第5話 猟犬 その三
亡くなっていたのはグスティだった。
外見だけでは誰なのかわからなかったが、身につけている服やアクセサリーが彼女のものだという。
泣き叫ぶ家族を前にして、龍郎には何もできることがなかった。
せめて、残った人たちが苦しまないように、瘴気を浄化しておくことくらいだ。
警察が呼ばれたものの、すぐには到着しないようだった。
犬の鳴き声もやんでいる。
今夜の襲撃はもう終わったのだと理解した。
「帰ろう」
穂村に言われて、龍郎たちはグスティの自宅を去った。たしかに、そこにいると変な疑いを受けてしまう。
青蘭の姿はどこにもなかった。
ディンダやグスティのように、ただ殺すためにつれ去られたのではないのかもしれない。
アグンの家のゲストハウスまで帰ったときには、激しい疲労感に包まれた。
犯人はグスティではなかった。
ということは、ラマディンか、ディンダの叔母のチョコルダか……。
「青蘭を見つけないと。今から、ラマディンの家に言ってみます。あいつの昼間の態度はなんだか変だった。おれを見て逃げだしたような」
立ちあがろうとする龍郎を、穂村がとどめる。
「青蘭なら心配いらない。今夜は休みなさい」
「でも……」
「殺された娘は二人とも自宅の近くでやられてる。つまり、その気なら、つれ去る必要はなかった。青蘭もここで殺されていた」
「まあ、そうですが……」
喰うために拉致されたわけではないということだ。それはわずかな希望ではある。だが、それなら、なんの目的で誘拐したのか。
穂村になだめられて、ベッドに入りかけたときだ。龍郎のスマホが鳴った。見れば、神父からだ。青蘭をさらわれたと知られれば、きっとまた嫌味を言われるだろう。
ため息をつきながら電話に出る。
「本柳です」
「すまない。じつは、そっちに行けなくなってしまった」
「何かあったんですか?」
「何かあったのは私じゃないんだ。村の入口までは来ている。だが、道の途中からタクシーが進まなくなった」
「ガス欠とか……」
神父が鼻先で笑うのが聞こえる。
「そんなんじゃない。道路が目に見えない何かでふさがれている」
「えっ?」
「結界だな。今、その村は結界のなかに封じられているんだ。私の力では結界をやぶれない」
結界。悪魔や邪神が自分の内世界を作り、他者の干渉をさまたげることだ。
「マイノグーラの仕業ですね?」
「おそらく」
「じゃあ、マイノグーラを倒すことでしか結界は解けない」
「そうなるな」
困ったことになった。
青蘭がさらわれ、神父も村に入れない。龍郎が一人で戦わなければ。
「マイノグーラの正体がまだわからないんです。フレデリックさんは何か気づいたことがありますか?」
「むちゃを言わないでくれ。エクソシストとしての資質は君のほうが遥かに上だ。だが、電話は通じるようだから、定時で連絡をとりあおう。昼と夜中の十二時でどうだ?」
「わかりました。あの……」
「何か?」
龍郎は言いよどんだ。が、報告しておかなければ、それはそれで嫌味を言われそうだ。
「……青蘭がマイノグーラにさらわれました」
「…………」
神父は何も言わなかった。
ただ深々と嘆息しただけだ。
「ソフィエレンヌさまに相談しよう」という言葉を残し、神父からの通話は切れた。
なんだろうか。
これはこれで、むしょうに悔しい。
神父が組織のリーダーに相談して、こっちに来るまでに、絶対に青蘭を奪還しようと、龍郎は心に誓った。
とにかく、その夜は休んだ。
翌朝になって、龍郎はすぐに行動を起こした。着替えて、ラマディンの家に向かおうとしていたときだ。
穂村と二人でアグンの自宅を出ると、すぐ外の道路に人だかりがある。
何事かと思ってみれば、バリアンだという女だ。マデは龍郎を見ると、親の仇を見つけたような形相で、人差し指をつきつけてきた。何やらジャワ語で早口にまくしたてる。
「穂村先生。あの人、なんて言ってるんですか?」
マデが大声でわめくと、まわりの村人たちの表情もかたくなった。不穏な空気が渦巻いている。これはマズイと直感的に悟った龍郎は、穂村に問いただす。
穂村はうーんとうなって腕を組んだ。
「彼女はこの村が悪魔に取り憑かれたと言っている」
「それは、そのとおりですが?」
「だが、村に取り憑いた悪魔は君だと言った」
「ああ……」
中途半端に霊感があるのだろうか?
龍郎の苦痛の玉の力は、人の持つそれではない。だから龍郎を悪魔だと勘違いしたのかもしれない。
「捕まえろと言っている。牢屋に入れておけと。警察に引き渡そうと、今、言った」
穂村は淡々と通訳してくれる。
「先生。そんなこと言ってる場合ですか。逃げますよ?」
「逃げるのかね? それもよかろう」
じりじりと迫ってくる村人たちの前からあとずさる。龍郎はすきをついて、村人たちのあいだをかけぬけた。
穂村もなんとか、すりぬけようとする。が、動きが龍郎ほど俊敏ではないので、片手をつかまれた。
龍郎は穂村の反対の手をひっぱっる。畑から大根でもひきぬくように、すぽんとぬけた。
「先生! 早く」
「やあやあ。助かった。本体なら今ので退魔滅却されとったな」
ハッハッハッと笑うお気楽な穂村をつれて、龍郎はホコリっぽい道をひたすら走った。
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