「唐揚げ定食こってり大盛り」――京都市中京区

「おひるごはん、どうする?」

 一通りの営業周りも済ませたわたしと茅場は、阪急河原町駅を目指して新京極通りを下がっていた。朝晩は冷え込む九月の終わりでも、昼間は半袖の通行人ばかり。わたしたちもご多分に漏れず、秋空の下でクールビズを継続中。今年からうちの会社でもクールビズが推奨されるようになって良かった。

 わたしたちは、スポーツ向けのゼリーやサプリメントを販売する会社で営業マンとして勤めている。茅場とわたしは同期であり、同じエリアを担当するコンビ。週のほとんどはドラッグストアやアウトドア専門店への営業周りをしており、ほとんど毎日、二人で昼食をとっている。

「次のアポまであんまり時間ないし、ちゃっちゃと食えるもんにしようや」

「その提案には賛成。わたし、ラーメン食べたい」

「奇遇やな、俺も吉田と同じことを考えてたし」

 京都出身の茅場が言う「ラーメン」と言えば、一つしかない。わたしたちはその定番ラーメン店を目指して進む。錦天満宮を越えた次の路地を左に入った。

 おしゃれなカフェが視界に入る。でも、ここじゃない。おしゃれなカフェのランチで、胃袋お化けのわたしたち同期コンビを満足させられる代物なんて限られているのだ。今はとにかく、お腹すいた。次のアポだってある。手っ取り早く、なおかつ美味しくお腹と心を満たしたい。

 そうして、左手に見えた半地下のラーメン店へ足を踏み入れた。

 小汚い店構え。ぬるぬると滑る床。動かせないタイプの椅子。なのに、なんでこんなにこころが躍るのだろう。

 わたしたち二人は、湿った熱気のある店内で、カウンター席に並んで座った。

「吉田って、なんかすごいよな」

「なにがよ」

「女子が来るタイプの店じゃないだろ、ここ」

「あんたよりよっぽど板についてると思うけど」

 こんなに汚くても、全国的に有名なラーメン店だ。北は北海道から南はハワイまで、津々浦々に展開する超有名チェーンのひとつ。わたしたちが把握する限りでは、店内が汚いのはここの店舗だけで、他の店舗はとても衛生的に整えられている。

 そんな天下一おいしいとされるラーメンチェーンは、京都人のソウルフード。茅場とコンビを組んだばかりの頃は、お互いの食の好みもわからなかったので、週に九回はこのチェーンへ足を運んでいた。

 その中でも、とりわけわたしたちが好きなのが、この店舗なのだ。店員のおばちゃん、失敬、女性の方の愛想は決して良いとは言えないし、店構えもこんななのに、ここに通うだけの理由がある。

「いつものやつだろ?」

「当たり前だ、わたしを誰だと思っている」

「吉田」

「よろしい」

 この店でカウンターを選ぶと、茅場との距離が近くて暑苦しい。半袖の季節は素肌が触れるほどの距離になるので、甚だ不快。だけれど、椅子が動かないこの店舗では、テーブル席よりもカウンター席の方が圧倒的に食べやすいのだ。

「吉田、暑い。もっと離れろよ」

「うるさい、あんたが痩せればいい」

「痩せられるなんて、一ミリも思っていない俺は、カラテイこってり大盛かな」

「わたしも、同じやつ、ライスも大盛で」

 ちょうど、わたしと同じかそれより若い女性客と男性客のアベックが入店した。どうせ半ラーメンとかで小食アピールするか、「もう食べられないから食べてよお」なんて甘ったれたことを言うんだろうな。食べ方は人それぞれだけれど、わたしは苦手なタイプ。

「あの人、どうせ半ラーメンだぜ」

「指ささないの。狭い店内なんだから、本当にやめてよ」

 ひそひそと小言を並べ始めたところで、本日のおひるごはんが目の前に現れた。唐揚げ定食こってりラーメン大盛ライス大盛。わたしの胃袋は、半ラーメン程度じゃ満たされないのだ。

 いつものようにスープから勢いよくすする。どろっとした濃厚なスープは、どの店舗でも変わらぬ美味しさがある。スープだけでごはんが進む。うめえなあもう。いつ来てもやわやわに炊かれたライスの甘さと相まって、美味の相乗効果が発揮されていた。

 麺をすすりつつ、ライスを掻き込む。時折つまむのは唐揚げ。衣がピリ辛なのに、ほのかな甘さもあって、それがまた米を進ませる。

 しかし、これらは他の店舗でも味わえる幸せなのだ。

 わたしは我慢ができず、カウンターに置かれた小瓶に手を伸ばした。

 わたしはこれを味わうためにここへ来たのだ。

 京都の限られた店舗にしかない、魅惑の小瓶。わたしが把握している限りでは、一乗寺の本店と、知恩院前の店舗にしか置かれていない。

 手にした小瓶の蓋を開け、ソレを小さなトングで摘まみ、どんぶりへ落とした。

「え、もう壺ニラ行くんか」

「うん。だってわたし、これが食べたくて通ってるし」

 それは知る人ぞ知るトッピング。この、ニラの辛子漬けを『壺ニラ』と呼ぶ。

 これでもか、という量の壺ニラをどんぶりに沈め、残りの麺をすする。ジャンキーな味と、強烈なニオイ。これがたまらない。

 あっという間に麺は姿を消した。あんまり勢いよく食べたからワイシャツに飛び散っていないか心配になったけれど、そんなのご無用。わたしはラーメンをすすっても汁飛びさせないプロかもしれない。

 麺がいなくなったどんぶりから、パンチが効いたスープをライスに掛ける。ひたひたになったライスに、さらに壺ニラを添えた。

 〆はやっぱりこれ。

 レンゲで一口食べ、添えたニラも口に含む。

 汁を吸って膨れた米の優しい甘さに負けない濃厚なスープを追い越す壺ニラのパンチ。それらは闘うことなく、味蕾を刺激する。これぞ、まさに。


 「マリアージュ」


 ライスは万能の食べ物かもしれない。食べきられてしまった麺の後を引き継いだライスは、その役目を充分すぎるほど全うする。そこで力を見せつける壺ニラの存在。しかし、ライスと壺ニラだけでは成し得ない。中軸の要として支えるこってりスープがあってこその、この幸福が生み出される。

 要するに、天下一おいしいラーメンチェーンの唐揚げ定食に壺ニラを足すことで最強の布陣が完成するのだ。

 これが食べられるのは京都のごく限られた店舗だけ。この味を知らない人たちを憐れむ気持ちが沸き上がった。だけど、誰にも教えたくないような気持ちも生まれる。

「俺はどうしようかな」

「なにが」

「この後だってアポ入っているし、ニラはヤバいやろ」

「なに言ってんのよ、男のあんたが。何しに来たのよ本当に」

 わたしは彼の手から小瓶をひったくり、ニラをごそっと摘まんで彼のどんぶりへ投下した。

「つべこべ言わず、美味しいものを美味しいと思って食べたらいいの」

「マスクが必要なご時世で良かったよ、まじで」

「マスクあるんだから気にしないで食べちゃいなよ」

「それがさ」

「また食べきれないんじゃないでしょうね」

 小さく頷く茅場。

 呆れた。自分で大盛にしたラーメンも定食のライスも中途半端に食べている。唐揚げは綺麗に食べきっていた。唐揚げ、好きだもんね。

 茅場の食べ残しをひったくる。実は、もう少し。もう少しだけで良いから壺ニラが食べたかった。そのためには、ラーメンもスープもライスも必要だったのだ。

 小瓶から壺ニラを摘まみ入れる。ラーメンもライスも残さず食べきった。二度目の幸福。

 今日もこうやって美味しいおひるごはんが食べられた。唐揚げ定食は八五〇円。ライスの大盛とラーメンの大盛がそれぞれ五〇円と一〇〇円。合計一〇〇〇円の至福。炭水化物と炭水化物の夢のコラボレーションというだけでも幸せでお腹が満たされるのに、そこに切り込む壺ニラの存在。

 明日もここでいいな。ちょうど、明日もこのあたりの店舗さんへ足を運ぶ予定だし。

 人と会うような仕事なのに、こんなに強いニオイのものを食べてもいいのかと思う。間違いなく、わたしのおひるごはんライフはマスクに救われているのだ。早く、未曽有の感染症が落ち着いて欲しいと願う反面、落ち着いてもマスクをつける生活がスタンダードであってほしいと思わずにいられない。

 感染症の影響で、多くの飲食店が休業を余儀なくされた。わたしのお気に入りの飲食店の中には、廃業という決断をした店もある。

 世間が平和になって、自由に美味しいものを美味しいと言って食べられる日々が、早く戻ってきてほしいです。

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