第9話 悪魔の涙 その五
翌朝。
ホテルでタクシーを手配してもらい、サヌール港へ向かうと、すでにアングレアニは待っていた。
レンボンガン島へ行くと教えると、絶対に清美がついてくると思ったので、ナイショでホテルをぬけだしてきた。
青蘭を一人で残して行くのはいろいろな意味で心配なので、こちらは龍郎と青蘭の二人——のはずだったが、あとから神父もやってきた。尾行してきたらしい。
スピードボートと呼ばれる快速のフェリーで出航し、透明な海をかきわけ進んでいく。フェリーと言っても、車が数十台も乗る大型船ではない。サイズで言えば屋形船だ。屋根がついていて形も似ている。
やがて、白い砂浜についた。
レンボンガン島には港がないのだ。
大自然にわけいっていく感覚が強い。
海岸線は大部分がマングローブにかこまれている。島の三分の一の面積がマングローブ林だという。自然豊かなリゾート地だ。カフェやホテルも島内にある。
シュノーケリングで珊瑚礁の海をながめたり、ドリームビーチを散策したり、フォトジェニックなマングローブの森でブランコを楽しんだりできる。
龍郎たちの目的地は悪魔の涙だ。
ドリームビーチから行けるというので、乗りあいバスを利用しようとしたが、アングレアニに止められた。
「バスは時間が決まっているので、帰りのことを考えると、バイクが便利ですよ」
「バイク? でも、運転免許持ってきていませんが」
「大丈夫。お金を払えば貸してくれます」
日本では考えられないが、十万ルピア払うと、ほんとに貸してもらえた。ありがたいことにスクーターだ。これなら、いちおう経験がある。
「バイクか。免許とるときに教習所のなかで一回、乗ったきりだなぁ」
「えっ? そうなの? 大丈夫? 龍郎さん」
事故を起こして自分がケガをするのはしかたない。が、青蘭に何かあると申しわけない。
ドリームビーチのホテルを借りて、青蘭にはそこで待っていてもらうほうがいいだろうか? ドリームビーチまでなら乗りあいバスがある。
考えていると、神父が言いだした。
「私が青蘭を乗せていこうか?」
自信満々に親指でバイクの後部座席を示してくる。
そういえば、神父は自分のバイクを持っているらしい。龍郎は見たことないのだが、青蘭はすでにツーリングずみだ。
なんだか、腹立たしい。
胸の内のモヤモヤが増していく。
「僕、龍郎さんといっしょがいいよ」
青蘭が龍郎の背中にとびついてきたので、なんとか自尊心は保たれる。
神父は苦笑して、アングレアニを後部に乗せた。
「では、マドモアゼルとさきに行ってるよ」
マングローブのあいだの小径へと軽快に発進していく神父を見送る。
「じゃあ、おれたちも行こうか」
「うん。安全運転でね」
二人で一台のバイクにまたがると、青蘭がしっかり龍郎の腰に手をまわしてきた。このぬくもりを預ける相手を、青蘭は自分で選んだ。少なくとも、それは今、まだ龍郎なのだ。
(神父と何かあったわけじゃないのか? じゃあ、何を隠してるんだろう?)
かるくエンジンをふかし発車した。しかし、アスファルト舗装などされていないガタガタの土の道だ。時速二十キロで走るのがやっとである。
周囲には同じようにドリームビーチをめざすライダーがいたが、神父のバイクはとっくに見えない。きっと、とばしていったのだろう。
ようやくドリームビーチまで辿りついたときには、神父は高台からビーチを見おろすカフェで一服していた。何もかもが、しゃくにさわる。
「やっと来たか。龍郎。すぐに出発するか? それとも休んでから?」
龍郎にしてみれば休憩したい。だが、日帰りするには帰りのフェリーの便が、最終十六時半だ。
朝九時半にサヌールを出発して、船で約四十分。時計を見ると十一時前だった。
まあ、これなら、いくら龍郎のバイクの運転がヘタクソでも、ちょっとくらい休んでも問題はないだろう。最悪、まにあわなくなれば、今夜はこの島で一泊すればいい。
「ちょっと早いけど、昼食がわりに軽食をとっておきます」
「僕、まだお腹へってないよ」
「青蘭はスイーツでも食べれば?」
「うん」
青蘭はバリのスイーツが好きなのでご機嫌だ。
「じゃあ、フレデリックさん。おれたちはテラス席に行きますので」
「何もさけることはないじゃないか?」
「なんとでも」
二階のテラスにはラブチェアがある。青蘭とならんですわると、南国の海が水平線まで眺望できた。
龍郎は美味しいと評判のマルゲリータを、青蘭はスイカのジュースとエスブアを注文した。エスブア はバリ島のかき氷だ。数種類のフルーツとかき氷の盛りあわせに、シロップやコンデンスミルク、ココナッツミルクがたっぷりとかけられている。
見るからに甘ったるいのだが、青蘭はこれとエスチャンプルがお気に入りだ。エスチャンプルのほうはフルーツのかわりに色とりどりのナタデココやゼリーが入っている。
「青蘭が食ってると、うまそうに見えるなぁ」
「一口食べる?」
すっとフルーツをすくって、青蘭はスプーンをさしだす。
これは、いわゆる『あーん』だ。
ちょっと恥ずかしい気もしたが、旅の恥はかきすてだ。開放的な気分に誘われて、遠慮なく『あーん』させてもらった。
「美味しい?」
「うん。すごく」
過度に甘い蜜の味。
天国の食べ物はシロップづけ。
今日はイライラしたりモヤモヤしたり、ドキドキしたり、感情もフルコースだ。
つかのまの甘い時間を味わっていたときだ。
なんとなく、誰かの視線を感じた。
神父だろうかと思いふりかえる。が、彼は店内の席で、アングレアニと楽しそうに話している。
気のせいだったかもしれない……。
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