V
パパはだんだん変わっていった。
ずっと家にいて会社の仕事をしながら、ママに言われて僕の学校を探し始めた。
「学校訪問や説明会の予約を取ろうにも、休校になっているから・・・」
この頃からコロナ禍の影響を心配し、インターナショナルスクールはだんだん休校に入るところが増え始め、電話もつながらなかったり、通常なら編入の手続きに入れるのに「今年はちょっと・・・」と対応を控える学校もあったらしいけど、ママには言い訳にしか聞こえなかった。
「あなた、真面目に学校探してるの!?」
インターナショナルスクールの他にも帰国子女を受け入れる学校などもパパは当たってみたけど、4月編入の生徒の受検は2月の初めに終わっていた。この感染拡大が深刻化する前、というより、そんな事態を予期する以前の問題で、もともと予定通りに帰国する家族のための日程だった。
それでも今回の感染拡大に呼応していくつか、急遽帰国する子女に対し特別に門戸を開く学校もあるにはあった。
ママは、すごく学校のレベルにこだわった。僕が苦労して現地で入った学校が難関校だったからだ。
「休校になった学校も、先生たちだけ出勤しているところもあるから、幾つか見学にいったよ。この学校は僕から見ても、いい学校だと思う」
とパパはいくつか学校を挙げたけど、そのたびにママは嫌な顔をした。ママの会社の中にも何人か、子供を有名なインターナショナルスクールに通わせている人がいて、その人たちから色々評判・自慢を聞いてたからだ。
「俺、申し訳ないけど、教育関係に知り合いも少ないし一生懸命探してるけど、やっぱり要領を得ないから・・・ゴメンね」
「あなた、真剣に探す気あるの!?」
といつもママはパパを罵っていた。
ママに怒鳴られる度に、パパは自分の部屋として使っているクローゼットに閉じこもって、自分の仕事に逃避するようになった。
「この学校の申込で、こういう成績証明の発行を中国の学校の先生にお願いしなきゃいけないんだけど」
と言う度に、ママに怒鳴られるパパは、次第にママに相談するのも避けるようになった。中国語のできないパパは、中国の僕の先生とのやり取りをママに仲介してもらわなきゃ話が進まない。
ますます学校探しははかどらなくなって、ドツボにはまっていく。
この頃、ママも神経質になり、これまでは絶対しなかったスーパーやコンビニから買ってきた物に消毒液を吹きかけたり、包装をウェットティッシュで拭いたりするようになった。ぎすぎすした感じは普段の生活にもじんわりと紛れ込んできた。
この4月の終わりから5月の第1週、日本ではゴールデンウィークと呼んでいる時期から、パパがうなだれて頭を抱えている姿を目にするようになった。多分この頃、パパの大事な心の逃避先である会社も休みに入ったから、逃げ場がなくて追い詰められていったんだと思う。
5月の初旬のゴールデンウィークが明けると、パパも平日は仕事に逃げることができるようになった。部屋(大体いつもクロ―ゼット)に閉じこもって、ネット越しに会議したり、会社の人との個別の会話もして、少しリラックスしているように感じた。でもパパにとって、仕事が終わった後の夜の時間と週末は恐怖だったんだと思う。
いつも僕の学校のことを考えながら、そしてほとんどの学校は休校でオンラインで授業をしてて、そして普通のインターナショナルスクールは中国の学校と同じ9月新学期だから、休校が続いている間にどんどん夏休みに近づいていく。そのタイムリミットが迫る焦りと、学校選びがはかばかしくない状況と、いくつかの試験を受けられるようになった学校も日程調整がうまく行かなかったり、また、いくつか書類審査しても「不合格」の通知をもらったり、そして、学校のことを相談しようにもすぐに激怒するママに話しかけるのもためらいながら、だんだん八方ふさがりになっていく感覚に苛まれ、本当に逃げ場がなくなって窒息しそうで、もう死んだ方が楽とか、どこかに逃げたいと思って、精神が少しずつ狂って行ったんだと思う。そして、毎日をびくびくしながら過ごす。
そして、中国の学校もこの時期までは休校していてその代わりにオンラインで授業を続けていたけど、徐々にコロナウィルスの感染が治まってきたので、みんなが学校に登校して教室で授業を受ける普通の日常に戻るのも時間の問題だった。
そのこともパパを焦らせ、混乱もさせたはずだ。
「こうなったら今の中国の高校に戻った方が・・・」
パパにとってそれは全てから解放される最も楽な道だけど、ママはそんな安易な道は許さない。
ママも学校探しの話題から離れて、もちろん仕事の話や他のこともたくさん話していたし、そんなときは家族3人で和やかに話ができる時間だった。散歩したり、レストランが苦肉の策で始めたテイクアウトを外のベンチで一緒に食べたりしている時に、学校探しとは別の話題になっているにもかかわらずパパがうっすら涙目になって遠くを見ていることも多くなった。それでも、学校のこと以外が話題の時は、妙に元気に、無理してテンション上げて話していた気がする。
でも、学校の話題はやはり導火線だった。
急に感情的に相手を罵るママに、パパもお手上げで、話題ができるだけそれに及ばないようにするのだけど、それはかえって問題の解決から遠ざかっていくことになる。
僕を寝かせた後に、二人が口論しているのもよく聞くようになった。いや、口論は対等な立場でするものだ。一方的にパパが責められ、防戦一方のパパが少し言い訳めいたことを弁解し、さらに熾烈な罵りが追いかぶさる苦行だったと思う。
緊急事態宣言を解除するかどうかが取りざたされ始めた5月の終わり頃、僕は中国の学校のオンライン授業に参加している。先生が
「このスタイルの授業もそろそろ終わり。来週からはみんなに学校で会えるね」
と言った。
僕はまだ日本にいる。中国へ帰って今の学校の友達とまた勉強を続けたい。
その道もあるはずだけど、ママは僕に日本のインターナショナルスクールに入学してほしいようだ。
「中国の学校ももう普通の授業に戻るわよ、なんであの子の学校はまだ決まってないの!」
パパを叱る声が聞こえる。
いつも涙目涙声で釈明に追われるパパの声を隣の部屋に聞きながら、僕はiPadに表示されるオンライン授業を、AirPodでいつものように聴く。そして、ママのiPhoneはネットがうまくつながらないなど障害があった際の連絡用に机の上に置いてある。
隣の部屋で一瞬だけドタドタっと音がした。
「がぁ~ああぁああぁ~!」
とパパの声がした。言葉にはならない絶叫だった。
隣の部屋の扉を開けた僕の目に飛び込んできたのは、馬乗りになってママの首を絞めようとしているパパの姿。
「やめろ!」
飛び蹴りしてパパをどかしたんだと思う。必死だったので覚えていないけど。
そして、ママのiPhoneをひっつかんで夢中で押したボタン。
夢中で「1」「1」「0」をちゃんとタップした。後でわかったことだけど、中国の緊急通報と日本の警察を呼ぶ番号とは同じだった。自分がしていることの良し悪しを判断する暇はなかったけど、この3桁の番号は辛い結果をもたらす。
なんとか身を起こし肩でぜいぜい息をするママ
その横で肩を落とし、むせび泣くように顔を覆っているパパ
ほどなくして警察はこの家に到着した。ドアを開けるのは僕にしかできなかったけど、もう悲劇は起きないであろう状況に、警察も事情だけは確認した後、パパを現行犯で連行した。
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