第10話 初めてのスタジオ
「ギター弾く」
そう言って、酔った涼美が突如立ち上がると、ギターを手に取り、シールドをアンプに突っ込んだ。そして、アンプのスイッチを入れ、ボリュームとゲインを最大に回した。アンプからジジジッ、という大きなノイズがもれる。そして、涼美はピックを持った右手を振り上げた。
「ちょっとまて、それはまずい」
さすがに、酔った頭でも僕はそのまずさには気付いた。しかし、涼美は、躊躇なく振り上げた右手を振り下ろす。
「わああっ」
僕は、アンプにヘッドスライディングした。
「あっ」
涼美が声を出す。右手を振り下ろし切ったと同時に、間一髪、僕はアンプのスイッチを切っていた。
「間に合った・・」
僕は額の汗を拭った。
「なにすんのよ」
「それはこっちのセリフだ。お前何してんだよ。ここは俺んちで、今は深夜だぞ。家族もいる」
「まったく、情けない男ね」
「なんでだよ」
「これからロックやろうっていうのに、何ビビってんのよ」
「ロックにだってやっていい時間帯はある」
僕たちは睨み合った。
「というか、ロックをやることにいつ決まったんだよ」
「私がロックやりたんだから、やるに決まってるでしょ」
「・・、な、なんて、自分勝手な」
まあ、僕もロックをやりたいのだが・・。しかし、涼美の独善的な考えが、腹が立った。
「よしっ、スタジオへ行くぞ」
そこに突然ジェフが叫んだ。
「はい?」
僕たち二人は同時にジェフを見た。
「バンドは音をださなければバンドではないね」
ジェフが言った。
「ま、まあ、確かにそうだが・・」
っていうか、こんな深夜にやっているスタジオなんてあるのか?
「よし、いくぞ」
だが、そんな問いかけを発する前に、涼美は右手の拳を振り上げ、掛け声を上げていた。
「おう」
それにしっかりジェフが同じようにコブシを振り上げ答えている。そして、僕を置いてさっさと二人は行ってしまう。
「・・・」
仕方なく僕も後に続こうとギターをソフトケースに突っ込むと、それを肩に担いだ。ふと、その時、あの少女が気になり、振り返った。
「・・・」
少女は、子猫を抱いてすでにすやすやと寝ていた。酔っぱらうと寝るタイプらしい。
少女のそのあどけない寝顔にはまだ幼さが大分残っていた。その少女の寝顔のかわいさが、なぜか逆になんだか僕は気になった。
「・・・」
僕は、寝ている少女を残し、ギターを担ぎ直すと二人を追った。
僕たちは再び駅前にいた。さすがにもう終電も終わり、駅前は閑散としている。
「こんな夜中にやってるスタジオなんかあるのかよ」
僕は半信半疑だった。しかし、涼美は、スタスタと駅裏の方へと歩いて行ってしまう。そして、駅裏の繁華街を越え、さらにその上の山の方に歩いて行く。
「おいっ、どこまで行くんだよ」
そこはもはや、人家はおろか、明かりさえない。しかし、涼美はまったく躊躇なく、暗闇に向かってすたすた歩いてゆく。
そして――、
「・・・」
あった。
「こんなとこがあったのか・・」
うっそうとした森の中に、西洋のおとぎ話にでも出てきそうな、古びた小屋のような建物が並ぶ。その一つ一つが防音したスタジオになっているらしい。その中の一番手前にある一番大きな小屋に涼美は入ってゆく。
チンチン
涼美が古びた分厚い木製のカウンターの隅に置かれた銀色のちっこいベルを鳴らすと、なんか頭に鍋の蓋みたいなちっこい帽子を乗せた、白髪の長いあごひげを生やした妖怪みたいな痩せたじいさんが、裏の暗闇のようなドアからぬぅっと出て来た。
「水木しげるの世界か・・」
水木しげるの漫画に出てきそうなその怪しい風貌に、僕は思わずつっこまずにはいられなかった。
「空いてる?」
涼美がそのじいさんに訊いた。
「ああ、空いとるよ」
その声は正に妖怪のそれだった。
ガチャッ
涼美が預かった鍵で、並ぶ小屋の中で一番奥にある一番大きな小屋のカギを開け、その扉を開けた。そして、中に入る。それに続き、ジェフが入り、二人に続いて僕も小屋の中に入った。
「・・・」
僕にとって初めてのスタジオだった。まだ酔ってはいたが、僕は緊張で心臓がドキドキしていた。
「おおっ」
中に入ると最初にライブで見たようなバカでかいアンプが並んでいるのが見えた。その迫力に思わず声が出る。
「うおっ、マーシャルだ」
ふと右隣りを見ると、そこにロック小僧憧れのマーシャルがあった。しかも、JCM700。
「なぜここにこれが」
これはヴィンテージで、今なら相当な値段がするはず。僕は撫でるように、間近で凝視した。
「あたしそれがいい」
そこに涼美が横から、JCM700を指さす。
「ダメだ」
僕はアンプを抱えるようにして叫んだ。
「・・💧 」
いつにない僕の剣幕に涼美もたじろいだ。
「JCM700・・」
シールドを差し込む僕の指は震えた。
グヲォオオ~ン
「うおおおっ」
その音と迫力に僕は思わず声をあげていた。僕はいつもは部屋で、音を気にしながら小さい音で縮こまるようにして弾いていた。
「うおおっ、すげぇ、すげぇ」
僕は興奮してギターを弾けるだけ、思いっ切り弾きまくった。
僕は初めての、本格的なアンプ、そしてマーシャルに感動して夢中でギターを弾いた。その音、歪み、音圧、全てが痺れた。
「うおおおっ、すごいぞすごいぞぉおおお」
全てが最高だった。
「はっ」
ハタと気付くと、二人が冷めた目で僕をじっと見ていた。僕はそこで我に返った。
「ごめんなさい。つい、興奮して・・」
僕は二人に頭を下げた。
「お前うまいな」
しかし、ジェフは言った。
「えっ?」
「お前ギター上手い」
ジェフはもう一度言った。隣りの涼美も何も言わないが、驚いているのが分かった。
「・・・」
僕は最初、ジェフの言っている意味が分からなかった。だが、だんだん、二人が僕のギターを褒めてくれているということが分かってきた。
「よしっ、お前がメインギターだ」
ジェフが僕をずばりと指さす。
「なんでよ」
しかし、すかさず涼美が文句を言う。
「でも、こいつの方が上手い」
ジェフがもう一度僕を指さす。
「こいつ言うな」
僕はこいつと言われると最高に腹が立つ。
「おおっ、しっけい、しっけい」
ジェフは後頭部をペシペシ叩く。
「ヒロシの方がうまい」
ジェフは言い直した。
「ううっ」
確かにそれは認めたのだろう。涼美は黙った。
「・・・」
僕はうまかったのか・・、もともと小さい時から指先は器用で、小学生の時、プラモ作りなどではクラスで一目置かれる存在だったし、引きこもっていた時やることが無く、ひたすら朝から晩までギターを弾きまくっていた。だから、自分でも気付かないうちになんか相当上手くなっていたらしい。そのことに二人の反応で僕は初めて気付いた。
「でも、ベースでしょ。こいつ」
涼美が言った。
「だから、こいつ言うな」
涼美は性格も悪いが口も最高に悪い。
「おおっ、そうだった。しまったしまった、はっ、はっ、はっ、こいつはベースだった」
ジェフはまたいつものようにおでこを叩く。
「だ・か・ら、こいつ言うな」
「ふふっ、私がメインギターよ」
涼美が勝ち誇ったように僕を見る。
「うううっ」
僕は何も言い返せなかった。性格は最高に悪いが、やはり顔はすこぶる美人だ。奇跡的に仲間になった美女が去ってしまっては元も子もない。
バンドのため、バンドのため。僕は呪文のように自分に言い聞かせた。
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