$ rename hacker brave hacker.hum ######............

 一週間前までベッドで寝ていた人が凸凹でこぼこな路上で快眠するなど無理だ。それに夜は冷える。上着がコート一枚というなんとも心許こころもとない装備だ。朝起きたら相当冷えているだろうと覚悟していた。



 だがいざ起きてみると、コートの中はかなり暖かかった。眠い目をこすりながら不思議に思っていると、そこには蓮に抱き枕にされるような形でスヤスヤと眠っているティナがいた。随分と気持ちよさそうな寝顔だ。蓮はそのティナを容赦なく起こす。



「うー」


「何してるんだ?」


「蓮が寒そうにしてたから暖めようかなって思ったの。そしたら私まで暖かくなって眠っちゃった」


「そうか」



 蓮は理由なしにスラム街でティナが少女としての姿を晒すことを好まない。なので蓮はティナを短剣の姿に変えてコートの内ポケットの安全な場所でしまうことにしている。ティナは蓮にとって命の次に重要だ。絶対に失ってはいけない。しかし、ティナの容姿を見れば誘拐や拉致をしようと企む輩がいるかもしれない。




 それに武器の姿であってもティナの姿を外界に晒したくない。



 ティナが勇者の剣だとバレることで、蓮が勇者として保護される確率。あるいはティナの有用性に目をつけた人物によって奪われる可能性。この二つの可能性を天秤にかけて、ティナを周りに見せるべきでないと結論づけた。また、ティナが他人との関わりを持ったことで「やっぱ蓮は勇者じゃない」と離れていく可能性も消し去りたい。蓮が勇者として選ばれたことに必然性がない今、この可能性を危惧すべきだ。



 それは置いといて。



 ティナは非常に勇者の剣として有能である。いい意味でも悪い意味でも。良い意味というのは卓越した戦闘に関する知識と解析力のことだ。悪い意味というのは、主に戦闘に関すること以外の知識はほとんど存在しないということと、勇者の剣としてあまりにも有能すぎるということだ。



 勇者の剣が勇者の剣であるために必要なものは、その武器としての性能だけじゃない。勇者との信頼関係も必要だ。



 ところで、オキシトシンというホルモンがある。このホルモンは人と人との身体接触によって生み出される。



 しかも少女の姿に変身可能なうえ、無防備な姿を晒すことで敵意のなさを示して庇護欲を掻き立てさせられる。



 もし、ティナに設計者がいるとすればかなり頭の切れる悪辣な人物だろう。蓮は誰かを操ることは好きだが、誰かに操られるのは嫌いだ。心の中で存在するかどうかわからないティナの設計者を呪った。



「ティナってほんと有能だな」

「もちろん!」



 ティナは蓮の言葉の中にある皮肉の色に気づく様子がない。



 蓮が意図的に目を逸らしてきたとある可能性がある。それはティナのこの笑顔が嘘で全て蓮を操るために計算されているだけだという可能性だ。思慮深い蓮がそのことに思考を割かないのにはそれ相応の理由がある。もしティナが本当に全て計算し尽くしているだけで、本心は全く別のところにあるのならば。ティナのことを疑っているということをティナに気づかれること自体が致命傷になりかねない。



 蓮は無駄な好奇心で破滅した有能なハッカーが多いことを知っている。興味本位で警察に喧嘩売ったり、意味のないことに首を突っ込むことはバカのすることだ。



 それよりもティナが蓮の味方であるという事実の方が重要だ。



 しかし、蓮は心の奥底でティナへの不信感がぬぐえないでいる。その証拠に情報源をティナに頼り過ぎないように細心の注意を払っている。それでも社交性がゼロで社会経験ゼロ、信頼ゼロの蓮の情報源はどうしてもティナになってしまう。



 しかしそのために思考誘導される可能性がある。利用されるか、利用するか。奪うか、奪われるか。蓮にとって人間関係とはそのどちらかに属することである。ティナへの依存が強まりすぎたために逆にティナに利用されないように最新の警戒を払うのは蓮にとって当然のことだ。



 一応、今の所ティナが蓮に嘘をついた様子はない。だが十割の嘘よりも九割の真実に隠れた一割の嘘の方が厄介だ。



「ところで、ティナはどうやって生まれてきたんだ?人間の両親から生まれてきたのか、あるいは誰かに設計されて生まれたの?」



「うーん、忘れちゃったからわかんないや!」



 その言葉が嘘か本当か、蓮にはまだわからない。



「ところで、みんな一体どこに行ってるんだ?」



 大通りに出ても人影が一つも見当たらない。廃墟はいきょのように閑散かんさんとしている。



「はいきゅー所じゃない?」



 職業のない不可触民や子供がスラム街に溢れかえっている。それは、これだけの人の数を支えられるだけの食糧を無償で提供されているということだ。しかし、蓮にとって配給所などというのは現実離れした存在であるため思考からすっぽり抜けていた。



「それってどこでやってわかるか?」

「人がたくさん集まってる場所ならわかるよ」

「武器に変身できるなら服装を変えることもできるよな?」

「服装を変える程度ならね。でも何にでも変身できるわけじゃないよ」


「ああ、それで十分だ。その配給に並ぶぞ。食料の確保は死活問題だからな。あと量を確保したいからティナも並んでくれ。スラム街の子供に混じってもおかしくないようなボロ切れに変化させて、絶望の顔を浮かべるんだ。変に思われないように俺とティナで兄妹だと思われるように演技しよう」


「お兄ちゃん、こんな感じ?」



 服装を変えて、上目遣いで聞いた。その顔に浮かべる絶望の表情の演技はそれほど上手ではない。

「そんな感じだな」





 蓮はそっけなく答えた。



 さて、スラム街は不潔で治安が悪い。だが権威や軍事力には弱いので、要塞の中から運ばれる配給にはちゃんと黙って整列する。非常に行儀がいい。



 だが配給の列から離れれば安全は失われる。なので配給食品をもらったら退散してすぐにティナを短剣の姿に戻した。



 さて、配られたものは黄色い正体不明のにちゃにちゃした油の塊である。食品安全上危険ぷんぷんしている。蓮はその黄色い謎の物体を舐めた。そして端的な感想。



「うん、これは最悪の事態用が起きたとき用に取っておこう」

「見るからに美味しくなさそうだもんね」



 人間の食べ物としてギリギリ落第点。アメリカの健康のことを一切考えないジャンクフード会社が災害時用の保存食を作ったらこんな感じになるだろう。スラム街の子供がひどく栄養失調になっているのではないあたり、ある程度の栄養は確保されているのだろう。だが、蓮はこれをかじれば確実にはきもどす自信がある。



 しかし食料のために魔獣との戦闘という危険を冒さなければいけない生活はまだ続きそうだ。



「そういえば、何でスラム街があんなに大きいんだろう。配給し続ける意味がわからない」

「うーん、それをしないのは闇、がいちばんの原因かな?」



 この世界の未開地に広がる闇。未開地を我が物顔で動き回るこれは、魔獣すら寄せ付けない。しかし、この闇を都市の中で見ることはほとんどなかった。



「闇にぶつかるとすぐに魂が天界に持ってかれるからね」

「あーなるほど」



 蓮はそこまで聞いて全てを理解した。



「スラム街が防壁を覆うことで要塞を最前線にしなくて済むわけか。スラム街の人々が生贄の肉壁となる対価として、都市がスラム街の人間に食糧を配給する。なるほど、ウィンウィンな関係だ。…これを考えた人は鬼か悪魔か?魔王なんかよりもこの都市を設計したやつを倒した方がいいと思うんだけど」



 非常に性格が悪く独善的であるという自己評価を持つ蓮から見ても狂気にしか思えない設計だ。




「そんなことないよ!魔王の方がずっととんでもないことを考えているよ!」

「こんな鬼畜の所業が霞んで見えるぐらいに?」

「うん」



 一般人では思い描くことすら許されない倫理とは点対称の領域にある残忍で狡猾な極悪非道の大魔王を想像した蓮は身震いした。



 蓮は、この世界に来てから特別な力に目覚めたりなんかしてない。身体スペックは常人そのものだ。身体強化魔法をかけてない状態での基礎スペックは栄養失調によってむしろ常人以下になっているかもしれない。最後の頼みつの綱である魔法という不思議パワーもほとんど成果を挙げられずにいる。



 だが、蓮には魔王討伐を諦めることすら許されない。



 このティナという少女はどういうわけか、魔王殺害が何よりも最重要な使命であると考えて動いているらしい。そして魔王討伐に至るまでの道筋に必要なもの以外には一切興味を示さない。ティナにその理由を聞いても「魔王は存在しちゃいけないから!」というような要領を得ない回答しか返ってこない。蓮はそのようなティナの回答を聞くとたまに得体の知れない恐怖で薄ら寒く感じることがある。なぜなら、ティナがまるで魔王殺害のためだけにプログラミングされた機械であるかのように感じるからだ。



 それはさておき、ティナのこのような行動理念は一つ重要な示唆を含んでいる。ティナが蓮に協力しているのは蓮が魔王を倒す可能性のある勇者とかいう存在だからだ。しかし、ティナにもし蓮が魔王を倒す可能性がないと判断されてしまえば、ティナは蓮を即座に見捨てるだろう。実際に、ティナに「もし俺が勇者じゃないってこと判明したらティナはどうする?」と聞いたら、きょーりょくするのやめる、という答えが返ってきた。



 ティナは蓮の生命線である。



 ティナを使えば、斬撃を遠くまで飛ばして遠距離攻撃することもできる。魔獣を豆腐のようにスライスすることもできる。



 一般高校生程度の体力しかない蓮に、この世界で十分に戦えるだけの力を与えてくれるのだ。人脈もないこの世界で生き残るために、生命線たるティナを絶対に手放してはならない。だからティナに見限られてはならないのだ。



 何より、蓮の矜持プライドが絶えることはできない。



 健気で幼気な小さい少女にこれだけ恩をもらっているのだ。蓮は他人に興味がなく自己中心的な人間だ。情とか義理とかいった物を馬鹿にするようなひねくれ者だ。そんな彼でさえこの少女に対して依存しきっていることが惨めに感じている。しかも蓮がティナに依存してるという関係なのに、ティナは謝罪することがある。しかも本心から。そのため罪悪感がどんどん積もっていく。プライドが引き裂かれていく。だからなんとかティナの期待に応えられるように頑張ろう。そう思っている蓮がいた。




 前にも思ったが、もしティナを設計した人がいたとすれば随分と頭の良い悪党だろう。少女に助けてもらってばっかりでは情けない、だから自分も少女を助けるために魔王討伐しよう。そう思わせるように思考誘導している。



 他人に強制されることを最も嫌う蓮は、名前も知らない誰かに思考誘導されて、いいように利用されている可能性に歯痒はがゆく思う。



「運命は理不尽すぎる」



 なんで俺が魔王討伐なんてしなきゃいけないんだ。俺が何かしたか?確かに他人に恨まれるようなことは幾度となくしてきたが、その仕返しにしては度が過ぎてる。

 蓮はこの世界にありったけの呪詛を心の中で吐きまくった。

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