第5話 猟犬 その四



 海外に旅行に来て、まさか殺人犯として追いまわされるとは思ってもいなかった。いや、殺人犯どころか悪魔だ。なお悪い。


「本柳くん。もう……追ってこない。まいたようだ」


 龍郎のあとを走る穂村が、息を切らしながら弱音を吐いた。ほんとに肉体的にはただの人間のようだ。龍郎にくらべても体力は劣る。


「そうですね。姿が見えない。こんなことなら英雄さんについてきてもらっとけばよかったな。あの人なら村の人を説得できただろうに」


 龍郎も荒くなった呼吸をととのえ、とりあえず道端に立ち止まる。周囲は棚田と森で、あたりに人影はない。どうにか逃げきれたようだ。

 フレイムツリーがあちこちで赤い花を咲かせている。その名のとおり炎のようだ。こんなときでなければ、水田の緑との対比が目の覚めるような鮮やかさなのだが。


「困ったな。フレデリックさんもこっちに来れないのに」

「真犯人を見つけるしかないだろうな」

「そうですね」


 こうなったら、ラマディンに会って、マイノグーラが化けているのかどうか確認するほか打開策がなかった。

 幸い、ラマディンの家は村外れだ。この片田舎のなかでも、ことに出歩く人が少ない。

 森の木かげにまぎれながら進んでいった。昨日、ラマディンの自宅まで行っておいてよかった。場所は知っている。


 だが、途中に難関があった。

 ナシルディンの家だ。村のなかでも大きな屋敷のまわりには、田んぼで働く人々が何人もいる。また、所有する農地が広いので、そのあいだは森が途絶えている。ふつうに歩いていけば、まちがいなく姿を見とがめられてしまう。


「どうしますか? 穂村先生」

「うーん。まだ、ここまで君のウワサが広まってなければ、通りぬけられるだろうがね」


 茂みのかげに隠れて、その家のまわりを観察していると、龍郎たちが逃げてきた方角から走ってきた男が、農作業をしている人に何やら早口で話しかけた。


「……知れ渡ったみたいですね」

「うむ」


 困っていると、うしろから、ポンと肩をたたかれる。おどろいてふりむくと、エキゾチックなハンサムが白い歯を見せていた。ワヤンだ。話しかけてくるが、龍郎にはジャワ語はわからない。またまた穂村の出番だ。


「困ったことになったようだねと、彼は言っている」

「なんの用だと言ってやってください。彼は昨日、青蘭を襲っているので」


 穂村はうなずいて、ジャワ語を放つ。

 しばらくして、ワヤンの答えが翻訳されて返ってきた。


「昨日はすまなかった。ものすごい美人だから話してみたかったんだ、と彼は主張している」

「どう見ても話しかけてる感じじゃなかったですけどね!」

「だが、悪いと思ったので、協力してやってもいいそうだ」

「協力って?」

「ラマディンに会いたいんだろう? おれがつれてきてやるよと、彼は言った」

「なるほど。それは助かるかな。じゃあ、お願いしますと伝えてください」


 しばらく交渉したのち、穂村は口をひらいた。


「五千ルピアでいい、だそうだ」

「ああ……金はとるんですね」

「これでも五千まで下げたんだぞ。最初は二万とふっかけてきた」

「それは、どうも」


 ため息をつきながら、龍郎は財布をとりだした。ヌルワンに渡そうと思って、隕石の代金の残りを持ってきていたから、大金を所持している。財布のなかを見られないように用心して、五千ルピアだけぬきだした。


「絶対、つれてきてくれって言ってください。村の存続がかかってるんだからと」

「わかっているとも」


 穂村が何やら言うと、ワヤンはうなずいた。走っていこうとするので、龍郎は呼びとめた。


「その前に一つだけ教えてくれ。ディンダとは恋人同士じゃなかったのか?——って、先生、お願いします」

「任せなさい!」


 任せた結果、失笑が返ってきた。

 なんとかかんとか言いながら、ワヤンは去っていく。


「なんて言ってましたか?」

「村中の娘はおれの恋人なんだ、そうだ」

「なるほど……」


 つまり、それはディンダとも交際していたという意味だろうか?

 もっと詳しく聞きたいが、ここはワヤンが帰ってくるのを待つしかない。


 三十分は経過しただろうか。

 ここからラマディンの家までは往復でも十五分はかからないはずだ。もしかして金だけとって逃げたんだろうかとあやぶんだころ、あぜ道をワヤンが歩いてくる。どうやってつれだしたのか知らないが、うしろにはラマディンもいた。


 龍郎たちの隠れている雑木林のなかへ、二人が入ってくる。

 龍郎は近づこうとしたが、穂村に肩をつかまれた。見れば首をふっている。

 ワヤンとラマディンはジャワ語で話しだす。しだいに二人の話はヒートアップし、口論になった。


「穂村先生。なんて言ってるんですか?」

「おまえがディンダをたぶらかしていたんだろ? たぶらかすだなんて人聞きの悪い。ディンダは生活の貧しいおれを支援してくれてたんだ。何が支援だ、夜中にこっそり抱きあってたくせに。へえ、あの夜、誰かが見てる気がしたけど、やっぱりあんただったのか」


 どうやらディンダをめぐる三角関係のようだ。ワヤンはほんとに村中の女の子とつきあっているのかもしれない。不実なモテ男にとって、この村はハーレムだ。


(あの夜って言った。それって、おとついの夜のことか? ディンダがマイノグーラに殺された日)


 あの夜に二人はディンダの家の近くまで行っていたのだ。

 ワヤンはマイノグーラではない。が、ラマディンはまだその保証がなかった。それでいて、ディンダの実家のそばにいたということになれば、ラマディンの疑いはいっきに濃厚に……。


 龍郎は茂みからとびだし、ラマディンの手をつかんだ。


「わあッ!」


 ラマディンが悲鳴をあげる。

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