第16話 その時、猫は鬼の正体を耳にした
――翌日。
「行くぞコマコマ!ブラックキャット!」
「だから首根っこを掴むな!首がしまっ……」
昨日と同様、四限目終了のチャイムがなるや否や、紅音は猫丸を引っ張って廊下に出る。
その後ろを、
子供のようにはしゃぐ紅音を先頭に、三人はいつも通り屋上へ足を踏み入れる。
本日の天候は快晴。暖かな陽光に肌を包まれ、澄み切った青空の下で竜が笑う。
「――さて、それでは頂きましょうか」
床にシートが敷かれると、三人はその上でまた弁当を囲う。
手を合わせ、揃った声で「いただきます」と告げると、全員が一斉に箱の蓋を開けた。
「おおっ!」
「今日も豪勢ですね、黒木さんのお弁当」
「あ、ああ、そうだな……」
猫丸の箱に詰められた内容に、紅音と九十九の二人がまたしても目を奪われてしまう。
今日のメインディッシュは、縁からヒゲがはみ出すように添えられた、伊勢エビの天ぷら特大サイズ。
食い入るように中身を見つめてくる二人の姿に、猫丸はデジャヴを感じると。
「えと……、良かったら一口――」
「「いただきます‼」」
――速いな……。
差し出したエビの半分が消え、猫丸の弁当の内容は一気に寂しいモノへと変わった。
朗らかで、幸せそうな笑みを浮かべながら咀嚼する紅音と九十九。
「コレ、お返しにどうぞ」
「私からもくれてやろう!さぁ、遠慮なく食らうがいい!」
そんな二人から、お礼にまたメニューを一つずつ猫丸は貰う。
海鮮繋がりという理由からか、九十九からは焼き
紅音からは、白い身の上に何やら赤い耳のような形をした皮を付け乗せられた、またしても得体の知れない物体を。
「何だコレは?一見切り分けたリンゴのように思えるが、四肢を失くしたうさぎにも一瞬……」
「ああっ、うさぎリンゴですね。紅音ったら昨日のタコさんウィンナーといいコレといい、中々可愛らしい物を作るじゃないですか」
またしても聞き慣れない単語。
猫丸はその白い物体を箸で摘むと、訝しそうな目付きでそれをジッと見つめる。
その様子を見て、いち早く次の展開を察した九十九が説明しようと……。
「黒木さん、大丈夫ですよ。流石に
「俺もそう思ってる。そう思ってるんだが……」
何とも言えぬ表情で固まっていた猫丸が、目の前にある白い物体から視線を逸らす。
釣られるようにして、九十九も同じ方角に目を向けてみると、そこには猫丸にその物体を渡した本人の姿が。
「アイツの顔を見て、一気に怪しく見えてな……」
何故か、紅音は不敵な笑みを浮かべていた。
異様な笑い声が猫丸の耳に入り込み、ただのリンゴが恐ろしい何かに見えてしまう。
「済まないが、ちょっとトイレに……」
「あっ、ちょっ、黒木さん⁉」
そう言って立ち上がると、中身の半分以上を箱に埋めたまま、猫丸は二人の元を離れ、屋上から去っていった。
毒物かどうかは解らない。だが、また食べるのを強要されると思い、逃げ出してしまったのだ。
二人だけになり、九十九はため息と共に頭を抱えると、ポカンとした顔の紅音を見て尋ねる。
「紅音、どうしてあんな恐い顔で黒木さんを見てたんですか?」
「……?私はただ、ブラックキャットが今度こそ私の作った物を食べてくれるところを、しっかり目に納めようとしていただけだが」
「へ?でも、何か企んでそうな顔してましたよ。何処かの
「狡い悪者とは失礼な。私は単純に、喜んでくれるかどうか気になっていただけだ!まあ、緊張のあまり、知らず知らず口角が吊り上がっていたやもしれんが」
腕を組みながら、仏頂面で憤りを表す紅音。
その返答を聞き、九十九はハハハと苦笑する。
「そ、そうだったんですか。私てっきり、また毒でも仕込んでいると言うのかと……」
「そんなことする筈があるまい。昨日の反省を活かし、今日はそういった発言を控えるよう試みている」
「は、はあ……。良い心掛けですね」
――失敗に終わってしまいましたが……。
その頃。そんな会話が繰り広げられているとは露知らず、猫丸は適当に廊下を歩き回っていた。
取り敢えず、昼休み終了の五分前までこうしていよう。と、密かにそんなことを企み、気の向くままに廊下を彷徨い続けた。その時――
「――ゲッ……。お前は……」
廊下の先から、こちらの顔を見るなり心底嫌そうな表情をした生徒が歩み寄ってきた。
昨日のこの時間、屋上で顔を合わせたことのある人間だ。確か名前は……。
「
「ああ、そうだな……」
応えた直後、ジロリと猫丸を睨む
寝不足なのか、その眼の下には隈が出来上がっている。
「チッ、まさかまたお前と顔を合わせる羽目になるとはな」
「そう言うな。気に入らない相手とはいえ、直接毒突かれるのは傷付く」
「何が傷付くだバカ。傷付いてんのはこっちなんだよ。見ろコレ。お前にヤラれた所、まだちょっとヒリヒリしてんだぞ」
祭はシャツの袖口を捲り、自分の右手首を猫丸に見せ付ける。
そこには薄っすらとではあるものの、赤い染みのようなモノが痛々しく残されていた。
昨日、猫丸が怒りのままに握ってしまった痕である。
「圧し折らない程度に加減してやったつもりだが?」
「折られてたまるかってんだクソッタレ。よりによって、利き手の方を握りやがってよ……」
「お前がそっちの手で俺の眼帯に触れようとしたのが悪い。それで全て俺のせいにしようというのは、少々勝手が過ぎるんじゃないのか?」
「本っっっ当にムカつく野郎だなテメェ!」
次々と相手の神経を逆撫でするような発言をする猫丸。
苛立ちが収まらなくなり、祭の眼も段々と鋭さが増してくる。
その直後のことだった。
「うっ……」
祭の姿勢がくらっとし、ふらつきを見せる。
「どうした?体調でも優れないのか?」
「うるせぇ、これくらい平気だ……」
祭は頭を抱え、重い足取りで進んでいく。
その姿に、流石の猫丸も心配を覚え。
「保健室に行った方がいい。昼食は?随分と痩せているようだが、何か栄養は摂ったのか?」
「うるせぇっつってんだろ!いいから俺のことはほっといて……」
そう告げながら、猫丸の横を通り過ぎようとしたその時。
蹌踉めいた勢いで、今にも床に倒れそうになったところを、猫丸が支えに入った。
「何が平気だ。高い身長の割に、体もこんなに軽いし。悪いが、このまま保健室に運ばせてもら……――ん?」
ふと、右手に違和感を覚え、猫丸は
――何だコレは?何やら異様に柔らかい物が手に当たって……。
「はっ……、はわ……」
支えている箇所からして胸の辺りだろうか。
綿をギュウギュウに詰めた布団のような物体が、祭の体に付いている。
「はわわわわわわわわわわ…………!」
一体それが何なのか見当もつかず、猫丸は延々とそれを揉みしだいていると。
「なあ、コレは一体……」
「はわァァァァァァァァァァ‼‼」
「えっ?――ブホォ⁉」
突如、何の前触れもなく、そして何処からともなく、顔面に衝撃が走った。
鼻の辺りが熱く、滴る鮮血を押さえながら猫丸は祭の方を見ると。
「いきなり何を……って、おい、どうした?」
何やら偉く顔を赤くしている。
鋭かった筈の両眼は今にも泣き出しそうになっており、息遣いもかなり荒い。
伸ばされた右腕と、その先にある赤い斑点の付いた握り拳も気になるところだが、今一番気になるのは、その反対の左腕で覆い隠された胸部だ。
確かあの辺りに、柔らかい何かがあった気が……。
「熱でもあるのか?早退するなら、俺が変わりに
「…………死ね‼」
「えっ?お、おいっ!」
そう言い残すと、祭は一目散に去っていった。
何がなんだか解らないまま、その場で硬直する猫丸。
すると、背後から聞き慣れた声が耳に入ってきた。
「あ〜あ〜、み〜ちゃったみ〜ちゃった」
「
振り返ると、そこにはニヤニヤと小悪魔のような笑みを浮かべている九十九と、完全に激怒り状態の紅音の姿が。
「見損なったぞブラックキャットよ。貴様、まさかそんな
「ホントですねー。クスクス……」
「おい、さっきから何を言ってるかさっぱりだぞ。誰が助平だ誰が」
「貴様だ。この盛った野良猫め」
訳の解らない紅音の罵りに、猫丸は首を傾げてしまう。
その様子を見て、九十九は必死に笑いを堪えながら猫丸にポケットティッシュを手渡すと。
「黒木さん、念の為聞いておきますが、悪気があって鬼頭さんの胸を弄ったとか、そういうのではないですよね?」
「当たり前だ。俺に男の胸を揉む趣味はない。それがどうかしたか?」
取り出したティッシュペーパーをこよりこよりし、それを鼻に詰めながら猫丸が答える。
返答を聞き、九十九は「なるほどなるほど」と繰り返すと。ゴホンと一つ咳払いし、
「えー、黒木さん。勘違いされてるようなので、一応教えておきますね」
「……?」
真剣な顔付きで猫丸の眼をジッと見て、
「彼女は……、鬼頭さんは女性ですよ」
そう、言い放った。
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