第7話 伝えたい人

鬼達が笑う。

ばっちゃは泣いている。

私はただ、呆然と立ち尽くした。

こんな寸劇はもう十分だ、ばっちゃの息子なんてどうだって良い。ばっちゃの目を私に向けなくてはならない。

私はばっちゃに駆け寄り、無理やりにその身を起こした。

「ばっちゃ、どうか顔を上げてください。私、感動しています。ばっちゃの深い愛を見ました。こんなに深く愛されるなんて、栄一さんは幸せですよ」

ばっちゃはただ狼狽し、私にまで手を合わせて地に頭をつけようとした。

「良いから私の話を聞け」

そうは言えず、その言葉は飲み込んだ。

「ばっちゃ、私が伝えます。次の決め人に栄一さんを選び、ばっちゃの思いを伝えます。きっと喜ばれるはずです」

ばっちゃは枯れるほどに涙を流し、私の手を握り締めた。

「あの子は若いうちに家を出てしまったの、私がいけなかった、あの子の気持ちを考えてやらず押し付けるばかりで」

「誰だって、間違いの一つや二つありますよ。そんなに自分を責めないでください」

「私が、私達が間違っていたのです。ごめんなさい、本当にごめんなさい」

私はばっちゃの目を覗き込み、真っ直ぐに見据えて言った。

「伝えます、私が伝えますから、安心してください。もう泣かないで大丈夫です」

ばっちゃは私に抱きつき、悲鳴をあげるように泣いた。

私はばっちゃを抱きしめた。手筈は狂ったが結果は良しだ。

これで天国への一票は決まったのだ。

「どれ、もう十分かのう」

年寄り鬼はゆっくり立ち上がり、うんと背伸びをしてばっちゃを見た。

「そろそろ良いじゃろう。こやつの行き先を決めろ」

ばっちゃは少し冷静を取り戻したのか、まだ息は荒いが確かに私を見た。

もう良いはずだ、率直に話をしても大丈夫だろう。

「ばっちゃ、よく聞いてほしい。実は私はもうすでに地獄に一票が入っています。栄一さんに気持ちを伝える為に天国に決めてください。そうしたら次の決め人に栄一さんを選び、ばっちゃの思いを伝えますから」

ばっちゃはまた私の手をぎゅっと握った。そして私の目を見て哀願した。

「本当かい、本当に伝えてくれるのかい」

私は心からの笑顔を作り、ばっちゃに微笑んだ。

「はい、約束します」

ばっちゃは安堵の表情を見せた。

「ありがとう、ありがとう、ありがとう」

涙交じりの消え入りそうな声でばっちゃは何度もありがとうと呟いた。

むしろ礼を言いたいのは私の方だ。


年寄り鬼はそんな私とばっちゃをジッと眺めた後、不意に吹き出した。

おっと失敬、なんて素振りをわざとらしく作り咳払いをする。

気が付けば周りの鬼達も静かになっていた。いや、よく見ればそうではない。鬼達もニヤついた顔を必死で隠しているようにさえ見えた。

私はそれにまた違う不快感を覚えた。

薄っぺらい劇を見せる私とばっちゃを見透かしているのだろうか、 笑ったら失礼だよ、何て声が聞こえてきそうだ。

まあいいさ、笑えば良い。笑われて天国なら安いものだ。ともあれ、こうして笑いの種にされるのも不快ではある。

さっさと切り上げてしまおう。

私はばっちゃに決断を促すべく、グッと肩を抱いて次の言葉を放とうとした。

すると我慢ならなくなったのか、ぽつりと年寄り鬼が言う。


「良いことを教えてやろう。自身が知らぬ奴を決め人には選べぬぞ」


今日一番の歓声が上がった。

地が揺れるほどに、鬼達が我慢していた嘲笑いが噴火したのだ。

「な、何だって」

私の声は笑い声にかきけされた。

そして聞き返しながらも理解してしまっていた、私は栄一を決め人に選ぶことはできないのだ。

こいつらはそれを知りながら、土壇場まで黙り心の中で笑っていたのだ。

年寄り鬼は卑しく笑う。鬼達は下品に高笑う。ふと見ると、閻魔さえ小馬鹿にするように薄ら笑みを浮かべていた。

怒りを通り越し、絶望も通り越し、頭の中が空っぽになった。

そして私より先にばっちゃは膝から崩れ、地に手をついた。

それを見て私はもうばっちゃに一切の関心を無くしてしまった。

「栄一さんに何も伝えれません、貴女にも何もできません、ですが私を天国へ行かせてください」

そんなこと言えるはずがない。

私の目の前に転がるのは何の役にも立たない、ゴミにしかならない老いた枯れ木だ。

呆然と鬼達の笑い声を聞いていると年寄り鬼はゆっくりとばっちゃに近づき、その肩に手をかけた。

涙と鼻を垂らしながら死んだように顔を上げるばっちゃの顔を見て、耳まで裂けるような大きな口で笑った。

そして、最悪の言葉をそっと呟いた。

「ついでに教えてやろう、これまで上に行けた人間なぞおらぬよ」

意味が分からなかった。

いや、意味はわかる、だが意味が分からなかった。

自分が何を考えているのか分からない、頭の中がパンクしてしまったようだ。

途端に力が抜けた。

地面に倒れ込み、視界が激しく揺らぎ震える。息ができない、声が出ない。ただ鬼達の笑い声だけがうるさく響く。

きっと年寄り鬼は意地悪で嘘をついているんだ。

人間は全員、地獄に行くなんて馬鹿な話があるはずない。聖人や偉人と言われる人達はどうなんだ、そんな人も地獄に行くのか。

ならば、どうしてこんな回りくどい裁判をするのだ。どうせ人間なんて赤子の手を捻るように思い通りにできるのだろう。

わざわざこうして、笑い者にして、馬鹿にして、退屈凌ぎにしているだけなのか。

それを真に受けて、謀略を巡らせていた私が一番の馬鹿だったのか。

馬鹿な鬼達に馬鹿にされる私が一番の馬鹿だったのか。


横向きになった視界の中、ばっちゃがゆっくり顔を上げた。

そして誰に言うでもなくぽつりと言った。

「あの子も、地獄にいるんだね」

私にしか聞こえなかっただろう。

地獄とはいえ息子の所在が分かったことにばっちゃは満足したのかもしれない。

全てを諦め、全てを受け入れ、ばっちゃは何かを覚悟したのだ。

目に光を取り戻し、真っ直ぐに見据えて年寄り鬼に言う。

「あの子と同じ所に戻してください」

血迷ったのか、ばっちゃは地獄へと足を早めた。そっと手を合わせ、静かに読経を始めた。誰かの成仏を願ったのだろうか。

だが年寄り鬼は躊躇いもなく、ばっちゃの手を杖で弾き言う。

「余計なことは良い、早く決めろ」

そう言うと年寄り鬼は私を見下ろした。

奴の声が心の中に響いた気がする。

「おめでとう」と悪意に満ちた賛辞だ。

ばっちゃも遅れてゆっくりと私を見た。

地に転がる芋虫のような、悲しき私を見下ろした。

その目を見ることはできなかった。居並ぶ老人が二人、私を同じ目で見ているのは明らかだろう。

そしてばっちゃは薄く微笑んだ。


「天国へお行き」


騒めきが止まった。

聞き間違いか、と言わんばかりに全ての鬼達が唖然とした。

ばっちゃはゆっくり私の手を取り、そっとさすりながら微笑んだ。

「たくさん気遣ってくれて、ありがとうね」

何とか体を起こし、ばっちゃの手を確かめるように握り返した。

「ど、どうして、私を天国に」

「僕ちゃんの言葉、嬉しかったよ。私は栄一には会えないけれど、僕ちゃんにも会いたい人がいるでしょう。その人に、気持ちを伝えてあげたら良い」

そう言うとばっちゃはスッと立ち上がり、私の肩を抱いて座らせてくれた。

そして昔のように、幼子をあやすように私の頭を撫でた。

「じゃあね僕ちゃん、元気でね」

その手は酷く震えていた。地獄への恐怖を押し殺し、私に慈悲を与えたのだ。

ばっちゃは鬼達を睨みつけた。

私が見たことのない、怒りに満ちた表情だった。

「聞こえただろう、この子は天国だよ。さあ、私を栄一の側に戻しな」

先程までのばっちゃとは打って変わり、荒々しい口調で鬼達へ啖呵をきった。

年寄り鬼は渋い顔をしながら杖を振った。

すると先程と同じ、屈強鬼が闇の中からのしのしと現れた。

「触るんじゃないよ、わかっている」

最後の足掻きか、意地だろうか、鬼に逆らうような目つきで奴らを睨み、そして歩き出す。

すると鬼達はばっちゃへ向かい、あれこれと物を投げつけ始めた。きっとばっちゃは大番狂わせをしたのだ。賭けを狂わせたばっちゃは鬼達の怒りを買ってしまったのだ。

飛んできた泥か糞かわからない塊が直撃し、ばっちゃはバランスを崩して倒れこんだ。そこを目掛けて、更に鬼達は色んな物を投げつけた。

ばっちゃはゆっくり起き上がり、また闇へと歩き出す。終始、こちらを振り返ることは無かった。

どんな顔をしているのかはわからない。

恐怖に歪んでいるのか、怒りを噛み締めているのか、闇を見通しているのか。

その背は昔のように、あの大きくて温かいばっちゃを改めて思い出させた。


だが、もう私には関係無いことだ。

まだ少し混乱しているが次を考えなくてはならない。

ばっちゃに構っている暇は無いのだ。

地獄へ行く者に構っている暇は無いのだ。

もう二度と、会うことも思い出すことも無いだろう。

私が考えるべきはただ、一つ。

もう一枚の天国への切符をくれる、次の決め人だ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る