おひるごはん、どうする?
もり ひろ
「唐揚げ定食」――京都市中京区
「おひるごはん、どうする?」
わたしは隣を歩く同僚の茅場に聞いてみた。彼は額に光らせた汗を袖で拭いながら、考えるような顔をした。
わたしたちの会社にはクールビズなんてものはない。初夏が訪れたって、わたしも彼もスーツのジャケットを着なくてはならない。移動中はジャケットを脱ぎ、皺にならないように持ち歩くようにし、取引先に入るときに羽織るようにしていた。
せめて、少しでも涼しく過ごしたいと思い、わたしは普段着用しているパンツスーツからスカートにして、冷感タイプのストッキングを試してみている。それでもやはり、暑かった。
わたしたちの会社では、スポーツ向けのエナジーゼリーやサプリメントを販売している。スポーツショップだけでなくアウトドアの専門店や、今ではドラッグストアでも販売してもらえるようになった。その会社でわたしたちは営業の業務をしている。
わたしたち同期二人が京都のエリア担当になってから、それなりの年月が経つ。何度経験しても、この街の夏の暑さには勝てそうになかった。
「吉田は何か食べたいものある?」
「質問を質問で返さないでよ」
「俺、全然思い浮かばない」
「それなら、あそこにしよう」
わたしは、前方に見える「からあげ食べ放題」の文字を指さした。
場所は、四条烏丸から裏に入ったあたり。ちょうど、東洞院錦小路を少し上がったあたりで、お昼時なので多くの人の往来があった。その路上に「からあげ食べ放題」の看板が出ていたのだ。
町家をリノベーションした建物の前には、すでに二組が並んでいた。わたしたちは、そのままその後ろに並んだ。
わたしたちが並んだすぐ後に、ぞろぞろと列が伸びていった。
「なあ、吉田。けっこう女性も多いんだな」
「むしろ、男はきみくらいしか見当たらないね」
「いるいる、今一番後ろに並んでいるのは男性のお一人様」
「指ささないの」
男性のお一人様と目が合ってしまったように感じたところで、ちょうどよく店内に入れた。
わたしたち二人は、入ってすぐのカウンターに案内された。
カウンターの向こうには、あらゆるお酒のボトルが並んでいた。まさしく、ずらり、だった。
わたしたちは、メニューを眺めた。
潔い。メニューはたったの三種類。
日替わり定食と唐揚げ食べ放題のからあげ定食、そして京野菜のカレーライス。
「おれ、カレーライスとからあげ定食で悩んでいる」
「わたしは唐揚げ定食にするよ。ここのお店のウリになっているみたいだし」
「どうすっかなあ」
彼が悩んでいるうちに、店員が注文を取りに来てしまった。小柄で可愛らしい女性の店員。わたしよりだいぶ年下だと思う。動物で言い表せば、小型のげっ歯類のような雰囲気がある。
「ええと、わたしは唐揚げ定食」
「あ、おれもそれで」
「飲み物は冷たいお茶を」
「おれはホットコーヒーで」
――コーヒーは食後でよろしいですか?
「あ、はい、食後で」
――唐揚げの数がお選びいただけます。一つ六十グラムの大きな唐揚げで、女性の方なら三、四個。男性なら五個くらいの方が多いですが、いかがいたしましょう?
わたしは普段、あまり料理しないので鶏肉六十グラムの大きさがわからない。
「すみません、六〇グラムってどれくらいですか?」
彼女は小さな手を握って拳を作り、「これくらいです」という。
けっこう大きい唐揚げを、四つも食べられる気がしない。一つ、二つならどうってことない。むしろ物足りない。ここはやっぱり三つかしら。そうね、三つ。
「わたしは三個でお願いします。」
「おれは十個で」
――十個、でよろしいですか? 唐揚げのお替り自由なので、足りなければ後からご注文いただけますが。
茅場は目を泳がせながら「いいえ、十個でお願いします」といい、それを聞いた店員は厨房へ向かった。
「本当に十個も食べれるの?」
「おれ、唐揚げが一番の好物だし」
「ほかにもおかずがついてるんだよ?」
「え、そうなの?」
彼は慌ててメニュー表を摘まみ、眉間に皺を寄せて読む。いい加減、度数の合った眼鏡を買えばいいのに、いつまでも度の弱い眼鏡を無理して使っている。彼が睨んでいるように見えたら、それはこちらをよく見ようとしている時なので、悪しからず。
「それにしても、こんな暑い日によく暑いコーヒーなんて飲めるね」
「氷が入ってキンキンの飲み物飲むとお腹痛くなるし、これから行く取引先の冷房めっちゃ強いし」
「お腹弱いって大変だね。で、カレーは良かったの?」
「向こうにいるお客さんの唐揚げ見てたら、食べたくなった」
「だから、指ささないの」
そう言いながら、彼が指さすほうを見ると、テーブル席で唐揚げを頬張るマダムたちが見えた。マダムの一口が大きいからサイズ感がおかしくなりそうだけれど、さっきの店員の拳よりあきらかに大きな唐揚げの山が見える。あれを三つ。たぶん食べきれるけれど、お米が足りなくなりそうだ。
「ねえ茅場、本当にあんなに食べきれる?」
「ああ」
「どうせ、さっきの店員さんが可愛いから見栄張ってたくさん頼んだんでしょ」
「違うから」
否定しているけれど、これは図星と見た。
取引先の担当者が美人だと、すぐ調子に乗る茅場を何度も見てきた。そのたびにこっちはハラハラしてきたし、そのあとに取引先や上司に謝る事態になることもあった。
「食べきれないと、恰好つかないし、自分で食べてよね」
「だから、食べきれるって」
「お腹いっぱいになると、茅場って口数減るよね」
「そうか?」
「次行くところ、この辺りじゃ一番の大口だし、ちゃんとやってもらわないと困る」
「大丈夫だって」
そう言ったところで、わたしたちの料理が運ばれてきた。
それを見た途端、茅場の顔色が変わった。
一つ六〇グラムの唐揚げが十個。これがどういうことなのかを彼は実感したらしい。ごはんもおかずも、おみお付けもある。ざっと、一キロは超えるだろう。
うず高く積まれた十個の唐揚げは、まるで登山道にある積み石のようだ。わたしの唐揚げは、積み重なることなくお皿に収まっていた。
目の前に置かれた瞬間から、揚げたての油の香りが漂った。揚げ物の香りに勝るものはないと思うほど、わたしには心地が良い。これを心地よく嗅げるということは、まだわたしにも若さが残っているということだろう。
「いただきます」
積みあがった唐揚げに衝撃を受けている茅場を放って、わたしは最初の一つに箸を伸ばした。
一口、かじる。
揚げたての衣が香ばしい。まだかなり熱くて、肉汁で火傷しそうになる。厚めでしっかりした衣と、中の柔らかで汁気の強いもも肉との組み合わせ。これぞ、まさに。
「マリアージュ」
わたしは唐揚げを口に含んだまま、ほくほくと言った。
ようやく、彼も一つ目に手を出した。
「うお、うめえ。ああ、うめえ。米に合うな」
そうなのだ。肉汁が多いこの唐揚げは、白米との相性が抜群に良い。一口かじった唐揚げは、お皿に戻さずに白米の上に乗せた。衣の油と、肉汁を吸った白米から食べていく。
箸休めに、副菜たちを頂く。ひじき、切り干し大根、おひたし、お豆腐。副菜だけでもそれなりのボリュームがある。副菜たちのさっぱりさと、唐揚げのガツンとしたジューシーさ、その間で司令塔としてバランス係をする白米。このお盆の上はワンチームなのだ。
二つ目は日替わりで出されるというポン酢タレをつけて食べる。濃厚な肉汁の旨味を殺すことなく、さりげなくさっぱりと仕事をこなすポン酢タレ。最高のアシスト。日によっては、柚子塩やカレーパウダーなどがあるらしい。どれも気になる。
わたしたちは黙々と食べ進んだ。
白米の残りを確認する。できることなら、唐揚げをもう一つ頂きたいくらいの量がある。
ここは、お替りと洒落込もう。
わたしはきょろきょろと店員を探す。
「吉田、もしかして、追加注文しようとしてる?」
「うん、美味しいから、もう一つか二つはいけそう」
「それなら、おれのを食べてくれないか」
彼の皿を見る。ようやく半分を食べ終えて、残るは五個。すでに茅場は苦しそうな顔をしていた。
「え、きみ、たったのそれだけしか食べられないの?」
「いけると思ったんやけど、たぶん、暑さにやられた」
「言い訳でしょ、そんなの」
わたしは彼の情けなさを彼に実感させるような小言を並べながら、二つの唐揚げをひったくった。
大振りな唐揚げは、これほど時間がたっても、一口噛めば熱い肉汁が流れ出る。プレーンな唐揚げも、ポン酢タレもどちらもいい。どちらもいいから、奇数だとどちらにするか悩む。ましてや、最後の一つはどちらで食べようか決められない。
悩みに悩んで、最後の一つはプレーンで食べた。
でも。
でも!
やっぱりポン酢タレが捨てがたい!
わたしがひったくった分を食べきる間に、茅場はようやく一つを食べた。わたしは容赦なく、もう一つをくすねた。
「あ、待って、勝手にとるなよ」
「いいでしょ、どうせ食べきれないだろうし」
「あげると言って譲るのと、勝手に盗られるのとじゃ、気分が違うやろ」
「じゃあ、さっきとり忘れた分もらうね。はい、ありがとう」
「ちょっと、おい、こら」
わたしは素早くポン酢タレにつけて、その一つを平らげた。
そうして、彼は最後の一つを苦しそうに流し込んだ。結局、わたしは六個、茅場は七個を胃袋に収めたのだが。
「いわんこっちゃない。全然食べれてない」
「だから、ここんとこ急に暑くなったから食欲が」
「はいはい。並んでいる人もいるし、もうお店を出よう」
これ一食で九百円なり。
大満足の九百円の使い方。今日も午後から頑張れる、素敵なおひるごはん。お金を払えばこんなに美味しいものでお腹いっぱいになるのだから、やっぱりわたしは料理ができなくても良いのだ。
明日のおひるは何食べようかしら。
そんなことを考え、重たくなったお腹でわたしたちは次の取引先へ向かった。
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