「餃子の定食」――京都市下京区

「おひるごはん、どうする?」

 わたしと同僚の茅場は、滴る汗を拭うことを諦め、垂れ流しにして歩いていた。

 わたしたちは、スポーツ向けのエナジーゼリーやサプリメントの販売をする会社で営業の部署に属し、京都市内を担当している。

 今日も朝から四条通り沿いの取引先へ新商品の試供品を届けたところだ。宵山を迎えた四条通り界隈は、人がごった返す。これをかき分けて取引先に行くのは骨が折れた。

 午後のアポイントメントまで時間はたっぷりあるので、昼食をとることにした。

 四条通り沿いなら探さなくても飲食店が目に入る。

 今いる四条烏丸から河原町方面へ向かってインディアンオムライスを食べるのもいい。そこまで行けば狸小路のカレー屋、という手もある。西へ向かって、キラメいているチキンスープのラーメン、いや、まぜそばが食べたい気持ちにもなる。

 決められない!

「茅場、なんか言ってよ」

「俺は、こっちにうまい店がある予感がする」

 そう言って、茅場は四条通りを西進し、西洞院通りを下がり始めた。

 ところが、四条通りの喧騒が遠ざかっても、わたしたちの食欲を刺激する飲食店は現れなかった。

 綾小路通りを越え、仏光寺通りも越え、ようやく高辻通り沿いに気になる提灯を見つけた。

「なあ、吉田」

「わかってる」

 わたしたちは言葉少なめに意思を疎通し、提灯へ向けて歩みを進めた。

 軒先に吊られた白く丸い提灯には、達筆な文字で「ぎょうざ」と記されている。

 外まで垂れ流された匂いにつられ、わたしたちは目くばせだけして入店した。

 わたしたちは、入り口そばの二人掛けのテーブルに通され、メニューに目を落とす。

「潔いね」

「餃子専門なんやな」

 定食メニューは一つだけ。餃子二人前、ごはん、お味噌汁、お漬物がセットになった定食。「餃子定食」でも「餃子セット」でもなく、「定食」とだけ書かれている。

 他のメニューは、単品の餃子やライスやお味噌汁と、つまみ数品と飲料の類。それと、テイクアウト用の餃子。以上。

 そういうわけで、ランチに食べるものはおのずと決まる。

 そろって定食を注文した。

「けっこう、女性のお一人様も多いんだな」

「指ささないの」

 入店客のほとんどが、仕事のお昼休憩、という雰囲気だった。作業着の人もいるし、商業施設の名札を付けている人も、わたしたちのようにスーツ姿の人もいる。皆、お一人様か二人組で入店していた。

 人間観察をしていると、わたしたちの定食が運ばれてきた。

 二人前。十二個の餃子とライスとお味噌汁、それとお漬物はきゅうりと茄子。

「はい、きゅうりもらうね」

「ありがとう、茄子は俺が食う」

 長くコンビで仕事をしていると、お互いの好き嫌いがわかる。わたしは茄子が苦手だし、茅場は生じゃないときゅうりが食べられない。

 漬物のトレードを終え、無言でタレを小皿に入れ、茅場に差し出す。

 茅場はラー油の壺を片手に「おや?」という顔をしていた。

「けっこう辛いと思うからやめておけば?」

「そうじゃなくて、これ、なんだと思う?」

 彼はさじで黒いナニカを取り出した。

 一センチ四方くらいで、厚みは一ミリくらいだろうか。黒。だけど、少し青みがかって見える。

「昆布?」

「あ、ここに書いてあった」

 彼は調味料トレイに置かれた案内を指さした。

「やっぱり昆布だね」

「昆布って、合うんかな」

「入れてみれば?」

「辛いかもしれへん」

「なら、やめたらいいじゃない」

「でも、気になる」

 うじうじと女々しい茅場から、ラー油をひったくって自分の小皿に入れた。

「わたしのタレで試してみたらいいから。早く食べよう、お腹空いた」

「ほんと、吉田って男勝りだよな」

「うるさい。黙って食え」

 わたしのこころも口も、もう餃子なのだ。茅場とくだらないことを言い合っている時間なんて、一秒もない。

 一つの餃子をタレにちょこんとつける。

 いざ。

 一口。肉と野菜のうまみが凝縮された汁が口の中に溢れる。ほのかで優しい甘みとコクを感じる。餃子特有のジャンキーさと、和食のような奥深さを併せ持つ餃子。

 昆布のうまみが染み出したラー油も絶品。餃子の奥深さを支える、縁の下の力持ち。

「ラー油、そんなに辛くないし、つけてみな」

「おう」

 彼は、どぶん、とタレに餃子を浸す。垂れるタレを白米で受け止めて、ワンバウンドさせてから一口で頬張る。

「ほ、あつい、ほ、ほ、うめ、うめえ」

 御託を並べなくとも、彼の頬張る姿で伝わるでしょうか。

 これは、テイクアウトセットも買って帰ろう。

 そう思って先ほどのメニューに目を移すと、うまさの答えが書かれていた。

「味噌、入ってるって」

 この餃子には、老舗の味噌が使われているという。甘さやコクの秘訣。

 一つの餃子で、ごはんがすすむ。お替りは確定。

 味噌の風味をしっかりと感じたくて、二つ目はタレを付けずに食べてみた。良い意味で餃子らしくない味わいをダイレクトに感じる。一つ目よりも素材と味噌の持つ甘さを感じる。タレがなくても美味しいのに、昆布入りのラー油が恋しくなって、三つめはやはりタレを付けた。

 その三つ目を口に運ぶ前に、気になる調味料を見つけた。黒い粉のようだ。香りを嗅いでみる。山椒の聞いた香ばしさがあった。これは、たぶん黒七味。

 黒七味をハラリと振りかけ、口に運んだ。品のある黒七味の香りで、さらに雅な餃子になった。


 どうしよう、またさらに美味しくなっちゃった。


 いけない、いけない。餃子とごはんばかりじゃなくて、お味噌汁もバランス良く食べなきゃ。

 お味噌汁を箸でかき混ぜて、違和感を覚えた。

 浮いている具は、どれもみじん切りになっている。キャベツ。ネギ。ひき肉。

 何かが頭に過ったけれど、それを追いかける前に手が動いていた。

 お味噌汁をすする。

「!」

 頭に過った何かが引き返してくる。お味噌汁の具が一体、何なのか。キャベツ、ネギ、ひき肉。

 全部、餃子の具じゃない。

 わたしの持つみそ汁のイメージが覆される瞬間だった。

 優しい家庭料理?

 いやいや、これは、お味噌汁の皮をかぶった、まったく別の物。名づけるなら、「餃子スープ」

 味噌と出汁の柔らかい味わいの中に、『あの』パンチの効いた具材たちが主張をする。カミナリお父さんと柔和なお母さんのような、これぞ、まさに。


「マリアージュ」


 餃子にしては和食のようにマイルドな餃子と、お味噌汁のくせにパンチが効いたお味噌汁。一つのランチ盆の中で保たれるバランス。

 試しに、お味噌汁に黒七味をハラリしてみた。美味しいという言葉では、追いつかなかった。

 それからわたしたち二人は、一言も発さずに定食を平らげた。そろってライスをお替りした。二人前の餃子を余すことなく味わうには、一杯のごはんでは足りなかった、足りるわけがなかった。

 もしくは、ここにビールがあっても良い。茅場と仕事終わりに飲みに行くときは、四条大宮にある有名チェーンの餃子を食べることが多かった。(ちなみに、茅場はほとんど呑めない)

 でも、今後しばらくは、ここの餃子以外食べられない。それほどに、この餃子はわたしのストライクゾーンにズバッと決まったのだ。

 辛いものが苦手な茅場も黒七味と餃子のコンビネーションにご満悦の様子だった。

 二人前の餃子がついて、八九〇円。満足を越えた満足のランチ。

 もちろん、わたしはテイクアウトセットを十人前購入した。昆布入りのラー油も購入した。これで数日分の夕飯は手を抜いて美味しいものが食べられる。テイクアウト、万歳。


   ◇


「こんな暑い日に冷凍の餃子持って取引先に行ったら、溶けて腐っちゃうかしら」

「ネットでも買えるって書いてあったから、それで買えば良かったんちゃう?」

 なんでそれを先に言ってくれないかなあ。

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