第9話『祭り囃子の中で』



 8月15日、16時30分。










「んじゃ、行ってきまーす」


「ちょっと待ちなさい、涼介」


 今から家を出ようとした矢先に、玄関先で母さんに呼び止められる。


「今日も遅くなるんじゃないでしょうね?」


「…………う~ん、できるだけ早く帰ってくるよ」


 さすがに母さんも昨日の今日で心配しているみたいだ。

 昨日も結局帰宅後、こっぴどく怒られてしまった。

 まぁ、いきなりボコボコの息子が夜遅くに帰ってくる親の気持ちを察することのできない俺ではない。

 心配をかけて申し訳ない気持ちもある。


「もう…………、母さん心配なのよ」


「…………?」


「涼介が別人になったみたいで…………」


 …………別人ってわけじゃないんだけどな。

 一応中身は伊藤涼介本人だ。

 でも、母親からしたら息子の変化は分かりやすいものなんだと思う。

 いつも一緒に生活しているから、いつも見ているから。

 23歳の俺が11歳の俺の体になってしまったことで、少なからず変に思ったこともあったと思う。心配することもあっただろう。

 夏休み前のイス蹴っ飛ばしたやつとか、いつもなら怒ろうと思えばめちゃめちゃに叱ったはずなのに、母さんは余計な詮索をしないでいてくれた。


「母さん、俺、もう大丈夫だよ。心配かけてごめん」


「涼介…………。…………お願いだから喧嘩だけはやめてね。傷だらけの涼介、もう見たくないもの」


「…………うん。行ってきます」


 最後まで浮かない顔をしつつも、「行ってらっしゃい」と母さんは俺を送り出してくれた。

 なんだか、無性に母さんに会いたくなってしまった。

 と言っても、この時間軸じゃなくて、23歳の俺の時間軸の母さんだけど。

 ありがとう、と心の中で呟き、俺はいつもの集合場所であるバス停に急いだ。




 ***




 17時集合で現在時刻は16時45分。

 少し早めに来すぎたかな。

 待ち合わせ場所にあさひの姿はまだ無い。

 時たま、これから祭りに向かうのであろう家族連れや親しげな男女が俺の横を通り過ぎてゆく。

 俺もなんだかんだ、今年初めてのお祭りだ。

 …………いや、そもそも祭りなんて数年行っていない。

 中3の頃行った朱犬神社の祭りが最後だったりする。

 それを踏まえると本当に久々であるため、ガラにも無くワクワクしている。


「涼介君」


「…………?」


 あさひの声。

 しかし、普段あさひが来る方向には何も見えない。

 …………?

 クルッと逆を振り向くと、途端に手で目を隠された。


「ちょっと待って……! 心の準備が…………!!」


「えっと…………」


 しばしの間視界が奪われ、仕方なしに真っ暗な世界を見ていた。

 熱を持った両手に包まれ、体感で数十秒経過…………。

 え……?

 俺、いつまでこうされてるの……?


「あの……、あさひ…………?」


「ごめんっ…………! その……うんっ、よしっ!!」


「見てもいいよ」と手の押さえが外される。

 と、目の前には。


「…………おぉ」




 ……上品な浴衣に身を包んだあさひがいた。

 濃紺色の浴衣には色鮮やかな朝顔が描かれていて、真っ白い純白の帯がアクセントとなって全体の感じを引き締めている。


「…………お母さんが着付けしてくれたんだよね」


「そうなんだ…………」


 なんか、上手く言えないけど…………。


「すごい、綺麗………だね…………」


「え?」


 ごにょごにょと適当に言葉を濁したおかげで、あさひには聞こえなかったらしい。

 あさひの浴衣姿を直視するのが恥ずかしくて、思わず視線を逸らしてしまう。

 いやいや…………、今さら何を言ってんだよ、俺。

 直接話せるのも…………残り少ない時間だろ?

 ちゃんと言葉で伝えないと。


「あさひ」


「うん」


 咳払いをしつつ、再度真正面から向き合う。

 すると、普段との違いに気づいた。

 あれ? なんか…………。

 軽く化粧もしてないか…………?

 いつもよりほんの少し頬が色づいているような気がする。

 それにグロスだろうか、唇がうっすらピンク色でプルップルだ。

 髪型もいつもとは異なり、頭の上でアップにしている。


「あぁ…………、えっと…………。あさひ、綺麗だよ」


 頑張って、気持ちいつもよりも声を張る。

 するとそれを聞いたあさひは満面の笑みを浮かべて、「ふふふ…………」とめちゃめちゃに照れている。

 は……恥ずかしい…………。

 こういうことを普通に言える男ってすげぇ………。

 でも…………、喜んでくれているようでなにより。

 頬を赤く染め、嬉しそうに微笑んでいるあさひ。


 その笑顔が何よりの化粧だな、とふと思った。






 ***




「うわ~~~、すごい人だかり!」


 あまりの賑わいに驚いているあさひ。

 それもそのはず、朱犬神社の参道では時間帯的にはまだ早いはずなのに、多くの人がひしめき合い、思い思いの祭りの夜を楽しんでいた。


「結構屋台も出てるんだね。目移りしちゃう…………」


 参道に沿って並んでいる様々な出店。

 焼きそばにお好み焼き、わたあめ、チョコバナナ、それにリンゴ飴。祭りと言えばコレ!と言う、とても王道なラインナップが見て取れる。

 祭りの食べ物って割り増しで美味しく感じるんだよな…………、何でだろ。

 辺りには鉄板で何かを焼いている香ばしい匂いが充満していて、それだけで空腹になっていくような気さえする。


「私、リンゴ飴食べたいっ!!」


「早っ!」


 早速あさひはリンゴ飴の屋台に並び、そこそこデカいリンゴ飴を確保。

 拳ほどある飴をぺろっとなめ、顔を綻ばせている。


「うん、美味しい!」


「俺、リンゴ飴食ったこと無いんだよね…………」


 何気なく声に出した瞬間に後悔した。

 めちゃめちゃリンゴ飴欲しがっているみたいじゃん…………!

 決して下心があったわけじゃないんだけど…………。

 すると案の定あさひは気を遣ってくれたのか、「食べてみる?」と食べかけのリンゴ飴を差し出してくれた。

 …………あれ、普通だ。

 意外と淡泊なその反応に少しだけ拍子抜けしたが、間接キスとか…………気にしない?

 …………もしかして、俺だけ?


「すいません、いただきます」


 あさひも別に何とも思ってないみたいだし、素直にご厚意に甘えることにしよう。

 リンゴ飴を受け取り、恐る恐るひとかじり。

 …………おっ、甘酸っぱい…………。

 口の中に広がる飴の甘さとリンゴの酸味。

 鼻から抜けていくリンゴの芳醇な香りが、何とも言えない爽快感を生み出しているような……。

 平常心を装い、心の中で食レポごっこを繰り広げる。



「…………間接キス、だね」



「…………っ!! えほっ、げほっ……!!」



 気管に入った…………!

 あさひの方を見てみると、リンゴのように頬を真っ赤に染め上げ、トロンとした目で俺を見ていた。

 恥ずかしがる素振りなんて一切無かったのに…………!!!!

 何だか急に俺も恥ずかしくなってきた。

 甘酸っぱすぎるだろ、色々と。





 結局俺もリンゴ飴を購入し、二人で食べながら屋台を見て回る。

 手前には食い物の店が固まっていたが、奥の方には射的、くじ引き、金魚すくいなど、遊ぶ系の屋台が並んでいる。

 どの店の前にも子供がたむろっていて、時折「よっしゃ!!」「ちくしょーーーーーー!!」と聞いていて面白いリアクションが聞こえてくる。


「凄い盛り上がってる……! ねぇねぇ、私たちも行ってみようよ!!」


「ちょっ…………!」


 腕を引っ張られ、人混みの中へ迷い無く進んでいくあさひ。

 子ども達の熱気はすさまじく、近くにいるだけで汗をかきそうになる。


「金魚すくいだって! どっちが多くすくえるか勝負しようよっ!」


 あさひが最初に目を付けたのはどうやら金魚すくいの屋台だったようで、早速浴衣の袖をまくり、臨戦態勢になっている。

 しかし、金魚すくいで俺に勝負を挑んだのは少し浅はかと言わざるをえない…………。

 なぜならば、俺は金魚すくいが病的に上手い。……自分で言うのもなんだけど。

 これまでの最高記録は25匹。

 小学2年の頃に打ち立てた記録で、それに比べて今はちょっとは腕が落ちているだろうけど、それでも下手では無いと思う。


「…………いいよ。手加減しないからね?」


 俺の返答に不敵な笑みを以て答えるあさひ。

 祭り初心者に負けるほど、落ちぶれちゃいませんよ…………。








 と、思っていました。

 結果から言います。

 惨敗でした。



「やった! 黒いデメキン!!!」


 隣の浴衣姿の女の子は、流れるような手つきでピンクのポイを操り、次から次へとお椀へ金魚を入れてゆく。


『うわ、すっげぇ!』『またとった!!』『なにもんだよ、このねーちゃん……』


 いつの間にやら俺とあさひの周りには、小学生やら幼稚園児くらいの子供が集まっていて、目の前で行われている金魚の乱獲を嬉々とした目で見ている。

 まぁ、確かに。

 こりゃエグいわな…………。

 あさひの目の前には金魚がパンパンに入ったお椀が二つ浮かんでいて、三つ目のお椀も現在進行形で金魚が次から次に入れられている。


「お嬢ちゃん、プロ…………?」


 金魚すくい屋の親父も訳が分からないことを口走っている。

 これには俺も同情の意を隠しきれない。

 常識を越える何かに出会ったとき、人は脆い生き物だと思う。


「涼介君、私何匹すくった!?」


「えぇ…………!?」


 20匹を超えた辺りで数えるのをやめてしまったから、普通に分からない。

 もちろん俺よりはすくってるのは確かだ。

 ってか、本当に祭り初心者なのか…………? 上手すぎるだろ…………。

 しかし、いくら上手いと言えどもポイには限界がある。

 終わりは突然訪れた。


「あっ…………、破けちゃった…………」


 見てみると、あさひのポイは半分ほど穴が空いてしまっている。

 残念そうなあさひとギャラリーに反して、俺と屋台の親父は安堵の表情を浮かべていた。

 君は十分な働きをしたよ、もうお休み…………。


『おぉっ!!』『マジか!!』


 不意にギャラリーが沸く。

 何事かとあさひの方を見てみると、俺がポイへの賛辞を送っている傍ら、あさひは残っているポイのスペースで金魚をすくっていた。





 …………もう、やめてくれ………………。





「あー、すくったすくったーーーー」


「食った食ったー、みたいに言うなよ…………」


 俺たちは金魚すくい屋の裏で勝ち負けを確認をしていた。

 結果は火を見るよりも明らかだったけど、まぁ…………一応ね。

 ちなみにすくった金魚は全部リリースしました。


「涼介君、何匹すくったの~?」


「ぐっ…………!」


 ニヤニヤしながら俺の顔を覗き込んでくるあさひ。

 俺も俺で結構善戦した方だと思ったんだけど……。

 まぁ、今回は完全に相手が悪かった。


「…………5匹です」


「よしっ! 私の勝ちっ!!!」


 あさひは真っ白な腕を惜しみなく出しガッツポーズを決める。

 そんなに笑っちゃって……、本当に楽しそうだ。

 ニヤニヤとここぞとばかりに煽ってくるけど、あんなに圧倒的に負ければ逆に悔しくない。

 悔しくないよ。うん。

 …………悔しくないったら悔しくない!


「それじゃ、罰ゲーム!」


「っ!? そんなの聞いてないよ!!」


「今決めたんだも~ん」とすましたように言うあさひ。

 …………くそっ、可愛いな…………。

 小首を傾げながら「何にしようかな……」と悩んでいるが、できるならあんまりキツくないやつでお願いしたい。

 あさひはしばしの間考えているようだったが、やがて何か思いついたようで、おずおずと片手を差し出してくる。


「…………?」


「はい」


「え?」


「だから…………、はいっ」


 いや、どういうこと……?


「手、つないで」


 あぁ、そういうこと…………、手ね…………。

 手か。

 手だよね。

 ……うん、いやいやいやいや、ちょっと待て。


「あぁ、うん。手ね、手だよな」


 …………いや、嘘だろ、俺。

 手をつなぐくらいで動揺してるとか普通に気持ち悪いぞ。

 頑張れ23歳。

 文字におこすとなんかとんでもないけど、平常心、平常心だ。

 よし、うん。

 はいっ!

 よっしゃ!!


「んっ」


「っ!!」


 キュッとあさひに手を握られた。

 手にじんわりと広がる暖かく、柔らかい感覚。


「あさひ…………!」


「だって、涼介君。握ってくれないんだもん…………」


 頬を赤らめながら、少しすねたような表情を浮かべているあさひ。


「あの……ごめん」


 何をどう言っていいのか。

 申し訳なさと恥ずかしさと嬉しさで頭がゴチャゴチャになる。

 手から伝わってくる温もりが、思考を溶かす。


「…………行こっか」


「……うん」


 恥ずかしさからか、顔を合わせることなく歩き始める。

 端から見たら俺もあさひも、とんでもなく赤い顔をしているんだろうなと思う。

 何とか顔に出さないように平常心を装うけれど、どこまで誤魔化せているか……。

 あさひに手を引かれて、再び屋台のある参道へ出た。


 辺りを見回すと、さっきよりも人が増えている気がする。

 茜色だった空も、今では点々と星が浮かぶ漆黒に変わり、夏の夜の匂いが漂っている。

 屋台の電飾や、灯籠の灯り、色という色が輝き、瞬き、視界の中で明滅している。



「「…………綺麗」」



 声が重なる。

 思わずあさひと顔を見合わせ、互いに笑い合った。




 それからは思い思いの時を過ごした。

 焼きそばや綿あめとかを食べたり、射的をしたり、……もう一度金魚すくいしたり。

 目についたものを買って食べて、片っ端から遊んだ。

 …………ただ、後悔が無いように。

 この二人の時間を確かなものにするために、きっと、敢えて色々なことをしていたんだと思う。

 出店を回っている途中で、クラスメイトや知り合いに会ったりもした。

 その度に、恥ずかしさから口数が減ってしまうこともあったけど…………、それでも手だけはずっと離さずにいた。



 景色がゆっくりと変わってゆく。

 様々な色の灯りに包まれ、夢のような、そんな幻想的な光景。

 真夏の夜の雰囲気と屋台の熱気と相まって、頭の芯からじんわりと麻痺していくような。

 ただ、カランコロンと鳴り響くあさひの草履と、つないでいる手から伝わってくる温かさだけが、この景色が現実であることを思い出させてくれる。           


「…………!」


 キュッと。

 不意に、つないでいる手が、強く握られる感触。

 何気なくあさひの方を見てみると、彼女は明後日の方を向いていて表情はうかがい知れない。

 俺も、ギュッと、同じくらいの力で手を握り返す。

 ……あさひは今、何を考えているんだろう。

 何を思ってる?

 今、楽しんでる?

 俺は…………、凄い楽しいよ。

 凄い楽しくて、…………やっぱり、ちょっと寂しい。

 そんな思いを込めるだけ込めて、握り返す。

 …………伝わるだろうか。

 伝わるといいな。

 いつの間にか無言になってしまった二人の会話。

 もう言葉はいらなかった。

 必要としていなかった。

 今ここにあるのは、きっとすごく純粋な思いなんだと思う。

 きっと…………、そうだ。



 ***



「本殿にも、屋台って出てるの?」


「えっ……?」


 不意に再開される会話。

 気がつくと、俺たちは拝殿の前に来ていた。

 ここまで来ると、屋台はおろか、もうあまり人の姿もない。


「………本殿の方には、屋台は出てないよ」


 本殿のあるところと言うと、300段の階段を上った先のことを言っているんだろう。

 俺らが夏休み初日に虫取りをしたところで、あさひが気に入っている場所だ。

 この朱犬神社は少し特殊な作りをしていて、参道の先に拝殿があり、その奥に本殿へと続く300段の階段がある。

 そんな理由もあって多くの参拝客は拝殿で用事を済ませてしまい、そもそも本殿へ行くことが無い。

 そして、祭り自体も拝殿と参道のあるスペースで事足りるため、300段もの階段を上って祭りの準備をする必要がなかった。

 それ故に今現在、拝殿付近にいるのは中学生ぐらいのグループが数人と、イチャついてるカップルが数組だけ。

 人混みから離れて、皆一様に各々の時間を過ごしている。


「涼介君」


「ん…………?」


「私、本殿に行きたい」




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