第13話『三井あさひ』



 何が何だか分からなかった。

 一体何が起こっているのか。

 今、自分がどういう状態なのか。

 心臓は依然鼓動を早めたまま。

 額や背中にも汗が滲んでいる。


「あさ…………ひ……」


 それこそあの夏休み、俺たちは毎日のように顔を合わせて同じ時間を過ごした。

 だからこそ、目の前のこの女性があさひであると、今なら確信を持って言えた。

 いや、待て。

 何言ってんだ、俺。

 都合のいいように解釈しすぎだろ。

 ちょっと、気持ちを整理する時間を…………。

 正気を失ってしまったのではないかと思う。

 夢のようにフワフワとしていて、要領を得ない感じ、とでも言うべきか。

 …………しかし。

 それ以前に、俺はまだこの状況すら飲み込みきれていない。



「本当に……涼介君…………」



 ポロポロと涙をこぼす目の前の女性。

 やがて、くしゃりと表情を歪ませ、本格的に顔を手で覆ってしまった。

 漏れる嗚咽。



 そんな様子を、俺はただ呆然と見ていた。






 ***






 階段に腰掛け、下まで続く灯籠や提灯のぼんやりとした灯りを見ていた。

 本殿までの階段の横に均等に設けられているそれらは、一体誰が設置しているのか、誰が片しているのか。

 300段近くもあるから単純にめちゃめちゃ大変なんだろうなぁ…………と、半ば現実逃避的な思考に陥っている。

 横をチラリと見ると、未だうつむき、神妙な面持ちをしている一人の女性。

 先ほどまで顔を覆い、涙を流していたが、どうやら今は落ち着いた様子だった。

 長い睫毛が、涙で濡れ、灯りに反射し輝いている。

 綺麗な長い黒髪は後ろで一つにまとめられていて、幼い頃の彼女を彷彿とさせていた。


 あさひ…………だよな……?

 結局の所、俺はまだ状況を飲み込めていないのと、これからどうすればいいのか分からずにいた。

 何で、こんな所に。

 それもこんな時間に。

 そもそも、こんな偶然はあるのか?

 次々に沸いてくる疑問。

 しかし、それらの問いに答えてくれる者はいない。

 そして。

 …………いつまでもこうしているわけにもいかない。

 再度彼女の方を伺うと、あさひはうつむいたまま。

 俺が声をかけるしかないよな…………。

 話しかけるべく軽く意気込み、口を開く。

 と、不意に。


「あの………、涼介君………?」


「えっ、あぁ…………何?」


 あさひは少し躊躇いがちに話しかけてくれた。

 おかげで少し不意をつかれ変な声が出てしまったけど………。


「急に………ごめんなさい。驚いたよね」


「あぁ、うん………。まぁ、そうだね」


 少し照れくさいながらも、真正面から彼女と向き合う。

 明るいところで改めてちゃんと顔を見てみると、懐かしい昔の面影があった。

 あの時、あの瞬間、記憶の中のあさひの姿と目の前の女性の姿が重なっていく。


「…………涼介君?」


 少しまじまじと見すぎてしまったようで、あさひは不思議そうに首を傾げている。


「あぁ、えっと…………、だいたい10年ぶりくらい……かな。転校した後、元気にしてた…………?」


 俺にとってはほんの数日前まで、小5の頃のあさひと過ごしていた。

 それがこれまでの普通だったし、何よりも昔のあさひしか俺は知らない。

 だからこそ、どんな風に声をかければいいのか分からなかった。

 あの時のまま、であるはずがない。

 もちろん、精神的にも成長しているはずだし、今現在の関係もよく分からない。


「うん…………。色々あったけど、今はこの街の会社に務めてて……」


「この街に…………?」


 意外な事実だった。

 この街は決して就職に良い街などではない。

 ましてや、魅力的に感じる点も少ないだろう。

 だからこそ、この街の出身者はどんどん外へと出て行き、帰ってくる人の方が少ない。

 そんな現状があるのにも関わらず、この街で…………。


「うん。…………たくさんの思い出があったから」


「…………そっか」


 それからはまた、無言の時間が流れる。

 束の間の静寂が辺りを包む。

 何か話題を………と、口火を切ろうとした瞬間。


「一ついい?」


 と、あさひが声を発した。

 その声は先ほどまでのぎこちなく自信のない声ではなくて、あさひの明確な意志が感じられた。

 言葉尻と言い、言い方と言い、紛れもない俺の知っている「あさひ」だった

 少しだけ懐かしく感じながらも、俺は黙って頷き、続きを促した。


「本当に………信じられない話だと思うんだけど…………」


「…………?」


 変な緊張感が走る。

 しかし、その後あさひの口から発されたのは、俺をさらに混乱に陥れることになった。







「私ね。小学五年生の夏休みを二回経験してるの」




 真っ直ぐ俺を見据えて、あさひはそう言った。




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