「ニンニク入れますか」――京都市左京区

「おひるごはん、どうする?」

 今日も同僚の茅場とふたりで、担当エリアの営業周りをしている。スポーツ向けエナジーゼリーやサプリメントを販売するわたしたちは、新商品の試食品を携えて一乗寺界隈までやってきた。

 一乗寺と言えば、京都随一のラーメン激戦区。営業まわりで何度か足を運んだことがあったが、お昼時はどの店も行列ができていて並ぶ気になれなかった。

 それが、今日は違う。一つ前の取引先で談笑し、昼食時を逃した結果、どこの店も大した列になっていない。

「せっかくやし、一乗寺のラーメン食って会社戻るか」

「何言ってるの。修学院のアウトドアショップさんが一軒残ってるでしょ」

「ああ、そか、あの比叡山の麓の、登山口のところ」

「そうそう。さっさとおひるごはん決めちゃおう」

 それから、わたしたちは幾多ものラーメン店を通り過ぎた。どこも美味しそうなにおいを垂れ流していて、ひとつに決め切れずにいたのだ。

 わたしたちの方は、誰かさんが冬なのに汗を垂れ流していた。ラーメン店通りを歩き続けて、彼の汗は増える一方だ。

 とある交差点で信号待ちをしていると、交差点を曲がってすぐのところに青い看板が見えた。

 理由や根拠はなかったけれど、そこの青い看板がとても気になったのだ。

「茅場、そこにしよう」

「おれはどこでもいい。吉田がいいならそれで」

「はい、決まり。行こう」

 わたしたちは、信号が青になっても渡らずに交差点から路地へ入った。

 青い看板には、なんだかとても壮大な言葉が書いてあった。これは、ラーメン店の名前なのか、店主からのメッセージなのか。

「看板に従って、店内で大声で夢を語ったらラーメン無料とかならないかな」

「なるわけないでしょ。ほら、食券買うよ」

 券売機に並ぶメニューを見る。ラーメン、大ラーメン、豚ラーメン、豚W。

 豚Wとは?

「おれ、腹減ったし、大の豚ラーメンにするわ」

「きみね、前科がいくつあるか知ってるの?」

 彼はわたしの忠告を聞かずに豚ラーメンの大を買った。

 カロン、という軽やかな音とともにプラッチック製の食券が吐き出される。わたしは初めてなので、様子見。白い食券の、普通のラーメンを選んだ。

 ここのお店は不思議だ。

 お箸、お水、れんげ、お手拭きの全てがセルフサービス。入り口のそばに全て置いてあるので、まとめて持って、案内されたカウンター席に着いた。食券はカウンターに乗せるシステムらしい。

「おれ、朝寝坊して食べてないから、めっちゃ腹減ってるわ」

「お腹空いている時ほど、案外食べられないもんだよ。胃がびっくりしちゃうから」

「いや、今日のおれは食える。ここ最近で一番腹が減っている」

「きみの最近って、二十四時間とかその程度でしょ」

 横並びで喋っていた茅場の目が、ぐっと細められた。緩やかに口が開かれ、だらしない顔をする。

「なあ、吉田。あれ、あれ」

「指ささないで」

 わたしは彼の視線をたどってみる。

 わたしの視界に飛び込んできたのは、新幹線から見る伊吹山のような野菜の山だった。いや、あれは富士川を通過する時の富士山だ。どんぶりの深さと同じくらいの山が、どんぶりの上に鎮座ましましている。

「え、ちょっと、ここ、超大盛系のお店なんじゃないの?」

「大ラーメンって、そういうこと? おれ、やらかしちまった?」

 たぶん、きみはやらかしたよ。

 わたしは普通のラーメンを頼んで良かったと安堵した。

――にんにく入れますか?

 突然、茅場が大将に声をかけられた。にんにくのアリ、ナシを選ばせてくれるお店らしい。

「え、あ、はい。にんにくアリで」

 それを聞いて、わたしは彼に小さな声で耳打ちする。

「この後も営業あるんだよ、大丈夫なの?」

「コンビニで匂い消すやつ買うから大丈夫」

 取引先の担当者さんに悪い印象を与えないかと心配になっているところで、わたしも大将から声をかけられた。

――そちらは、にんにく入れますか?

「わたしは、にんにく抜きで」

 ほどなくして、茅場の豚ラーメン大が提供された。

 わたしも茅場も、「あれ?」と顔を見合わせた。

 巨大などんぶり。ごろごろと積まれたチャーシューは四つ、全部合わせると、両手の拳よりも大きい。

 だけれど、あの野菜マウンテンはずいぶんと小ぶりだった。例えるなら、大文字山くらい。

「これは、本当に大ラーメンなのかな」

「これが大ラーメンだ、間違いない、おれは安心している」

 すぐにわたしのラーメンも提供された。わたしの方は、チャーシューが二つ、合わせると男性の拳くらいはありそうだ。野菜マウンテンは、やはり大文字山程度だった。

「ほら、吉田のラーメンは俺のより小さい」

 小さいけれど、圧倒的な重さを感じる。

 これは噂に聞いた、黄色い看板のがっつり系ラーメンの系譜なんじゃないだろうか。生半可な気持ちでは食べきれない可能性がある。

「茅場、今日は助けないから。じゃあ、またあとで」

 こころして食わねば、やられてしまうかもしれない。わたしは覚悟を決めて、一口目をすすった。

 太目な麺にジャンキーな豚の香りがあるスープが良く絡む。濃厚なスープだけれど、しょっぱさは無くて、むしろほのかな甘みがある。

 麺はとにかく太い。わたしの小指ほど、は言い過ぎかもしれないけれど、そう形容したいくらい太い。この麺がまたいい。小麦感が強くて、ワシワシと食べ応えがある。満腹中枢を滅多打ちに刺激する。

 初体験だけれど、これはクセになる。

 野菜そのものには味はないけれど、スープに沈めてから食べると、さらに甘みが増すようだ。野菜そのものの甘さを感じられる。スープのガツンとした濃さを野菜がいくらかマイルドに中和してくれる。

 暴力的な大きさのチャーシューも頬張る。しっかりと煮込まれたチャーシューにもほのかに甘さがある。こちらは、豚の脂の甘さだ。肉はほろほろとほぐれる。ほぐれてからはしっかりと噛み応えがある。噛めば噛むほど、肉の味が滲む。

 麺、野菜、スープ、チャーシュー。それぞれがまったく別々の仕事をしているように見えるけれど、どれも欠くことができない。アベンジャーズのような個性の塊たちが、一つのどんぶりの中で結束をしているのだ。

 これも一つの「マリアージュ」かもしれない。

 わたしの目測では、折り返しを迎えた。

 ここで初めて、隣の茅場を見る。

 彼は、すでに苦しそうな顔で、ちびちびと野菜を拾っていた。本隊はスープの水面下なので状況はわからないけれど、かなりの苦戦を強いられているのは見て分かる。

 仕方がない。今日も援護射撃だ。

「ほら、肉、寄こしなさい」

「すまない、吉田。これ、めっちゃ多いわ」

「またあんたは前科を重ねたことを忘れないでね」

 わたしは彼のどんぶりに残された二つのチャーシューをわたしのどんぶりに輸送した。

 最後にチャーシューを残すと、きっと苦しくなる。ここは先に食べてしまおう。

 そう思い、彼から受け取ったチャーシューをかじって驚いた。

「何これ、美味しい」

「何言ってんの、同じやろ」

「違う」

 何が違うのか。

 にんにくだ。

 彼がトッピングしたにんにくとスープ、チャーシューの組み合わせ。これが本当の。


「マリアージュ」


 わたしは、唇を脂でテカテカさせながら呟いた。

 そして、茅場へ向けて告げる。

「前言撤回。わたしは積極的支援活動を行うことを宣言する」

 わたしは、まずは自分の戦地で後半戦を戦い抜いた。限りなく満腹に近づいた胃袋で、彼への援護射撃を開始する。

 茅場のどんぶりを引き寄せて、箸で戦況を確認。思っていたよりも減っていた。これなら勝利は近い。

 彼のにんにくトッピングのおかげで、箸が進んだ。わたしの食べていたものより、圧倒的にジャンキーさが増している。強烈なにんにくのにおいがあるのに、食欲が掻き立てられる。一度、満腹に限りなく近づいた胃袋も、茅場のもとで難民となったラーメンを受け入れていく。

 かなり苦しいはずなのに、その苦しさが心地よくなってきた。

 そうして、ようやく彼の分も完食した。はしたなくならない程度に、スーツのパンツをずらして、胃袋を開放した。ブラウスの裾を押し込み、下着や肌が露出しないようにする。

「吉田、お見事」

「お見事じゃない。きみはもう大盛禁止」

「いや、おれは諦めない」

「この一杯でさえ諦めてるやん」

 かなり苦しくて、彼へのツッコミもやっとのこと。慣れないカンサイベン。もちろん、動けずにいた。

 ちょうど別のお客さんと大将のやり取りが聞こえた。

――にんにく入れますか?

――にんにくマシ、脂マシ、野菜はマシマシで。

 そうして提供されたラーメンは、あの「富士山級」のものだった。

「茅場があの注文方法を知らなくて良かったよ」

「おれも同じこと思った」

「はい、あとちょっとだし、自分で食べて」

「サンキュー、吉田。ところで、お前のその細い身体で、大量のラーメンはどこへ消えるわけ?」

「そうね、最終的には下水処理場かしら」

「俺、まだ食ってんねんけど」

 そうして、なんとか完食したわたしたちは、お腹の重苦しさと不思議な充足感で店をあとにした。こんなに苦しい思いをしたというのに、なぜかまた食べたくなっている。中毒性、という言葉が合いそうな食べ物だった。

 次はお休みの日に、思う存分にんにくのラーメンを味わいに来よう。足手まといになる茅場は誘わずに。

 また一歩、わたしは「自炊」や「手作り弁当」から遠ざかった。七八〇円でこんなに満足感が得られるなら、安いもの。これだから外食はやめられない。


   ◇


 結局、わたしたちはコンビニで買った口臭用の消臭剤を買ったものの、匂いが気になって口をあまり開かずもぞもぞぼそぼそと取引先で新商品の案内をした。

 帰り道、茅場が取引先でもないのにもぞもぞぼそぼそと、

「お前、小さい声でマリアージュって言ってるのな。文字で読んでやっとわかったよ」

「読んでって、どういうこと?」

「読んでるで、おひるごはんの小説」

 どうやらわたしの作品が、茅場に読まれてしまったそうです。

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