第5話『思い出作り』




 夏休みが始まり、俺とあさひは毎日一緒に過ごした。

 朝一のラジオ体操。

 学校のプール開放。

 通学路の犬を二人で日が暮れるまで眺め。

 互いの家で扇風機にあたりながら宿題をやったり。

 バスを乗り継ぎ、海に釣りにも行った。

 時には百華と三人で、最寄りの駄菓子やでラムネ買って飲んだり、あまり良くないけれど、こっそりカラオケにも入ったりした(俺たちの住んでいる地区では小学生のカラオケボックスへの出入りが禁止されている)。

 そしてけっこう意外だったのは、あさひは朱犬神社をやけに気に入ったらしい。

 結果的に夏休みに入ってから初日を含めてもう五回は行ったことになる。

 …………普通の神社だと思うけどな。何をそんなに気に入ったのか……。

 そんなこんなで、夏休みが三分の一ほど終わった今日この頃、俺らは今日も今日とて街中へ遊びに繰り出そうとしている。


「ゲーセン?」


「そう! ゲームセンターに行ってみたい!!」


「良いけど……、街中にしかないから一時間とか歩かないといけないよ?」


「それでもいいから行きたい!! 行きたい行きたい!!!」


 余りの力説に若干たじろいだが、そうしてまで行きたい理由があるのかな……。

 俺らの住んでいるところはほんの少し内陸にある。

 そのため市街地からも離れているため、遊びに行くのにはちょっとした移動が必要だったりする。

 俺一人であれば自転車で行くんだけど……。

 あさひはどうやら自転車を持っていないようで、必然的に移動は徒歩になる。


「今日もあっついな………」


「そうだね…………」


 市街地までの道のりを歩いているが、もう何度も何度も汗を拭っている。

 8月に入り、これまでがお遊びだったのではないかと思うほどめちゃくちゃ暑くなった。

 天気予報では全国的に真夏日になるとのことだった。

 太陽、本気出しすぎだろ…………。


「最高気温34度だってさ……」


「えぇ~~、干からびちゃうよ…………」


 だからこそ。


「「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、すずしいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~~~~~~~」」


 ゲーセンに入ったときの冷房が体に染み渡るぅぅぅぅぅぅぅぅ~~~~~~。

 体調を崩しそうなほどの冷気に全身が包まれ、しばらくはこのままでいたい。

 あさひもそれは同じらしく、気持ちよさそうな顔をしながら手でパタパタと胸元に風を送り込んでいた。



 ……なんか、エロいな。

 すると俺の視線に気づいたのか、あさひはこちらをキッと睨み付ける。


「涼介君、目線がエッチだよ」


「……いやいや、あの…………喉が渇いたな~って思ってさ!!」


「……あ~~、うん、そうだね。なんか飲み物飲んでから遊ぼっか!」


 咄嗟に適当なことを口走ったが、あさひも同じ事を思ってたらしく、嬉々とした表情を浮かべる。

 どうやらうまくごまかせたようだ……。


「そうそう!! 休憩しようしよう!!」


 あさひの背中を押し、自販機へ。







 あさひはお茶、俺はコーラを片手に自販機前のスペースでだらだら。

 暑いところで汗をかいてから冷房のきいた部屋でだらける、個人的に夏の醍醐味の一つだと思う。


「ふぃ~~~~」


 ゲーセンへ歩いて来ただけなのに、もうかなりの達成感がある。

 なんならこのまま寝れそうな…………。


「よし! そろそろ行こうよ!!」


「えぇ~~~~~?? もうちょっと休もうよ……」


「そんなこと言ってたら時間なくなっちゃうじゃん! ほら早く早く!!」


 半ばあさひに引きずられる形で、とあるコーナーに連れて行かれる。

 なんか……やけにキラキラしていて、目がチカチカする。


「ここって…………」


 ……なるほど、ようやっと分かった。

 やけにゲーセンに来たがってたのは|コ(・)|レ(・)が理由か。

 目の前には目が異様にでかいギャルが写った筐体が並んでいる。まぁ、要はプリ機だ。


「プリクラ撮りたかったんなら、そう言えば良かったのに……」


「…………だって、男の子ってあんまりこういうの好きじゃないかと思って」


 好きか嫌いかと聞かれれば別にどっちでもないけど…………。

 というか、これまでの人生であまりプリクラを使ってこなかった。

 覚えている限り二回。そのどちらも野郎と撮った。悲しい。


「別に嫌いじゃないけど…………」


「本当っ!?」


 それを聞くやいなや、たちまち元気になるあさひ。

 …………まぁ、撮るだけだしな。

 全然余裕でしょ。


 五台のプリ機の内、四台は既に誰かが入っているようで、きゃっきゃうふふと楽しそうな声が聞こえてくる。


「一番右のやつが空いてるね」


「んじゃ、入りますか」


 のれんみたいなやつをくぐって、あさひと中へ。

 転瞬。


「眩しっ!!!!!」


 いや、待て待て待て。

 プリクラってこんなに眩しかったっけ…………?

 最後に撮ったのはもう4年前であるため、すっかり勝手を忘れてしまっている。


「私も本当に久々に撮るよ~~~」


 そう言う割に、あさひは既に硬貨を投入し終わり、背景などを選んでいる。


「何がいい?」


「あさひの好きなやつでいいよ」


「んじゃ、私選んじゃうね」


 まぁ、そんなにこだわりは無いしな。

 好きにしていただいて。


「…………これで、よしっと。涼介君、下がって下がって!」


 選択が終わったのか、画面にカウントダウンが表示される。

 と、不意に。


「っ!!」


 いきなり腕を絡め、めちゃめちゃに体を密着してくる。


「ちょっ……! あさひ…………!!」


「こうしないと撮れないよ、ほら、ちゃんと画面見てて」


 言われるがままに画面を見ると、カウントダウンの背景に顔を赤くした男の子と女の子がこれでもか、と言うほどにくっついていた。

 俺は言わずもがな、あさひも口を真一文字に引き絞り、頬を上気させて真っ直ぐにカメラを見ている。

 カウントダウンはあと10秒を示している。

 いや、ちょっと待ってくれ、あと10秒も耐えなきゃならないのか……?

 時間を意識すると、余計に密着している部分が熱く感じる。

 それはあさひも同じようで、恥ずかしさからか既に画面から視線を逸らしていた。


「あさひ、画面見ないと………」


「…………、うん、そっ、そうだね……、ごめん」


 あと五秒…………!

 無理に頑張って口角を上げる。

 しかし、無理矢理笑おうとしたためか、猿みたいな顔になってしまった。

 やべぇ……、めちゃめちゃ不細工やんけ……!!


「ぶふっ!!」


 画面を見ていたあさひが噴き出す。


「ちょっと、涼介君、笑わせないでっ……!」


「っ!!」


 そこでフラッシュが焚かれる。

 画面には笑うあさひと、困惑した表情を浮かべた俺の姿が。


『もう一枚いくよ~~~』


 呑気なアナウンスと共に再度カウントダウンが表示される。


「あさひ、もう一枚来るって! ツボってないで!!」


「だって、あんな顔っ、笑わない方がっ、無理だよっ」


 未だにツボに入っているのかケタケタと笑っている。


「こーんな顔してたよ!」


「ぶっ!!!」


「そんな顔っ、してねぇよ…………!!」


 さっきの俺の真似なのか、画面に向かって唇を突き出し、変顔をブチかますあさひ。

 ヤバい、俺もツボった…………!!

 そこで再度フラッシュ。

 すると、画面にはアホみたいに笑っている二人の姿が。


『次でラストだよ~~~、最高の笑顔でね~~~』


「うわ、二枚無駄にした!! 最後くらいはちゃんとしよ!!」


「涼介君が悪いんじゃん! あんな変な顔するから……!」


 とは言ったものの、画面に映る俺とあさひは最初の硬い表情ではなく、自然な笑顔が浮かべられるまでにリラックスしていた。

 …………、まぁ、結果的には良かったのか…………?


『ポーズ決めて~~~』


 画面には腕を組み、自然な笑顔でピースを決める二人の姿が。

 まもなく最後となるフラッシュが焚かれ、『外に出て落書きしてね~~~』というアナウンスが流れる。


「あ~あ、おもしろかった!」


 満足そうな表情で外に出て行くあさひ。

 俺も後に続き、横に附属している落書きブースへと向かう。


「写真を確認してっと………、おっ、結構良く撮れてるよ!」


 あさひの横から覗き込むと、あんだけ大はしゃぎしながら撮った割に、結構プリクラプリクラしている。

 目とかも思ってたよりもデカすぎず丁度良いあんばい、…………ってか肌白いな。あさひが白いのは元々として、俺まで呪怨ばりに真っ白だ。


「涼介君もやってみる?」


 ペンタブを俺に向けるあさひ。

 言われるがままに、画面に向き合い、色々見ていく。


「へぇ…………、スタンプとかあるんだな…………」


 既にあさひによって星とかハートマークとか、その他諸々が付けられていたため、邪魔にならない程度に

 変なキラキラなどを付け足していく。


「なんか書き込めるみたいだけど、何書く?」


 装飾とかはそこそこ付けたが、まだ文字での書き込みをしていない。

 すると、あさひは少し頬を赤らめ躊躇いながらも、ピンク色で「ずっといっしょ!」と笑顔で笑っている二人の下に書いた。


「いいでしょ?」


 恥ずかしげに微笑むあさひ。




 …………、ヤバい。

 何だ、この子、すごい可愛い。



 心臓の拍動はプリクラ撮っている最中からずっと早いまま、あさひに伝わらないか心配だったけど。

 …………まぁ、あんなに密着していたんだから、伝わっちゃってますよね……。




 ***




「涼介君、クレーンゲーム下手なんだね~」


「あれは位置が良くなかったんだよ……、もっと右だったらさ…………」


 今しがたクレーンゲームで大敗を喫した俺は、あさひからケラケラと笑われていた。

 ちゃんと言い訳をすると、そもそもクレーンゲームに馴れていないから……。

 俺自身もゲーセンに来る機会があまりない以上、ゲームはあまり上手くない。

 というか、思いっきりド素人だ。

 的な感じで反論したら、「センスじゃない?」と言い返されてしまった。

 そうか……、センスか…………。


「あさひはゲーム上手いよな」


 先ほどのメダルゲームを思い出す。

 二人でプレイする対戦型のゲームだったが、普通にボコボコにされた。

 ってか、俺が下手すぎるのか……?


「う~ん、人並みだと思うけどなぁ…………。涼介君が上手じゃないんじゃない?」


 ニヤニヤと半笑いで煽られるが、直接的に「下手だね~~~」と言わないあたり、あさひの優しさを感じる。

 うーむ……。


「次は何しよっか~~」


 まだやってないのはアーケードゲームだけど……、あさひはきっと興味ないよな…………。

 二人であーでもないこーでもないと言いながらゲーセン内を回る。

 と、不意に。


「お前さー、まじで下手じゃね!?」


「100円の無駄無駄!!」


 それに続きギャハハハと下品な笑い声。

 声の方を見てみると、そこには俺らと同じくらいの男子3人がクレーンゲーム前にたむろっていた。

 あまりにもジロジロと見てしまったからか、その中の一人と目線が合ってしまった。


「……あさひ、あっち行こう」


 俺がこの場から離れようとしたのは、ただ単に目が合ったからだけじゃない。

 俺はコイツらの顔に見覚えがあった。

 俺らと同じ学校で、学年は一つ上。その素(・)行(・)にかなりの問題がある悪ガキ連中で、市内にかなりの悪評が広まっていることで有名だった。

 こんな所で目を付けられても面倒だ。さっさと退散してしまおう。


「おい、お前」


 ……………………。


「…………っ!!」


「ちょっ!? 涼介君!!!?」


「!! 待てよ!!!」


 無言であさひの手を取り、ゲーセンの出入り口に向かって走り出す。

 後ろから追ってきている気配。


「ごめん、あさひっ! ちょっと走って!!」


 必死の形相で訴えかけると、状況を察したのか察してないのか「分かった!」と元気な表情で頷き、俺の前を走り出した。

 ゲーセンの外へ飛び出し、そのまま帰路へ。

 俺は一つやってしまったと思った。

 俺とあさひ、どちらが足が速いか、勘定に入れてなかった……。

 息が既に切れ切れの俺に対し、ぐんぐんと距離を広げていくあさひ。


「ちょっ、まっ…………! あさひっ」


 後ろを見ると、とっくに諦めたようであいつらの姿は無い。


「もう、いい……、走んなくて……、いい…………」


 午後の西日が照りつけるコンクリートの上を、思い思いに足を進める。

 俺の限界にあさひが気づいたのは、それから200メートルほど走ってからだった。




 ***





「もっと早く気づいてくれてもよかったのに…………」


「ごめんって、ごめん! 私もびっくりしたんだよ? いきなり走り出すから……」


「まぁ、無事に逃げれたからよかったけど……」


「あのガラの悪そうな人たちだよね……?」


「そう、あんまり関わりたくなかったんだ」


 素足で水を蹴っ飛ばし、軽く水しぶきが上がる。


「わ! ちょっと、水かかったじゃん!」


 仕返しというように、あさひも思いっきり水を蹴り上げる。

 すると避ける間もなく、大きな水の塊が俺の顔面にヒットする。


「冷て…………」


 ブルブルと震え、水しぶきを飛ばす。

 そんな俺の様子を見て、あさひは「犬みたい~~」と呑気に笑っている。

 …………まぁ、楽しそうだし……、もういいか。

 俺の体力の無さについて考慮してくれ、という提案をしたのだが、よく考えればメチャメチャダサすぎる。


 あの後、俺とあさひは近くの小川へ来ていた。

 コンクリで舗装された川岸に二人で腰掛け、水の中に足をつっこみ、絶賛涼んでいる最中だ。

 あまり大きくなく、文字通りの小さな川であるここは、ちょっと休むのになかなか良さげなスポットだったりする。

 俺らが来たときも近所のばあちゃん二人が涼んでいたが、余計な気を利かせたのか、すぐに帰ってしまった。


「私転校してきてから、ずっと家と学校しか往復してなかったから……。こんな素敵な場所がたくさんあるなんて知らなかった…………」


 唐突に物憂げな表情を浮かべて、ポツリと呟く。

 テンションの落差に少しだけ驚いたが、何でもない風を装って俺も口を開く。


「別に珍しくはないんじゃない? 山があって、川があって、それって自然なことだろ?」


 すると、あさひはゆっくりと首を振る。


「私が前いたところは本当に都会でね……? ずっと何かに押しつぶされそうな……、そんな圧迫感を感じてた」




「私、本当に嫌だった、周りも、自分も、何もかも」




「転校するのも別にどうでも良かったの、友達もいなかったし」



 自分の奥底にあるものを絞りだすように、噛みしめるように。

 下を向いて言葉を重ねる一人の少女。

 …………?

 奇妙な既視感。

 この光景、いや、この構(・)図(・)。

 ……俺、知ってる。

 あさひの隣で話を聞く機会なんて、夏休みに入ってからいくらでもあった。

 でも、違う。

 いつだ? 

 夏休みの前?

 これは…………、昔の記憶?

 もやがかかったように、浮かんでは消えてゆく記憶の断片。

 しかし、そのどれもが要領を得ない、あやふやなものだった。


「あさひ…………?」


「……でもさ、涼介君が…………」





「涼介君があの時私に声をかけてくれたから…………」





 真っ直ぐに俺を見据えるあさひ。

 何だ。

 何のことだ?

 記憶を探るが、そんな記憶はない。

 存在しない。

 そもそもあさひと俺は接点は存在しなかったはずだ。

 クラスも隣で、あさひが転校してきたことすら俺は関心がなくて…………。


「やっぱり覚えてないよね…………」


 俺の様子を見て、あさひは少しガッカリしたようだった。

 が、やがて「よしっ!」と頬を叩き、俺に向き直る。


「去年のクリスマス会、フォークダンス、百華ちゃん」


 いきなり、何を…………?

 どうしてここで百華が。



「百華ちゃんと私を友達にしてくれたのは、涼介君だったんだよ?」



「っっ!!!」


 瞬間。

 脳内にあふれ出すイメージの数々。

 巨大なクリスマスツリー。色とりどりの電飾。

 つまらなそうに体育館の隅で座っている、伏し目がちな女の子。

 その子に話しかけるチビ助。

 陽気に流れるマイム・マイム。

 これは、去年………いや、小四の頃のクリスマス会。

 学年で行ったクリスマス会だ。

 そう、そうだよ。

 学年で行ったクリスマス会。

 なぜだかフォークダンスを踊ることになり、めちゃくちゃ疑問に思ったことを覚えている。

 思い出そうと思ったら、確かに思い出せる。




 でも…………、なんで今の今まで、忘れていたんだ…………?




 俺とあさひが、始(・)|め(・)|て(・)話(・)|を(・)|し(・)|た(・)日だったのに。





 *****




 2007年12月24日。

 もうぼちぼち二学期も終わるという時期、俺ら小四の学年は全学級合同でクリスマス会を開催した。

 地域の人たちからデカいクリスマスツリーを貰ったから、とかいう経緯だったように思う。

 謎に皆でフォークダンスを踊ったり、調理実習で作ったクッキーやらケーキやらを食べたり、体育館を全面使っての一大イベントだった。


 ひとしきり楽しんだ俺は、皆の輪から外れて一人で休んでいた。

 そんなとき、俺は体育館の隅でつまらなそうにしているあさひの隣に座り、話しかけたんだ。


『何で一人なの?』


『…………』


 確か、いきなりガン無視されたような気がする。

 そりゃそうだ。

 誰とも関わりたくなくて隅っこにいるはずなのに、俺のやったことは完全に余計なお世話だ。


『踊らないの?』


『…………私は、見てるだけで、いいから』


 今にも消えてしまいそうなか細い声。

 前髪が長く、下を向いているため、どんな表情をしているかは分からない。

 もしかしたら本当に嫌がっているのかもしれない。

 ……でも、俺は悲しい顔をしているんだって、その当時は思ったんだ。


『……おーい、百華!!』


 俺はたまたま近くを通った百華に声をかける。


『何? 涼介』


『ちょっと頼みがあってさ、三人で踊ろうよ!!』


『それは別にいいけど……。確かその子って……転校してきた……』


『…………っ』


 明らかに困っている表情。

 どうすれば良いのか分からずに右往左往している。


『…………私は百華、このバカっぽいやつは涼介。あなたの名前も教えて?』


 そんな様子に業を煮やしたのか、口火を切る百華。

 さすが、コミュ力お化けはひと味違う。

 俺も考え無しのバカだったから、場の状況をそれとなく読んでくれる百華にはいつも助けられた。

 俺と百華、二人して目の前の慌てている女の子を凝視する。

 すると、やがて観念したかのように、『あさ………、あさ…ひ……です…………』と呟いた。


『あさひって言うんだ! よろしく!!』


『いきなり大声出さないでよ……、よろしくね。あさひちゃん』




 *****



「それで、三人で踊ったよね、フォークダンス」


「……うん」


 …………そう。

 確かに踊った。

 踊ったんだよ。

 でも…………、何でだ……?

 あんなにも鮮明に思い出せるのに。

 あんなにも楽しかったことを覚えているのに。


「何で…………」


 冷や汗が頬を伝い、体温が急激に下がっていくような感覚。


「……涼介君、大丈夫? 顔真っ青だよ?」


 あさひも急に押し黙った俺を不思議に思ったのか、顔を覗き込んでくる。


「…………うん。ごめん、何でもないよ」


 無理矢理にでも笑顔を作り、あさひに向き直った。




 ―――――――――記憶が、無くなっている。

 絶対に忘れることの無いクリスマスの記憶。

 あさひに言われるまで、全く思い出せなかった。




 ……俺の体に何が起こっているんだ?

 そもそも、俺はこの状況に馴れてしまっていた。

 小5の頃に戻っているこの状況に。

 そして、満足していた。この状況に。

 既に過ぎ去ってしまった時間を過ごし、二度とはない小学生の夏休みを謳歌している。

 ここには残業も無い、上司の理不尽な叱責も無い。

 あるのは、子どもとしての楽しい毎日と、澄み渡る空に浮かぶ入道雲だけ。

 それに…………。


「……………?」


 あさひとの日々。

 今も不思議そうに首を傾げている彼女との、穏やかな毎日。




 こうなった理由も、今の現状も、元に戻る方法も。

 何もかもが分からない。

 もしかしたらずっと、このままなのかもしれない。

 次々に脳内を駆け巡る感情。

 それは、俺が子どもに戻って始めて感じる不安に他ならない。

 グルグル思考が巡る、それに伴い頭が火照るようだ。



「…………だあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!!!」


「ちょっ……、涼介君!?」


 小川にジャブジャブと入っていく俺を、変なものを見る目で見ているあさひ。

 だけどそんなの関係ない。

 というか、もうめんどくせぇ!

 これからどうなるか、とか、なんでこんなことに、とか。

 決めたはずだろ。






 ―――――――――あさひと一緒にいるって。






 水位は膝ほどまでしかないが、それでも思いっきり蹴り上げれば大きな水柱がたつ。

 同時に全身が少しずつ濡れ、頭の火照りも徐々に冷えてゆく。

 そう、それでいい。

 俺はただ、彼女を幸せにすることだけを考えれば良い。

 彼女が、転校してしまうその日まで…………。


「一人だけずるい! 私もやりたいやりたい!!」


 ワンピースの裾を濡らしながら、水をかけてくるあさひ。

 水滴に陽光が反射し、キラキラとあさひの笑顔を輝かせている。

 心の底から楽しい、そんな気持ちがあふれ出ている笑顔。


「っ…………」


 途端に胸の奥がきゅうっと絞られる感覚。

 そうだ。

 いつまでも、こうしてはいられないんだ。

 ずっと二人でいられないんだ。

 この笑顔も、いずれ失われてしまう。

 そう遠くは無い時間、少なくとも夏休みの間に。




 あれ……………………?

 分かっている。

 あさひが転校してしまうのは決定事項。

 俺もそれを了解した上で、よく理解した上で、こうしてあさひと同じ時間を重ねている。

 なのに、なんでだ。

 あさひと離れたくない。

 そう、思い始めている自分がいた。

 何言ってんだ? 俺。

 本来の目的忘れてないか?

 あさひと笑って「さよなら」するために、今こうやってるんだろ?

 自分の感情なんて、捨て置け。


「もうっ、冷たいってば! 涼介君!」


 ただ…………。

 彼女のために…………。

 あさひの……、ためだけに…………。


「ふふっ……、もっと水かけてあげるねっ!!」


 …………。




 …………ダメだ。




 嫌(・)|だ(・)。




 さよならなんて、絶対に言いたくない。







 ***






 帰路の途中であさひと分かれてから、ずっと二人で撮ったプリクラを眺めていた。

 心はグチャグチャだった。

 自分はこれからどうしたいのか。

 これから何をするべきなのか。

 結果はハッキリと分かっている。

 だけど、現実はそれを許さない。

 俺は今小5。

 小学生にできることなんて、たかがしれている。


「……………」


 もう何度見たか分からないプリクラへ、再度視線を落とす。

 幸せそうに笑う二人の下に書かれたピンク色の「ずっといっしょ!」の文字。


 …………あさひとの時間を大切に過ごすんだ。

 俺にできるのは、結局それだけ。

 それだけなんだよ。

 もう完全に陽が沈んでしまった住宅街で、俺はもう何度目か分からない決意を固める。

 明日もまた、あさひと思い出を…………。







 だけど。

 その決意は全くの無駄だった。


 なぜなら。







 あさひはその日以降、俺の前に姿を見せなくなったからだ。




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