第4話 突然夢叶う

「命の電話に電話したことは内緒な」

 ジェフを自分の部屋に入れ、ベッドに座らせると、僕は口の前に人差し指を立てて言った。

 僕が高校を不登校になると、そのことで両親はこの世の終わりとばかりに取り乱してしまい、家庭内は無茶苦茶になった。しかし、学校に行けないものは行けない。様々手を尽くし、様々争った末、それを悟ると、父と母は諦めた。その後も、色々とお互いの葛藤があった末、やっと最近落ち着いてきたばかりだった。もう、無用な波風は立たせたくない。

「なんでだ?」

 ジェフはきょとんとして首を傾げる。

「なんでも」

 僕は強く言った。多分説明しても無駄だろう。

「ニッポン人の心よく分からないね」

 ジェフは両手の平を上に向けて肩をすくめた。

「ところで、どうやってきたの。ここ、駅からだいぶあるけど・・」

「歩いてきた」

 ジェフはあっさりと言った。

「歩いて?」

「そうだ」

「駅から?」

「いや、ババアの家から」

「おばさんね」

「そうだった。はっはっはっ、おばさんの家だ」

 ジェフはしまったしまったと自分の頭をはたきながら、また陽気に笑う。

「おばさんの家?それどこ?」

「あっちだ」

 ジェフは北の方を漠然と指さした。

「・・・、それはずっと遠くから歩いてきたってこと?」

「そうだ。ちょうど十日かかった」

「十日!どこから来たんだよ」

 僕は驚いて訊き返した。

「寒いとこ」

「東北か」

「分からん」

「町の名前とか何か・・」  

「おっ、お前ギター弾けるのか」

「えっ」

 その時、ジェフは突然僕の肩越しのその先に視線を向けた。その先には部屋の隅に置いてあるギタースタンドの上のエレキギターが置いてあった。

「う、うん」

 僕が答える。ジェフはそのまま目を離さず、そのエレキギターを目を輝かせて見つめている。

「どうしたの?ジェフもギター弾くの?」

「よしっ」

 ジェフは突然、がってんといった感じで、左の手の平に右手の拳を振り下ろした。

「ん?何がよしなの?」

 僕はジェフの顔を覗き込んだ。

「バンドだ」

 唐突にジェフは言った。

「えっ?」 

「バンドをやるぞ。お前がギターを弾いてオレさまが歌う」

 ジェフは自信満々に胸を反らせ、親指を自分に向ける。

「バ、バンド?」

 突然の話に僕は面食らってしまった。

「それで全てうまくいく」

「なんでだよ」

 でも、バンドを組むのは僕の夢でもあった。

「バンドをやれば生きるってことが見えてくるね」

「何ちょっとカッコいいこと言ってんだよ」

「オレさまはジェフだ」

「さっき聞いたよ」

「お前はなんだ」

「えっ、ぼ、僕は宏」

「ヒロシ、オレさまとバンドをやるぞ」

 ジェフの薄いエメラルドグリーンの瞳が、光り輝くように僕を見つめた。

「・・・」

 それは何かの始まりと、希望を宿していた。後で振り返った時、あの時のあれはと、その時なんだかそう見えたような気がした。

「やるぞ」

 ジェフは希望に胸躍らせる子供みたいに言った。

「えっ、・・、あ、ああ・・」

 その目を見たからなのか、それとも違う何かなのか、その時の僕は催眠術にかかったみたいにゆっくりとうなずいていた。

「よしっ、そうと決まればコーラで乾杯だ」

 ジェフは、高らかに言った。

「えっ」

「祝いの盃だ」

「変なこと知ってんだな。外人のくせに」

 ちょうど残っていたペットボトル入りの二本のコーラをジェフが袋から取り出して、そのうちの一本を僕に渡した。

「かんぱいだ」

 ジェフが僕を見る。

「あ、ああ」

 僕はそれを受け取った。僕の戸惑いをよそにジェフは嬉しそうに目を輝かせている。

「かんぱ~い」

 高らかにジェフは言い、さっき飲んだばかりだというのに、手に持ったコーラを高々と掲げた後、またグビグビと勢いよく一人飲み始めた。

「バンド・・」

 しかし、僕はコーラを持ったまま、その場に固まっていた。さっき言ったジェフのその言葉に、僕の胸は高鳴り、興奮に心の奥から全身が痺れていた。バンドをやることは、ずっとずっと胸の中にあった僕の夢だった。しかし、それは遠い、果てしなく遠い夢だった。それが、今目の前に突然現れた。何の脈略もなく・・。

「・・・」

 ジェフは一人、グビグビとコーラをうまそうに飲み続けている。

「バンド・・」

 まだ実感は全然なかった。しかし、バンドという遠いはずだった夢の響きが、今目の前にあるということは分かった。突然の話の展開と、今目の前で僕の夢が叶ったということの現実感がまだ失われたままではあったが、それがあるということに思考が必死で追いつこうとフル稼働している段階だったが、それでも、それが今、この、目の前にあるということは分かった。

「お前、大丈夫か」

 ジェフが一人固まっている僕の顔を覗き込む。

「えっ、ああ、う、うん・・、大丈夫」

 僕はそこで初めて自分が固まっていたことに気付いた。

「乾杯」

 我に返った僕は一人そう言って、ジェフに手渡されたコーラのふたを開けそれを勢いよく飲んだ。

「・・・」

 味はなかった。

「ところで十日間、飯とかどうしてたの?泊まるとことか」

「ジジイとかババアが泊めてくれたぞ。飯も食わせてくれた」

「おじいさんとおばあさんね」

「おお、そうだそうだ。はっはっはっ、しっけいしっけい、おじいさんとおばあさんだ。はっはっはっ、失敗、失敗」

 ジェフは、また陽気に笑いながら、しまったしまったと自分で自分の頭をはたいている。

「知らない人のうちに泊めてもらったってこと?」

「そうだ」

「・・・」

 全く見ず知らずの人間の援助だけでここまで来たのか・・。やはりこの男・・、ただ者ではない。僕は改めてジェフを見た。ジェフはその人好きのする口角をさらに湾曲させ、僕をにこやかに見ている。

「・・・」

 今日さっき会ったばかりの怪しい外国人なのに、僕自身、家に入れ、飯を食わせ、コーラをおごり、知らずに自分の部屋にまで入れている。そして、やはり何か不思議と魅了されている自分がいる。やはりこの男は何か、特別に人を惹きつける何かを持っている・・。

「・・・」

 なぜかその時、不思議と自分の人生が変わるような気がした。今までの、暗い卑屈なものではない何かに――。

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