「タマゴサンドウィッチ」――京都市中京区

「おひるごはん、どうする?」

 寺町通りの商店街を御池通りから下がりながら、隣に並んで歩く同僚の茅場に問うてみた。彼は、度のあっていない眼鏡越しに目を細めながら、飲食店を品定めする。次の休みに眼鏡を買う、と先週宣言していたのに、週明けに掛けて来たのはいつもの眼鏡。曰く「新しい眼鏡は似合わない気がして、恥ずかしい」とのこと。「自分で選んだんだろ」と言えば「店員さんに薦められて」と言い、「視えないよりマシだろ」と言えば「慣れてないから気持ち悪くなる」と言い訳ばかりで、スマートではない。もっとスマートなビジネスマンになろうよ。

 スマートじゃない相棒とわたしは、大阪に本社を構える会社で営業の仕事をしている。自社のスポーツ向けサプリメントを、スポーツ用品店やドラッグストアに広めているのだ。今日は御池通り沿いの地下にあるフィットネスジムへ売り込んで来て、一仕事終えたところ。このまま帰社しても良いのだけれど、ちょっと早いおひるごはんと洒落込みたい。

 こういう商店街を歩くたびに、思い出す店がある。出張先で出会ったお弁当屋さん。ミックスフライ弁当がボリューミーでリーズナブルだったけれど、出会ったその日に閉店してしまった。もしかしたら、今頃ヴィーガンカフェでもやっているかもしれない。そんなわけないか。

 そんな素敵なお弁当屋さんは、残念ながら寺町通りには無い。あの景色と重ねてみるも、胃袋を刺激するあの匂いは流れてこない。流れているのは、雑貨屋から漏れ出した香木の香り。香木なんて食べられない。

 このまま歩いて新京極まで行けば、ローストビーフ丼屋さんもあるし、そこで良いよねと提案しようと思ったら、いつもと違う光景に気が付いた。それには、茅場も気が付いているらしい。こういうところは、いつもシンクロする。

「珍しく列になっていないし、今のうちに入っちゃわない?」

「奇遇やな、ちょうど熱々の珈琲でも飲みながら、タマゴサンドウィッチを食べたいと思ったところ」

 仕事の時には発揮されない連帯感を持って、店内に踏み込んだ。

 店内は、珈琲の香ばしい香りで満たされていた。香ばしさの中には、ほのかな甘さがある。ビターなチョコレートのようだ。

「なんだか、マダムが多いな。ほら、あっちも」

「指ささないでってば」

 わたしは彼の指をへし折るようにして下ろさせた。これくらいしないと、彼はまた繰り返す。このやり取りを、毎日の恒例にしてはならないのです。

 この店に入るのは二回目。かつてあの有名歌謡スターも気に入って来店していたとか、かの有名作家の作品に登場するとかで行列ができるようになり、遠のいてしまっていたのだ。

 ここへ来たら、茅場が前述したようにタマゴサンドウィッチを食べるのだ。

 列になっていないとはいえ、やや混雑している。注文したもののまだ時間がかかりそうだ。

 マダム以外にも、わたしと同じくらいの女性二人組の姿もあるし、スキンヘッドで色のついた眼鏡の男性もコーヒーを嗜んでいるし、カメラ談義をする大学生くらいのカップルもいる。スキンヘッドさん以外は卓上に料理や飲み物が並んでいないし、けっこう待つかも。

「吉田って、休みの日は何食べてんの?」

「わたしは自炊しないし、用事がなければ昼間から呑んでる」

「おっさんみたいやな」

「レディに向かって、その言い方は酷いと思うよ」

「じゃあ、自分で自分をどう分析する?」

「おっさんだと思う」

「結局それかよ」

 仕事の日はおひるごはんが至福で、休みの日はパジャマのまま呑むジントニックが至福。茅場はお酒が飲めないからわからないでしょうね。わたしは特に趣味もないから、給料もボーナスも、ほとんどが飲食に消えていっている。おのずとエンゲル係数は高くなるけれど、これってエンゲル係数の欠陥よね。

「そういう茅場はさ、休みの日って何してるの?」

 わたしの問いかけに彼は、つう、っと目を逸らした。人に言いにくいような趣味でもあるのかしら。法に触れるようなものでなければいいけれど。

「何よ、人に言えないようなこと、してるんじゃないでしょうね」

「してねえよ」

「じゃあ、言ってごらんよ」

 身長一八〇センチを超えるラグビー選手みたいなガタイの茅場が、なんだかもじもじしている。そんな柄じゃないでしょ。

 わたしがつま先で彼のつま先を突いて促すと、ようやく口を開いた。

「猫カフェ」

「え?」

「何回も言わせんなや」

「だって、今、猫カフェって言わなかった?」

「だから、何度も言わせるな言うてるやろ」

 彼の口から出てくると思わなかった単語に、動揺した。だって、見た目とのギャップがありすぎる。度が合ってない眼鏡で睨んでいるような目つきの人が、猫カフェで一体、どんな顔をしているというの。

「ちなみに、どこの?」

「西陣」

「あんた、どこ住んでるんだっけ」

「守口」

「守口からわざわざ京都の西陣まで? けいはんと市バスで?」

「せやねん」

 その熱量に脱帽せざるを得なかった。するすると力が抜けて、椅子から滑り落ちていく身体を、足で抑えた。踏みしめるのに茅場の足を踏んでいるみたいだけれど、何も言ってこない。

 休みの日に趣味のために精力的に動く種類の人は、なんとなく熱量にアテられる気がして苦手だった。まさか目の前の相棒がそういう種族だったなんて思いもしなかった。同じ部署で働いていても、相棒じゃなかったら関わることなんてなかっただろうな。

 永遠に交わることのない平行線だったはずのわたしたちを繋いだのは、たまたま担当エリアが同じ相棒になったことで、そこから親しくなったのは食の趣味が近かったこと。それだけ。それだけのことが、今はわたしの生活の大部分を占めてしまっている。

「でな、吉田、今度の日曜にでも……」

「あ、ほら、わたしたちの来たっぽいよ」

 わたしはウェイターを指さしかけてなんとか堪えた。人に言うからには、わたしも辞めなければならないのです。

 目の前に置かれたサンドウィッチ。湯気が立ち上る。厚く焼かれた卵を挟んだパンがでっぷりと膨れる。これこれ。

「なあ、吉田、日曜にさ」

「ほら、熱いうちに食べちゃおうよ」

「お、おう。せやな」

 わたしたちはそれ以上の会話を辞めて、それに向かい合う。本気で食べることは、食べ物と作ってくれた人への敬意だ。

 一口かじれば、卵のふわふわな焼き加減に声が漏れる。

「うんめぇ」

「ちょっと、食べながら口開けないでよ」

 相変わらず、食べると語彙力が幼児レベルになる茅場を叱る。わたしはあんたのオカンか。

 ふわふわな卵と、奥からほんのりカラシの香りが鼻を抜ける。辛くないけれど香りが心地よい、この塩梅はなかなか成せない。

 これぞ、まさに。


「いつもの、あれ、言うんか。マリアージュ」


 あろうことか、わたしの至福は目の前にいる男に邪魔をされてしまった。ほんとにスマートじゃない。サイテーな男だと思う。

「言わない。勝手に言う非紳士的な野郎がいるから言わないもん」

「ごめんって、堪忍してや」

「ぜっっったい、イヤ」

「ここは俺が出すから」

 その言葉に揺らいだわたしがもっと嫌だ。

 誰かのせいで台無しになったけれど、ここのタマゴサンドウィッチは本当に絶品だと思う。卵の焼き加減、食パンの持つ甘み、バターとカラシの香り。このバランスはここでしか食べられない。行列ができるのも納得できる。

 これとセットで、食後の珈琲も絶品。苦過ぎない。けれど、嫌な酸味は一つもなくて。食後の余韻を味わい尽くすにはベストなブレンド。

 どうせまた行列ができる。再びここへ来れるのは随分と先になるだろうから、こころから味わい尽くした。

 お店が繁盛するのは良いこと。お店が長く愛されるということは、お店からすれば幸せなことだ。だけれど、なかなか来れなくなってしまうのは、ちょっと寂しいな。


   ◇


「ほんでな、吉田、さっきの続きやねんけど。日曜日に猫カフェでも行かへんか、一緒に」

「今日のわたしが許すわけないでしょ、バーカ」

 ほんっとに、スマートじゃない男ね、茅場は。

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