう」

 読み終わると老婦人は、涙に濡れた目で、マチを見て、心の底から言った。

「どういたしまして」

 マチは少し微笑んで軽く頭を傾げる。

「おおっ」

 老婦人は去り際、一万円を置いて行った。

「マジか・・」

 僕はマチを見た。マチはやはり整然として澄ましている。一人興奮している僕の方がバカみたいだった。

「マジか・・」

 それでも僕は一万円とマチとを、口を半開きにしたまま交互に何度も見つめた。

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