第14話 その時、竜は猫に勝利した
その後、特に目立った淀みも無く、三人の昼食時間は着々と終わりへ向かっていった。
――もっと妙な動きを見せると思ったが、俺の考えすぎだったか……。
これまでの警戒が懸念へと移り、猫丸の中で張り詰めていた緊張が少しずつ解かれていく。
朝、紅音が教室に顔を出してからの一秒一秒に、限界まで神経を尖らせていた猫丸。
運命の時が刻一刻と迫るに連れ、胃液と共にドロドロに溶けた筈の内容物が喉元まで逆流してくるように、緊張感と緊迫感が仲良く押し寄せに掛かった。
そしてとうとう昼がやって来た時、過去最大とも言える山場を迎えたと思った――が、それは自身の過度な用心が招いただけの、単なる虚像に過ぎなかった。
自分が比較的大人しくしていたお陰か、攻撃と思われる行動は一切見られず、面倒な会話や、意味不明な発言や挙動が時折繰り出されることもあったが、それ等は全て日常的に見ているような振る舞いそのもの。
そして今、昼食という、このおよそ四十五分間の長いようで短い時間が、自分が想定していたモノよりも、遥かに平和的かつ平凡な形で終わりを迎えようとしていた。
――まったく、いくら相手が相手だったからと言え、下手に身構えていた自分が阿呆らしく思えてきたな。
今までの自分を責める裏で、猫丸はひっそりと安堵する。
その頃、手を合わせ、「ご馳走さま」と礼儀正しく振る舞う
紅音の方でも、既に中身を完食しており、片付けの方に入っている。
「紅音、ご馳走さまは言いましたか?」
「ハッ!すっかり忘れていた!」
注意を受け、紅音はすぐさま手を止めると、その掌を重ね合わせ、元気いっぱいに「ご馳走さま」と叫ぶ。
その光景に、九十九は我が子を愛でる母親のような表情でうんうんと頷くと、今度は猫丸の方に目を向けた。
「黒木さんも。それ、早く食べちゃってくださいね」
そう言って、九十九が視線を下ろした先にあったのは、猫丸の弁当箱にポツンと一つ残された、小さな八本足の謎生物。
「いやダメだ。コレは後で鑑識に回す」
「なにバカなことを言ってるんですか?」
首を横に振って応える猫丸に、九十九はポカンとした顔で冷淡に告げた。
「もう黒木さん以外食べ終わってますし、黒木さんも、あとそのタコさんウィンナーだけじゃないですか。ほら、もうそろそろシートを片付けなくちゃいけない時間なので、さっさと食べちゃってください」
すると、そっちこそ何言ってるんだとばかりの顔で、猫丸は続けて応える。
「だって、コレには即死させる程の毒が入っている訳で、コレを食うということは……俺が……!」
「大丈夫ですよ!さっきも言いましたが、それただのタコさんウィンナーですので!ウィンナーをタコの形に成形しただけですので!そもそも、それを渡した紅音が平然と口にしているんですから、食べても平気って解るじゃないですか」
まだ猫丸が勘違いを続けていたことに対し、九十九がツッコミ口調で説明する中。
その遣り取りを眺めていた紅音が、突如として不敵な笑みを浮かべ始め。
「デッドリーカースクラーケンの毒なら、私には効かないぞ。何故なら、この毒は私以外の者に作用するよう、作られているのだからな!」
「ほらっ‼」
「紅音!これ以上ややこしい展開に発展させないでください!」
紅音の余計な発言が勘違いを加速させ、猫丸の中で段々とその八本足の謎生物に対する警戒が強まっていく。
「とにかく、この猛毒を持ったタコは
堂々と間抜け発言を続ける猫丸に、九十九は頭を抱えてしまう。
――どうしましょう……。このままでは、黒木さんがご家族の皆さんに笑われてしまいます。
せっかく出来た新しい友達が、一生の恥を刻もうとしている。
当人すら気付いていない悩みを人知れず抱え、九十九は何とか解決に運ぼうと考えると、紅音をちょいちょいと手招きし、猫丸に聞こえないよう耳打ちした。
「紅音、お願いします。紅音の方からも何とか言ってやってください。紅音の言葉なら、多分聞いてくれますから」
「む、そうか……。まぁ、コマコマからの頼みとあらば、仕方ないな」
やれやれと言いたげな顔をする紅音。
その様子に、誰が原因でこんなことになってるんだとツッコミを入れたくなる九十九だったが、彼女の言葉以外猫丸は信じてくれないだろうという思いがブレーキとなり、何とか喉奥に押し込める。
一方、目の前でそんな話し合いが行われていることに気付いていない猫丸はといえば、懐から小さなジップロックを取り出し、今から弁当箱にある謎生物をそこに入れようとしていた。
タコさんウィンナー相手に、何バカなことをやっているんだろうと九十九が思う。
そんな
「安心するがいいブラックキャットよ。このタコは私以外には毒だと言っていたが、一応貴様にも効かないぞ」
だから食べても大丈夫。と、適当な言葉を並べながら、猫丸の箸を勝手に手に取り、挟まれたウィンナーを猫丸の口へ差し向けようとした。
すると、猫丸は咄嗟に自分の口とウィンナーの間に右手を割って入らせ、
「いや、流石にそんなことを言われても信じられない。その奇怪な生物は、予定通り鑑識に回させてもらう」
即座に食べることを拒否した。
しかし、
「大丈夫だから。ブラックキャットに掛かれば毒なんて全然効かないから」
「だから信じられないと言ってるだろう。さっさとその箸を降ろしてくれ」
「なんなら最初から毒なんて入っていないから」
「おい、言ってることがさっきまでと矛盾しているぞ。お前は自信満々に話していたじゃないか。そのタコには食べた者を即死させる程の毒が含まれていると。それなのに後から入っていないと言われて、信じるバカが何処に居る?」
「まぁまぁ、ここは一度騙されたと思って……」
「断る。それで命を失う結果に至ってしまっては、元も子もない」
「「…………」」
互いに無言となったまま、静止する二人。
繰り広げられる猫丸達の掛け合いを目の当たりにし、「やはりダメか」と、九十九が諦めるように項垂れる中。
心に火が付いたか、紅音は空いていた左手で無理矢理猫丸の手を降ろし、そのまま飛び込むように馬乗りとなって、力尽くでウィンナーを食べさせようと奮闘を始めた。
「いいから食え!ここまで自分の手作りを拒絶されるというのは、何だか妙に腹立たしいのだ!」
「ふざけるな!そこまで俺を毒殺したいのかお前は!俺は食わないぞ!断固として食わないぞ!」
「食わず嫌いをして恥ずかしくないのか⁉ブラックキャットよ、貴様それでも闇の世界の住人か⁉」
「そんな子供みたいな話をしてるんじゃない!命の掛かった問題を抱えているんだ、こっちは!」
タコさんウィンナーを手に、必死にそれを勧めようとする紅音と、同じく必死に抵抗する猫丸。
その光景は、傍から見れば少々強要さが感じられる、愛し合う男女が自分の料理を恋人と共有しようとする行い、通称『アーンの儀式』に他ならない。
が、当人達にそのつもりは一切無く、ただ己のプライドと生死を賭けた行動以外の何ものでもなかった。
――この二人の遣り取りは見ていてとても可愛らしいですが、何というかこう……トキメキに欠けますね。
互いに異性という存在と絡み合っておきながら、照れ隠しやデレといった面映ゆい展開を一切見せない猫丸達に、九十九がどこか物足りなさを感じていた――その時だった。
もう残り十分で昼休み終了を伝えるチャイムが鳴るというのに、屋上入り口の扉が開く音が聞こえてきた。
誰かやって来たのか、そう思った九十九は音の鳴った方を振り返ると、そこには――。
「――ああ、
「……何やってんだ?お前等」
今朝、紅音に遅れて教室に入ってきた、金髪のクラスメイトの姿が。
今も絶賛取っ組み合いの最中でいた猫丸も、その見覚えのある姿に目を呉れる。
――あの男は、確か……。
そうだ、思い出した。アイツは
記憶が鮮明に蘇り、数時間前の出来事をつい先程あったことのように猫丸は反芻した――その直後。
「隙アリ‼」
「ムグッ⁉」
猫丸の油断を一瞬たりとも見逃さなかった紅音が、ついにその口に箸で挟んだ物を捩じ込んだ。
「勝利は我にあり!ハァーッハッハッハッハ!ハァーッハッハッハッハァーーッ‼」
「毒がァッ!毒がァァァァァ‼」
大空に向け、勝ち誇った笑い声を上げながら、堂々たる勝利のポーズを見せる竜。
喉を押さえ、今にも死にそうな顔で屋上の床をのたうち回る猫。
「なぁ、ホントに何やってんだ?お前等……」
「とりあえず、ちょっと過激なラブコメのお約束と言ったところですかね……」
九十九の言ってることが皆目理解出来ないでいる金髪のクラスメイト。
その異常とも言える光景に、鬼はただただ呆然と佇んでいた。
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