第一章 勘違いの始まり

第1話 その時、猫は鼠を食べ残した

 ――五月中旬、深夜。

 イギリス・ロンドンシティにある、とある邸内。


 「撃て!撃て撃てェ‼」


 高価な装飾で彩られたその場所で、鳴り止まぬ銃声と共に、数十人の男達から殺気の籠もった叫びが飛び交った。


 「誰だ⁉アイツをこの屋敷に入れ込んだのは?」

 「知るかよ!気付いたらいつの間にか侵入はいられてたんだ!」

 「外で見張ってた奴等はどうした!一体何やってんだアイツ等!」

 「もうとっくに死んでやがんよ!チクショウ……。よりによって、何でアイツがウチに……」


 悲鳴に近い会話を繰り広げながら、男達は邸内を走り続けるに向けて、発砲を繰り返す。

 が、放たれた弾は一発も肌を掠る事なく、周囲の窓ガラスや棚、手摺り、ツボ等の装飾品を破壊していくだけだった。


 「クソッ、当たんねェ……――ガッ⁉」

 「おっ、おいっ⁉どうし……――ダッ⁉」


 突如、拳銃を構えた二人の男が、言葉を途切れさすと共に床に倒れる。

 近くの者達が、横になった仲間の姿を一瞥すると、赤黒い風穴の空けられたこめかみ部分からゆっくりと赤い水が顔を覗き、床に拡がっていくのが目に入った。


 ――23、24……。


 「おいっ!ロケランでも何でもいい!何かアイツに対抗出来るモン持って来い!」

 「ハ……、ハイッ!」


 荒れ狂う銃声の中で、短機関銃を持ったリーダーらしき一人の男が指示を出した。

 それに従い、三人の男達が逃げる様にその場を離れ、言われた武器を調達しようと動き出した……。その時、


 「…………」

 「なっ⁉テメェ……、いつの間に……!」

 

 戦場と化したロビーを出ようとした男達の前に、音も無く一人の少年が立ちはだかった。

 シワの無い真っ黒なスーツに包まれたその姿は、夜空をそのまま投影した様な暗い影に覆われている事もあり、近くで目にするまで捉える事が出来ない。

 しかし、窓から漏れる月光に当てられ、両手から鈍く光る銀色の刃が、これから一体何が行われるのかを詳らかにした。

 

 「やっ……、殺っちまえ‼」


 首筋を伝う冷や汗が服に染み込み、固唾を呑み込むや否や、男達は目の前に立つ少年に拳銃を構える。

 ほぼ同時に発砲音が響くと、放たれた三発の銃弾は瞬時に壁にめり込んだ。


 「やっ、殺ったか……?」


 真ん中に立つ一人の男が、額からダラダラと汗を掻きながら、両隣の仲間に震え声で尋ねる。

 暗くて姿がよく見えない……。さっきまで目に映っていた銀色の光は、一体どこに行ってしまったのか。

 と、そんな疑問を抱いた、次の瞬間。


 バタッと、男の両隣から何かが地面に倒れたかの様な音がした。


 鼻腔を貫く血臭。足元に拡がっていく生暖かな液体の感触。そして……、

 

 「う、うあ……、うああ……」


 焼ける様に熱い首。

 まるで超高温のバーナーで、そこだけを炙られているみたいだった。

 呼吸が苦しくて堪らない。

 今すぐ酸素を取り入れたいところだが、喉奥から溢れ出る熱水が邪魔をしてくるせいで、上手く出来ない。

 気が動転し、男の口はガクガクと震えてしまう。

 

 ――38、39……。そして――


 その後ろで、血の滴るナイフを握りながら、黒尽くめの少年は一歩ずつ前へと進んでいく。

 いつの間に背後へ移動したのだろう。どうやって銃弾を躱したのだろう。目の前に並ぶ他の男達が、そういった疑念を抱いたまま銃を構える中。

 吐血し、首筋から噴水の如く血飛沫を上げながら、背中の男はゆっくりと床に体を預けた。


 ――これで、40か。


 刃に付着した血を払い、目の前に並ぶ残った標的達を見て、少年は静かにため息を吐く。


 「野郎……、よくも!」


 仲間を殺られる一部始終を見て、戦慄の走る男達。

 次々と恐怖に駆られていき、絶えない発砲が繰り出される。

 しかし、それでも無数の銃弾は、少年の体を穿つ事が出来なかった。

 何故なら、既に少年は、に居なかったのだから。


 銃という物は、動く標的まとに当てるのが途轍もなく難しい。

 扱いも知らぬ素人ならば、止まっているものですら当てるのは至難の業。

 そもそもな話、跳ね返って来る跳弾の可能性を除いて、銃口の先に居なければ、当たる事などまず無いのだ。

 なので、とりあえず動き回ってさえいれば、そう簡単に当たりはしない。

 それも、相手の発砲が遅れるくらい速く、速く動いてしまえば……、


 「チクショウ、当たんねぇ……!」


 銃など、音が煩いだけのガラクタだ。


 「クソッ!ちょこまかと逃げ回りやがって!」


 少年まとを目で追う事が出来ない事実に、リーダーらしき男が怒号した。

 一方、敵の銃弾を常に足で躱し続けていた少年は、途轍もないスピードで、尚も邸内のロビー全てを走り回る。

 比喩などではない。その全ての意味するところは地面だけに留まらず、テーブルや棚といった家財道具、銃弾のめり込んだボロい壁。更には……、


 「――なっ、嘘……だろ……?」

 「一体、どうやってに立ってるんだ……?」

 


 空中さえも足場とし、飛んできた銃弾を次々と回避していった。


 そのあまりに不可思議な光景に、男達は仰天し、目を見開かせる。

 輝かしい満月を背景に、空中で静止する黒スーツの少年。

 見てみると、その少年の足元には、何やら細い線の様な物が、天井部分を覆い尽くさんばかりに張り巡らされていた。

 

 ――ありゃあ、ピアノ線か……?


 天井を見上げ、リーダーらしき男は更に疑念を抱いてしまう。

 一体どこからあんな物を?一体いつからあんな物を?

 次々と浮かび上がっていく疑念、疑問。

 その答え、いや、答えと呼べるものかは定かでないが、男の脳に一つの結論の様なものが新たに浮かび上がった。

 銃弾をも躱す敏捷性。

 悉くを足場とし、獲物を撹乱させる狡猾性。

 そして、獲物が油断を見せたその一瞬、確実に命を刈り取る残虐性。

 満月を背にし、血の被ったナイフを両手に、左眼を眼帯で覆ったその黒い姿――


 「――あれが、黒猫ブラックキャット……」


 「1、2、3、4……――」

 

 部屋の明かりと、背に控える月の輝きを利用し、少年は残りの数を目測で捉える。


 「――7、8、9……か」


 数え終わったその瞬間、下で憤慨する男達を見下ろしながら、少年は呆れる様にため息を吐いた。

 

 「依頼の内容では、四十人で構成された一味と聞いていたが……。まだこれだけ残っていたとはな……」

 

 また不備オーバーワークか……。再び少年の口から漏れたため息は、一度目よりも更に深く、長いものだった。

 仕事を依頼するのなら、最低限正確な物を寄越して欲しい。

 特に、『殺し』という危険を要する仕事を要請するのなら……。


 「降りて来いオラァ‼」

 「高え所から見下してんじゃねぇぞゴラァ‼」

 「煩いな……」


 下の方から、チューチューチューチューと喧しい喚き声が聞こえてくる。

 もうとっとと終わらせてしまおう。

 この後、依頼達成の報告に加え、今回は不備に関する事後処理が待っているのだし。

 ゆっくりしている暇は無い。

 そう思い至るなり、殺し屋『黒猫ブラックキャット』の異名を持つ少年、黒木くろき猫丸ねこまるは、再度両手のナイフを強く握ると。

 身を屈め、猫の如く、下の獲物に今にも飛び掛かりそうな体勢になりながら、



 「鼠共が……、一匹残らず喰い尽くしてやろう」



 力いっぱい、束になったピアノ線を蹴り出した――


 ――血みどろと成り果てた、惨劇の一間。

 辺りに転がった死体の中で、猫丸はただ一人、そこに居ない筈の誰かに話し掛けていた。


 「俺だ……。今仕事が終わった」

 『お疲れ様でした、猫丸様。お怪我の方は御座いませんか?』


 そこにしか居ない筈の空間で、猫丸の声に応答した者の声が鳴り始める。

 仕事中、ずっと耳に装着していた、小型インカムの仕業だ。

 万が一の事態に備え、片手が塞がってしまわないよう、連絡手段で携帯電話は用いないようにしている。


 「問題無い。それより、依頼者に伝えて欲しい事がある」

 『何でしょう?』

 「標的ターゲットの人数に不備があった。契約違反により、依頼料を追加で溢れた人数×百万で支払うよう請求しといてくれ。出せなければ臓器でも可」

 『了解しました』


 一般人が聞けば、思わず耳を塞ぎたくなる様な遣り取りに、猫丸以外誰も居ない筈の空気が重くなる。


 『して、不備の確認された超過人数は?』


 インカムを通して、彼の部下が問い掛ける。


 「ああ、人数は……」


 それに対し、カウントした数について猫丸が報告をしようとした……、


 「きゅ……――」


 その時だった。


 突如、右方向にあった本棚が倒れ、大きな音を響かせると共に、土煙が蔓延した。

 反応して瞬時、猫丸はすかさず銃を構えると、いつでも動ける状態を保ったまま、煙が晴れるのを待った。


 『どうなされましたか⁉猫丸様!』

 「本棚が倒れただけだ。安全を確認次第、また連絡する」


 そう言い残し、ジリジリと猫丸は倒れた本棚の側へと近付いて行く。

 本棚は随分とボロボロな様子だった。

 戦いに巻き込まれたのだし、それは仕方のない事だろう。

 木の色褪せ具合からして、随分と年季もある様だし。

 これは倒れてもおかしくない、そう思っていた矢先の事。

 土煙がとうとう晴れ、その先にあったものに、猫丸は驚愕してしまった。


 ――まさか、そんな……。


 そこに居たのは、自分と五つ位歳の離れた、小さな少女だった。

 もしや、ここの首領の娘だろうか。

 月光の様に美しく、透ける様な金の髪が、ゆらりゆらりと揺れている。

 風でも吹いているのかと、一瞬思いそうになったが、実は違っていた事に猫丸はすぐ気付いた。


 ――怯えているんだ。体が震えるあまり、髪も一緒に靡いているんだ。


 小刻みな振動が、少女の華奢な体をこれでもかとばかりに揺らしている。

 暗闇でも解るぐらい、目は涙で宝石の様に輝いている。

 小さく、可憐で、人形にも勝る様なそのおもては、沢山の涙と鼻水で酷くグシャグシャだ。

 もしや、ずっとここに隠れていたというのだろうか……?

 邸内に侵入しておよそ小一時間、バレないように、ここに隠れていたというのだろうか……?

 

 自分の父親とその部下達、家族が殺されていくのを目の当たりにしながら、ずっと息を潜め、ここに隠れていたというのだろうか……?



 「ヘル……、ヘル……」


 何かをずっと呟いている。

 ああ、成程。『Help me助けて』と言いたいのだろう。

 自分の親を殺された相手といえ、助けを懇願するのは尤もな事だと言えないでもない。

 だが……、


 「…………」


 無言を保ったまま、猫丸は引き金に指を添える。

 喩え子供といえ、依頼人に任されている以上、この娘も殺しの対象。

 生かしておく訳にはいかない……。

 すると、猫丸から連絡を待ち続けていた、インカムの先で控えている者から、再び通信がやってきた。


 『猫丸様、異常の方は何事もありませんでしたか?』

 「ん?ああ……。いや、新しく伝えたい事が出来た。さっきの超過人数だが……」

 

 その時、猫丸に違和感が襲ってきた。


 ――まただ。また引き金を引こうとした瞬間、指が重くなる……。


 これでもう何回目だろう。

 あれだけ走り回って疲れの一つ見せなかった猫丸の手から、ダラダラと汗が噴き出していく。

 震えこそ無いものの、目の前で怯えている少女を撃つには、あまり適していない状態であった。


 ――大丈夫だ。今度こそ……、今度こそ……。


 先程までのため息とは違い、心体を落ち着かせる為に深呼吸をする。

 何度も、何度も。自分が満足いく状態がやって来るまで。


 『猫丸様……?』

 「ああ、何でもない。話しに戻るが、さっきの超過人数。全部で……」

 ――大丈夫、大丈夫……。


 言い聞かせる様に、何度も同じ言葉を心で唱え続けた後。

 猫丸はインカムの向こうに居る者に応答すると同時、


 「じゅ……――」


 再び引き金に指を添えようとした。

 その時――



 『ネコォォォォォ‼仕事は終わったかァァァァァ⁉』



 インカムでは押さえ切れない程の大音量が、突如として邸内に響き渡った。


 「おっ、親父か……?何だ急に?こっちはまだ仕事中なのに……」


 あまりの音量で、咄嗟に片手で耳を押さえながら、猫丸は向こうに居る別の男。

 自分の父親に尋ねた。


 『仕事っつったって、どうせいつもの事後報告だろ?そんなもん後でいいだろ!それより今すぐ帰って来い!大事な話があるからな!』

 「大事な話?というか今すぐって、このままじゃダメなのか?」

 『ダメだダメだダメだ!どこの馬の骨に盗聴されてるかも解らん機器で、こんな重要な話をする訳にはいかん‼』


 半ば強引に押し切る様に、猫丸の父親は応えていく。

 そんな父親に対し、機器がどうこう以前に、こんな大声で喋ってしまえば、誰にだって聞こえてしまうだろう。と、猫丸はため息混じりにそう思った。


 『とにかく、今すぐ日本に帰れ!他の仕事云々はもう他の奴に任せてあるから、お前は真っ先に家に帰って来るんだ‼解ったな⁉』

 「解った、解ったから……」

 『今すぐだぞ!ナウ!ナウでホームにカムバァーーック‼』


 その言葉を最後に、インカムから父親の煩い声が消えた。


 ――やれやれ、今すぐ……か。


 時間に猶予も無さそうなので、猫丸は銃をゆっくりと下ろし、少女を殺めるのを途中放棄した。

 殺される事はもう無くなったというのに、少女は未だブルブルと震えており、涙を流し続けている。


 「ヘル……、ヘル……」

 ――また『Help me』か。


 まだ助かっていないと思い込んでいるのだろうと考えるなり、猫丸は少しでも少女を安心付けようと、気休め程度に声を掛ける。


 「安心しろ、お前は助かった。命を取る気は無いから、もう怖がらなくて……」


 と、その直後。


 「……トゥー・ヘル……」

 「へ?」

 「……ゴー・トゥー・ヘル……」


 震える少女の口から放たれたのは、自身の命を救って欲しいなどという助けでも、懇願でもない、



 「Go to hell地獄に堕ちろ……! Go to hell地獄に堕ちろGo to hell地獄に堕ちろGo to hell地獄に堕ちろGo to hell地獄に堕ちろGo to hell地獄に堕ちろGo to hell地獄に堕ちろGo to hell地獄に堕ちろGo to hell地獄に堕ちろGo to hell地獄に堕ちろGo to hell地獄に堕ちろGo to hell地獄に堕ちろGo to hell地獄に堕ちろGo to hell地獄に堕ちろGo to hell地獄に堕ちろGo to hell地獄に堕ちろGo to hell地獄に堕ちろ!―― 」



 殺意と怨念の込められた、精一杯の罵倒だった。


 「…………」


 猫丸は思わず口を閉ざしてしまう。

 そりゃそうだ。自分の家族を手に掛けた相手が目の前に居るんだ。

 罵倒しない筈がない。恨まない訳がない。

 六年前のあの時は、が特殊だっただけで、普通はこうなるに決まっている。

 一体何を自惚れていたんだろう……。

 まったく、俺もとんだ馬鹿だったな。

 

 背中の向こうからは、絶えず同じ言葉が投げられている。

 『Go to hell』。地獄に堕ちろとは、よく出来た言葉だ。

 あるかどうかも解らず、誰も彼も存在を明らかに出来ていない空想の世界、地獄。

 そこでは、生前に悪事を働いた者が、死後も罪を償う為に堕とされるという、架空の断罪所が存在するらしい。

 この世界に長く身を置き、幻想も空想も何一つ知らない猫丸は、唯一、その空想だけを知っていた。

 もし、自分がこの世から消えた時は、確実にそこに堕とされるだろう。

 その場所以外、自分が行き着く所など有りはしないのだから……。


 こうして、血を被った黒猫は、ロンドンの夜街を出た。

 血生臭く、邸内を真っ赤に染め上げられたとある屋敷では、未だたった一匹の鼠が震えながら鳴いている。

 その日、そしてその時、猫はまた一つ、食べ残しをして去っていた。

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