第5話 天国へのプラン

西島の姿が完全に消えてもまだ鬼達は笑っていた。余程人間の滑稽な姿が好物なのだろう、余韻を楽しむようにいつまでも大きな声で笑い続けている。

その騒がしさに、もう何度目だと言わんばかりに閻魔は演台を槌で打ちつけた。その轟音たるや、大型車の事故か爆弾でも爆発したか、吹き飛びそうになる程の衝撃に鬼達はまた一斉に黙りこくる。

そしてやはりまた世界は静寂に包まれた。

すると妙に頭が冷めたようだ。私にはこいつらに抗う術はない。

何をどう言おうとも私は地獄に行くのだ。そう考えると時間稼ぎも無駄だとわかってしまう。西島の二の舞になるだけだ、私の足も齧られてしまう。

目を閉じ大きく深呼吸をした。

空気の悪い場所だ、閻魔の衝撃で舞ったホコリやチリが喉に張り付きむせそうになる。

それでも気持ちは少しだけ落ち着いた。覚悟を決めたと言えば聞こえは良いだろう。諦めまじりの覚悟だ。

もう泣いても笑っても地獄、行くしかない。

西島のように惨めな姿を晒してこいつらの笑い者になるぐらいならば、潔く地獄へと歩んでやる。こいつらに、笑いの種なんて絶対に与えてやらないつもりだ。

そうして前を向くと年寄り鬼と目があった。奴はニヤリと笑い、口を開こうとしたので間髪入れず先に口を開いた。

「自分で、行きますから、だ、大丈夫、です」

情けなくなる程に声が上ずってしまう。

「なんだと」

年寄り鬼は不思議そうな顔で私を見た。

「ですから、自分で歩いてそちらまで行きますから、西島のように、その、手助けは必要ありません」

自分の言葉に笑いそうになった。先程の西島への鬼達の仕打ちを手助けだなんて。

まあ、手助けでも仕打ちでもなんでも良い。私はこの足で地獄まで歩んでやるのだ。堂々と胸を張り地獄に歩み、こいつらをガッカリさせてやる。

「なんだ、もう下に行きたいのか」

小馬鹿にするように、年寄り鬼はうすら笑いを浮かべて私に言う。

挑発するような言葉に、これまで我慢していた様々な思いが途端に溢れてしまう。

「い、行きたいわけがないだろう」

精一杯の悪態だ、だがこれしかできない。

「私が望まずとも、地獄に行くのはわかっている。自分で歩くと言っているのだからこれ以上、私を見下すな」

言葉を聞き終える前に年寄り鬼は笑った。

「そんなに早く下が良いなら送ってやるが、わしらにも温情があると言っただろう」

「どういうことだ」

年寄り鬼は小さく咳払いをすると笑みを消し真っ直ぐに私に言う。


「では、次の決め人を選べ」


「ど、どういうことですか、西島が決め人ではないのですか」

「もう一人、貴様らには決め人を選ばせてやる」

陪審員は一人ではないと言うことか。こうして何人かに私の行き先を決めさせて審議をするのか。

一度は決まったと思った地獄行きが免れた思いだ。それだけでこの世界さえ薔薇色に見えそうなほど、心の中は歓喜に踊り狂う。

だが、やはり鬼達はそこまで優しくはない。年寄り鬼の言葉がわずかな歓喜を緊張へと変えてしまった。

「良いか、次の決め人が下行きを選択すればその時点で決まりだ。貴様は下へ行き先程の奴と同じ世界で永遠を過ごすことになる。もし、万が一そやつが貴様を上行きにするならば更にもう一人決め人を選ばせる。そしてそれが最後の決め人だ」

陪審員の票は三票という事だ、先に二票を得た方に私は送られる。

そしてすでに地獄に一票。まさしく、私にはもう後がない。いや、そう考えるのは良くない。まだ私にはチャンスがあるではないか。


ここへ来てから複雑すぎる感情や状況に、相変わらず挙動は落ち着かない。

だが先程、覚悟を決めてからは頭は冴えて来ている。

体の声は無視をする。全ては考えに集中だ。

確実に私を天国へと送ってくれる誰かを選ばなくてはならない。

私に対して少しの恨みもなく、道連れにしようとする卑しき人間性を持たない者だ。

西島の例を考えると仕事や会社関係は恐らく無理だろう。愚かな人間の考えはもう当てにならないとわかった。

考えろ、考えろ、考えろ。

思い出せ、思い出せ、思い出せ。

するとずっと忘れていた古い古い記憶が蘇り、私の頭の中にすっと一筋の光が射した。

それは私が子供の頃、まだ小学生になる前の記憶。


家の斜向かいには夫に先立たれた老婆が一人、寂しそうに住んでいた。

ある日、蟻の行列が運んでいた虫の死骸の行く末が気になった私は犬や猫のように地に手をつきその跡を追っていた。

そうしていつのまにか私は老婆の家の軒先まで入り込んでいた。

ふと顔を上げ、縁側で日向ぼっこをする老婆に気がつき、咄嗟に叱られると思った。

だが老婆は何も怒ることなく、にっこりと微笑むと茶菓子でも食べるかねと私に手招きをした。

走って逃げようと思ったのだが、勝手に家の敷地に入ってごめんなさい、という申し訳なさから茶菓子をご馳走になることにした。

小さく頷き老婆の隣に座ると子供には受けないだろう年寄りが好むような古臭い茶菓子を出されたのを覚えている。

味は殆ど覚えていない、どっちかと言うならば不味いとさえ感じていた。だが同時に隣で微笑む老婆に優しさや温かさを感じたのだ。

それから時折、家の前で老婆に会うといつも茶菓子を食べるかと私を招いてくれた。やがて気を許した私は何でも老婆に話すようになった。家のこと、友達のこと、テレビで見たこと、何でもだ。

今思えばつまらないだろう子供の話を老婆はいつも微笑みながら聞いてくれていた。

そしてわかりやすく驚いてみせたり、感心してみせたり、私を心地よくもてなしてくれたのだ。

それから小学生になり少し経った頃、老婆の家には黒と白の幕がかかっていた。

まだよく意味がわからなかった私は路地から老婆の家に行き来する人を眺めつつ、子供ながらにもう老婆には会えないのだろうと感じていた。

寂しさや悲しさもあったがそれはいつのまにか忘れてしまい、幼き日の思い出として心の中にしまい込んでいたのだ。


そんな美しささえ感じる老婆との記憶を思い出したことは幸運だ。

すぐに頭の中でプランを構築する。西島の時のように失敗を繰り返さない為にも完璧に話を運ぶ必要がある。

それはこうだ、まず老婆にそうした古い話をして感傷に浸らせる。そして決して天国だ地獄だと言ってはならない、同じ轍を踏むのは馬鹿の証拠だ。

すでに頭も回っていないだろう年齢の老婆だ、美しい言葉を並べれば年寄りをその気にさせるなんて簡単なはず。

「ずっとお礼を言いたかった、幼い私を可愛がってくれた感謝を伝えたかった」

これだけ言えば大丈夫だろう、まるで孫を可愛がるように私に天国への一票をくれるはずだ。

プランは固まった、これで間違いない。


ゆっくり顔を上げると年寄り鬼と目があった。

「決めたのか、誰にするか早うせい」

今一度、大きく息を吸い込む。相変わらず味の悪い空気が漂っている。

それらを吐き出すように、強く想いを込めて言った。

「ばっちゃをお願いします」

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