第8話 罪深き時のかなた その二
プトリのおもてに現れた亀裂は、みるみるうちに豊満な乳房のあいだにまでおよび、そのまま下半身に達した。
人間の体が真っ二つに裂けて、ゴロンと両側にころがる。
アグンが悲鳴をあげて尻もちをついた。
「うわぁーッ! プトリ?」
「英雄さん、さがって!」
とは言うが、一般人がこんな異常な状況に遭遇したら、まともに行動なんてできない。
「フレデリックさん。英雄さんを助けてあげてください」
「わかった」
神父が走っていく。
アグンの腕をとり、ひきずるように壁ぎわまでつれていく。
そのあいだにも、プトリの死体は激しく腐敗し、強い匂いを発する。すでに、それはとっくに腐っていたのかもしれない。だから、マイノグーラはいつも悪臭を放っていたのだ。
「おまえは殺した人間に化けるわけではなく、その人間を外殻のように身にまとうのか。そうだな? マイノグーラ」
プトリのいた場所には、青黒い血をダラダラたらしながら、マイノグーラが立っていた。
まがった世界のなかで彼女がとりたがる背の高い美女の姿だ。が、ときどき、体のふしぶしがゆらいで触手のようなものが見え隠れする。クトゥルフの邪神においては定番とも言える
荒い息をつきながら、マイノグーラは周囲を見まわす。
そこにいるのは、邪神でも粉砕滅却する強力なエクソシストである龍郎と青蘭。ガブリエルはまがりなりにも天使だし、神父も自分の身を守ることくらいはできる。穂村の体は人間だが、本体が魔王だから、怒らせるとやっかい。
そう判断したのだろう。
マイノグーラがかけよったのは、アグンだった。フレデリック神父のとりだした十字架の前に一瞬ひるんだが、残る左手で神父を体ごとつきとばす。
マイノグーラの腕が槍のように尖った。その手をアグンの胸につきさそうとする。
龍郎は思いだした。
ディンダやグスティの胸にあいた穴を。
形状からティンダロスの猟犬の仕業だと考えたが、あれはマイノグーラのしたことだったのだ。アグンを殺して、その死体をのっとろうとでもいうのか。
いや、そうではない。
マイノグーラはアグンの首をかかえこむようにして、はがいじめにし、槍のような腕のさきを喉に押しつけた。
そして——
「コイツを殺されてもいいのか? そこをどきな。どけェー! どけって言ってんだよ」
龍郎は思わず、ぼうぜんとしてしまった。あまりにも邪神らしくない行動だったからだ。
そう言えば、ルリムには邪神のくせに、妙に人間っぽいところがあった。
マイノグーラもひどく人間くさい。
俗悪で低劣だが、思考回路は人に似ているのかもしれない。
「よせ。マイノグーラ」
「ほら、どけよ。人間ってバカだよな。親しいヤツや家族を盾にとられると、なんでか言いなりになるんだよ。あたしは殺すと言ったら本気でやるよ? そこ、どきな。今回だけは見逃してやる。次はねぇからな。クソがッ!」
蒼白になってふるえあがるアグンをかかえたまま、マイノグーラは崖っぷちに向かっていく。どうやら六道へ飛びこもうとしているようだ。
(そうか。六道のなかで転生するつもりなのか。マイノグーラは最初、ゾス星系石物仮想体だった。一つの肉体が滅びそうになると、ああやって六道にとびこみ、何度も石に戻ることで不死を得ている)
今、倒さなければ、次に現れるのは何年後か、あるいは何千年後かもわからない。
穂村が以前、このあたりを調べていたのは百万年前だ。そのころにゾス星系石物仮想体がひんぱんに飛来していたからだという。邪神の時間の感覚では、百万年くらい、ほんの短いスパンでしかないのだろう。
殺されたディンダやグスティ、殺されたことすら誰にも気づいてもらえなかったプトリのことを思うと、許すことはできなかった。
しかし、アグンを人質にとられていると手出しができない。
マイノグーラは立ちつくす龍郎たちを見て、イヒヒ、ケケケといやらしい笑い声をあげた。
「龍郎さん。僕がアンドロマリウスを呼べば——」
「ダメだ。その前に英雄さんがやられる」
「じゃあ、どうするの? アイツをほっとくわけにはいかない。僕らの宇宙を消そうとしてるんだよ?」
じりじりと崖のほうへあとずさりしていくマイノグーラを見ながら、歯ぎしりをすることしかできない。
困りはてていたときだ。
ふいに岩陰から何かがとびだした。
もっともその動きはのろくさかったが、マイノグーラのすぐそばだった。体でぶつかるようにマイノグーラの足にしがみつく。
ナシルディンだった。
その体は青い粘液に包まれている。
マイノグーラはバランスをくずした。
その一瞬のすきをついて、龍郎は右手をかかげた。強い光がマイノグーラの双眸を射る。ギャアッと悲鳴をあげ、マイノグーラはアグンを離した。
「今だ! 青蘭、手を!」
「うん」
青蘭と手をつなぐと、龍郎の右手の放つ光がいっそう強まる。
マイノグーラの右肩の切り口から炎があがった。
マイノグーラは炎のなかで踊った。
やがて、粉々にくだけ、光の粒となって、青蘭の口中に吸いこまれた。
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