第14話『真実』
理解が追いつかなかった。
一体、目の前のこの子は何を言っているのか。
夏休みを二回経験している…………?
それって…………。
俺と同じ…………じゃないか。
俺も、ついこの間まで小5の夏休みの中にいた。
唐突に目を覚ましたら幼い頃に戻っていて、他のクラスメイトや家族、先生も当時のままで。
あさひと再開して。同じ時間を共に過ごして、たくさんの思い出を作った。
そして、最後はこの朱犬神社の本殿で打ち上げ花火を見て…………。
―――――――俺たちは離ればなれになった。
「何を言っているのか、分からないと思うけど…………、私はつい今朝大人に戻ってて…………」
それも、俺と同じ。
俺も気づいたら、冴えない23歳に戻っていて。
あのワンルームの部屋に寝てて。
あの夏が本物だったと、偽りだったと認めたくなくて。
俺は今ここにいる。
あさひの手紙や相合い傘。
証明するものも、見つけることができた。
「俺と、同じ…………」
瞬間、あさひの顔が強ばる。
「俺も………、小学生に戻ってたんだ。夏休みを、あさひと過ごして、そして…………」
「嘘……でしょ…………?」
信じられないという面持ち。
しかし、俺も同じような表情をしていたと思う。
あさひの言っていることが、もし本当ならば。
俺があの夏一緒に過ごしたあの女の子は。
小学五年生の頃のあさひではなくて、俺と同じ23歳のあさひ…………?
「それじゃ、朱犬神社の御神木のことも…………」
「御神木…………?」
「私に願い事の叶え方、教えてくれたよね…………?」
「…………?」
確かに、朱犬神社の御神木には願いが叶う云々の伝説がある。
しかし。
俺はその願(・)|い(・)|の(・)叶(・)|え(・)方(・)なんて、あさひに教えていない。
と言うより、俺自身、全く知(・)|ら(・)|な(・)|い(・)。
「えっと……、ごめん、分からない…………」
要領を得ない俺の様子を見てあさひは何かを悟ったのか、目尻に涙を溜め、「私のせいだ…………」と呟いた。
「あさひ…………?」
「ごめんなさい…………、私のせいで……………」
そして。
あさひの両目から涙がこぼれ落ちる。
「どういうこと?」
「私が…………、あんなことを願ってしまったから…………」
***
もうとっくに日が暮れてしまった朱犬神社の境内に私はいた。
今日は8月14日。
階段下の拝殿の方では、祭りが催されていて、多くの人で賑わっている。
そんな中、私はこうして一人。
本殿の、そして、人気の無い御神木の方まで歩いてきたのはある理由があった。
一つは、あの夏の、記憶の中の思い出を巡るため。
そして、もう一つ。
御神木へ祈りを捧げるため――――――――。
『御神木はね! ちゃんと思いを込めるとね、願いを叶えてくれるんだよ!!』
いつか、とある少年に聞いたことが、当時の彼の様子と共に蘇る。
活発そうな表情にいつも生傷を作り、元気に笑っている。
そして、いつも私に笑いかけてくれるのだ。
彼は。
―――――――――涼介君は。
もう10年以上も前の記憶。
幼い子供の頃の出来事に、いつまで私はとらわれているんだろう。
それでも、私は。
こんな思いを抱えている限り、いつまでも前には進めない。
本殿の横を通り、角を曲がる。
すると、そこまで大きくない一本の木が、私の前にその姿を現した。
あの頃のまま、あの時のまま、変わらずそこにあった。
この木で私は涼介君とカブトムシを捕まえ、そして、願い事の『叶え方』を教えてもらった。
まぁ、『叶え方』と言うほどたいそうなものじゃない。
木に手を当てて願うと、ただそれだけのことだ。
正直、期待なんてこれっぽっちもしていない。
当たり前だ。
そのようなことで願いが叶うなら、この神社は今頃全国にその名を轟かせていると思う。
子供のような稚拙な遊びの一つに過ぎない。
それでも、私は…………。
御神木に近づいてみると、しめ縄のようなもので巻かれていることに気づく。
昔は無かったから、きっとここ数年で巻かれたのだろう。
むしろこれまでが何もなさすぎたのかもしれない。
御神木だと言われなければ普通の木と間違えてしまうほど、平凡な見た目をしている。
「本当に、昔のままなんだ…………」
『あさひ、怖がらなくていいからさ。上ってみようよ!』
『…………』
『カブトムシ! 触ってみて!!』
『…………』
思い出そうと思えば鮮明に蘇ってくる記憶。
そのどこを切り取っても、彼はいつも笑顔で…………。私はおどおどしていた。
私はいつもそうだった。
自分を出すことが怖くて。
百華ちゃんや涼介君に、いつも助けてもらってた。
同級生の冷やかしに会ったときも、私は体が強ばるばかりで…………。
でも、涼介君は何度も何度も、私を守ろうとしてくれていた。
彼は、好きなものをたくさん教えてくれた。
この朱犬神社へも、彼が虫取りをしようと誘ってくれたからこそ来ることができた。
他にも、近所の大きなゴールデンレトリバーや、駄菓子屋。
大人に見つかるのが怖かったけど、カラオケや遠くに連れいってくれた。
お祭りも、打ち上げ花火も…………。
プリクラだけは恥ずかしくて撮れなかったけど…………。
たくさんのことを、彼から貰った。
そして、たくさんの感情を知ることができた。
誰かと一緒に何かをする楽しさ。
一人でいるときの寂しさ。
手をつないでいるときの愛しさ。
そして。
人を好きになるという気持ち。
数え切れないほどのかけがえのないものを、彼は私にくれた。
私が転校してしまう事が分かった時も、何度も家に来てどうにかしようとしてくれた。
もちろん、小学生の私たちにはどうしようもないことだった。
それでも。
彼は、悲しくてずっと泣いている私の傍らで、「転校して欲しくない!」と私の両親に訴えかけてくれていた。
引っ越す最後のその瞬間まで、大声で呼びかけてくれていた。
大きく手を振って、最後まで最後まで。
そんな涼介君に、私は何も言うことができなかった。
感謝の言葉も。別れの言葉も。
ただただ泣いているばかりで。
最後に、彼と向き合うことを放棄した。
そんな自分が一番嫌いだった。
そんな自分を変えたくて。
涼介君みたいになりたくて。
もっと明るくなれるように頑張った。
ほんとに明るくなれたかは、よく分からないけど…………。
それでも、あの過去が無くなることはない。
私はずっと後悔してきた。
涼介君に、もっと私の気持ちを伝えたかった
ただ最後に「ありがとう」と言いたかった。
あのクリスマス会の時、声をかけてくれてありがとう。
私と一緒に過ごしてくれてありがとう。
私を冷やかしから守ってくれてありがとう。
私を色んな所に連れて行ってくれてありがとう。
――――――私を好きになってくれて、ありがとう。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
ゆっくりと御神木に手を当てる。
掌からはひんやりとした感触だけが伝わってくる。
ゆっくりと目を閉じ、呼吸を整える。
全部、全部やり直したい。
あの過(・)去(・)|を(・)無(・)|か(・)|っ(・)|た(・)|こ(・)|と(・)|に(・)|し(・)|た(・)|い(・)。
涼介君から、昔の私のことを無くしてしまいたい。
昔の嫌いな自分じゃなくて、今の自分で全てをやり直したい。
どうか―――――――――。
***
「私が、あんなことを願ってしまったから…………!」
涙を流している彼女を横目に、俺はただただ混乱していた。
今彼女の口から語られた内容は、あまりにも突拍子もなかった。
御神木に願ったから、あの一連の出来事が起こってしまった―――――――なんて。
「いやでも、俺…………、小学生の頃、あさひと一緒に遊んだ記憶なんて…………」
俺は小学生の頃、あさひのことを拒絶して、そもそも関わり合いを避けていた。
そして…………。
人生を通して後悔することになってしまった。
あさひの過去と俺の過去とでは、明らかに矛盾があった。
「何で…………」
「私は、御神木に『過去を無かったことにしたい』って、願ってしまった。だから記憶が…………」
あさひの昔の過去を知っているのは、2020年を生きる23歳の俺だった。
だから。
暗(・)|か(・)|っ(・)|た(・)頃(・)のあさひにまつわる記憶が無くなって。
代わりに新しい記憶で上書きされた…………?
そして、2007年でもう一度あの夏をやり直すことになった。
だから、あさひとの出会いも忘れてしまっていたし、そもそも小学生に戻ったと気づいたあの日、百華とあさひと会うまで、あさひのことは頭から完全に消えていた。
でも本当は、小学生の時、あさひを拒絶なんてしていなくて……、むしろたくさんの思い出を作っていた。
そして、最後まで俺は――――――あさひのことを大切に思っていた。
…………そんな、都合のいい話があるのだろうか。
そんな、幸せな思い出が、あっていいのだろうか。
しかし。
あさひの家に行ったときのことを思い出す。
あの時、確かに感じた違和感。
俺の中には、存在するはずの無い記憶があって。
もしかして、それが…………俺の体験した本当の過去?
本当の記憶…………?
「涼介君…………」
「あさひ」
「私の勝手な願いで……、涼介君の思い出をめちゃめちゃにして…………、本当にごめんなさい…………。全部全部私が悪いの。私が…………」
涙をこぼしながら謝っているあさひ。
思い出せば、小学生の頃に戻って最初に再会したときも、……謝っていた。
それほどの後悔が、彼女の心を蝕み続けていたのか。
ずっとずっと、俺への気持ちを伝えたくて。
どうしようもない自分への自己嫌悪を抱えながら、あさひはこれまで生きてきた。
不意に、頭に浮かぶ光景。
場所は体育館の裏。
じんわりと汗ばむような初夏だったと思う。
目の前の女の子は長い前髪が表情を隠し、肩が小刻みに震えている。
クラスで冷やかしにあったらしく、しゃくりあげ、とめどなく頬を涙が伝っている。
そんな目の前の女の子を見て、俺は「守ってあげなきゃ」と思った。
そして…………。
目の前の女の子は、まだ涙をこぼしている。
自分を嫌いなままでいる。
だったら、そんな彼女を。
俺が守ってあげなきゃ。
「…………あさひ」
「…………?」
涙で濡れた目で、俺を見るあさひ。
その表情は不安げで、触れたら壊れてしまいそうな儚げな雰囲気だった。
「実はさ、俺、…………覚えていなくても覚えていたんだよ」
「……?」
頭に疑問符が浮かんでいるであろうあさひ。
「小学生に戻って………、俺、最初はあさひのこと覚えてなかったんだ。でも、実際に会って、『あさひ』だなって思った。何か、うっすら覚えてたんだよね。あさひの雰囲気」
「…………」
「あさひと始めて話したときのことも、あの小川で思い出した。あさひが転校してしまうときも、昔の光景が浮かんできたりした。おかしいよね。昔のあさひの記憶が無くなっているはずなのに」
「…………」
「上書きされてしまっても、断片は絶対にある。覚えてる。ってか、覚えてたよ」
「でも…………、私…………」
「俺は、あさひに感謝したいんだ」
「…………感謝?」
「………………あさひ、俺は…………すごく嬉しかったんだ。嬉しかったし、……楽しかった。幸せだった」
真っ直ぐにあさひと目を合わせ、自分の声で言葉を紡いでゆく。
「大人になって、ずっと退屈な日々で、心が死んでいくようだった。…………でも、あの夏が。俺の心を蘇らせてくれた。あさひがいたから、俺は本当に幸せだったんだ」
思い出されるあの夏の日々。
思わず感情が溢れそうになるのを必死に堪え、笑う。
「そして。またこうして、出会うことができた。俺とあさひを出会わせてくれた。巡り会えた」
「それだけで、俺は嬉しい。…………あさひは、どう?」
あさひは、頬を次から次へと流れる涙を必死に拭っている。
「楽しくなかった…………?」
すると、あさひは首を大きく振って。
「…………そんなわけないっ……!」
「涼介君は、昔と何も、変わっていなくてっ…………!」
「私に、話しかけてくれて…………! 本当に嬉しくて…………!!」
「…………良かった。俺と同じ気持ちで」
精一杯の気持ちを込めて、笑う。
いつかの自分みたいに。
きっとかつての俺は、こうしてあさひに話かけていたんだと思う。
何とか元気になってもらいたくて。
何とかあさひに笑ってもらいたくて。
これで合っているかどうか分からない。
正直、正しい記憶なんて覚えていない。
でも、あさひの話に出てきた昔の俺なら。
こんな風に。
こんな風に、笑っていたんだ。
色々な感情が実感を伴って、胸を満たしていく。
それは安堵感や、幸福感?
言葉にするのが難しい。
でも、そっか…………。
俺、ちゃんと「さよなら」って、言えてたんじゃん。
最後の最後まで、昔の俺はあさひのことを大切にしていた。
その事実がただただ、誇らしかった。
嬉しかった。
「あれ…………?」
唐突に、熱い何かが頬を伝う感触。
そうだ。
あさひだよ。目の前にいるの。
そうじゃん。
何だ。
やり直した夏のあさひは、結局俺と同じ大人だったんだよな。
子供とか、大人とか関係ない。
俺は、ただ、この人のことが…………。
「涼介君…………?」
急にボロボロ泣き出した俺を、あさひは困惑した顔で見ている。
俺自身が一番驚いていた。
拭っても拭っても、次から次へと溢れてくる。
もう会えないと思っていた。
あの花火を見た日の夜。
自分自身を無理矢理納得させて。
仕方が無いと言い訳して。
でもっ……………!
「っ…………!」
「涼介、君…………」
思い切りあさひを抱きしめる。
少し痛いかもしれない。
でも、溢れ出す感情を抑えることができない。
もう失いたくない、絶対に。
もう、二度と。
「もう、…………どこにも行かないでよ」
涙混じりの思いの丈を、伝える。
すると、あさひは、「どこにも、行かないよ」と、俺よりもきつく抱きしめ返してくれた。
「うっ…………ぐ……………」
漏れる嗚咽。
抱きしめた肩が小刻みに震え始める。
「涼介君…………、ほんとに、涼介君なんだよね………………?」
鼻をすすり、二人して涙をこぼす。
今、こうして互いが互いを実感しあえている。
今ここにいるのは、紛れもなく、三井あさひで。
俺たちは小学生じゃなくて、大人で。
これからも二人で。
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