ハイドレンジアの曇天を喰う Ⅰ
忙しい時と忙しくない時の差が激しいのが特別隊である。軍の側の契約者が三人しかいない現状、当然隊の人数も三人だ。ゆえに、どうも便利屋的扱いをされているらしく、なにかの穴埋めに使われることも多いのだ。
が、その反面、表面上の平和が保たれている間ははっきり言って暇でしかない。僕からすれば、騒動や動乱がない日常などまったく価値のないもの。つまらない。仕方がないのでラウラの所にでも遊びに行くか、と進行方向を変えた。
幸い、どうせいつものように本と一緒に居るのであろう彼女の─────というよりヴァイスハイト家の図書館はここから差程遠くはなかった。
万が一にと持たされている図書館の裏口を通るための「鍵」を悪用して分厚い扉をすり抜ける。偶然にも、ラウラは裏口近くの棚を漁っていた。
「やっほーラウラ!!」
「……カトラス……あなた、何しに来たの……」
元気に挨拶すると、ため息を含ませて、ラウラはものすごく嫌そうにこちらを見た。そんなに露骨に「今すぐ出ていってくれないか」と顔に書いてあると流石の僕でも傷つく。ちょっとだけね。
「そんなに暇なら、フェンの手伝いにでも行ったら」
「えー……それはちょっと……」
特別隊の他の隊員、フェンことフェリドゥーンとラウラ。彼らは所謂幼なじみと言うやつらしいが、正直僕は二人についてあまりいい印象を持っていなかった。まだ付き合いが浅いというのもあるが、二人とも何を考えているかよく分からないのだ。特にフェンについてはあまり話したことがない。
任務に共に行った時にも、彼は自分からは喋らないし、感情が大きく動いたところを見たことがない。無表情でフューリーと同族を殺していく様にはいっそゾッとしたほどだ。ラウラもこうして時折ちょっかいをかけるだけで、結局どういうケット・シーなのかは理解出来ていない。諜報員たる僕にとっては、そこは非常に重要な点だ。
「あ、そ。とにかく、貴方には前科があるんだから大人しくしておいて」
「前科って酷くない?」
抗議してみたが、薄水色の髪のケット・シーはふん、と鼻を鳴らすとまた棚から本を引き出してはぱらぱらと捲る作業に興じ始める。どうしたものか。
「なにやってんの?」
「貴方には関係ない」
「冷たっ! いいじゃん、邪魔しないからさー、仮にも仲間でしょ?」
しばらく反応がなかったのでまた冷たくあしらわれるのかと思いきや、意外にも彼女は答える気になったようだった。
「……薬を調合するの。お酒に弱くなる薬」
「へー……へ?」
流石の僕にも理解不能だった。一体何に使うつもりなのか、そもそもそんなものがあるのか。僕の頭が疑問符で埋め尽くされたことを察したのか、ラウラが説明を追加してくれる。
「お酒を飲むと、一般的に『酔う』って言われる状態になる。それはお酒の中に原因となるものが含まれているから。その薬は、その原因に対する身体の抵抗を弱くするもので、毒物じゃないから魔法に引っかからない。暗殺とかに使われたこともあるらしい」
「な、なるほど……」
物騒すぎる情報に、そこじゃねえよ。とツッコミたくなったものの、ぐっと堪える。折角ラウラさまの機嫌がいいのだ。比較的。これは色々なことを聞けるいい機会に他ならない。堪えろ、耐えるんだカトラス。反射的にツッコミを入れるんじゃない。
「誰か暗殺する予定でもあるの?」
「ない」
「じゃあ何に……というか誰に使うのさ」
「フェン」
「あーそっかぁーフェンね……ってええ!?」
あまりにも自然に告げられた名前を一瞬流しかけるが、流せるわけがない。ラウラはこの挙動不審なケット・シーは何なんだ、脳はちゃんとあるのかという目で僕を見ているが、どう考えてもおかしいのはラウラに決まっている。これが普通の反応だ。
どういう事だろうか……ラウラはこっそり下克上を狙っているのだろうか……?いや、たった三人の中で主導権をにぎった所でお察しだ。そこまで考えたところで、僕の頭を彗星のように天才的な答えが駆け抜けた。
「なるほど……いやぁ、ラウラさんも隅に置けないねぇ」
「…………?」
「フェンを酔わせてあれやこれやするつもりなんでしょ? 意外と大胆─────」
「…………はぁ?」
瞬間、そこに恐怖が誕生した。窓などない図書館の中に凍てつく風が吹き抜けたような気がした。僕の身体に一斉に鳥肌が立ち、目の前の生物の危険性を全力で訴えかけてくる。要するに……非常に、お怒りでいらっしゃる。
「カトラス……死ぬか、殺されるか……五秒以内に選んで。選ばなかったら殺す」
「どちらにしろ死ぬじゃん……」
僕の中のツッコミ魂が、ついに脳の命令に反逆した。あ、ヤバい、と思う暇もなくラウラの威圧感が増す。恐怖でまともに顔が見れない。
「五……零。時間切れ。死刑執行」
「あああああ待って!待ってください!謝りますから!!誠に!申し訳ありませんでしたッ!許してください!!!!」
本物の生命の危機を感じ取った僕は全身全霊を掛けて土下座する。ラウラは本気だ。このままでは冗談ではなくきっちりと殺される。しかし、彼女はやりたいと思ったことは最後まで殺り遂げる性格だったらしい。
「
「手伝うから!僕役に立つって!!」
解放せよ、と続けようとしたラウラがぴたりと止まる。あと少しで輪切りにされるところだった。危ない危ない。
「だ、だからさ……あの……どういう理由でフェンに薬を盛ろうと思ったのかっていうことを聞きたいです……」
思わず敬語が飛び出る。彼女はケット・シーの三枚おろしを作るのはとりあえず後にしてくれたようだ。その口から溜息が零れた。
「彼、最近また寝てないの」
「寝てない?」
繋がらない。さっきからラウラの発言には困惑させられてばかりだ。もしかすると、彼女は何を考えているか分からないのではなく、何も考えていない天然なだけなのではないか。
「何故かは知らないけど、フェンは全然睡眠を取らない。今回も五日くらい寝てない……聞いても大丈夫、しか言わないから強制的に眠らせることにした」
「な、なるほど……」
よし、よく分からない。整理しよう。つまり……ラウラはフェンを心配して強制的に睡眠を取らせようとしていると。それならわざわざ酒など使わずとも手っ取り早く睡眠薬でももればいいではないか。
しかしそれを聞いたラウラは肩を竦めてすぐに気づかれる、と宣った。流石に強すぎやしないか。クラドヴィーゼンの教育か。確かに、魔法で検知されないという酒に弱くする薬は適任そうだ。気持ちよく酔っ払ってそのまま入眠するのは最高である。起きたあとはちょっとした世界の終わりが訪れるが、まあそれもご愛嬌ということで。そう考えるとラウラのやろうとしている事も合理的に見えてくるのだから不思議だ。それにしても……
「意外だなぁ……」
「なに?」
「いや、なんでもない」
ラウラが他のケット・シーをこんなにも気遣うとは意外だ。普段の振る舞いからすれば、わざわざ自分から相手の健康状態に気を使うような性格ではないと思っていた。
情がないケット・シーは好きではない。だからラウラとフェンのことは苦手だった。じわじわと自分の中の印象がいい方に傾いていくような気がする。いや、二人の表情筋が死にすぎているのも問題なのだが。
僕と会話をしながらも、ラウラは着実に調合を進めていく。図書館には至る所に机や器具が置かれており、本で得た情報をすぐに試せるようになっている。そんな事をして本が傷つかないのかというと、本……というか、棚には何十もの防御魔法が敷かれており、容易に傷をつけることは出来ないのだそうだ。
「どうやって薬を飲ませる気?」
「撒く。空気中に」
「撒くの!?」
「飲ませるのは無理。だからあなたも一日くらいはお酒を飲まないことを推奨する。安心して。身体にも本にも害は残らない」
本日二度目のそこじゃねえよ。である。一体ラウラは何と戦っているのだろう。このまま進むと、最終的に恐ろしい方向に進む気がする。頼むフェン、リスティンキーラが吹き飛ぶ前に大人しく寝てくれ。そんな願いも虚しく、彼女は容赦なく空気中に薬を散布し始めた。
ふと外に気配を感じる。軋むことなく扉が押し開けられた。
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