第10話『打上花火』






「はぁ…………はぁ…………」


「ちょっと、早く早く!」


 今年だけでもう何回も来ているため、頂上から俺を急かしているあさひも見慣れた光景だ。

 それにしても……、相変わらずきつい…………。

 この階段だけは一生馴れることがないんだろうな、と思いつつ、階段の最後の一段を上りきった。


「あぁ~~~…………、疲れた…………!!」


 ささやかな達成感を味わいつつ、その場にへたり込む。

 膝がっ…………! 膝が信じられないほどプルプルしてる………!!

 額に滲んだ汗を拭いつつ、呼吸を整える。

 満身創痍であさひの方を見てみると、「大丈夫~?」とニヤニヤしている。

 汗もかくこと無く、浴衣でよく上れるな……。

 相変わらずの体力に脱帽するしかない。


「一応、本殿の方も灯りはついているんだね」


「そうみたいだね……」


 本殿への階段も灯りがともっていたが、境内もボンヤリと明るい。

 それもそのはず、境内には提灯がぶら下がり、傍らの灯籠が光を放っている。

 さすがに本殿と言うこともあり、祭りなのに何もしないわけにはいかなかったのだろう。

 申し訳程度の仄かな灯りが、森のぽっかり空いたこのスペースをオレンジ色の色で満たしていた。


「誰もいないなんて…………、ちょっともったいないね」


「…………階段が無ければね」


 カップルの一つや二ついるもんだと思っていたが、ここには俺とあさひ以外誰の姿も無い。

 まぁ、ある意味仕方が無いだろう。

 ちょっと行ってみよっか、で来れるところではないことは、俺のリアクションで分かるはずだ。

 せめてもっと本殿が近くにあったら、皆も行く気にもなると思うけど……。

 あさひは周りをゆっくりとひとしきり見回し、満足したのか俺に向き合った。




「…………ちょっと座ろっか」




「……うん」




 座るなら本殿の方がいいと勧めたが、あさひは「ここがいい」と、今しがた上ってきた石段の最後の一段に二人で、腰掛ける。

 石段はひんやりとしていて、座っているだけで火照った体が冷めていくような感じがした。


「すごいな…………」


 目線を下に落とすと、階段を照らす灯りが点々と下まで続いているのが見える。

 あれは…………、屋台……か?

 小さな点々が見えるけど、具体的に何かは判別がつかない。


「何か、お祭りの音も聞こえるね」


「…………ほんとだ」


 風の音に交じり、時々人のざわめきや、屋台のエンジンの動く音などが聞こえてくる。

 一応祭りの最終日と言うこともあり、下ではまだまだ多くの人で賑わっているようだった。


「ふふ~ん」


 と、不意に。

 ご機嫌な鼻歌と共に、あさひは何か手元でこしょこしょしている。


「何やってんの……?」


 不思議に思って手元を覗き込むと、そこら辺に落ちている小石で、石段の隅っこに何かを書いている。

 暗くてよく見えない。

 何だろ。

 目を凝らす。


「…………あぁ、相合い傘」


 身を乗り出してよく見ると、公園のトイレとかによく書いてある相合い傘が、可愛らしく描かれていた。

 その下にはこれまた可愛らしい文字で「あさひ」と書かれている。


「涼介君も…………、名前書いて」


「うん、いいよ」


 あさひから小石を受け取り、「あさひ」と書かれた隣に自分の名前を書く。

 けれど、画数が多いのと漢字と言うこともあって、何かグチャグチャになってしまう。


「ちょっと、涼介君、字が下手っ!」


 堪えきれないように吹き出すあさひ。

 しょうがないだろ……、「あさひ」と違って漢字なんだから…………。


「字書くの苦手なんだよ…………」


「ノートの文字もすごかったもんねっ…………!」


 また何か余計なことを思い出しているようで、楽しそうに笑っている。

 きっと勉強会の時の話をしているんだと思う。

 この夏一番に恥をかいた出来事だ。


 そう、この夏…………。

 あの時の、扇風機の風に髪をなびかせながら微笑むあさひが頭をよぎる。





 ダメだ。

 思い出すな。

 すぐに自分を諫め、下を向く。


「…………」


 しばしの沈黙。

 再度、祭り囃子の微かな音が、辺りを包む。

 視界の端で様子を見てみると、どうやらあさひはうつむいているようだった。

 あさひも、俺と同じ事を思い出しているのかな…………。

 互いの胸に刻んだ一夏の思い出。

 同じ時間を共有し、同じ感情を経験した。

 胸に何か温かいものが流れ込んでくる。

 キュッと締め付けられるような痛み。





 意識したわけじゃない。

 それはきっとあさひも同じ。

 ごくごく自然な流れで、俺の右手とあさひの左手が触れあう。

 そして…………。

 重なる互いの手。

 先ほど同様に、二人の間に会話は無い。

 でもそれ以上の何かで、俺とあさひは確かにつながっていた。

 心、と言うと安っぽい響きかもしれない。

 でも俺は確かに、この瞬間、この一瞬に、あさひとつながっていると感じていた。


「…………」


 手の重なった部分が熱い。

 さっき冷えたはずの体が、また熱を取り戻していく。

 俺は、ゆっくりと、あさひの方を向く。

 すると、あさひも同じタイミングでこちらを見る。

 交わる視線。

 あさひは目を潤ませ、真っ直ぐに俺を見つめている。

 頬は赤く上気し、触れればきっと熱い。

 でもそれはきっと、俺も同じなんだろうな、と思う。

 徐々に体の体温が上がってく感覚。

 鼓動が早くなっていく。

 気づくと、あさひの顔が目の前にあった。

 閉じられる目。

 微かに揺れる長いまつげ。

 そして、吸い込まれるように、俺は…………。







「……………ん」







 あさひの吐息が漏れる。


 一瞬触れるだけの淡いキス。

 時間にしては本当に一瞬だった。



 …………でも、体感は永遠のように感じた。

 ずっとこうしていられるような。

 純粋な幸福感。


 思考が真っ白に溶け、後にはただ、甘い匂いだけが残る。

 ゆっくりと顔を離し、閉じていた目を開くと、そこには真っ直ぐに俺を見つめているあし。




「ちょっとグロス、ついちゃったね…………」



「ごめんね」と顔を真っ赤にしながら、微笑んでいる。


 心臓が早鐘を打つ。

 頭が冷静さを失っていく。

 熱い。熱い。熱い。

 もう―――――――――――抑えきれない。






「…………好きだ」






 堰を切ったようにあふれ出す感情。

 自分の感情をちゃんと伝えるのは、これがきっと初めてだ。



「好きだよ、あさひ」



 見開かれるあさひの目。

 ダメだ、とまらない。

 とめられない。





「|こ(・)|れ(・)|か(・)|ら(・)|も(・)ずっと…………」





 すきだ、そう声に出した。



 でも。

 |か(・)|き(・)消(・)|さ(・)|れ(・)|て(・)|し(・)|ま(・)|っ(・)|た(・)。



 空気を震わす振動。

 そして。

 目の前には、――――――――――――大輪の花。

 色とりどりの光が夜空に広がり、綺麗な円をいくつも作り出している。

 光の尾が消えゆき、一瞬の静寂の後、巨大な黄色の花が空に咲く。





 俺はしばらくその光景に見とれていた。

 今日はお盆最終日。


 つまり、今日は………花火大会……か。

 ……この街の風物詩をすっかり忘れていた。

 夏の夜空に咲く花火は空だけでなく、海にも反射し、目の前一面に花畑が広がっているようだった。

 俺とあさひの目の前で、一つ、また一つと消えてゆく。




「綺麗…………」




 ドーン!! ドーン!!という花火の残響の間を縫って、聞こえてくる独り言。

 あさひも、静かに見とれているようだった。

 そんなあさひを、俺は見ていた。


 綺麗な横顔。

 明日にはいなくなってしまう。

 こんなに近くにいるのに。

 手を伸ばせば簡単に手が届くのに。

 昨日からずっと、考えないようにしていた。

 考えてしまったらきっと、いつもの俺じゃなくなってしまうから。

 悲しくて、悔しくて、あさひをちゃんと見れなくなってしまうから。

 今日という日を、ちゃんと楽しむため。

 俺は自分の心に嘘をつき、今この場にいる。





「っ…………」




 …………でも、やっぱ無理だ。


 この子を失いたくない。


 遠くへ行って欲しくない。



 俺は、あさひともっといたい――――――――――――。




 視界がぼやける。

 せっかく、仲良くなれたのに。

 言葉を交し合うことができたのに。

 気持ちを通じ合わせることができたのに。


 これで終わりなのか…………?

 こんな結末しか待っていないのか…………?



「っ……」



 もしかしたら、この街に俺と残ってくれるかもしれない。

 家族に無茶言ってくれるかもしれない。

 何か、何か彼女を引き留めるような…………。

 止まってくれるような…………。


 必死に口を動かそうとするが、声にならず、ただ空気が漏れるだけ。


 ちくしょう…………。

 何で…………、なんでだよ…………!

 何で声になってくれないんだよ…………………!!



 温かいものが頬を伝う。

 それが涙と気づくのに、それほど時間はかからなかった。



「………………!」



 あさひに気づかれないように急いで明後日の方向を向き、腕で必死に拭う。

 次から次へと流れ出るものを止められない。

 歯を必死に噛みしめ、それでも涙は止めどなくあふれ出てくる。


 くそっ…………、とまれっ…………!

 とまれよっ…………!!

 お願いだからっ…………、頼むよっ…………。





「涼介君」




 不意にかけられる声。

 花火の轟音の中なのに、なぜか鮮明に聞こえた。

 瞬間。


 辺りの音が消える。

 俺とあさひだけの世界になる、そんな感覚。

 ふわふわとしていて現実感が無い。

 周りの景色も、花火も、俺とあさひ以外の何もかもが意識の外へと消えてゆく。

 あさひと視線が交錯する。


「…………!」


 あさひの目元には涙の伝った跡があった。


 真っ直ぐに俺を見据え。

 桃色の唇が微かに震えて。



 そして。







「ありがとう」と。





 ただ一言。






 情けない顔をしていたと思う。

 しばらく動けずにいた。

 目を見開き、あさひを見つめていた。


 そして………………、少しだけ分かった。





 …………うん。


 分かった…………。

 自信は無いけど。




 きっとそれが、……あさひの答えなんだ。


 ちゃんとあさひは言ってくれた。

 だったら、俺も言わなきゃ。

 ちゃんと自分の言葉で。

 自分の意志で。




 口を軽く開く。

 と、途端に蘇る様々な情景。



 体育館の裏。


 毎日一緒に帰った通学路。


 神社の本殿の裏。


 学校のプール。


 ずっと駄弁っていた夕暮れ。


 ラムネを飲んだ駄菓子屋の日陰。


 恥ずかしながらも歌ったカラオケ。


 プリクラ撮ったゲーセン。


 二人で涼んだあの小川。


 団地近くの公園。


 そして、今日。


 祭り、そして。






 打上花火――――――――――――。





 数え切れないほどの断片。

 その記憶のどこを切り取っても君がいる。

 君が笑っている。

 君が名前を呼んでくれている。

 俺は君に助けられた。

 大人になって、ただただ腐っていくだけだった俺の心を、君が救ってくれた。

 君と会えただけで、もう充分だった。

 ――――――――――――満たされていたんだ。

 涙を拭い、軽く笑う。

 自分でも驚くほど自然に笑えた。




「ありがとうは、こっちの台詞だよ」




 俺も、もう行かなきゃ。





「あさひ」




 先に進まなきゃ。





「さよなら」





 俺の返答を聞き。



 あさひは、ただ。




 静かに笑った。






 そんな二人を、打ち上げ花火はいつまでも、明るく照らしていた。
















 翌日。


 一通の手紙を俺に手渡し、あさひはこの街からいなくなった。



 別れの最後の瞬間まで、彼女は「ありがとう」と笑っていた―――――――――――――。


















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る