第2話 決め人

「黄泉の門」と名付けるに相応しいであろう。

天が見えぬ程に高く、重厚で、そして冷酷なるその門をくぐり抜けた先は小さめの体育館ほどの少し開けた場所に繋がっていた。

地面には赤黒い土だろうか。一歩一歩踏みしめるたびにまるで芋虫や蛙を踏み潰したかのような気味の悪い感触がした。

素材は骨だろうか、例えるなら腕の悪い彫刻家が乱暴に削り出した燭台。それが左右、点々と等間隔に並びこれもまた赤黒い炎がゆらゆらと妖しく鈍い光をチラつかせている。

薄暗い、炎の向こう側。目を凝らすと少し小高い位置に何かが沢山蠢いている。

段々と目が慣れてくるとそれは無数の鬼達である事が分かった。色はよく分からないが、私を門まで案内した鬼のように角や牙を炎で煌かせ、その大きなギョロついた目で私を見下ろしていた。

門を潜ってからずっと聴こえている地鳴りのような、地下鉄が足元を走って行ったような、低く唸る音はどうやらこの鬼達が発しているようだ。


視界の前方には大きな大きな演台だろうか、黒く錆びついたような台があり、その少し手前に小さく盛り上がったピッチャーマウンドのような物があった。

「こちらへ来い」

一匹の鬼がゆっくりと私の前まで来ると酷くかすれた聞き取りにくい声で私に指図をした。

当然と言って良いのだろうか、鬼も年を取るようだ。鬼として明らかに高齢であろうその鬼は最初の鬼と比べ小さく、背丈は私の胸より低いほどだ。

腰が曲がり、肌は荒地のようにひび割れ、灰色に濁った目で私を見ている。

身なりも粗末だ。雑巾よりも酷いボロ切れを何枚か纏い、適当に折った木だと思われる杖をついている。

鬼にも個性があるようだ。そう思い左右の小高い場所から私を見下ろす鬼の群れにもう一度目をやる。少し暗闇に目が慣れてきたのだろう、先ほどよりも鬼達がよく見えた。

奴ら、何匹いるのだ。目算だが、私ぐらいの背丈の鬼、3メートル近くはありそうな鬼、見るからに乱暴そうな筋骨隆々な鬼、モデルに負けないスタイルの良い鬼、沢山の鬼が所狭しとそこにいる。

これが歌舞伎やオペラならば満員御礼だろう。その鬼達の目だけが炎に反射し、ギラつき、不安を感じさせる嫌な星空のようだ。

「おい、何をしている」

年寄り鬼が呆然と辺りを見渡す私に再度声をかけてきた。人間の、社会人の嫌な癖だ、ついその言葉に小さく頭を下げてしまった。

まあその方が良いだろう、下手に鬼達の機嫌を損ねて噛みつかれでもしたら堪ったものじゃない。私は示された小さく盛り上がったピッチャーマウンドに似たその場所へ早歩きで立った。


すると鬼達の唸り声が一層大きくなった。まるで見世物か晒し者だ、心の中に不快さを覚える。私を指差し、卑しく笑い、手を叩き盛り上がる鬼達。どうやら私は、いや、この場に連れてこられた人間はこいつらの慰み者なのだろう。

「黙れ」

どこからか響いた思わず身構えてしまいそうな程に低く、心臓を直接打たれたかのような声が鬼達の声をかき消し、途端に世界は静寂に包まれた。

高鳴る自分の鼓動が鬼達に聴こえそうな程うるさく感じる。恐る恐る目をやると私よりも遥かに大きな演台にはそれを更に上回る大きな鬼がいた。

明らかに他の鬼達とは違う。その貫禄、衣装、装飾、そして鋭い目線。こいつは鬼ではない。

これが閻魔だ。

手も足も、口までも急に震え出した。それは鬼達も同じようだ、全ての鬼が目を伏せ息さえ殺す様が閻魔の恐ろしさを物語る。

姿勢を正し、震えを抑えながら閻魔に目をやると奴はゆっくりと口を開き始めた。

「これより、審判を始める」

その言葉に鬼達が一斉に歯をカチカチと鳴らしはじめた。

ドクンと一つ、私の心臓が音を立てる。


最初の鬼がそう言っていた、天国か地獄かここで裁かれるのだ。

戸惑っていると閻魔は眉間にぐっと皺をよせ、私を深く睨みつけた。途端に年寄り鬼が後ろから杖で私を小突き言う。

「返事をせんか」

ハッと気がつき、閻魔に向かい大きめの声で返事をした。

「は、はい、お願いします」

許してくれたのか閻魔は眉間の皺を緩めたが心の底から面倒そうにふうっとため息をついた。そして年寄り鬼へと何かを指図する。

「我々は貴様らがどうなろうが良い。当然、貴様らの命乞いも嘆願も聞く気はない」

「は、はあ」

気の抜けた返事をするとまた年寄り鬼が私を小突く。まったく、酷い仕打ちだ。

「あ、あの、話しても良いでしょうか」

年寄り鬼は少し目を細め、やはり面倒くさそうに言い捨てた。

「なんだ」

私は唾を飲み、深く息を吸って心を落ち着けた。

「ど、どのように、私は、そ、その、行き先を、決められるのでしょうか」

年寄り鬼は舌打ちをし、杖を振りかぶり私を殴りつけてきた。

「今から説明するのだ、余計な口を開くな」

小さく、老いてもやはり鬼。

目をカッと見開き牙を剥き出しに威圧されると恐怖を感じずにはいられない。

そして、どうやら閻魔は私に関心を失ったようだ。もはや私に目も向けず、紙の束をペラペラとめくりながら年寄り鬼に顎で指示をする。

すると年寄り鬼は閻魔に向けて二度、口をカチカチ鳴らした。先ほどの鬼達といい、これは鬼の作法だろうか、人間で言うお辞儀のような事だろう。

すでに閻魔は片肘をつきながら好きにしろと言わんばかり。それを受け、年寄り鬼は少し胸を張り、誇らしげに口を開いた。

「良いか人間、貴様らの言うゼンやアク、貴様らの決めたホウやルウルなどここでは関係ない。そして貴様らの言うカミだとかもここにはいない」

そこまで言うと年寄り鬼はニヤリと笑い、そのボロボロの牙を光らせた。

「じゃが、わしらにも温情がある。適当に上だ下だと分けては貴様らが泣き喚くのもようわかっておる」

上や下、天国と地獄の事だろうか、そして温情、まさに鬼の目にも涙か。

「故に、貴様らの事は貴様らに任せる」

「えっ」

「貴様らで決めろと言うことだ」


鬼が言うのはこう言うことだ。これからこの場に「決め人」を呼ぶ。そしてその決め人が決めた行き先に私を送る。裁判らしく、陪審員という事だろう。

突然の事に理解を何とか追いつかせるばかり、ろくに質問も出来ないままで私はただ生返事を繰り返す。

「その、決め人とは・・・」

「お前が選べ」

突然言われても困ってしまう。

私には「決め人」の知り合いなどいない。弁護士や、裁判官の知人もいない。

困っていると年寄り鬼はあからさまに怒りを露わにし始めた。ただでさえ皺の多い顔に、より深く眉間に皺が寄る。何か口を開かなくてはならない。

「その、決められないので、あの、その、えっと、そちらで厳選していただけないでしょうか」

年寄り鬼は少し笑う。

「こちらで選んで良いのだな」

その不気味な笑みに直感が言う、私は答えを間違えたようだ。だが、正解もわからない。

ただただ、静かに頷いた。

「我々で選べとのことです」


年寄り鬼がそう言うとこれまで静かにしていた鬼達が一斉に声をあげた。驚き目をやるとどうやらその反応は半々に分かれている。

あからさまに喜んでいる鬼がだいたい半分、そして悔しそうな鬼がもう半分。私はこれに似た光景を生前に見た気がした。

そうだ、テレビなんかでたまに目にした競馬場なんかの光景だ。

レースが決まると手を挙げ歓喜する人、酷く落胆して肩を落とす人。あの光景にそっくりなのだ。

私は直感した。この鬼達は私が天国に行くのか地獄に行くのか賭けをしているのだ。

これから第二の人生の行き先を決められる私で、いや、これまでにここに来た人間全てをこうして暇つぶしの材料にしてきたのだ。

そして私がどちらに行っても半分は喜び半分は残念なのだ。

どう足掻こうとも、こいつら全員に一泡吹かせてやるなんて出来はしない。なんて居心地の悪い場所なのか。

恐怖から怒りへと変わりつつある震えを手の中で強く握りつぶした。


年寄り鬼の報告に、閻魔は手元の紙の束からまさしく適当に一枚の紙を選ぶと年寄り鬼に放り投げた。

年寄り鬼はまた二回、カチカチと歯を鳴らすとその紙を拾い上げゆっくりと奥の方、視界が届かぬ闇の中へと消えて行く。

私はただ鬼達の歓声と怒号を聴きながら先の展開を待ち続けた。

閻魔は槌を取り、演台を打ちつけた。

二度言わせるな、そう静かにも怒りを込めた閻魔が鬼達を一喝する。

するとまた世界が静寂に包まれた。

むしろ、騒いでいてくれた方が気が紛れて助かったかもしれない。

これからどうなるのか、決め人とは何なのか、静かすぎるその空間で恐怖と不安が心臓を掻き毟る。


すると暗闇の奥から足音が聞こえ始めた。

目を凝らすと年寄り鬼に先導され、スーツを着た男がゆっくりとこちらに向かってくる。

その男は演台の少し前、私と閻魔の中間の辺りで止まるとじっとこちらを見つめた。私も、その男をじっとみつめた。

「課長、ですか...」

男がゆっくりと口を開いた。そして私を課長と呼んだのだ。

数瞬遅れて私はハッと気がついた。その男はもう何年も前、私の部下だった西島という男だった。

「に、西島か」

西島も驚いた様子だが、会社に居た時のようにゆっくりと義務的に頭を下げた。

「久しぶり、だな」

そう私は微笑んだが、西島は口を真っ直ぐに結んだまま不思議そうに私を、辺りを見渡した。

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