第12話 高架下のホルモン焼き屋
「えっ、帰るんじゃないのか」
僕は驚いて涼美を見る。スタジオで三時間ほど、なんやかんやと知っている曲などを合わせ、汗を流した後、スタジオを出た僕らだったが、涼美はこれからさらに飲みに行くという。
「まだ、飲み足りないわ」
「は?」
意味が分からなかった。もう、深夜を過ぎ、早朝という時間帯になっていた。
「お前うちでどんだけ飲んだと思ってんだよ」
「あら、あんなの飲んだうちにはいらないわよ」
「は?」
確か、ビールにワインに日本酒に・・。僕は思い出せるだけ思い出したが、やはり、相当飲んでいる。
「それに、こんな時間に飲み屋なんかやってないぞ」
もうすでに辺りは薄っすらと明るくなり始めている。明らかに酒を飲む時間帯ではない。というかそもそも起きている時間ではない。
しかし、スタジオを出て、駅まで降りてきた後、涼美は高架線沿いに、駅から離れてどんどん歩いてい行ってしまう。僕とジェフは、お互い顔を見合わせたが、仕方なく後を追った。
「あっ」
三十分ほど駅から歩いて、もう眠気と疲れと、酔い覚めで、もう頭も体もふらふらになってきた頃、高架下のその先に屋台が一件煌々と明かりを付けているのが見えた。
「こんな時間にやっているのか・・」
そこはホルモン焼き屋さんだった。
「おじさんビールね」
暖簾をくぐるなり、涼美が言った。どうも通いなれているらしい。
「あと、ホルモンね。お腹すいちゃった」
「はいよ」
だみ声の大将が、元気よく答える。僕も涼美の左隣りに座った。ジェフも涼美を挟んで反対側に座る。
出て来たジョッキのビールを涼美は、うまそうに喉を鳴らして飲む。
「お前すげえな」
その飲みっぷりに僕は思わず呆れる。
「あなたが情けないのよ」
「ううっ」
すぐに涼美は言い返された。
「僕もビール」
「はいよ」
もうヤケだった。眠気と疲れで全然酒を飲みたい気分でも、体調でもなかったが、ここまで来たらもうヤケだった。
「オレさまにもビール」
ジェフも言った。だが、ジェフもさすがに眠そうな顔をしている。
「はいよ」
巨大な鉄板でホルモンを炒めながら、答える大将は、ヤクザレベルの人相の悪さだったが、愛想は天使レベルですこぶる良かった。
「あらためてカンパ~イ」
ビールが揃うと、涼美が元気いっぱい叫ぶ。
「かんぱ~い」
一応答えたものの、しかし、僕とジェフに涼美のその元気はなかった。
「ほんと、情けないわねぇ。若者でしょあなたたち」
「お前がすご過ぎんだよ」
僕はビールをあおった。
「しかしあの、スタジオのじいさんなんかすごかったな」
僕はあのスタジオの水木しげるじいさんを思い出していた。
「あの人は超有名なベーシストなのよ」
「はい?あのひょろひょろのじいさんが?」
「そうよ。有名なスタジオミュージシャンで、表には殆ど出てなかったから一般的には全然知られていないけど、日本で一番ギャラが高いって言われていたベーシストなのよ」
「そうなの!」
驚きだった。
「そうよ」
「そうだったのか・・」
まったくそう見えなかった。
「一回のレコーディングで三千万とか言われてたのよ」
「三千万!」
僕はしばらく、ビールジョッキを握りしめたまま唖然としていた。
「一回三千万・・」
「お口が開いてるわよ」
涼美が僕に言う。
「一回三千万・・、ブラックジャックか・・」
僕の口は開きっぱなしだった。
「でも、なんでそんなに稼いでる人が、あんなおんぼろのスタジオなんかやってんだよ」
「稼ぐ額も多いけど、使う額も多かったのよ」
「・・・」
なるほど。一瞬で納得した。
「はい、お待ちどう」
そこに、ホルモンが焼き上がった。
「うん、おいしい」
さっそく涼美がつまむ。
「ここのホルモンはやっぱ最高だわ」
「へへへっ」
人相の悪い大将が、子どもみたいにうれしそうに笑っている。まったく何かを食べたい気分ではなかったが、僕も手を出した。
「うっ、うまい」
八丁味噌を使ったみそダレの、野菜たっぷりホルモン焼きは、滅茶苦茶うまかった。まったく食欲はなかったはずが、ついつい口に頬張ってしまう。
「うまい、うまいぞ、これ、ん?」
その時、屋台の壁に貼られた値段票が目に入った。
「や、安っ」
僕は思わず叫んでしまった。
「一皿二百円・・。今のこの時代にこんな値段設定でやっていけるのか・・」
しかも、ホルモン焼きは、大皿にてんこ盛りに盛られ、量も半端なく多い。
「これで一皿、二百円・・」
ありえなかった。
「ビールおかわり」
涼美が言った。
「まだ飲むのかよ」
「当たり前でしょ」
「うわばみか、お前は」
このツッコミは、確か今日二回目だったような・・。
結局、それから二時間ほども涼美に付き合わされ、僕とジェフは眠気と食い過ぎと疲労で意識朦朧状態になって、ビールをすすっていた。
「さっ」
五杯目のビールジョッキを空けた後、涼美が言った。
「よし、帰ろう」
帰るような素振りに、僕はすかさず言った。
「しめはうどんね」
「はあ?まだ食うのか」
僕は涼美の横顔を覗き込む。
「三人前ね」
涼美は、僕を完無視し、指を三本出している。
「はいよ」
大将は鉄板の熱で上気したその顔に笑顔を浮かべ愛想よく答える。
「俺たちも?」
恐る恐る僕は訊く。
「そうよ。おいしいんだから」
「そういう問題か」
すぐに焼きうどんは焼き上がり、出てきた。
「うおっ」
一人前でうどん一玉半はある。やはり量が半端ない。
「なんだ、この試練は・・、というかこの地獄は・・」
ふと見ると、ジェフはカウンターに突っ伏し、もはや寝ている。
「・・・」
僕は恐る恐るうどんをつまんだ。
「う、うまい」
ホルモンのみそだれに絡めて焼かれたうどんは滅茶苦茶うまかった。
「うまい」
「でしょ」
ドヤ顔で涼美は僕を見る。
あっという間に、大盛りの焼うどんを食べてしまった。最初は絶対食べ切るのは無理と思っていたが、あまりのうまさにあっという間に食べきってしまった。
「・・・」
自分で自分が信じられなかった。ふと見ると、涼美はジェフの分まできれいに食べつくしていた。
僕たちは、屋台を出た。辺りは完全に明るくなっていた。
「あれっ、ジェフは」
いつの間にか、ジェフは忽然とどこかへ消えていた。
「まあ、あいつは神出鬼没だからな。また、ひょっこり戻って来るだろ」
僕は気にしないことにした。僕と涼美は、二人で駅まで歩いた。眠気と食い過ぎと飲み過ぎの最悪の気分とは裏腹に、辺りは朝の澄んだ爽やかな空気が充満している。
「・・・」
僕は涼美の横顔を見つめた。やはり、性格は悪いがとてつもない美人だ。なぜこんな美人が、僕たちみたいな即席の怪しげなバンドに、しかも名前すら形すらないバンドに参加したのだろうか。
「ジェフの歌声ってなんかいいわね」
その時、涼美が言った。
「えっ」
やっぱり、涼美もそれを感じていたのか。
「うん」
僕はそれに答えた。よく考えると、昨日まで引きこもりの絶望男が、こんな信じられない美女と二人で歩いている。何がどうなってこうなったのかもはやはっきり理解できないほどに、ありえないほど僕の人生は劇的に転調した。ジェフのあの不思議な歌声は、この転調したこれからの僕の人生の何か希望になっていくような気がした。
駅前は、すでに通勤通学の人で、溢れていた。涼美はその流れに乗るように駅の中に、背負ったギターケースと共に一人消えて行った。
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