第4話『昼下がりの神社』

 



「あっつい…………」


 汗が頬を伝い、一つ、また一つと真夏の太陽に熱されたコンクリートへ落ちる。

 今日も今日とて真夏日らしく、朝から容赦なく太陽光が照りつけていた。

 傍らには、実家の倉庫を漁って確保した虫かごと虫取り網。

 まさか、この歳でTHE・小学生みたいな格好をすることになるなんて……。

 さっきから道行く人が俺を見て笑っているような気がする。

 通行人から見たら、ただの虫取りに行く小学生の姿だろうけど、その中身は立派に成人してんだぞ……。

 まぁ、いくら悪態をついても仕方ない。

 ため息をつきつつ、待ち人の到着を待つ。

 ここは、最寄りのバス停。

 別にバスに乗るわけではない。俺とあさひ、両方の家から大体中間くらいの地点。

 田舎な為、元々あまりバスの本数があるわけでもない。

 現地住民の都合の良い待ち合わせ場所、それがここだった。





 記念すべき夏休みの初日、何をやろうかとあさひと考えた結果、……虫取りをすることになった。


 ……いやいや、虫取りて。

 俺ももちろんそう思いました。

 でも、本人が凄いやる気だったから…………。


『私、虫取りってやったことないんだ~~~』


 嬉しそうに話す彼女を前に、嫌な顔はできなかった。

 俺も喜んで虫を取っていたのは遙か昔のことであるため、精神年齢23歳の男には少し抵抗がある。

 今では家に出る害虫を仕方なく駆除するのが関の山だ。



 虫、触れるかなぁ…………。

 カブトやクワガタなんてもう久しく見てもさえもいない。

 無様な姿をさらさないようにしないとな……。

 と、何気なく向こうを見ると、なんか……真っ白い何かがやってくる。

 ってか、眩しい。

 太陽に反射し、凄い輝いている。

 直視するのもままならないまま、輝く物体が前の目にやってくる。


「ごめん、ちょっと遅くなっちゃったね」


 輝く物体はあさひだった。


「日焼け止め塗ってたら遅れちゃって……、ってどうしたの?」


「いや、あさひが眩しくて…………」


 すると、あさひは頬を赤らめ「ありがと…………」と呟いた。

 いや、俺が言ったのはそう言う意味ではないんだけどな…………。

 まぁ、機嫌が良くなったようだからいいか。


 改めて彼女を見ると、なるほどな。

 あさひはノースリーブの真っ白なワンピースを着ていた。

 ……そりゃ、眩しいわけだ。

 しかし、あさひ自身も真っ白な肌をしているため、深窓の令嬢のような儚げな雰囲気があった。


「よし、虫取り虫取り~~~」


 …………まぁ、発言が残念だけど……。


「どこに行くの?」


 今日の行き先について、俺はまだあさひに伝えてなかった。

 と言うのも、転校してきて土地勘のないあさひには、言葉で話すよりも直接向かった方が良いと思ったからだ。


「……ちょっと、ついてきて」


 彼女は不思議そうな表情を浮かべ、首を傾げた。




 ***



「うわーーーーー!!! すごいね!!!!」


 俺よりも先に階段を上りきり、既に境内に到着しているであろうあさひの声が聞こえる。

 当の俺はと言うと……、もう死にそう。

 持久力の無さがこんな所で出るとは…………。

 一歩一歩階段を踏みしめながら、額の汗を拭う。

 頑張れ、俺の体。まだ若いんだから。

 あと少し。あさひの姿はもう捉えている。


 ラストスパート!


「よいしょーーー!!」


 掛け声ともに一番上に到達。

 ……もうしばらく階段は登りたくない。


「お疲れ様~~~、でもそんなに疲れるかな? この階段」


「一応300段くらいはあるんだけどね…………」


 逆に何であさひはこんなにぴんぴんしているんだろ……。

 実は運動得意?

 息一つあげることなく、呑気に頂上からの景色を楽しんでいる。


「綺麗だね…………」


 俺もつられて下を見る。

 すると、これまで登ってきた階段のその先に、陽光に水面をキラキラと輝かせている海が見えた。


「ここから海って見えるんだ……」


「まぁ、結構高いところにあるからね、この神社」


 そもそもこの街が港町であるのに対し、俺らの住んでいるとこは少し内陸に位置している。

 海は見えないと思うのは当然のことだが、この神社へ登ってくれば話は別だ。

 眼下には小さいながらも市街地や、天気の良い日はもっと先まで見渡すことができる。


「朱犬(あかいぬ)……神社……?」


 境内の鳥居に書いてある文字を読むあさひ。


「ここら辺の子ども達って、昔っからここでカブトとか取ってんだよね」


 某マンガキャラにいそうな名前の神社だが、地元住民にとっては親しみ深い場所だ。

 かくいう俺も、小学校低学年の頃は毎日のようにここに足を運び、大量のカブトやクワガタを乱獲していた。

 結局は取るだけ取って、ろくに世話もしなくなっちゃうのは小学生あるあるだと思う。


「良い所…………」


「8月にはお祭りとかもあって、結構にぎわうんだよ」


 今でこそ人は俺たちしかいないけど……。

 朱犬神社の本殿があるこの場所は、山の中にぽっかりと浮かんだ空間だ。

 辺りは一面緑豊かな木々で囲まれていて、木漏れ日がゆらゆらと揺れる。

 境内には俺たち以外に人影はなく、時折風が葉を揺らす音だけが辺りに響いていた。


「……それじゃ、穴場へ案内しますか」


「穴場……?」


「まぁ、ついてきて」


 境内の奥にある本殿の方へと歩みを進める。

 俺も長年この神社にはお世話になっているが、いつからあるのか、どんな神様を祀っているのか、よく分からなかった。

 ただ…………。


「相変わらず、年季が入ってるなぁ……」


 本殿は所々すすけていて、着々と歴史を重ねてきた、そんな印象を受ける外観。

 建立されたのはきっと最近じゃないと思う。

 掃除とか誰がしてんだろ……。


「こっちこっち」


 本殿の横を通り、裏側へ回る。

 そろそろ目的の場所だ。

 視界に入ってくるのは、一本の丁度良い大きさのブナ。

 本殿に寄り添うように生えているその木は、生育途中にあり、小学生でも頑張れば登れるサイズ感だ。

 とは言っても15メートル以上はあると思うけど……。


「このブナ、ちっさいけど…………、一応御神木なんだ。結構虫も取れるし、小学生がよく捕まえにくるんだよ」


「…………」


「御利益とかもあるとか何とか…………、何か願い事が叶う的な噂もあるんだよね」


「……………」


「……まぁ、そんなんはどうでもいいか。虫捕ろう」


「…………」


「まだ昼間だから、いるかな……? いるときは大量にクワガタとかいるんだけど」


 一周グルッとブナを見渡す。

 今のところお目当ての黒い光沢は見えない。


「まぁ、とりあえず探してみてって感じかな」


「…………」


 あれ…………?

 ……やけに静かだな。

 さっきまであんなにはしゃいでいたのに。

 あさひの方を見てみると、ブナをじーっと見たまま直立している。


「あさひ?」


「…………、えっ、うん。ごめん。何だっけ……?」


「…………?」


 声をかけると、焦ったように目をパチパチとしばたたかせている。

 心なしか頬も上気し、俺と神木を交互に見つめていた。

 何だ……?



「あさひ…………?」


「虫取り、そう、そうそう! 虫取ろう!!」


 ボンヤリとしていたのも束の間、元のテンションに戻り、「どこかな~どこかな~」とブナの木の周りをグルグルと回り始める。

 と、不意にあさひの足が止まり、「涼介君っ!」と一点を指さす。

 つられて指の方向を見ると。

 お目当ての黒光りする光沢。

 だが、その大きさは想定したよりも大分大きい。

 大きいが故にテンションが上がるが、要因としてはサイズ感だけじゃない。

 あさひが見つけたその物体は…………!!



「オオクワじゃん!!!!」



 シャープなクワに平べったいそのフォルム!

 やべぇ!!

 久々に見るとめちゃめちゃ興奮する!!!

 本能に訴えかけるかっこよさ。

 そうだ。

 男の子は皆、オオクワを追い求めて夏を過ごしていたんだ。

 小学生の夏休みの過ごし方について、また一つ真理に近づいてしまった…………。

 手に持った虫取り網を最大限まで伸ばし、確保のために背伸びをする。


「ふんっ! ぬんっ!!」


 ジャンプして距離を稼ぐが、二メートルほど届かない。

 思ったよりも結構高い位置にいやがる…………。


「涼介君、私にやらせてっ!! 私の方がちょっと大きいから!!!」




 ……少しだけ傷ついた。


 あさひは、露骨にテンションの下がった俺から虫取り網を奪取し、ピョンピョンとジャンプをするが、それでもあと少し届かない。


「あとちょっとなのに……。涼介君、四つん這いになって!!」


「え」


「お願い!!」


「…………」


 現在進行形でショックを受けていたので、疑問を持つ暇も無く、気づいたら地面に手をつき四つん這いの姿勢になっていた。

 すると、背中にサンダルを脱いだあさひが登ってくる。

 うぐ……、結構重い…………!


「ごめん、ちょっと跳ぶね!」


「跳ぶ……? 跳ぶって……、あぶっ!!」


 普通にこの子、俺の背中でジャンプし始めたんですけど!!?


「ちょっ、あさっ、ひっ、いたっ、いんだけっ、ど!?」


「ごめんね! でもあとちょっとなの………!」


 下を向いているため、あさひとオオクワがどんな戦いを繰り広げているか分からない。

 でも、着実に俺の限界は近づいている。

 早く、早くしてくれ……!


「やばっ、もうっ、きつい!!」


 徐々に背中が下がっていく。

 もう………、限界だっ……!!!

 あさひの着地と共にその場に崩れ落ちる。


「え…………」


 急に俺が潰れたもんだから、あさひは大きくバランスを崩し、そして。



「きゃあああああああああーーーーーーーーーーー!!!!!!」


「がっ!!!?」


 俺を巻き込み、派手に地面にすっころんだ。


「いったぁ……、ごめんね。涼介君……」


「いや、俺は大丈夫。あさひは…………」


 あさひは俺に向かって、尻餅をつく格好になっていた。




 ところで、話は全然関係ないが、あさひは今ワンピースを着ているわけであって…………。

 しかも、俺の方に向かって、尻餅をついているわけであって…………。

 ゆっくりと視線を逸らし、何でもない振りを装う。

 が、既に手遅れだ。


「…………っ!!」


 状況を理解したのか、あさひは急いでスカート部分を直す。

 これは仕方ないよな……?

 もちろん不可抗力だよな…………??

 視線をあさひに戻すと、羞恥に顔を染め、唇を噛みながら俺を睨んでいた。


「いやっ、見てない! 本当に!!」


「嘘! 絶対見た!! なんか変な間があったもん!!!」


「ないない、すぐ目線逸らしたじゃん!!」


「絶対嘘~~~!!!」


 俺はただ身の潔白を言い続けるしかないけど、信憑性がないのは仕方ない。

 まぁ、現に見ちゃったしな……。


「涼介君」


「だから、見てないって……!」


「違うの、涼介君」


「俺は本当にっ」


「クワガタ!!」


「……………………え?」


 あさひは地面の一点を指さしている。

 疑問に思い指さす方向を見ると、先ほどのオオクワが転がっていた。


「虫取り網が届いてたんだ! うわぁ、かっこいいね~~~」


 躊躇無くオオクワをわしづかみにして、まじまじと観察しているあさひ。

 すげぇな、この子…………。


「涼介君も触る??」


「いや、俺はその、ちょっと……」


 まだ覚悟が決まってないといいますか…………。


「触ってみなって! ほらほら!!」


 あさひは持っているクワガタを無理矢理俺に押しつけてくる。


「……!!」


 正直怖かったけど、恐る恐るクワガタを受け取った。



「おぉ~~……」



 こんな感触だったっけ……。

 10年ぶりに触ったクワガタは思ったよりもツルツルで、かっちかちに固い。

 クワに挟まれないように胴体の部分を掴んでいるが、気をつけないと手が滑って落としてしまいそうだ。


「すごい光ってるね」


「真っ黒だな」


「私のパンツは?」


「真っ白だな」





 っ!!!!!!

 なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!?






「ほらぁ!! やっぱり見てるじゃん!!!! エッチ!!!!!」


「いや、今のは言葉の綾というか……。予想、そう予想だって!! 白だったらいいな~っていう……」


「どっちにしても嫌だ! もう最低!!!!!」





 夕暮れの朱犬神社の境内に、俺とあさひの声がこだまする。

 その日は結局、暗くなるまで虫を取ったり取らなかったり、木に登ったり登らなかったり、思い思いの時間を過ごした。

 ……まぁ、夏休みの初日にしては充実してたよな?



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