14.一生そこで寝てろ

「……」


 リリナは豪華な部屋の前で立ち尽くしていた。


 見たこともない高級調度品に上質な絨毯、高い天井に上品な広い部屋、そんなものに目を奪われたからではない。


「――あの。なに、これ?」


 すでに陽は落ち、夜になっていた。美味しい夕食を食べて湯を浴び、可愛らしいワンピースの寝間着に着替えてもう寝るだけ……そんなときだった。


 寝室だと言って案内された部屋のど真ん中に、どどん、と鎮座しているそれ。明らかに一人で寝るには広すぎる巨大なベッドを眺めながら、リリナは頬を引きつらせた。


「え、なにって、夫婦の寝室だ」


 きょとん、とヴィルが首を傾げ、リリナを振り向いた。


「……いや、うん、それはわかる。そうじゃなくて……」

「ん? ああ、これか?」


 ヴィルはようやく気づいたようにベッドを指さすと、うなずいたリリナを見てなぜか得意げに鼻をならした。


「そりゃ、夫婦は一緒に寝るものだろ!」

「……………………………………」


 ふんす! と胸を張ったヴィルは、言葉をなくすリリナに、にやりと口の端をつり上げた。


「ふ。心配はいらないぞリリナ、一緒に寝るといっても腕枕までだ! リリナが真に夫婦となってくれる時がくるまで手は出さないと約束する。自慢じゃないが俺わりと我慢できるほへぶあッ!!」


 リリナの無言の右ストレートがヴィルの鼻っ柱にクリーンヒットして、ヴィルは鼻血をぶちまけながらベッドに倒れ伏した。


「一生そこで寝てろこの変態クソ魔道士……!」


 怒気に目をギラギラさせて、リリナはヴィルに人差し指を突きつけた。


「言っとくけどあくまで形式上の夫婦だから! 何かするわけじゃないって言ったでしょ!!」

「だ……だから……腕枕くらいで……」

「まず一人で寝ろ!!!」

「……ご主人様……」


 かろうじて鼻を抑えながらぴくぴくしているヴィルに、脇で見ていたラヴィははあ、とため息をついた。


「もー……だからあれほど乙女心がなんたるかを教えたのに……そんな強引なことではダメです! 魔狼フェンリルのオスだってもう少し紳士ですよ! ご自分がイケメンだからってやっていいことと悪いことがございます。反省してください!」

「す……すみません……」


 しゅんとなるヴィルを見て、メイドに叱られる主人って初めて見たなと思いつつ、リリナはさっさと寝室を出た。


「す、すみませんリリナ様っ。あのバ――いえご主人様は、リリナ様のこととなると頭おかしいんです……」


 慌てて追ってきたラヴィが、申し訳なさそうに獣耳を垂らした。ふさふさの尻尾まで力なく倒れてるラヴィをちらりと見ながら、リリナはため息をつく。

 

「うんまあ……なんとなくそんな気はしてたケド……」

「ですが! こんなこともあろうかとリリナ様のベッドはご用意してありますのでっ、そちらを使ってください!」

「ほんと? ありがとうラヴィ」

「ふふん、ラヴィはできるメイドですからね」


 誇らしげに胸を張るラヴィは、リリナを別の個室へと案内した。


「こちら、リリナ様の自室として用意していました。ご自由にお使いください」


 ベッドにクローゼット、小さなテーブルからソファまで、一通りがそろっている綺麗な部屋に入って、リリナはほっと息を吐いた。


「ありがとう……ラヴィがいてよかった……!」


 もはや高級家具のそろった部屋への感動よりも、一般常識を持ち合わせた魔狼フェンリルの存在への感謝が勝るのだった。


「あ、あの、リリナ様」


 ベッドに座り込んで一息つくリリナに、ラヴィがおずおずと声をかけた。


「なあに?」

「その……差し出がましいかもしれませんが……――ご主人様のこと、嫌いにならないでください」

「え?」

「ご主人様は普段はちゃんとした方なんです。なんですが……リリナ様のこととなると我を忘れて暴走しがちで……今回も一人でリリナ様を迎えに行くと言い出した時はいろんな意味で不安で不安で」

「……」

「でも、無事リリナ様が来てくれてよかったです。ご主人様も喜び方を間違えてますが喜んでますし」

「まあ、すったもんだのあげくって感じだったけど……」

魔狼フェンリルとしては、群れが元気で仲良くしているのが一番幸せなんです! お二人の幸せな新婚生活のために、このラヴィも頑張ります!」

「新婚生活ね……」


 リリナはどんよりと声を低くして、左手を広げた。その薬指には、シンプルな銀の装飾に小さな宝石が埋め込まれた結婚指輪がはめられている。


「それはご主人様お手製の結婚指輪ですね」

「へえ、これ、自分で作ったんだ」


 リリナの指に収まった指輪を見ながら、ラヴィは口元に指をあててくすりと微笑んだ。


「ええ! 国家級魔道士なんて呼ばれるようになってからは、あまりそのようなイメージを持たれることもなくなってしまったんですが……実はもんんんのすごく不器用なんですよ、ご主人様。でも結婚指輪は魔宝玉の素材収集から製作まで自分でやるって聞かなくて、魔道具師のご友人に教わりながら何年もかけて一生懸命作っていたんですよ」

「確かによく見るとけっこういびつ……」

「見てくれは一流の職人のそれには遠く及ばないかもしれませんが、ご主人様の強い魔力がたくさん込められてます。いざというときリリナ様を守ってくれるはずです!」

「ふーん。魔法防御を高める装飾品みたいなもんか」

「いやもうちょっとロマンチックなものなんですが……」

「まあどうでも……ん? なんかこれ、とれないんだけど……!?」


 ぐぐぐ、と指輪をとろうとしてリリナは青ざめた。入る時はすんなり指に収まったのに、引っ張るとびくともしない。


「えっ!? ちょ、ちょっと見せてくださいリリナ様」


 リリナと同じく慌てたラヴィは、しばらく難しい顔をして指輪を凝視し押し黙っていたが、やがて眉間にしわをよせてぼそりとつぶやいた。


「……それ……ご主人様の魔力で呪術らしきものがかかってますね……」

「じゅっ……はああああ!?」

「――あ、ちなみに魔狼フェンリルは魔法が得意な魔獣なので、一般的な魔法の使役はもちろんこういった魔力解析も得意でして――」

「待ってじゃあ一生とれないってこと!? ていうか大丈夫なのこれ!?!?」

「一生かはわかりませんが、少なくとも装備者の意思では外せなくなっています……まあ、呪いの効果はそれだけのようですが……」


「……」

「……」


 ”一生懸命作ったロマンチックな結婚指輪”――改め”呪いの指輪”を、二人してじとっと眺めながら、しばし思い沈黙が部屋に降りた。


「……おそらくですが。万が一にもとれないように、もしくははずされないように、かけたんでしょうね。ご主人様は。ロック的な意味で。それ以上の深い意味はないように思えます」

「ねえラヴィ。ちょっとあのアホ、もう一発殴ってきていいかな……」

「ガツンとお願いします」


 ぼそりと言ってリリナが部屋を出て行った数分後、ぎゃあああああっ、とヴィルの断末魔が屋敷中にこだまするのだった。



****



「町を見る?」


 翌朝。朝食の並んだ食卓で、リリナの言葉を聞いたヴィルがぎょっと目を開いた。


 国中の女性を虜にする彼の整った頬は、しかし今や痛そうに膨れ上がり、昨晩リリナが殴ったところがグーの形でまだ赤く跡を残している。


「うん。今日は一日かけて首都中の魔道具屋を回って、魔力発芽できるようなアイテムがないか探してくる」


 朝食を食べ終えて口をふきながら、リリナはヴィルの殴打跡を見つつしれっと言葉を続けた。

 

「昨日ざっと馬車の中から見ただけでもめぼしいところが二、三軒あったからね。しっかり探せばもっとありそう。それだけ回れば一つくらいは魔力発芽のアイテムを――ないしは情報を得られるはず」

「……ま、まあ……首都は稀少レアアイテムが流通してるからな……方法としては悪くないんじゃないか……?」


 そう言いつつもどことなく乗り気ではなさそうなヴィルは、ちらちらリリナの様子をうかがいながら、言葉を選ぶようにして続けた。


「でもあれだほら、昨日首都に来たばっかりなんだし、もう少しゆっくりしてからでも……」

「私は一分一秒でも早く魔道士になりたいの」


 ごにょごにょ言ってくるヴィルをぴしゃりと黙らせて、リリナは極めて他人行儀の笑顔を顔面に貼り付けヴィルに向けた。


「今日は仕事行くんでしょ? 行ってらっしゃい」


 ヴィルの職場は、所属している魔道士ギルド〈竜の酒場ドラゴンリカー〉の本部がそれらしく、日中は家にいない。添い寝だなんだと一緒にいると何かと鬱陶しいので、リリナにしてみたら好都合である。


「……」


 とっとと行けと言わんばかりのリリナの笑顔を不満そうに見ていたヴィルは、ふいに視線をはずして、何やら難しく顔を険しくさせながらぶつぶつつぶやき始めた。


「……そういえば考えたことなかったけど、魔力発芽できるようなアイテムってなんだ……? 万が一すんなりリリナに魔力実装されて唯一俺が勝っている魔法面を補われてしまった場合、俺の旦那としての矜持が危うい……もし売ってるならリリナが見つける前にこっそり買い占めて隠すべきか……いやでもそんなことしたらリリナが悲しむし……――」

「どしたの?」

「……なっ、なんでもない。じゃあ仕事行ってくる」


 目を泳がせて冷や汗を流しながら立ち上がったヴィルは、しかしなかなか玄関に向かおうとせず、ちらっとリリナを見て立ち止まった。


「リリナ」

「何?」

「いってらっしゃいのチュ」

「もう一発殴られたいようね」

「行ってきます」


 キリッと表情を引き締めて、ヴィルはそそくさと出かけていった。

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