第3話 愛しき部下

思い返せば、西島が入社したのは十年、いや、二十年、それ程に前の事だ。

新卒の西島は当然ながら右も左も分からない。入社してすぐ指導員として私が西島を指導したが、彼はお世辞にも優秀とは言い難かった。

叱れば不満げに不貞腐れる。言われたことしかやらない、自発性や自主性が無い。やはり、最近の若い奴は駄目だと実感したのは西島に接してからだ。

だが、部下の教育も私の仕事。私は決して西島を見捨てず、人よりも厳しく向き合い指導を重ねた。何度も食事を振る舞い、人生訓を聞かせ、苦労は買ってでもしろと叩き込んだのだ。指導の甲斐あってか段々と使えるようになり、私も恥ずかしい思いはしなくなった。

しばらくすると人事で他の部署へ行き私の指導は完了した。それでも社内で見かけた時は飲みに連れ出して経過を聞いたものだ。

私と妻には子が無く、どこか部下に親心を抱いていたのだろうと今になり思う。出来の悪い子ほど可愛いなんて言うが、出来の悪い部下を愛するのは中々の苦労だったと懐かしい気持ちになった。

それからいつだったか、西島が結婚をすると聞いた時は嬉しくなったものだ。招待状はいつ届くかと思っていたがそれから沙汰は無く、いつしか西島の事も忘れてしまっていた。


そんな西島が今、私の前に立っている。あの頃のまま、あの頃の姿で。

どうやら状況をわかっていない様子だ。不安そうに辺りを見渡しながら顔を強張らせている。

私が記憶を掘り返す最中、年寄り鬼は西島へ言った。

「お前が決め人だ」

その言葉に西島はハッと何かに気がついたようだ。そして私も気がついた。

西島はすでにこの場で裁かれたのだ、そして天国か地獄に居たのだ。その場所から決め人に選ばれ呼び戻された、ということだろう。


そんなことを考えながら私は少し安堵した。決め人に西島が選ばれた事は幸運だからだ。何とも卑しく聞こえるだろうが、私が西島へ与えた恩は並ではない。

何の取り柄もない若造を立派な戦力として鍛え上げ、人生までも指導してやったからこそ西島は社内でも評判を上げたのだ。逆の立場で考えると私への感謝は抱えきれないだろう。必然と、私は天国行きが約束されたと言っても良い。

そう思うとつい表情が緩んでしまう。鼻をこするフリをしてそれを誤魔化した。

「元気だったか」

男同士、黙って見つめ合うのも私は気持ち悪い。何か口を開こうとするも明らかにぎこちない。西島は下を向き少し考えた後で真っ直ぐに私を見据えた。

「課長も死んでここに来たんですよね。お互いに元気、と言うのも変ですね」

「西島、課長では無いんだ。お前が部署から離れた後で部長になったんだ」

「ああ、そうですか」

西島はまるで興味がないように言った、言い捨てた。

私の指導を忘れたのだろうか。そんな態度では上の信頼は得られないと何度も教えてやったのに。つい叱責しそうになったが、それはグッと堪えた。

久しぶりの再会だ、それに機嫌を損ねでもしたら地獄行きを選ばれかねない。ここは大人らしく、機嫌を伺うとしよう。

幸いにも年寄り鬼はすでに目を閉じ居眠りを始める所、閻魔も私達はそっちのけで紙束に目を通している。好きにやれ、と解釈していいはずだ。

「そういえば、部署を離れてから何度か噂を聞いたぞ。まるで生まれ変わったかの様に活躍しているとな」

これは事実だ、私から巣立った西島は部署を変わっても立派に羽ばたいていたと聞く。そう褒めてやったつもりだが、意外にも西島は唇を少し噛んだ後で言った。

「まあ、環境が良くなりましたんで」

何か気に入らないのか、どこか悪意が込められた言い回しだ。

「と、ところで結婚が決まったと聞いていたぞ。私には連絡が無かったが、相手はどんな人なんだ」

「チッ…」

西島は舌打ちをした。そして憎悪の目で私を貫いた。

「出来なかったんですよ、結婚」

「なんだ、失敗したのか。いや、まあ、良くある話だ、何も気にする・・・」

「死んだからですよ」


失敗だ、話題を選び間違えてしまった。西島の態度で多くが推測できる。

そもそも、この若い姿で現れたと言うことは西島は若くして死んだと言うことだろう。

結婚が決まり、準備の段階で死んでしまいご破算となった。

それを私が不躾にも掘り返してしまったのだ。


話題を変えた方が良いだろう。

少し考えると、一つ聞きたいことが浮かんだ。

西島は天国に居たのか、地獄に居たのか、そして居た場所はどんな所で、どんな風に過ごしているのか、それを聞いてみたい。

「しかし、死後の世界なんて本当にあるとはな。しかもこうして知人とまた会えるとは、思いもしなかったよ」

「ええ、そうですね」

「所で、その、率直に聞きたいのだが。西島は、どこに居たんだ」

その質問に西島は目から光を消した。

そればかりか途端に顔が青ざめた。次第に手も震え、呼吸も荒くなった。その様子に答えは聞かずとも分かってしまう。

「地獄、です」

やはり、西島は地獄にいたのだ。

分かっていたが私はもっともらしく驚いてみせた。

「お前が地獄だなんて。どうしてだ、お前の様な素晴らしい人間が、どうして」

西島は深く呼吸をしながら、ネクタイを少し緩めた。

その手はやはり酷く震え、顔中に冷や汗が滴る。

そして私に聞こえるかどうか、僅かな声でこう言った。

「心にもねえことを」

嫌な空気が流れた。

西島は黙り俯いてしまった。

私はただ、聞こえなかったフリをした。


恐る恐る、西島の心に触れてみることにした。

地獄がどんな場所なのか気になってしかたないのだ。

「お前程の男がそんなに狼狽するなんて、やはり地獄は辛いのか」

西島は口を震わせながら、気が触れてしまったのか少し笑った。そして私が見えていないように、遠くに目をやりながらぽつりぽつりと言葉を放った。

「不思議な世界ですよ。痛いし、悲しいし、苦しいし、気持ち悪い、怖い、寒い、熱い、重い、寂しい。そんな感覚だけがずっと続くんです。いや、五感なんて無いんです。体や心だって無い。ただ、意識の中であらゆる苦痛だけを感じ続ける、世界ですよ」

淡々と語る西島に恐怖を感じた。そして、西島が語る地獄により恐怖を感じた。

嫌だ、絶対に嫌だ。何とか西島の気持ちを立て直さなくてはならない。

「お、おい」

私はうたた寝をする年寄り鬼に問いかけた。

年寄り鬼はゆっくり目を開くと私をギョロリと睨みつける。怯んではならない、ここは強く出るべきだろう。

「こうして部下に手間をかけたんだ。当然、決め人として何か彼に、その、褒美はあるんだろうな」

年寄り鬼は喉を鳴らし、痰を吐いた後でほくそ笑んだ。


「ある訳ないだろう、そいつは永遠に下で過ごすのだ」


馬鹿野郎、余計な事を。

こんな大事な場面で私は何度、選択を誤るのだ。

地獄が一歩、私に歩み寄る。音も無く、静かに歩み寄る地獄に私は冷静さを失い始めてしまった。

「に、西島、大丈夫か、いや、大丈夫だ。私が話をつけてやる、心配するな」

西島に私の声は届いているだろうが、ただ怯えた目で天を見るばかりだ。

「愚かな奴め。最初から言っているだろう。貴様らの話など聞く気は無い」

年寄り鬼はそう言うとカラカラと笑った。そして大きなあくびを一つ。西島に杖を突きつける。

「さて、そろそろ良いじゃろう。お前、こやつの行き先を決めろ」

ワッと歓声が上がる。黙っていた鬼達が一斉に立ち上がり声を上げた。まるで大きなレースが始まったように、卑しき鬼達がどよめき立つ。

「ま、待ってくれ、西島、落ち着け。冷静に考えるんだ」

狼狽える私を見て鬼達が笑う。滑稽に見えるのだろう。

だがそんな事はどうでも良い、こうなれば見栄も外聞も無い。逆立ちでも裸踊りでもしてやる、何としてでも地獄行きは回避しなくてはならない。

「だ、黙れ、部下が考えているだろう。静かに考えさせてやってくれ」

必死に訴える私を見て鬼達は一層笑う。ああ、笑え、好きなだけ笑えば良い。お前達が私を笑おうとも馬鹿にしようとも決めるのは西島だ、もう一度考えをま


「地獄で」

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