第6話『予兆』





「ごめんね……、今日も具合悪いって…………」


「そう……ですか…………」


 これでもう5日目。

 申し訳なさそうに何度も「ごめんね……」と謝るあさひの母親。

 何か事情を知っているのかもしれない……けど…………。


「少しだけでも会わせてもらえないですか?」


 この台詞も、もう5回目。


「ひどい風邪なの、うつしちゃ申し訳ないから……」


 そして、この返答5回目だ。

 ……仕方ない。


「分かりました、俺、帰りますね」


 粘っても仕方が無いことは昨日で証明された。

 どうしてもあさひの母親はあさひに会わせてくれない。

 風邪を引いたと言うが、いくら何でも長引きすぎじゃないか。

 風邪以外に理由がある…………?

 階段を降りてマンションの出入り口から外に出ると、容赦なく8月の太陽光が全身を包む。


「あちぃな…………」


 空には今日も入道雲が我が物顔で鎮座している。

 夏休みも終わりが見えてきた。

 にもかかわらず、涼しくなる気配すら無いのはなんでだ……?


「はぁ…………」


 深い深いため息が漏れる。

 結局今日の予定も潰れてしまった。

 ……一体何をしようか。

 夏休み中はずっとあさひがやりたいことを決めていた。

 だから、やることに悩むなんて無かったんだけど……。


「あさひ……、どうしちゃったんだよ」


 ここ1週間近くずっと俺は彼女の家を訪ねていた。そして、ずっと俺は門前払いをくらっている。

 ゲーセンに行った翌日。

 いつもの待ち合わせ場所であるバス停に、あさひは姿を見せなかった。

 不思議に思い、彼女の家である市営のマンションに行ったところ、あさひの母親から「風邪をひいた」と、ただ一言。

 それ以降こうして足を運んでいるけど、結果は芳しくない。

 俺が覚えている限り、あさひと何日も会わなかったのは初めてのことだ。

 だから…………、何て言うか。

 すごい違和感がある。


「どうして急に…………」


 これまでにも、マンションに迎えに行ったりして、あさひの母親には何度も会っている。

 その度に愛想良く出迎えてくれたりしたのに…………。

 だけど。

 悲痛そうな、仕方なく何かを我慢しているような、帰り際の表情。

 やっぱり、そうなのかな…………。


 一つの予想がもはや確信に変わりつつある。




 ―――――――――あさひは、俺を避けてる?






 すると、団地から出る直前。



「涼介!」


「ぅお!!」


 不意に誰かに呼び止められ、思わず奇声を上げてしまう。


「……何だ、百華か」


 声の方を見ると、見慣れたショートカットの腐れ縁の姿。

 百華の家もこの団地にあるため、ここにいること自体珍しくは無い。

 だけど。


「…………」


 いつもの勝ち気そうな表情は鳴りを潜め、ガラにも無く眉尻が下がっている。

 珍しい。

 明らかに元気が無い。

 長い付き合いだけど、こんな顔をしている百華を見るのは初めてだ。


「……ぼーっとしてたね」


「うん、まぁ……ちょっとな…………」


 最近、色々考えることが多いから。


「…………そっか」


「どした? 俺に話とかあった?」


「っ…………」


 図星なようだ。

 でも、百華から俺に話って何だろう。


「……………」


「…………百華?」


「……………」


 そっか、と言ったきり、百華は黙ってしまった。

 ほんとにどうしたんだよ…………?

 普段は俺が会話の主導権を握ることがないため、こういうときどうしていのか分からない。

 百華は何度も口を開きかけ、そして、やっぱり諦めたように閉じる、ということを繰り返している。


「……………」


「……………」


 ……どうしよう。


「とりあえず、涼しい所行こうか……?」


 すると、百華はコクンと静かに頷いた。





 ***





 団地近くにある、公園というにはあまりにもお粗末な作りの場所。

 車4台分の駐車場くらいのスペースしかなく、遊具も砂場と寂れたシーソーしか無い。

 そんな公園が当然人気があるわけも無く、今も俺たち以外に人っ子一人いない。

 ……まぁ、今はその過疎りぐあいが丁度良いんだけど。


「………………涼しいな」


「………………ん」


 俺と百華は木陰のベンチに腰掛けていた。

 とは言ったものの、状況が何か変わったわけじゃない。

 依然、百華は思い詰めたように下を向き、悩んでいるようだった。


「……まだ、言いづらい?」


「…………ん」


「…………なぁ」


「…………ん」


「話ってさ、もしかして……あさひのこと?」


「っ!!!」


 百華の肩がビクッと震えたのが分かる。


「もし何か知っているんだったら、教えて欲しい。俺もずっと会っていなくて、…………話もできていなくて」


 俺の夏休みのその先にあること。

 もう俺は知(・)|っ(・)|て(・)|い(・)|る(・)。

 というより、分かっていた。

 それは俺の小学生の頃にも起こったことで。

 だから、もう覚悟はできている。…………気持ちでは、否定したいけど。


「あさひ…………、転校するんだろ?」


 声が震えているのが情けない。

 努めて冷静に、あくまでも何でもない風に。

 そう、ただの事実確認だ。


「涼介……、あさひから聞いたの…………?」


 百華は顔を上げ、俺を見据える。

 その目尻にうっすらと涙がにじんでいるのは気のせいだろうか。

 そんな百華の反応で俺の予想が正しかったことを察する。


「やっぱり……、転校するんだな」


 俺の問いに百華はコクンと頷く。


「……ずっと、涼介に話そうか、迷ってたの…………」


 ポツリポツリと涙混じりに言葉を紡ぎはじめる百華。

 きっと百華の中でも色々な葛藤があったんだと思う。

 膝の上にぎゅっと握られた両手はプルプルと震え、肩は強ばってしまっている。


「でも、ここ最近、本当にあさひと涼介って、仲良かったから…………、涼介が知らないままっていうのも、あんまりだなって…………」



「1週間位前に、あさひから電話があってね。急に転校が決まったって…………」


「1週間前…………」


「本当に急で、もうすぐに、引っ越しちゃうんだって」


「引っ越すって…………、夏休みが終わる前とか?」


 すると、百華は大きく首を振り、「多分、明後日だと思う」と呟いた。




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